« 胎動する | トップページ | 観照する »

此処だな

539717930_117_2

◇新渡戸稲造「此処だな」

『秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる』(藤原敏行朝臣)
   (佐伯梅友校注『古今和歌集』(岩波文庫、1981年)

まだまだ暑い日が続くが、空模様は秋の装い、吹く風が心地よい一日だった。

指導教官S先生より頂戴した近著、鈴木範久編『新渡戸稲造論集』を本日読み終える。新渡戸稲造といえば、『武士道』の著者または五千円札の顔になった人物として知られているが、『武士道』以外、どういう考え方の持ち主であったのかといえば、ほとんど知られていないのが実情である。多彩な側面を持つ新渡戸であるが、札幌農学校の後輩である志賀重昴が、現在の教育者が福沢ならば、未来の教育者は新渡戸であるとも評したように、教育者のそれに注目すると、新渡戸の思想の骨格が見えてくるような気がする。詳しくは同書の解説にゆずるが、同論集では、テーマを四つに分け(教育論、人生論、デモクラシー論、国際関係論)、全体に共通する思想として次の4点が指摘されている。すなわち、①人格の尊重、②人格を根拠づける「天」の観念(陽明学的な「良知」の概念を含む)、③「中道」思想と包容性、④修養(体を通して心を練り上げる方向としての修行)、がそれである。

在野の一私人として生涯を送った旧友内村鑑三とことなり、新渡戸の発言には時代の影響をうけた“ブレ”の部分はたしかに存在する。しかし、カーライルの著作に親しんでいた彼は、暴力的な革命に関しては一貫して、生理的な不快感、距離感を抱いている点には“ブレ”がない。保守派を退けつつも、直接的な革命にも距離を置いている--終始理想を語りつつ、現実にできるところから手をつける。善きにせよ悪しきにせよ、人は一点突破の全面変革への道を夢想する。それが現実にはどれだけの民衆を苦しめてきたことか--。ガンジーは「善いことはカタツムリの速度ですすむ」と言葉を残したが、新渡戸も同様に、「真の自由は漸進主義」と述べている。時代の影響をうけたところはあるにせよ、それをもってしても全否定できない輝きや未来への指針が、彼の言葉には確かにあるのである。

胸中の理想を仰ぎ見つつ、現実の世界でできるところから着手する。内村とは対照的に、ほぼ生涯を公人として過ごした彼の慎重な言葉づかいと現実の戦略(業績)はその証左である。理想を語るほら吹きではなく、地に足を据えたリアリストの姿なのである。知識の詰め込み、試験のためだけの勉強、受け身的な国家の器械のみをつくる教育に対し、知識よりも品格、理屈よりも実行、受け身的人格よりも自発的人格の育成を具体的に説く新渡戸は、まさにリアリスティック・イデアリストである。

◇ソクラテスの真似
新渡戸がソクラテスに語った文章が収録されているので、ひとつ。

「私は、ソクラテスの最も偉大なる点を以て、彼の悲劇なる死際の公明正大なのに持って行きたいと思う。ソクラテスの死は、真に死を見ること帰するが如しであった。彼が罪なくて牢獄の人となった時には勿論人を恨まなかった、弟子などが集まって来て、頻りに弁護せよ弁護せよと勧告するけれど断乎として肯わない。弟子どもは声を励まして、「先生が何の罪もなくして死なれるのが残念です」というと、ソクラテスは嫣然笑って、「さらば罪会って死ぬのは残念でないのか。死ぬる死なぬは畢竟第二義のことだ。心の鍛錬が第一義だ。」といって聞かした。そして誰も恨まず、天も地も怨みず、泰然自若として振りかかる運命を迎えたのである。
 私は、平生自分に関した不愉快な世評を聞いたり、悪口など耳にすると、この場合、ソクラテスであったら、どういう風に始末したろう、と考えてみる気になる。また事がならず、失望落胆に沈んでいる時にも、もしこれがソクラテス爺さんであったら、この一刹那を如何に処するであろう、と振返って、静かに焦立つ精神を鎮めてみると、ある雄々しい本然の心が腹の底から声を出すのである。同時に、不愉快な気分も、衰えた精神も、忽ちにして去ってしまう。
 勿論、私はソクラテスの真似をするという訳ではないが、書斎には常にこのソクラテスと、リンコルンのバストを飾っておく。これなども、立派に修養の効を積んだ人々には、かかる必要は全くないであろうが、私のごとき未練なものには、これが一番に強い刺戟になるのである」(鈴木範久編『新渡戸稲造論集』岩波文庫、2007年)。

8月22日より、秋季限定のキリン『秋味』が発売された。一年で一番心待ちにした限定ビールである。深い味わいを楽しみつつ、ソクラテスと新渡戸の言行から、己の振る舞いを反省する時間を味わっている宇治家参去でした。

新渡戸稲造論集 (岩波文庫 青 118-2) Book 新渡戸稲造論集 (岩波文庫 青 118-2)

著者:新渡戸 稲造
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 胎動する | トップページ | 観照する »

哲学・倫理学(東洋②日本)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/451663/7719306

この記事へのトラックバック一覧です: 此処だな:

« 胎動する | トップページ | 観照する »