はじめに・・・

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はじめに……

アカデミズム底辺で生きる流しのヘタレ神学研究者・宇治家参去(=氏家法雄)による神學、宗教學、倫理學、哲學の噺とか、人の生と世の中を解釈する。思想と現実の対話。

いつもご閲覧戴きましてありがとうございます。

2010年11月25日より「はてな」に雑文を移項いたしはじめました。

当分はココログと併用いたしますが、最終的には「はてな」ブログへ移行予定です。

「はてな」の「Essais d’herméneutique」は以下のURLからジャンプできます。

http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/

twitterの呟きは以下よりどうぞ。

http://twitter.com/ujikenorio

当面は併用いたしますが、すでに【覚え書】【研究ノート】の類は、こちらでupしてないものも掲載しはじめておりますので、今後ともどうぞ宜しくお願いします。

完全移項が完了しましたら、またその旨、エントリーいたしますので、どうぞよろしくお願いします。

ついでですのでひとつ。

学問の仕事を絶賛求職ちう。

以上。

追伸:【業務連絡】2010年12月3日以前のエントリーでは一人称を、「宇治家参去」と表現しておりますが、以後は、本名の「氏家法雄」でいきます。以前のエントリーの記事はそのままにしますので、適宜読み替えていただければと思います。

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覚え書:「あの人に迫る:六車由実 介護民俗学者 人生の豊かさを聞き書きで知る」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。

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あの人に迫る
介護民俗学者 六車由実さん
人生の豊かさを聞き書きで知る

[あなたに伝えたい]その人の人生を知ることで、絶対にケアの仕方が変わります。互いに互いを認め合えるようになります。

 民俗学者であり、デイサービス「すまいるほーむ」(静岡県沼津市)の職員でもある六車由実さん。大学職員を辞して飛び込んだ介護現場を「民俗学の宝庫」と称し、施設の利用者の人生を聞き書きする。利用者が生きてきた軌跡に目を向けることで、介護する側、される側の意識も変わると説く。(橋詰美幸)

--準教授を辞め、なぜ介護の世界に飛び込んだのですか。
 大学では、常に研究をして論文を出してと、成果を出さなきゃいけなかった。競争社会で、気持ちも体もついていかなかったんですね。実家に戻って三カ月くらい静養をしていたのですが、しばらくして次に何の仕事をしようかと考えたときに、ハローワークでホームヘルパーの資格を取る講習があることを知りました。資格を取ったら現場で働いてみたいなと思って飛び込んでみました。

--実際に飛び込んでみて、感じたことは。
 介護する側、される側という関係にとても違和感を持ちました。以前の職場は特別養護老人ホームで重度者が多かったせいもあってか特に強く感じました。やることがいっぱいあって、利用者の人生に耳を傾ける時間も取れなくて、「してあげる」という立場でしか関わることができずにいました。利用者の方にとっても常に介護されている状況では、生きている意味や役割がわからなくなってしまうのではないかと感じました。不自然な場所だなと。
 スタッフが少ない上に、時間内に終わらせなくてはいけない仕事がありすぎて消耗してしまう。いかに安全かつ時間内に利用者に食事を取らせるかや、気持ちよく排便を処理できるかなど、介護が作業になって、人と関わっているという感覚がまひしてしまう。

--どう抜け出したのですか。
 ある時、女性が突然、歌を歌い始めたんです。しかも踊りつきで。初めて聴いた歌だったので、忙しいにもかかわらず、思わず「なにそれ」「どこで覚えたの」と聞いてました。救ってくれたのは利用者さんでしたね。


--「介護民俗学」を実践する中で、どんなことを感じますか。
 介護を受ける人たちがこんなにも昔の記憶が確かで話ができることに驚きました。研究者時代の調査では会う機会のなかった大正一桁生まれの人もいる。
 関東大震災の話を聞いたときには、知っている人がいることが衝撃で、沼津周辺もすごく揺れて大変だったという話から始まって、おばあさんたちが狩野川の方に向かって念仏を唱えていたとか。そんなことを言われたら、民俗学者としてメモを取らないわけにはいきませんよね。デイルームの片隅でメモを片手に熱心に話を聞いている姿は、他の職員には奇異に映ったみたいですが。
 介護する立場で利用者の話に身を任せていると、自分が全然想定していなかった話しが飛び出してくるんです。農耕が機械化されていなくて牛馬が家畜として飼われていた時代に、牛馬の鑑定や仲買をした「馬喰(ばくろう)」という商売人がいたことや、発電所から電線を引くために定住地を持たずに村々を渡り歩いた高度経済成長期の「漂泊民」など。人の人生はこんなにも豊かなものなのだと感じます。

--聞いた話は、記録として形に残すのですか。
 以前いた施設では、利用者に聞かせてもらった話を文章に起こして、「思い出の記」として本因や家族に渡していました。
 ある男性から太平洋戦争中にガダルカナルで戦った体験を聞いて、思い出の記を作ったことがありました。その方のお婿さんは大学を出て役所に勤めていたのですが、男性はずっと農業をやっていて「自分は学がない」と、お婿さんに対して引け目を感じていました。でも、お婿さんが思い出の記を読んだらすごく感動してくれたらしく、「自分のことを見直してくれた」と喜んでいました。
 家族でも親の若い頃の話って、実はあまり知らないんですよね。思い出の記は親の人生を受け止め、認める一つのきっかけになったのかなと思います。


--話を聞くことで利用者の気持ちや体調も上向きになるのでしょうか。
 聞き書きをしているときに、常に相手が気持ちよく話しているかといえば、そうではありません。語ることによって、苦い思い出も含めていろいろなことを思い出します。介護やカウンセリングの世界では、危険なことと言われかねません。ですから、話を聞くのはお互いに真剣勝負です。
 私たちの日常の中で、怒ったり泣いたり不愉快に思ったりと、いろいろな感情が湧き起こるのは普通のことですよね。それが介護現場では感情の変化に乏しくなりがち。認知症に人が泣きだしたり、笑いだしたりすると「感情失禁」と言われる。そもそも感情に失禁という言葉をくっつけるな、と思うのですが。私は聞き書きをしているときに利用者さんが急に涙が出てしまったりするというのは、人と人の普通の関係の中で日常性が回復しているのだと考えています。
 それに私たちよりも倍、人生を生きてきた人たちですよ。多少何があっても強いです。確かに注意しなくてはいけないことはあるかもしれませんが、真剣に話を聞くのが礼儀ではないでしょうか。

--聞き書きをする上で必要なことは。
 大切なのは、知らないことを知る喜びを感じること。知らないことは武器というか、意味があることだと思います。例えば、私はあまり料理が得意でなくて、知らないことばかりなんですね。思い出の味を再現するときには、利用者の方が「そんなこともわからないの」と言いながら一生懸命教えてくれるんです。
 「すまいるほーむ」には、親戚が浅草の置き屋にいて踊りをよく見ていたという女性がいて、他の利用者さんや職員に踊りを教えてくれました。常に介護されるだけでなく、あるときは教える立場になって、私たちが学ばせてもらう。常に関係が入れ替わることで、対等な関係を築くことができたのも、利用者さんの人生に目を向けて、聞き書きを続けてきた結果だと思っています。


--聞き書きを通して、介護する側、される側の関係性が変わってくるのですね。
 多くの介護職員は、利用者さんの日常生活で必要な動作の自立度や病歴は知っていても、どんな人生を歩んできたかは知りません。その人の人生を知ることで、絶対にケアの仕方が変わります。介護する側、される側という関係性が変化して、互いに互いを認め合えるようになります。
 聞き書きをしていると、人の人生はすごく豊かなものなのだと実感します。だから、たとえ認知症になって自分で自分のことを決めることが難しくなったとしても、人は最期まで人として生きるべきだと強く思います。それがどんなに大切で、どんなに難しいかというのを、私たちは常に意識していかねばなりません。

[インタビューを終えて]取材に訪れた日。「すまいるほーむ」の皆さんが、沼津周辺では昔ながらという「なべやき」を作ってくれた。小麦粉に砂糖と重曹を混ぜて焼く素朴なおやつだ。
 「あんたそれじゃ砂糖が少ないよ。もっと入れて」。利用者のおばあちゃんが遠慮のない物言いで、六車さんに指示を飛ばす。「料理が経たで、いつも怒られるんです」。笑いながら話す六車さんは楽しげだった。
 介護の現場でお年寄りの人生に向き合う大切さを思う。それにはまず、職員が利用者に向き合うことができるだけの余裕がいる。そんな環境を介護現場に広げないといけない。
    --「あの人に迫る:六車由実 介護民俗学者 人生の豊かさを聞き書きで知る」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。

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日記:夜桜 2015年 東京


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近所で撮影したものですけど、風物詩として。
(Canon IXY3にて撮影)

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覚え書:「野坂昭如の『七転び八起き』 第200回『思考停止』70年 命の危機 敗戦から学べ」、『毎日新聞』2015年03月24日(火)付。


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野坂昭如の「七転び八起き」
第200回「思考停止」70年 命の危機 敗戦から学べ

(写真キャプション)「戦争は気づいた時にははじまっている」
 たとえ無責任、出まかせといわれようが、物書きの端くれとなって以後、お上のあやかしに取り込まれてはいけない。日本が現状のまま推移すれば駄目になる。やがては沈没してしまうなどと言い続けてきた。食い物しかり、原発しかり。これすべて勘によるもの。そして残念ながらこの勘はほぼ当たってしまった。もう一つ、日本は再び戦争に巻き込まれようとしている。昭和20年、戦争が終わった年、ぼくは14歳。あれから70年、ずっと敗け戦の日々である。70年前、一面の焼け野原だったあとに、たちまち屋根が並び、昭和30年にもなると、飢えの恐怖も遠ざかった。つれて日本は高度経済成長の波に乗り、これでめでたしめでたし。民主、平和、自由など各種の主義がデカイ顔をしてまかり通った。物質的豊かさの良いとこ取りを決めこんだ。ぼく自身、時代に身を合わせて生きのびてきた。だが一方で、言いようのないいらだちが失せない。違和感がある。これは世間に対してと自分についてのこと。すべて上っ調子で前進あるのみ。日本はあの戦争で立ち止まって考えることをしなかった。まさに着の身着のまま、食うや食わずの混乱の中で今日を精いっぱい生きのびるのがやっとのことだった。それにしても、やや落ちついたところで、あの戦争は何だったのか、振り返るゆとりはあったはず。お上の暴走、それを許した世間。仕方がなかったで片づけて、空襲は天災の一つの如く受け止めて、戦争を人ごとのようにみなす。戦中は「一億一心」「挙国一致」「忠君愛国」をスローガンに掲げ、戦後は「平和」さえ唱えていえればそれでよし、考えることをやめてしまった。どこかで抱く違和感はあっても、誰かがどうにかしてくれると考えておしまい。お上を筆頭に誰も矛盾に向き合わなかった。ぼくにしたってエラそうなことは言えない。結局は時代に身を合わせて生きてきた。
 14歳の夏、突然戦争が終わり、世の中が一転、何もかもすべてガラリと変わってしまった。もの心ついた頃は戦時下。お国のために命を捧げることがあたり前。成長盛りにロクな物を口にせず、授業も満足に受けられなかった。ぼくら昭和ヒトケタ世代はかなり特別な少年時代を過ごした。やがてウロウロするうちに経済大国、戦後はその繁栄の恩恵を十分に受けて、ギクシャクしながらも生きてきた。ぼくらの世代にも責任はある。70年前の今頃、大日本帝国は瀕死の状態だった。3月10日の東京大空襲で10万以上の命が失われ、それでもまだお上の暴走は続く。4月、ひたすら本土防衛のための沖縄線がはじまる。沖縄県民の命を盾として、いたずらに死者を増やし、約20万の命が棄てられた。この唯一の地上戦によって沖縄は本土の捨て石とされた。今なお、それは続く。5月24、25日東京空襲、山の手が焦土と化した。6月5日神戸に空襲、これによってぼくの家族、言えも焼失。人生が大きくかわった。70年前、昭和20年の今頃に生きていた大人達は何を考えていたのだろうか。子供だったぼくの目にうつる身近な大人は、上辺平静だったように思う。列島は空襲の嵐、戦争が迫っていた。お上の制度は猫の目の如く変転、代わりないのは強気な大本営発表だけ。普通に考えれば日本の敗け、と見当つくはずだが、大人達に焦燥の色も諦めた感じもうかがえなかった。今の日本がどんな状態なのか、ぼくにはよく判らない。ただぼくなりに冷え冷えと眺めている。この歳では眺めるしかない。あの命の危機を目前にしていた時代とはまるで違う。だが今日あるが如く明日もあるとみなして、具体的に破滅を回避する手段を講じない。今も昔も同じ。大人達は思考停止じゃないのか。
 飢えに苦しんだ経験をあっさり忘れ、食い物は他国にまかせ、その食い物の大半を廃棄し続けている。危なっかしい原発、安心、安価、クリーンは嘘だった。ツケは子孫にまわす。年金、健康保険もそう長くないだろう。
 日本には金があるという。債権国だといったところでドルという紙切れ。1000兆を超えた国公債の利子払いもある。これを免れるには極端なインフレしかない。モノ不足の再来は遠くないだろう。現状維持を最優先、後はすべて先送り。危機感を持たず、リスクを避けてきた日本。敗戦から何を学んだか。震災、原発事故から何を学ぶのか。戦後70年、平和は奇跡的に続いた。安倍首相悲願の憲法改正は日本を破滅に追いやるだろう。戦争というものは気づいた時にははじまっている。今、戦後が圧殺されようとしている。(企画・構成/信原彰夫)
    --「野坂昭如の『七転び八起き』 第200回『思考停止』70年 命の危機 敗戦から学べ」、『毎日新聞』2015年03月24日(火)付。

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日記:2015年、東京の桜

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近所の桜が満開に近づき始めましたので、記録として。


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覚え書:「特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン『八紘一宇』国会発言 問題視されない怖さ」、『毎日新聞』2015年03月27日(金)付夕刊。


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特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン「八紘一宇」国会発言 問題視されない怖さ
毎日新聞 2015年03月27日 東京夕刊

 16日の参院予算委員会で、自民党の三原じゅん子議員が戦争遂行のスローガンに使われた言葉「八紘一宇(はっこういちう)」を肯定的に紹介してから10日余り。大きな問題にはなっていないが、戦後70年を迎える折も折、「良識の府」参議院で飛び出した発言を忘れ去っていいのだろうか。

 「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります。初代神武天皇が即位の折に『八紘(あめのした)を掩(おお)いて宇(いえ)と為(な)さむ』とおっしゃったことに由来する言葉です」。三原氏は国際的な租税回避問題に関する質問の中で、この言葉を持ち出した。「現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」というのが、その理由だった。

 しかし、言うまでもなく「八紘一宇」は、日本を盟主とする世界統一の理想を表すものとして、戦意発揚に用いられた言葉だ。日本書紀の「掩八紘而為宇」という漢文から「八紘一宇」を造語したのは戦前の宗教家、田中智学(ちがく)とされる。

 一方、三原氏が事前に参院予算委員全員に配布した説明資料には、八紘一宇について<日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう>と記されている。出典は1938年に出版された清水芳太郎著「建国」という書物だ。

 国会図書館に出向き、デジタル保存されている同書を閲覧した。すると、三原氏の配布資料に含まれていないページにも、気になる記述があった。日本書紀の「掩八紘而為宇」の直前にある「兼六合以開都」を、こう解釈しているのだ。<六合を兼ねて以(もっ)て都を開き=とあるのは、思うにその時は大和を平定したに過ぎず、まだ奥の方に国はあるけれども、それは平定していなかった。(中略)大和が皇化されるならば、更に進んで全世界を皇化せねばならぬと仰せられたのであろう>

 「六合」とは天地と四方。田中智学は、この「兼六合以開都」からも「六合一都」(世界を一国に)を造語したとされる。戦前や戦中には「八紘一宇」とセットで用いられることも少なくなかった。

 学問的な評価はさておき、三原氏が今回の質問にあたって依拠した書物ににじむ思想は、三原氏の言う「日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている」と言えるのか。首をかしげざるを得ない。

 清水とはどんな人物だったのか。鹿児島大の平井一臣教授(政治史)が2000年に著した「『地域ファシズム』の歴史像」によると、1899年、和歌山県に生まれた。早稲田大卒業後の1928年から西日本新聞の前身の一つである九州日報の主筆。のちに健康食品などを開発、販売する清水理化学研究所を設立。同研究所を母体に国家改造運動団体「創生会」を結成し、農村救済などに取り組む。41年に飛行機事故で死亡するまでジャーナリスト、発明家、活動家と目まぐるしく職業を変えた生涯だった。

 平井教授は「清水は主に九州北部で活動したため知名度は高くありませんが、『日本的ファシストの象徴』といわれた北一輝の流れをくむ国家主義者です。体系的思想よりも、時事問題を分かりやすく文章にまとめるのが得意だったようです」と語る。

 清水が注目されたのは37年7月の日中全面戦争の勃発以降だ。同年内に2回も中国戦線を視察し、九州各地で大規模な報告会を開いた。清水が率いる創生会はその後、日独同志会結成や排英運動でめざましい活動を続け、軍部からも、その大衆動員力を注目されたという。「『建国』は日中全面戦争勃発の前後に書いた文章をまとめた本です。この時期から創生会は農村救済から軍部への協力に軸足を移し、運動を変質させていった」と平井教授。本の扉には「八紘一宇 陸軍中将 武藤一彦」と大書されている。

 「満州出兵は日露戦争の権益を確保するためと説明できたが、権益を持たない中国全土を相手にした戦争は国益論では正当化できなくなった。このため軍部は、他民族に優越した日本民族を中心とした東亜新秩序の構築のためという虚構をつくり上げた。八紘一宇は、その虚構を支えるスローガンだった」。平井教授はそう指摘し、三原氏の発言については「今の時代に、国会で『八紘一宇』や清水芳太郎の名前が出るとは思わなかった」と驚きを隠さない。

 三原氏は毎日新聞の取材に文書で回答を寄せた。数多くの文献の中から「建国」を選んだ理由については、同書の一節に<現在までの国際秩序は弱肉強食である><強い国が弱い国を搾取する>などの表現があり「現在のグローバル資本主義が弱い国に対して行っているふるまいそのままだと思い引用した」と説明。「時代状況を踏まえぬ言葉の解釈だ」との批判に対しては「八紘一宇の元々の精神は、少なくとも千数百年もの間、『我が国が大切にしてきた価値観』だったわけで、戦前はその精神から外れて残念な使われ方がされたものであり、だからこそ元に戻ろうということ」としている。

 ◇象徴の塔が物語る侵略の歴史

 「今でも宮崎県に行くと、八紘一宇の塔が建っております」。租税回避問題に絡んで「八紘一宇」を持ち出した三原氏に対し、麻生太郎財務相はこう応じた。神武天皇即位からとされる「紀元2600年」を祝って1940年に建てられた高さ37メートルの塔は、今も宮崎市平和台公園にそびえる。記者は宮崎に飛んだ。

 満開の山桜。春らんまんの公園には家族連れのほか、シンガポールや台湾のツアー客が訪れ、塔に続く階段で記念撮影を楽しんでいた。

 県職員立ち会いの下で塔内部に入った。正面には秩父宮(昭和天皇の弟宮)の真筆「八紘一宇」が納められていた「奉安庫」。周囲には軍用機や戦艦が描かれた「大東亜の図」や移民船が描かれた「南米大陸の図」、神話の「天孫降臨」「紀元元年」など8枚の石こうのレリーフがかかる。

 また、塔の基礎には世界各地の石が使われている。中国本土、台湾、朝鮮半島、シンガポール、フィリピン、パラオ、ペルーなど世界中の派遣部隊や日本人会から送られたものだ。「多田部隊 萬里長城」と刻まれた石もあった。送り主が刻まれている石だけで1789個あるという。毎日新聞の前身の一つ「東京日日新聞」と刻まれた石もあった。冷たい石肌をなでながら戦意高揚に協力した戦前の新聞業界の責任を思う。宮崎県が71年、塔の前に設置した石碑には<友好諸国から寄せられた切石>とあり、<(塔には)「八紘一宇」の文字が永遠の平和を祈念して刻みこまれている>とも記されていた。

 歴代内閣は八紘一宇に否定的な見解を示してきた。中曽根康弘首相は83年1月の参院本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った。それが失敗のもとであった」と述べている。

 実は、塔の正面の「八紘一宇」と刻まれた石板は戦後の一時期、外されていた。連合国軍総司令部(GHQ)が45年12月に「八紘一宇」を公文書で使用することを禁じた。県内の財界人らが動いて「八紘一宇」の文字が復活したのは65年だ。

 この塔の話は65年のNHK連続テレビ小説「たまゆら」にも出てくる。文豪・川端康成が初めてテレビのために原作を書き下ろしたドラマだ。川端が訪れた時、まだ石板は外された状態だった。原作にこんな一節がある。<見る人によっては、それが立った時の誇りを思ひ起し、塔の名のもぎ取られた時のかなしみを思ひ出し、また、ただ奇妙な形の塔とだけ眺めるのもよいのではあるまいか。すべて、古跡とか記念の建物とかは、見る人のこころごころであらう>

 「川端先生は当時の県民感情を的確に書いてくれた」。当時、川端を案内した渡辺綱纜(つなとも)・宮崎県芸術文化協会会長はそう話す。

 「この塔は戦時中に国民を戦争に一致団結させるための精神的な支柱だった。宮崎県には、その史実を正しく伝える碑などを建立するよう求めています。三原さんの発言を聞くと、再び国民を戦争に駆り立てる支柱としてこの塔が利用されるのではないかとの懸念を拭えません」。91年から塔の史実を研究している市民団体「『八紘一宇』の塔を考える会」の税田啓一郎会長は表情を曇らせる。

 公園を管理する宮崎県都市計画課の担当者は、現在の碑文について「さまざまな意見があろうかと思いますが、現状のまま大切に保存してまいりたい」と語るのみだ。

 世界各地から石を集めて築かれた巨大な「八紘一宇」の塔。それは、アジア諸国を踏みにじり日本を破滅に導いた戦争を象徴するモニュメントだ。三原氏の発言と共に胸に刻みたい。【浦松丈二】
    --「特集ワイド:続報真相 戦意発揚スローガン『八紘一宇』国会発言 問題視されない怖さ」、『毎日新聞』2015年03月27日(金)付夕刊。

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[http://mainichi.jp/shimen/news/20150327dde012010022000c.html:title]


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拙文:「読書 大賀祐樹『希望の思想 プラグマティズム入門』筑摩選書 連帯と共生への可能性を開く」、『聖教新聞』2015年03月28日(土)付。


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読書
希望の思想 プラグマティズム入門
大賀祐樹 著

連帯と共生への可能性を開く

 現代思想の諸潮流の中でプラグマティズムほど不当な扱いを受けたものはない。実用主義の訳語は早計すぎて“浅い”という印象をあたえる。著者はパース、ジェイムズ、デューイといった源流からクワイン、ローティといった最前線までを俯瞰し、「希望の思想」としての魅力を取り戻す。連帯と共生を探るその可能性は、閉塞した現代に風穴を開ける光明だ。
 プラグマティズムとは「相容れない『信念』をもち、対立し合う人びとが、そうした相剋を乗り越えて連帯し、一つの『大きなコミュニティ』を形成するための指針であり、共生を可能ならしめる」思想のこと。ある概念を前もって確定させることはできないが、「その概念がいかなる帰結を生むのかを考察し、実際に何が生じたかを観察することは可能である」という格率から出発し、世界を認識しようとする。
 歴史を参照すれば、哲学的概念や宗教的信念は先験的に常に正しい訳ではない。その事実を踏まえるなら、人間社会に役立つ限り「暫定的」に正しいと認め、相互承認して生きるほかない。
 さまざまな価値観をもつ人々が同じ社会で生活すれば、唯一の正しさをめぐり摩擦を生まざるを得ない。しかし正しさをあらかじめ設定できない以上、「暫定的」すり合わせが不可欠だ。
 排他的言動があふれ、憎悪の信念対決が激しさを増す現代。プラグマティズムの示す“他者と共に生きる流儀”を身につける必要がある。(氏)
●筑摩選書・1620円
    --「読書 大賀祐樹『希望の思想 プラグマティズム入門』筑摩選書 連帯と共生への可能性を開く」、『聖教新聞』2015年03月28日(土)付。

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覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感 『八紘一宇』持ち上げる与党銀 言葉のチョイスは生命線では」、『毎日新聞』2015年03月22日(日)付日曜版(日曜くらぶ)。

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松尾貴史のちょっと違和感
「八紘一宇」持ち上げる与党議員 言葉のチョイスは生命線では

 元女優の与党議員が、予算委員会で質問をしている様をぼんやりと見ていた。先日、新幹線からホームに降り立つ彼女と出くわしたばかりだった。その時にも感じたのだが、いろんな意味で顔つきが変わってきたなあ、などと思いつつ(人の人相をとやかく言えたものではないが)聞くともなしに、しかし耳に入っては来ていた。滑舌はいい、もちろん国会議員にしては、といったレベルだが。だがそこに実感というか、現実感というものが伴っていない空々しさが常に漂っていて、あまり上図ではない役者が、2時間ドラマの法廷ものか何かで弁護士か検事の役を力んでやっている雰囲気だった。当然だが、政権に対する礼賛ばかりを並べていて、首相に語りかけるときはまるでハニーがダーリンに語りかけるように甘く呼びかけていた。
 よかったねえ、巨大与党だからこそこういう見せ場を与えられて、などと思いつつチャンネルを変えようかというときに、なぜか税制の話の中だったかと思うが、「八紘一宇」という四字熟語を持ち出した。前時代的というよりも、今時この言葉を前向きな意味合いで使う、私よりも若い女性がいるのだなあと思ったが、話の流れからこの言葉を持ち出す意図が全く読めなかった。というよりも、この熟語を使いたいのでどこかに入れられないか探してこじつけて入れたような違和感があった。
 この言葉の由来は日本書紀の「掩八紘而為宇=八紘を掩いて宇にせむこと亦可ろしからずや」という文言をもとに、思想家が大正時代に短縮した造語らしい。
 この議員は、「ご紹介したいのは、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇であります」と述べていた。そうすると日本の建国は大正時代ということになってしまうが、それは勘違いだとしても、彼女にこの言葉を使わせようとアドバイスなりレクチャーをした人がいるのではないかと想像してしまった。
 あの中曽根康弘首相(昭和58<1983>年当時)ですら、衆議院の本会議で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った。それが失敗のもとだった」と、反省材料として否定的に使っているし、もちろん他の多くの政治家たちもそのようにこの語を扱っていた。
 私も、国民を間違った方向に向かわせる標語として大活躍した、どちらかといえば好ましくない言葉だという認識だった。しかし、今回は建国以来の美徳としてご紹介してくださっている。建国以来大切にしてきたのなら、彼女が首相や多くの国会議員、そして多くの国民に「紹介」する必要はないだろうが、ここで「紹介」することによって、憲法と同じくこのスローガンも既成事実として「解釈変更」をしようとしているのでは、と被害妄想的になってしまう。
 この言葉のそもそもの意味をあれこれ文句をつけるつもりはないのだけれども、この言葉をあえて紹介するならば、どういう使われ方、扱いをうけてきたかを調べなかったとは思えず、であれば、戦時中はこの標語を批判するだけで治安維持法などの戦時法制の取り締まり対象となって、非国民の扱いをうけてしまうようなセンシティブなものだったということに気がつかなかったのだとすれば、あまりにも迂闊ではないか。
 本来の意味は道徳的なものなのだとか、そういうことは関係なく、言葉というものが持つ性質か、その言葉がどう使われてきたかということが大きな問題で、放送や新聞で使われないようになったりした言葉にも、それぞれの語源ではなく、伝来、来歴でまとわりついた因縁が大きく影響している。
 政治家の仕事は語り合うことだ。その時、大切な道具としての言葉のチョイスは、生命線なのではないだろうか。(放送タレント、イラストも)
    --「松尾貴史のちょっと違和感 『八紘一宇』持ち上げる与党銀 言葉のチョイスは生命線では」、『毎日新聞』2015年03月22日(日)付日曜版(日曜くらぶ)。

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日記:現実に定義があるにもかかわらず、「定義されていない」と言葉を弄して、定義自体を変えていく。これが安倍政権のやり方。


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安倍首相の「我が軍」発言は、列記とした憲法違反。実質の「軍」であることは否定しない(……但し渡洋交戦可能ではない)けれども、管官房長官がいうように「定義されていない」というレベルの問題ではない。

憲法には閣僚の憲法遵守規定が存在するにもかかわらず、どこ吹く風でどす黒い本音がまかり通る異常さだ。

安倍首相は、先の戦争が侵略戦争だったのか問われ、ここでも「侵略」が「定義されていない」と答えている。そりゃそうだ。侵略戦争などと思っていないからだ。

現実に定義があるにもかかわらず、「定義されていない」と言葉を弄して、定義自体を変えていく。これが安倍政権のやり方。汚えよな。


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声:「我が軍」発言は追及すべきだ
無職(東京都 79)

 安倍晋三首相が20日の参院予算委員会で、自衛隊を「我が軍」と述べました。
 憲法9条は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めています。また99条は、国務大臣や国会議員は憲法を尊重し用語する義務を負うと規定しています。それなのに「我が軍」とは何ごとですか。日頃からそう思い、そのことを志向しているからこそ、「我が軍」という言葉が口から出たのではないでしょうか。
 これは重大なことです。それなのに当初の野党の反応は鈍いものだったと言わざるを得ません。24日になってようやく民主党の細野豪志政調会長が「憲法の枠組みの中で積み上げた議論を全部ひっくり返すような話だ」と指摘。「この問題は時間をかけてしっかり国会でやるべきだ」と発言しました。
 また維新の党の松野頼久幹事長も「あくまで我が国は自衛隊だ。不安をあおるような言い回しは、気をつけるべきだ」と述べたそうです。
 野党は一致してこの問題を取り上げ、首相の間違いをたださなければなりません。内閣の不信任決議に値する大問題だと思います。
    --「声:『我が軍』発言は追及すべきだ」、『朝日新聞』2015年03月26日(木)付。

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覚え書:「異議あり:松陰の『行動』への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん」、『朝日新聞』2015年03月19日(木)付。

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異議あり:松陰の「行動」への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん
2015年03月19日

(写真キャプション)小島毅さん=東京都文京区、西田裕樹撮影
 今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、吉田松陰の松下村塾が舞台。安倍晋三首相も、地元・長州が生んだ松陰が大好きだ。「新しい日本の礎を築いた人」という松陰像に、中国思想史を研究する小島毅さんは異論を唱える。松陰の掲げた「正義」や「行動」は、実は危うさをはらんでいたのではないか、と。その理由を聞いてみた。

 ■通じない相手を敵とみなし、テロにつながる。相手の正義も想像しよう

 ――安倍首相は2月の施政方針演説で、吉田松陰の「知と行は二つにして一つ」を引用し、「この国会に求められていることは、単なる批判の応酬ではありません。『行動』です」と述べました。

 「松陰の称揚は明治時代に遡(さかのぼ)ります。維新という『革命』を正当化するために明治政府は『行動を起こしたことは正しい』と刷り込みを行った。行動の人として西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通の『維新三傑』を顕彰し、後から松陰と坂本竜馬が加えられたのです。『考えるだけではだめ、行動こそ重要』という考えが広まりました」

 ――松陰たちの「行動」が明治政府をつくったと。

 「ただ、そこには矛盾があります。行動によって体制の打倒に成功すると、今度は自分たちの新しい体制を守るために、ときには『行動の人』を敵と見なさざるをえなくなる。ひとたび行動が反体制に向かえば、容易にテロリズムにつながるからです」

 ――松陰は幕府の老中、間部詮勝(まなべあきかつ)を暗殺しようとして死刑となりました。弟子の高杉晋作や久坂玄瑞は英国公使館を焼き打ちしました。

 「そう、松陰は、自分の愛(まな)弟子の伊藤博文をハルビンで暗殺した朝鮮人の安重根と似た立場の人だったんです。明治政府は、いわばテロを企てた人を顕彰したことになる」

 ――明治政府が行動を重視し、松陰を顕彰したなら、それが第2次大戦後まで受け継がれたのはなぜでしょう。

 「戦後、松陰の評価が巧みに書き換えられたからです。松陰の行動の根幹は尊王思想です。天皇にふたたび政治の実権をとってもらうことが大事で、『日本の夜明け』は二次的なものでしかなかった。戦後は尊王思想の部分が隠されて、『行動』だけがクローズアップされました」

    *

 ――安倍首相が引用した「知行合一(ちこうごういつ)」は、儒教の陽明学の思想ですね。

 「松陰が陽明学者と見なされるようになったのも明治以降です。そもそも江戸時代、陽明学はほとんど力を持ちませんでした。陽明学を有名にしたのは、幕府への反乱を起こした大塩平八郎で、彼のせいでむしろ危険思想と見なされていたのです。陽明学の『知行合一』が重んじられるのは明治維新後のことです」

 ――なぜ日本人はそこまで行動を重視したのですか。

 「行動の重視は日本人だけの特性ではありません。ISこと『イスラム国』も行動を重視しているでしょう。ただ、日本における思想の根付き方として、体系的な理論よりも、何をすべきなのかわかりやすいものを求めがちです。陽明学もそうしたかたちで受け入れられた。理想を実現するために、地道な言論によって人々を感化するのではなく、直接行動するという考え方が強くありました」

 ――その理想とは何だったのでしょうか。

 「一言でいえば『日本国の存続』です。天皇を中心とした挙国一致体制をつくり、西欧勢力の進出に対抗する。日本を一等国にするという目標のために、『日本のすばらしさ』が強調される。それが昭和20年の決定的敗戦でも終わらなかったところに、今に続く問題があると思います」

 「バブル崩壊後、ジャパン・アズ・ナンバーワンとおだてられていた時期に戻りたいと多くの国民が思った。しかし現実には、中国に経済力で追い越されました。その状況に耐えられず、『日本のすばらしさ』を顕彰しようというムードが再燃したのでしょう。『すばらしさ』の象徴として松陰が称揚され、ことあるごとに松陰を引き合いに出す安倍首相が支持される」

 ――松陰的なリーダーを求める空気があると。

 「近代の日本にも、大久保利通や伊藤博文など、松陰的ではないリーダーはいました。ただ、彼らも表面上は松陰的に振る舞わないと支持を得られない。本来、政治はだまし合いの世界であるはずなのに、策を弄(ろう)する政治家は嫌われ、誠心誠意の人をリーダーにしようとする。危ういことだと思いますね」

    *

 ――『行動』の理由が善意や正義でなくてはいけない。

 「中国に対する侵略戦争にしても、当事者たちは欧米列強や蒋介石の国民政府からの解放、あるいは赤化の防御と主張したわけです。善意でやっていることが恐ろしい。自分が正しいと思うことを他者もそう思うとは限らないという認識が欠けていた。海外の思想を、細かい論理のあやをすっ飛ばして受容してきたツケかもしれません」

 ――安倍政権が唱える「テロとの戦い」も、正義と善意が前面に出ています。

 「松陰的な思考だと、自分の善意が相手に通じないとき、相手を攻撃するだけになる。『他者』の存在を認め、その『痛み』を理解すれば、テロリストたちがなぜ残虐なことをするのかも想像することができる。決して共感する必要はないのですが、彼らには彼らの正義があり、松陰の『やむにやまれぬ大和魂』ならぬ『やむにやまれぬムスリム魂』で行動しているのかもしれない。それを最初から全否定すれば、つぶすかつぶされるかしかない」

 ――彼らの中にも「吉田松陰」がいて「松下村塾」があるのかもしれない。

 「そうです。それを理解する想像力が大切です」

    ◇

 こじまつよし 52歳 62年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科教授。専門は儒教思想。東アジア海域文化という視座から、日本史の新たな読み直しも行っている。主な著書に「近代日本の陽明学」「増補 靖国史観」「父が子に語る日本史」など。

 ■吉田松陰と陽明学

 吉田松陰は1830年、長州(山口県)生まれ。通称は寅次郎。家学である山鹿流兵学を修めたが、後に洋学者・佐久間象山に師事。54年、外国への密航を企て、下田に停泊中の米国ペリー艦隊の軍艦へ乗り込もうとするが失敗。長州・萩の牢獄に入る。

 出獄後、萩郊外の私塾・松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、山県有朋らを教える。幕府の老中・間部詮勝の暗殺を企てた罪により、59年、江戸で刑死した。

 松陰はもともと軍学者・洋学者だったが、中国・明代の儒学者・政治家だった王陽明(1472~1528)の思想である「陽明学」の影響を強く受けたとされ、「知行合一」を重視した。

 ■取材を終えて

 今、「2015年の松下村塾」があったらどうだろう。松陰のような理想を掲げる指導者のもと、「意識高い系」の若者たちが天下国家を論じる姿を想像すると、なんだかちょっとイヤじゃないですか。今回、小島さんが「松陰の立場はテロリストと同じ」と断じるのを聞いて、松下村塾がやたらもてはやされることへの違和感の理由がわかったような気がする。松陰の「正義」と「善意」は、けっこう迷惑なのだ。(尾沢智史)
    --「異議あり:松陰の『行動』への賛美、実は危うい 儒教思想を研究する小島毅さん」、『朝日新聞』2015年03月19日(木)付。

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日記:積極的平和主義を「後方支援」するのみならず歴史修正主義に積極的に荷担する公明党

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私自身、戦後社会の現実政治における公明党の歴史的役割は全否定するつもりは毛頭無い。むしろ、大企業に属さない、労働組合にも守られない無名の庶民の権利を守り、穴を穿つような挑戦には拍手を送りたいし、日中国交回復の先鞭を付けたその歩みは高く顕彰されてしかるべきであると考える。

その公明党の三本柱は「教育」「福祉」「平和」だ。

しかし、教育は教育基本法の改悪によって後退し、福祉に関しても生活保護を巡る自民党のバッシングの尻馬に乗り、平和に関しても「集団的自衛権」を「閣議決定」で「容認」してしまうという立憲主義の基本を既存するという現状。

三つの看板はもはや客寄せパンダとしても機能不可能なほど、その結党の精神から逸脱している。

しかしである。もっとも大切にしなければならないのは、やはり「平和」の根幹となるその歴史認識であろう。

富山県議会がいわゆる「慰安婦問題に関する適切な対応を求める意見書」を自民党と一緒になって公明党が強行採決をしたというニュースは、「平和」の根幹となる歴史認識を覆すことであり、ニュースを目にして驚きを隠せなかった。

法律や行政のテクニカルなアプローチにおいて自民党同調すること自体は否定しない。連立を組む以上唯々諾々というのはありえるからだ。

しかし、同調できない一線こそ平和主義の根幹となる先の大戦の経験とその認識であろう。

公明党の平和主義の淵源は、戦前の創価教育学会に由来する。創価教育学会の歴史とは天皇制軍国主義に弾圧された血なまぐさい歩みそのものである。初代会長・牧口常三郎、二代目(戦後)は共に治安維持法違反で検挙で、牧口は獄死している。

いわば、公明党の原点となるその先達者は、従軍慰安婦の方々と同じく日本の軍国主義の「犠牲」にあっている。

このことをどう考えるのだろう。

めんどくさいの一言だけ言及しておくと、「適切な対応を求める意見書」は、いわゆる『朝日新聞』の吉田証言誤報を軸に「従軍慰安婦そのものがなかった」と歴史修正主義を図る日本会議式歴史認識だ。しかし河野談話にせよ度重なる国連の勧告にせよ、吉田証言に「強制制」を根拠にはしていない。まとまな歴史学者も「吉田証言」をそもそも相手にしていない。『朝日新聞』の謝罪のタイミングは悪かったことは否定できない。しかし、その尻馬に乗り歴史認識を歪めてしまうことに連動するとはこれいかに……という話だ。

自民党の武田慎一議員は日本会議系という。右派宗教団体のロンダリング組織・日本会議が目指すのは戦前回帰だ。戦前に弾圧された創価学会-公明党がこうしたネトウヨメンタリティーと同調することに戦慄しなければならない。

しかし、しかし、だ。

日蓮没後、日蓮の高弟の主流派は、弾圧を恐れ、日蓮門下と名乗るのをやめ、「天台沙門」と自称したそうな。過去を顧みない連立ボケの果てに、福祉も教育も、そして平和主義も積極的に放擲していく……これが公明党の積極的平和主義??

アホか。

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県議会:慰安婦問題、意見書可決 自民、公明、無所属が賛成 /富山
毎日新聞 2015年03月17日 地方版

 県議会は16日開いた2月定例会本会議で、「慰安婦問題に関する適切な対応を求める意見書案」を賛成多数で可決した。自民の他、公明と無所属の議員が賛成。民主、社民、共産の3会派は反対した。

 提案理由の説明で、武田慎一県議(自民)は慰安婦問題を巡り朝日新聞が報道したいわゆる吉田証言により、「日本は国益を失っている」と主張。事実の周知のための広報や国際社会への積極的な発信を▽教科書が史実に基づき記述されるよう対応を▽戦後70年談話は未来志向で--などと求めた。

 反対討論で火爪弘子県議(共産)は、県内の9市民団体から各会派などに意見書案の否決を求める申し入れがあった点に触れた後、「吉田証言は(慰安婦問題で旧日本軍の関与を認めた)河野談話の根拠とされておらず、意見書案は筋違い。こそくな表現で歴史的事実を葬り去ろうとし、強い怒りを感じる」と批判した。

 2月定例会はこの他、2015年度一般会計予算案や、ヘイトスピーチへの対策強化を求める意見書案など計93件を可決、閉会した。【成田有佳】
    --「県議会:慰安婦問題、意見書可決 自民、公明、無所属が賛成 /富山」、『毎日新聞』2015年03月17日(火)付。

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[http://mainichi.jp/area/toyama/news/20150317ddlk16010346000c.html:title]


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覚え書:「こちら特報部 侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問」、『東京新聞』2015年03月19日(土)付。


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こちら特報部
侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問

 戦後七十年の国会で、こうした言葉が飛び出すとは思いもしなかった。「八紘一宇」だ。自民党の三原じゅん子参院議員(五〇)が十六日、参院予算委員会で「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」と紹介した。この言葉は戦前・戦中の日本のアジア侵略を正当化する標語として使われた。発言後、自民党内、国会でも大きな騒ぎにはなっていない。その静けさが問題の根深さを示唆している。(篠ケ瀬祐司、林啓太)

(写真キャプション)参院予算委で「八紘一宇」を紹介しつつ、質問する自民党の三原じゅん子議員=16日、国会で。

*国会での主なやりとり
三原じゅん子議員 今日紹介したいのが、日本が建国以来大切にしてきた価値観、八紘一宇だ。(略)八紘一宇という根本原理の中に現在のグローバル資本主義の中で、日本がどう立ち振る舞うべきかが示されている(後略)
麻生太郎副総理兼財務相 戦前の歌の中でも「往け八紘を宇となし」とかいろいろある。(略)こういった考え方をお持ちの方が三原先生みたいな世代におられるのに、ちょっと正直驚いたのが実感だ。
三原議員 八紘一宇の理念の下に(略)、そんな経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、安倍首相がイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う。


「世界を一つの家と見立て天皇が統治
「満州」支配で理念復活

 まず、「八紘一宇」の意味と歴史を確認したい。
 この言葉の水面のとは八世紀の歴史書「日本書紀」の記述だ。初代天皇とされる神武天皇が即位直前に「八紘を掩いて宇にせん」と抱負を述べたとある。
 八紘とは発砲の地の果て、つまり世界のこと。宇は家のことだ。天皇が世界を一つの家と見立てて統治しようとの理念が示された。
 ただ、これは日本書紀の編纂者による創作というのが通例だ。それ以前にあった「文選」など中国の書籍に類似した表現がある。
 専修大の荒木敏夫教授(日本古代史)は「導入されたばかりの律令制の下で、天皇の支配原理や正統性を証明するための理念として持ち出した。国を家にたとえるのは徳のある君主として人民を慈しまなければ、王朝が滅びるという思想に基づく。近代の平等で民主主義的な家族観とは異質の考えだ」と解説する。
 律令国家のイデオロギーの「亡霊」が復活するのは近代になってから。日本書紀を基に「八紘一宇」を造語したのは日蓮宗系の宗教家、田中智学(一八六一~一九三九年)とされる。一九一三年、自身が主宰する信仰団体の機関紙に記した。
 千葉大大学院の長谷川亮一特別研究員(日本近現代史)は「田中は日蓮宗の教義を独自解釈し、日露戦争前から天皇が世界統一の使命を負っていると主張していた」と説明する。
 ただ、田中の思想は一部軍人らに影響を与え、三〇年代前半から軍部が八紘一宇を使い始めた。陸軍省のパンフレットや二・二六事件の青年将校の「蹶起趣意書」にも引用された。
 背景にあるのが、三一年の満州事変と翌三二年の満州国の建国だ。長谷川氏は「満州は朝鮮や台湾のように併合できなかった。第一次大戦後、民族自決の風潮が国際的に浸透していたためだ。そこで、日本が満州国に対して支配的な地位に立つことを正当化する狙いで、天皇の威光が世界を覆うという八紘一宇の理念を主張した」と語る。つまり、アジア侵略を正当化する理念だったといえる。
 政府は三七年、戦意発揚のために「八紘一宇の精神」と題する冊子を発行し、四〇年にはこの言葉を含む「基本国策要綱」を閣議決定した。宮崎市に「八紘一宇の塔(現・平和の塔」が建てられるなど、草の根にも浸透していった。
 文部省が学校に配布した「大東亜戦争とわれら」(四二年)という冊子も「戦争完遂の大目的」が「万邦が各々その所を得て、あひともに栄えゆくやうにすること」で「八紘為宇」の精神に基づくと説いた。
 やがて、敗戦。連合国軍総司令部(GHQ)は四五年、八紘一宇を「軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノ」として公文書での使用を禁じた。
 

戦後中曽根氏ら否定
「アジア民衆の心を刺す」
「歴史的文脈無視は危険」

(写真キャプション)1940年、岐阜県高山市での仮装行列、ノボリに「八紘一宇」などの字が見える
(写真キャプション)宮崎市の平和台講演にある「八紘一宇」の文字が刻み込まれた平和の塔

 その後、戦後は一貫して時の閣僚たちが「八紘一宇」を否定している。
 五三年八月七日の衆院文部委員会では、大達茂雄文部相が「八紘一宇などという歴史教育のやり方を復活する考えは毛頭無い。(略)やはり偏っていた」と明快に否定した。八三年三月十六日の参院予算委でも「八紘一宇を平和主義のシンボルと考えるか」と問われた中曽根康弘首相が「(略)戦前の限定された意味が非常に強くあり、私自体はそういうものはとりません」と答えている。
 三原議員は「こちら特報部」の取材に対し、文書で回答を寄せた。「八紘一宇という言葉が、戦前に他国への侵略を正当化するスローガンや原理として使用されたという歴史的事実は承知しているし、侵略を正当化したいなどとも思っていない。良くない使い方をされた経緯を認めた上で、この言葉は、戦争や侵略を肯定するものではないことを伝えたかった」と説明。
 さらに、この言葉との出会いは「一三年二月十一日の建国記念日に、神武天皇の『建国のみことのり』をブログで紹介するにあたって勉強した」際という。
 一方、自民党の谷垣禎一幹事長は十七日の記者会見で、「必ずしも本来、否定的な意味合いばかりを持つ言葉ではないと思う」と、三原議員を擁護した。
 しかし、党内にはとまどいの声もある。ある閣僚経験者は的を交わした麻生太郎副総理兼財務大臣の答弁を「バランスがとれていて良かった」と評価。別のベテラン議員も「普通なら三原議員の世代は使わない単語。誰かに知恵をつけてもらったのか」と苦笑した。
 若手議員は党の印象悪化を心配する。「さすがに党が使うよう指示したとは思えない。仲間内では『元の意味は良くても、戦前、戦中の単語を持ち出すのは勘弁して』と話している」
 三原議員は、委員会で清水芳太郎(個人)が書いた八紘一宇に関する抜粋を配布した。清水は戦前に国家主義思想団体を主宰した人物で「一番強いものが弱いものをまもるために働いてやる制度が家」「世界で一番強い国が弱い国、弱い民族のために働いてやる制度ができた時に、世界は平和になる」などと記されている。
 結局「一議員の発言で、表現の自由もある」(ベテラン野党議員)などの理由で、三原議員の質問は委員会理事会などでは問題化されていない。だが、参院予算委で質問を聞いた福島瑞穂議員(社民)は「上から目線の歴史修正主義だ。次々と類似の発言が出てきたら、大変なことになる」と警鐘を鳴らしている。
 前出の荒木教授は「八紘一宇は侵略に苦しんだアジア民衆の心を刺す言葉。三原さんは政治家でありながら、他者の痛みへの想像力を欠いている」と話す。
 長谷川氏も「歴史的な文脈を無視した安易な使用が一般化するのは極めて危険だ。八紘一宇の理念の下に押し進められた侵略戦争の正当化にもつながりかねない」と危ぶんだ。
[デスクメモ]その共同体は信徒たちから「イスラムの家」とみなされ、カリフを頂点に統治される。その家では、肌の色や出自などによる差別はない。野蛮な異教徒たちの侵略から、聖戦を戦う戦士らが防衛する。以上が信奉者たちから見た「イスラム国」の姿である。いつの世もどこにでも似たような話は浮かんでくる。(牧)
    --「こちら特報部 侵略戦争を正当化 八紘一宇国会質問」、『東京新聞』2015年03月19日(土)付。

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覚え書:「ニュースQ3:『八紘一宇』戦時中のスローガンを国会でなぜ?」、『朝日新聞』2015年03月19日(土)付。


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ニュースQ3:「八紘一宇」戦時中のスローガンを国会でなぜ?
2015年03月19日

(写真キャプション)「八紘一宇」について触れる自民党の三原じゅん子参院議員

 「日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)」――。三原じゅん子・自民党参院議員(50)の発言は唐突だった。戦後70年の国会で、かつての戦争遂行のスローガンがなぜ?

 ■三原議員が質問中に発言

 16日の参院予算委員会。三原氏は国際的な租税回避問題についての質問で、八紘一宇とは「世界が一家族のようにむつみ合うこと」だとし、グローバル経済の中で日本がどう振る舞うべきかは「八紘一宇という根本原理の中に示されている」と語った。

 そもそもどんな意味なのか。田中卓・皇学館大元学長(日本古代史)によれば、由来は日本書紀にある。神武天皇が大和橿原に都を定めた時に「八紘(あめのした)をおおいて宇(いえ)に為(せ)んこと、またよからずや」と語った。地の果てまで一つの家とすることは良いことではないか、との意だ。

 ■大正時代に宗教家が造語

 ここから「八紘一宇」を造語したのが、国家主義的な宗教団体「国柱会」の創設者、田中智学だった。

 大谷栄一・佛教大准教授(近現代日本宗教史)によると、田中は1913(大正2)年、機関紙「国柱新聞」で初めて八紘一宇に言及。著書「日本国体の研究」で「悪侵略的世界統一と一つに思われないように」としたが、やがて「日本が盟主となってアジアを支配する」という文脈で使われるようになる。

 第2次近衛文麿内閣は40(昭和15)年、「基本国策要綱」を決定。「八紘を一宇とする」精神にもとづき「先(ま)づ皇国を核心とし、日満支の強固なる結合を根幹とする大東亜の新秩序を建設する」とした。当時、日中戦争は泥沼化し、翌年には太平洋戦争に突入する。

 戦争推進の国民的スローガンの一つとして「八紘一宇」も使われ、当時の小学生は習字で書き、朝日新聞も「八紘一宇の大理想のもと父祖の大業を継ぎ……」などと戦争を支持した。

 こうした歴史を背景に、この言葉に複雑な思いを抱く人は少なくない。

 ■複雑な思い、昭和天皇にも

 昭和天皇は79年10月、国体開会式出席のため宮崎県を訪問。当初、県立平和台公園にある「平和の塔」で歓迎を受ける予定だったが、広場に変更された。40年に建立された塔には「八紘一宇」と刻まれていた。

 当時の侍従長による「入江相政(すけまさ)日記」の同年9月の記述には「八紘一宇の塔の前にお立ちになつて市民の奉迎にお答へになることにつき、割り切れぬお気持がおありのことが分り……」とあり、昭和天皇の意向が場所を変えた理由だったことを記している。

 中曽根康弘元首相も83年、国会で「戦争前は八紘一宇ということで、日本は独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と述べた。

 三原氏は取材に「侵略を正当化したいなどと思っていない」と文書で回答し、「『人類は皆兄弟としておたがいに手をたずさえていこう』という和の精神」を伝えたかったとした。

 前坂俊之・静岡県立大名誉教授(ジャーナリズム論)はこう指摘する。

 「八紘一宇は侵略のキーワードで、三原氏の質問は全く関係ない問題に誤用した発言だ。終戦70年の首相談話が問題となっている時期に、グローバルな政治情勢の判断を欠いている」
    --「ニュースQ3:『八紘一宇』戦時中のスローガンを国会でなぜ?」、『朝日新聞』2015年03月19日(土)付。

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書評:将基面貴巳『言論抑圧 矢内原事件の構図』中公新書、2014年。


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将基面貴巳『言論抑圧 矢内原事件の構図』中公新書読了。

『中央公論』掲載の「国家の理想」が反戦的とされ辞任に追い込まれた矢内原忠雄事件は戦前日本を代表する政治弾圧の一つだ。本書は歴史を複眼的に見る「マイクロヒストリー」の手法から、言論抑圧事件に関与した人物や機関を徹底的に洗い直し、その複雑な構造を明らかにする一冊。

戦前の言論抑圧事件の構造とは、権力からのプレッシャーを軸に、右派国家主義者からの踏み込んだ攻撃と過剰なまでに遠慮する大学というもので、そのデジャブ感にくらくらしてしまう。

矢内原失脚の要因には、当局の抑圧と国家主義者からの批判だけではない。すなわち、学部内の権力闘争や大学総長のリーダーシップの欠如も大きく関わっている。著者は大学の自治能力の欠如に、権力の過剰な介入を招いたと指摘する。

矢内原事件の発端は、「国家の理想」という論考だ。キリスト者としての「永遠」の視座から現状を「撃つ」理想主義の立場から「現在」の国家を鋭く批判した。当時は日中戦争勃発直後で、大学人にも国家への貢献が強要されていた。矢内原事件は起こるべくして起こり、大学内からも「批判」をあびることとなる。

弾圧のきっかけをつくったのは言うまでもなく蓑田胸喜だ。蓑田は通常、狂信的右翼で済まされるが(蓑田研究も少ないという)、著者は蓑田のロジックも丁寧に点検する。蓑田によれば矢内原の立場とは、新約聖書より旧約聖書を重視する「エセ・クリスチャン」(そして蓑田こそが真のキリスト教認識という立場)というもので、この論旨には驚いた。

愛国という軸において矢内原も蓑田も一致する。しかし両者の違いは、蓑田が「あるがままの日本」を礼賛することであったのに対し、矢内原の場合は、現在を理想に近づけることとされた。二人の眼差しの違いは、キリスト者ならずとも、「あるがまま」を否定する度に「売国奴」連呼される現在が交差する。

矢内原事件はこれまで矢内原の立場からのみ「事件」として認識されてきた。事件は事件である。しかしその豊かな背景と思惑を腑分けする本書は、およそ80年前の事件を現在に接続する。「身体ばかり太って魂の痩せた人間を軽蔑する。諸君はそのような人間にならないように……」(矢内原忠雄の最終講義)

蛇足:矢内原事件に関連して、無教会キリスト者たちも一斉に摘発を受ける。しかしながら、矢内原の東大辞職に関しては、矢内原が伝道に専念できるとして歓迎的ムードであったというのは、ちょと「抉られる」ようであった。これこそ、「●●教は××」という通俗的認識を脱構築するものなのであろう。


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「野坂昭如の『七転び八起き』 第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ」、『毎日新聞』2015年03月10日(火)付。


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野坂昭如の「七転び八起き」
第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ

 東日本大震災から4年。福島原発事故から4年。上辺の復興がいわれながら、すべてがうやむやのまま5年目を迎えようとしている。今の上っ調子なお上、これに対し違和感を覚えている人は多いはずだ。息苦しさが世間を被いはじめている。それでもなお、立ち止まって考えようとしない。向き合わなければならぬ現実から目を逸らし、戦後豊かさに向かって1億総邁進を善しとしたあの頃と似た空気。お上は棄民政策を続けている。
 福島でいえば、いまだ避難を余儀なくされている人が大勢いる。復興という言葉の空々しさに気がついている人はいても、その原因を問うことはしない。新天地で精いっぱい生きていこうとする人がいる。一方、原発事故以来、いまだ先行きの見通しないまま、常に不安定な生活を強いられている人もいる。福島に限ったことではないが、同じ被災者という立場でも、被災者同士で溝が深まる。強制的に避難させられている人と、自主的に避難している人の間に、賠償額などで格差が生じ、地域の和が乱れ、これが復興のさまたげにもなる。上辺活気を取り戻したようにみえて、その陰に、いったい何人の自殺者がいるのか。
 4年を経た今、被災地以外に暮らす人間はといえば、まだ復興は半ばではあるものの、被災者の多くに普通の生活が成り立っていると思い込んでいる。そう思い込むことで、自分たちの日常が確立され、まともだと思えるのだ。それまでの暮らしを断ち切られ、追い出された人の多くは、いまだ絶望感から抜け出せないでいる。そこには置き去りにされたまま。被災者たちの声は届かない。かわってお上の調子のいい号令ばかりが響く。その筆頭は、福島原発はコントロールされているという嘘。これは大本営発表よりひどい。
 汚染水の問題は何も解決していない。4年も経って、処理システムもメドが立たず、そもそも原発をつくる上で、原子力のタブーについては触れないできた。わが国は資源小国、やがて油田枯渇をいい、発展するために必要と、その危険性や矛盾は考えないことにして、ギリギリの綱渡りを続け、自己は想定外だと宣う。想定外という言葉は人間の驕りである。先日も汚染水の外洋流出という事件が起きている。汚染水の濃度が低いからコントロール出来ているというが、問題は数値の高い低いではない。10カ月もの間、隠蔽を続ける東電。この体質、昨日今日にはじまったわけじゃなく、かつてよりひどくなっている。放射性物質への風評被害と戦い、ようやく明るい兆しが見えたところで、大本がこれではどうしようもない。
 東電はもはや民間企業じゃない。つまり東電の隠蔽体質はお上の体質そのものといえる。お上は五輪招致のもと、福島の問題はないものとして、不都合な事実を隠す。また原発再稼働ありき、これを前進させるため、国は原発事故によって、当たり前の生活を奪われた被災者たちを見棄て続けている。廃炉に向けての除染廃棄物の行方も決まらぬまま、国も原子力規制委員会も、原発再稼働、つまり利害関係の継続を優先、震災後には、言われていた脱原発について、その過程すら考えることをやめた。
 廃棄物の仮置き場の土地が決まっても、このシロモノの管理には、今後長期にわたって、膨大な金が要る。かつてのゴミはやがて土にかえった。自然から得たものを、自然に戻すサイクルだった。原子力のゴミは永久に生活環境の中にとどまる。日本人は震災後の今をその足元から見直すことをしていない。直視することを避けながら元通りの暮らしに戻ってしまった。上辺元通りになったことで被災地は復興し続けていると思い込み、やがてクルであろう地震にも教訓が生かされ、あんな目にはもう遭わないと信じて疑わない。誰かがどうにかするだろうと深く考えない。楽観主義ではない無責任そのもの。


 福島原発の現実が人間に問うている。いつか再び震災は起こる。人の手で制御出来ない原発が列島に点在している。このまま再稼働を許していいのかと。成長、成長というが、実はぼくらは退化しているのではないか。あれから4年、生物としての危機感を取り戻せ。(企画・構成/信原彰夫)
[訂正]2月10日の「対テロ策 首相の言葉 軍部に似て」の記事で、「川西航空機明石工場」とあるのは「川崎航空機明石工場」の誤りでした。
    --「野坂昭如の『七転び八起き』 第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ」、『毎日新聞』2015年03月10日(火)付。

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日記:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」(三原じゅん子代議士)、ええと……「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」(矢内原忠雄)


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ちょっと信じられないことが現在進行形なので、ツイッターのまとめですけど、記録として残しておきます。

国会議員の劣化幼稚化戦前回帰が凄まじい。21世紀になって侵略戦争を肯定するためのイデオロギーの標語「八紘一宇」という言葉を国会議員から聞くとは……、なんだこの残念感というのが正直なところです。

三原じゅん子代議士の八紘一宇宣揚発言で恐ろしいのは、彼女が国会でさもありがたい考え方として紹介することで、その言葉がどのように使われどのような結果を導いたこと(そしてそれについての精査反省)をスルーさせ、「まあ、そうですけど、言葉自体はええ話じゃないですか」と回収されるてしまうことですよ。現実、三原じゅん子代議士は、それを「ええことば」として使っている訳ですから。

三原じゅん子代議士は、しかも八紘一宇は「建国以来の理想」を掲げる言葉と表現しましたが、二千年以上前の造語ではなく、田中智学の創造。しかもそれに応える麻生財務大臣がその来歴を1500年前に設定するという反知性主義のお花畑的「神話」礼賛という体たらく。

ものごとには、一事が万事といいますが、安倍政権のいう「美しい国」の伝統なるものの殆どは、大日本帝國という近い過去のおぞましい創作ばかりをロンダリングして持ち上げている。

「八紘一宇の理念の下に、世界が一つの家族のように助け合えるような経済、税の仕組みを運用していくことを、安倍総理こそが世界に提案すべきだ」。三原じゅん子代議士。

この言葉に応じる麻生大臣のこの答弁みてみ。

「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メーンストリーム(主流)の考え方の一つだと思う。三原氏の世代にこういった考え方を持っている方がいるのに正直驚いた」

……だそうな。
驚くのはこっちですがな。

戦前のメーンストリームという「狂気」肯定に戦慄しなければならない。

トンデモ発言の来歴を振り返ってみれば、思い出すのは今から15年前、森喜朗首相(当時)が「神の国発言」して、総スカンをくらいましたがな。で結局、神の国解散。

森首相はしかし、まあいうなれば、「神道政治連盟」という「うちわ」の会合での発言dしたけど、問題なのは、三原じゅん子代議士も麻生大臣もそれを「国会」でやっているわけだよ。今後、そうした戦前日本のイデオロギーの言葉がその反省もなにもないまま使われるようになるまで、長い時間はかからないでしょう。

その森首相の「うちわ」の発言で森首相は「問う」解散を強いられた。三原じゅん子代議士の認識も麻生大臣の認識も、辞任に追い込まれてしかるべき時代錯誤といってよい。

ただ今の時勢は、彼女彼らに反省を迫るほど良質なものではないだろうと思われるのが切ないですねえ。

報道もベタ記事と夕刊紙で若干の批判のみ。

しかし、この1カ月半を振り返ると、「政権批判はテロリスト寄り」に始まり、「日教組! 日教組!」。そんで「八紘一宇」でしょ。これがすべて国会でやりとりされているという異常さ。いわゆる戦後日本が再出発にあたり掲げた良識なるもの…それは人類が永年かけて獲得したもの…を屠る暴挙に等しいと思います。

「日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」(矢内原忠雄)

という氣分でございます。


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三原じゅん子議員:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」
毎日新聞 2015年03月17日


 ◇参院予算委員会の質問で

 自民党の三原じゅん子参院議員は16日、参院予算委員会で「ご紹介したいのが、日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)であります」としたうえで、同理念のもとに経済や税の運用をしていくべきだと質問した。八紘一宇は戦前、日本の侵略を正当化するための標語として使われていた。

 三原氏は企業がグローバル資本主義の中で課税回避をしている問題を取り上げた。この中で「八紘一宇の理念のもと、世界が一つの家族のようにむつみあい、助け合えるような経済および税の仕組みを運用していくことを確認する崇高な政治的合意文書のようなものを、首相こそがイニシアチブを取って世界中に提案していくべきだと思う」と語った。

 答弁に立った麻生太郎財務相は「八紘一宇は戦前の歌の中でもいろいろあり、メインストリーム(主流)の考え方の一つなんだと思う。こういった考え方をお持ちの方が、三原先生の世代におられるのに正直驚いた」と述べた。
    --「三原じゅん子議員:「紹介したい大切な価値観、八紘一宇」、『毎日新聞』2015年03月17日(火)付。

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[http://mainichi.jp/select/news/20150317k0000m010158000c.html:title]




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日記:【ご案内】吉野作造記念館 戦後70周年記念「大崎市岩出山出身写真家 岡本央が見てきた中国」


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「親切と楽天」(牧野英一)、「人道の戦士、吉野作造」(赤松克麿)、「学者、思想家のガウンを著けた大親分」……。

1933(昭和8)年の今日、吉野作造博士が逝去。その遺徳をしのびつつ、吉野作造ゆかりの催し物をご紹介します。

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催しのご案内
吉野作造記念館 戦後70周年記念
大崎市岩出山出身写真家 岡本央が見てきた中国

2015年3月29日(日)~4月26日(日)
会場:吉野作造記念館企画展示室

オープニング講演会
講師 岡本央 氏
演題 中国を撮り続けてきて
日時 3/29(日) 14時~
申込 お電話にてお申し込み下さい/定員90名
料金 無料(常設展見学は有料)/会場 研修室
Sanaka Okamoto ●科学雑誌ニュートン編集部を経てフリーとなる。「中国」「日本の農村」「国境を越えた日本人」など、“人間と風土”をテーマにした多くのフォトルポルタージュを各誌に発表。『郷童』のタイトルで、日本各地の子どもたちの撮影にも力を入れている。日本写真家協会会員、日中文化交流協会会員、東京都日中友好協会会員。

 政治学者で大正デモクラシーの旗手・吉野作造は、ジャーナリストとしても卓越した存在だった。明治39年から3年にわたり中国に滞在。中国の近代化・民主化にも強い関心を寄せ、建国の父・孫文との交流もあった。
 当記念館では戦後70周年を記念し、また膠着状態が長らく続いている現在の日中関係の在り方を考える機会提供を目的に、長年中国を撮り続けてきた写真家・岡本央(さなか)の見てきた中国を、写真と各紙誌掲載記事を通して紹介します。

問い合わせ連絡先 吉野作造記念館
[http://www.yoshinosakuzou.jp/:title]

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日記:曽野綾子化する林真理子


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「川崎リンチ殺人、被害者の母を責め立てた林真理子氏のエッセイの暴力性」武田砂鉄(2015年3月13日)を読んで驚いた。

記事→ [http://bylines.news.yahoo.co.jp/takedasatetsu/20150313-00043794/:title]


“この日本で離婚する世帯のうち、8割は母親側が子どもを引き取る。暴力をふるう男から必死に子どもを守ってきたのは母親だ。働き詰めになるしか、方法が残されていない。働き詰めのその先に…悲しい事件が起こったとしたら、それは母親が「女を優先させた結果」などではない。”(武田砂鉄)

なんなんだろう、林真理子氏のこの名誉男性的なマッチョな錯誤は。

そしてこのメディアと知をめぐる倒錯した認識。
「そういうことをするお母さんが、この『週刊文春』を読んでいるとは到底思えない」
「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」
「本ももちろん読まない、雑誌も読まない。そういうお母さんは、想像力が抜け落ちているのではなかろうか」

おいおい。

そういうことをしないお母さんも、『週刊文春』など読まないでしょう。林真理子さんの議論に乗れば、本や雑誌を読む=知と誠実に向き合うことで、自分自身がこれまで認識していたことが錯覚だったと理解する人間であるからこそ、“『週刊文春』読んでいますぜ”など恥ずかしくて言えませんよ。

「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」(林真理子)だそうな。

日本の「恵まれた層」が『週刊文春』読んで、世界を理解しているとすれば、そりゃあ戦々恐々だなあ。そりゃまあ、ご自身へお金を運んでくれる「雑誌を読む習慣を持つ人」持ち上げてんだろけれども、この歪みきった認識には驚いてしまう。

林真理子さんの作品は読んだことがないですけど、少女時代からものすごい空想家だったと伺う。空想するのは結構でございますが、文章を書くという責任だけは引き受けてもらわなあかんな。こうした批判(読むのかどうかしらんけど)にスルー決め込めたり居直れば、まさに曽野綾子化する林真理子だな。

ふぃふぃなんかもそうですけど、とにかく有名になったら、おい成功した俺見ろよ、愚民ども。おまえらなあ、みたいな感じで「しばき」たいんやろうなあ。弱い者いじめこそ原因解決から最も遠ざかるものなのに、気合いと根性でなんとかなるって、ヤンキーやないけ。なんともなりませんがな。

「飢えた子供の前で文学は無力か」。現実のゆがみをスルーする責任を挑発するサルトルの言葉。彼の如く「政治的であれ」とアクセルを踏み込みすぎるのもどうかとは思うけれども、文学をはじめとする人類の遺産と関わる人間こそ、常識として刷り込まれている虚偽に敏感でなければと思いますよ。

この国の文士というものは、覆さなければならない常識と調和し、権力と親和的というパターンが多すぎる。まあ、『週刊文春』の文藝春秋の生みの親の文壇ボス・菊池寛が、文士まとめて「ペン部隊」(内閣情報部の要請で漢口攻略戦へ派遣)結成しとるしな。結局は地上という重力に「回収」されるという拳

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覚え書:「戦争『物語化』への危惧 寄稿 笠原十九司」、『毎日新聞』2015年03月09日(月)付夕刊。


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戦争「物語化」への危惧
実態を知り本当の鎮魂を
寄稿 笠原十九司(都留文化大名誉教授・日中関係史、中国近現代史)

 「いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、尊い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりともわすれません」
 これは、2013年8月15日の全国戦没者追悼式における安倍晋三首相の式辞である。そしてこの年の12月26日、安倍首相は靖国神社へ参拝、「愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります」という談話を発表した。
 中曽根康弘首相「公式参拝」に始まり、小泉純一郎首相が繰り返し、安倍首相が受け継いだ、政府指導者による靖国神社参拝の儀式は、侵略戦争に動因され、犠牲にされた兵士と遺族、そして国民に対して、天皇と軍部指導者と政府の戦争責任を棚に上げたまま、国民が将来の戦争にも犠牲になるよう、だまし続けるための、政治的セレモニーであると、私は思う。安倍首相は、戦死者が家族と故郷と国を守るために命を捧げたという「美しい日本の兵士」像を作りあげるために、戦争「物語化」の言説を折りあるごとに繰り返しながら、マスコミを操作してその浸透をはかろうとしている。それに策応する保守系メディアもあり、現在の日本のマスコミ界において、日本の侵略戦争を批判し、日本軍の加害・虐殺の事実を報道することをタブー視する傾向が強まっている。

■ ■
 3次にわたる長期の安倍政権下に、愛国心を強調した教育基本法に改正し、それにもとづいて、愛国心教育を柱とするように学習指導要領を改正し、それにそぐわない歴史教科書叙述を排除するように教科書検定基準を改定し、現在は愛国心を教える「道徳」の教科化をはかっている。
 安倍政権の戦争「物語化」への世論操作にとっては、日本軍による侵略・加害の事実、とくに残虐事件・虐殺事件の歴史事実は不都合である。とりわけ、歴史教科書に記述され、学校の歴史教育で教えられるのは、不都合きわまりない。安倍氏は、1997年に自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(後に「若手」を削除、教科書議連)を結成して事務局長となり、その時に事務局次長についた下村博文氏が、長期にわたり文科相を努め、教科書から「従軍慰安婦」問題や南京事件をはじめとする侵略・加害の記述を削除、修正させるためにさまざま教科書攻撃をおこなってきた。
 安倍首相の戦争「物語」化の言説と策動の目的は、首相が「命を懸けても」と執念をもやす、日本国憲法を改正し、憲法9条を放棄し、将来の日本の戦争に犠牲になる者とそれを指示する国民を育成することにある。

■ ■
 戦争は国家による「大量殺人」であるから、日本が15年間にわたり中国大陸でおこなった戦争において、日本軍は膨大な中国兵と民衆を殺した。日本の歴史書では約100万の中国郡民が犠牲になったと記され、中国側の公式見解で約300万の中国人が死傷したとされる。
 日本政府と国民が、外務省ホームページ(アジア・歴史問題Q&A)にあるように「多大の損害と苦痛を与えたことを率直に認識し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻みつつ」、膨大な日本軍が長期にわたり中国戦場においておこなった加害の歴史を知ることが、歴史認識をめぐる日中の齟齬と対立を克服するために不可欠である。

■ ■
 殺し、殺されるのが戦争であるから、日本軍兵士の戦死者も膨大で、日中戦争・アジア太平洋戦争をふくめて日本軍人・軍属の戦没者は230万人といわれる。
 藤原彰『飢死した英霊たち』(青木書店)は、これらの戦没者の過半数が戦闘行動による戦死ではなく、食糧補給の途絶に由来する飢餓地獄の中で野垂れ死によるものだった実態を告発している。膨大な戦没者への鎮魂とは、われわれ戦後世代の国民が、若き兵士たちが餓死・病死さらに魚草津、自決など無謀な戦死を強制された戦場の実態と戦争の現実を知り、無念の気持ちに思いをはせ、そのような戦争の愚考を再び許さない国民になることである。(かさはら・とくし)
    --「戦争『物語化』への危惧 寄稿 笠原十九司」、『毎日新聞』2015年03月09日(月)付夕刊。

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研究ノート:「内閣政治」と「民本政治」の違い

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美濃部達吉といえば「天皇機関説」の問題で、ある意味では戦前日本を代表する良識といってよいですし、その憲法学の水脈は戦後日本にも受け継がれています。しかし、その「限界」というのも承知することの必要性、そして「乗り越えられた」と思われがちな「民本主義」に実は可能性があるのではないか、という指摘について少々、覚え書にしておきます。

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「内閣政治」と「民本政治」の違い

山口 ところで、憲法学というのは、戦前と戦後を貫く一貫性の方が強いのではないかという気がするのですが、どうですか。

坂野 そう、強いです。戦前の憲法学には、明治憲法をリベラルに解釈する美濃部達吉の憲法学と額面通りに解釈した穂積八束の憲法学があって、美濃部憲法学がいったんは勝った。ところが、一九三〇年代に天皇機関説事件でつぶされて、戦後は美濃部憲法学が復活したわけです。

 僕は安倍首相たちが言っていることは、穂積憲法学に戻るという話のように聞こえる。国体明徴で、天皇機関説攻撃をやって、万世一系に戻りたいというのと重なるんです。ただ、彼らは穂積八束が書いた『憲法提要』なんて読んだこともないだろうね。

山口 憲法学者と議論をしていて感じるんですが、彼らはやはり国家権力を担う官僚機構に対する信頼が強いような気がします。戦前憲法と戦後憲法は原理が違うことになっています。しかし、超然主義とまでは言いませんが、解釈・運用においては連続していて、要するに、政治の動きから遮断すべきという部分というものがあって、それこそが国家権力を動かすと捉えているように思うんです。官僚機構がそうですし、いま話題の内閣法制局もその典型です。法的安全性を確保するには、憲法解釈をあまり簡単には変えるべきではないと。そういう持続性を担保する機関を内閣の中に置いておいて、長官は職業的行政官をあてることで、政党政治の波を遮断する防壁をずっと敷いてきた。憲法学者はそれをよしとしてきたのです。それがあるから、民主主義の行きすぎを抑制できるのだという話だったわけです。

 今回安倍首相はそこに手を突っ込んで、法制局長官を党派化したわけですね。ある意味で民主化と言えなくはない。実は同じことを小沢一郎氏が民主党政権の時に、役人が憲法解釈を全部仕切るのはけしからん、これは非民主的だと言っていたのです。要するに、政党政治の波を遮断する防壁を作ることが、民主化の障害となるということは以前から議論があったんです。そこはなかなか微妙な問題です。職業的行政官が超然として憲法解釈を示しているからこそ、政党政治が成り立っている面もあるわけで。つまり、政治体制の基本問題に手をつけることなく、日常の政策課題に専念するという意味で政党政治のテーマが絞られている。

 このことは自主憲法という題目を掲げる自民党政治にとって重要な前提でした。表向き憲法改正は言うけれど、六〇年代以降は憲法問題にエネルギーを使わず、憲法の枠内で日常の政策課題に専心するのが自民党政治でした。

坂野 僕は明治憲法体制を「大権政治」と「内閣政治」と「民本政治」という三つの政治理念による憲法解釈から説明したことがあるんです(『近代日本の国家構想』第三章、岩波現代文庫)。大権政治というのは、穂積八束だけど、天皇が国家の重要な政策を自由に決定できると解釈する。内閣政治は美濃部達吉で、内閣だけで憲法解釈をやっていくというもので、議会に諮ったり国民に訴えるなんていうことは一切考えていない。民本政治は吉野作造で、議会から変えていくという。だから美濃部と吉野は仲が悪いんだ。

 内閣決定だけで憲法九条第二項の解釈を変えてしまおうとする安保法制懇は、この美濃部的な立場で、穂積憲法学の安倍首相とは立場が違う。しかし、日本国憲法は、議会と民意を最重視する吉野の「民本政治」に立っている。護憲派はこのことがわからないので、美濃部の「内閣政治」のままでいる。「内閣政治」という点では、石破幹事長と同じ立場の上で対立しているわけです。

山口 なるほど。美濃部流の内閣政治を、戦後も憲法学者は引き継いでいるのですね。これはある意味では官僚制の権力を温存するという側面がありました。政党政治が内閣政治の聖域まで入ってこようとすれば、これは絶対駄目だという形で反対する。国家中心の伝統的な憲法学に対して異議を唱えた松下圭一さんは、むしろ民本政治でした。内閣政治を突き崩して、地方分権や『国会内閣制」をやろうという議論を立てたわけです。

坂野 市民社会論だからね。

 もう一度繰り返すけれど、美濃部達吉の「政党内閣支持」は、明治憲法第五五条の「国務大臣規定」に根拠を持っているんだ。彼は「内閣論」から「政党内閣制」を支持したのであって、「議員内閣制」を主張したことはないんですよ。吉野作造の方は「民本主義」だから、普通選挙制で国民が議会を握れば、「政党内閣」は自然とできるという主張なんだ。その点では、選挙で勝てば何をやってもいいという安倍内閣の立場に、むしろ近い。議会制民主主義の国なんだから、総選挙で勝った政党内閣は、同時に議会をも掌握できる。ただ、公明党ががんばっているから、安倍内閣はまだ議会を完全には握っていない。護憲派は内閣法制局や公明党だけに頼らないで、次の選挙で勝つための努力をしなければ……。
    --坂野潤治、山口二郎『歴史を繰り返すな』岩波書店、2014年、21-24頁。

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«覚え書:「松尾貴史のちょっと違和感:『知らなければ問題なし』 把握できない人から金もらっていいのか」、『毎日新聞』日曜版(日曜くらぶ)2015年03月08日付。