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観照する

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◇採点終了
本年より大学の通信教育部で共通科目『倫理学』のスクーリング担当の教員としてひとつ担当授業が増えました。通学部と違い初めての経験にとまどう部分もありましたが、暑い夏、東京の大学校舎で行われた夏期スクーリングもなんとか無事に先週終わらせ、ようやくスクーリング試験の採点も終わる。用紙のところどころに授業評価(感想)が書き込まれており、次回の講義の上でとても参考になる。学生の皆さん、ほんとうにお疲れさまでした。
さて、このところ金が乏しく、必要以外の新しい本を買うことが厳しいので、古い本をじっくり読み直しています。ようやくアリストテレス『ニコマコス倫理学』(岩波文庫)を読み終えましたので、その感想から。彼は、師匠のプラトンの考え方との対比からよく「現実主義者」と評価されますが、その点に納得する。
すなわち・・・


◇幸福をめぐるアリストテレスの議論の進め方
アリストテレスにとって、幸福が最高善であることは自明である。ただ探求の課題は、幸福の本質とは何か、また何によってそれが成り立つか、である。彼の議論は、「人間の固有の働きは何か」という問いを手がかりに進んでいく。
例えば、「良い大工」とは何か。それは大工として立派に仕事の出来る人である。たとえ彼がどんなに人で親切であろうと、うまく楽器が演奏できようとも、仕事が出来なければ良い大工とはいえない。それは大工に固有の仕事ではないからである。では、「よい人間」とは何か。それは人間という種に即して固有の働きを立派に果たす人ということになる。それでは、人間に固有の働きとは何か。自然の恵みを受け成長する働きならば草や木にもある。感覚的働きはすべての動物にも存在する。人間にとって固有の働きとは何か。それはアリストテレスにとっては、それは「理性」だ、ということになる。アリストテレスにおいて最高善は幸福であり、幸福とは理性的活動ということになる。
『ニコマコス倫理学』の最終巻は、「観照(テオリア)」という、他者の存在を必要としない、純粋に理性的な活動(認識だとか学問)を、最高の幸福として宣揚し論を結んでいる。
幸福を理性的活動、観照という側面から見ていけば、アリストテレスのような現実感覚に富んだ人でもそういってしまうのかと、感じる部分は確かにある。やっぱり哲学者は最後にはそんなことが言ってみたくなるのかと。
近代以降の倫理学は、他者との関係を中心においてから展開されるが、そうした議論と比較した場合、最終的には観照の宣揚で終わっていたとしてもアリストテレスは、幸福を一個の人間として自己の内面の問題(勇気や節制)を手がかりに、論じているの点が著しく対照的である。いわば幸福を語るということが、現在の自分の真の幸福として議論しているのである。確かに観照を自足した「見るだけの人生」、「神的な生活」とアリストテレスは表現するが、やはり現実の人間に即して教説している点は看過できない。


◇幸福な人
アリストテレスの言葉から・・・

「「観照する」ということがより多く見出されるほど、「幸福である」こともまたより著しい。付帯的にではなく、観照のはたらきそれ自体に即して--。(観照は即時的に尊貴なはたらきなのであるから)。してみれば、幸福とは何らかの観照のはたらきでなくてはならぬ。
 もとより、人間である以上は、外的な好条件をも要するであろう。われわれの本性は観照的な活動という目的のために自足的たるのではなく、肉体もやはり健康でなくてはならないし、食物やその他の世話も与えられていることを要する。ただし、外的なもろもろの善なくして至福たりえないのは事実だとしても、だからといって、幸福であるためにはいろいろ大がかりなものを必要とするであろうと考えてはならない。なぜなら、自足ということは過剰に存せず、実践もまた然りであって、たとえ水陸を併せ統べなくとも、うるわしきを行うことはきるのである。すなわち、ほどほどのものからしてもひとは徳に即して行為することができるはずであり、(このことは容易に観取されうる。よろしきことがらをなすことにおいて私人は覇者に劣らず、かえってまさっているとさえ考えられるから。)その程度のものがあれば充分である。徳に即して活動しているひとの生活はそれで充分幸福たりうるであろう。
ソロンが幸福な人を描いて、次のようなひとだとしているのも、おもうに、適切である。いわく、外的なものをほどほどに給せられ、自らもって最もうるわしきことがらとなすところを行い、節度ある仕方でその生涯を送ったひと--。実際、ほどほどのものを所有しておれば、まさになすべきところをなしうるのである。アナクサゴラスもまた、幸福なひとは富者や覇者であるとは考えなかったように思われる。彼は幸福なひとが世人の眼には何となく奇妙な人間として映ったとしても自分は驚かないだろうといっている。けだし、世人は外的なことがらにしか気づかず、そのれによってものごとを判断するものなのだからである。かくして、これらの智者の見解も、われわれの議論に一致するごとくである」(一一七七b二七~七九a一六)。
   アリストテレス(高田三郎訳)『ニコマコス倫理学(下)』(岩波文庫、1973年)

アリストテレスの幸福を考える上では、「中庸」の徳に関しても言及しなければいけないが、これから仕事(学問以外の)なので、また次回。はぁあ、仕事も現実なんですね。観照してぇえ!!

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