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飲みながら書く letzte Menschen

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◇また飲んでいるのですか?
終業後、同僚の別部門のMgrより飲みに誘われる。こ一時間杯を交わし、後にする。
こう、書いているといつも飲んでいるばかりの宇治家参去です。というか実際に飲んでます。

◇天職倫理の問題から・・・
大学というアカデミズムとは対極にある、現実の世俗の活動に身を投じる中、いつも将来の展望と現実とのギャップに悩まされる経済活動の現場ですが、やることはやる!、後ろ指さされるような仕事はしない、というのが参去さんの“職業倫理”です。どちらが偉い、卑しいというわけでは全くありませんが、本当に“お金を儲ける”というのは実に大変な現実だと実感しながらも、妙にさばさば生きている自分に感心もしたりします。

で・・・今日はマックス・ヴェバーの噺でも。
これまで、古代哲学者の話題が続いていましたので、近代の社会学者の知見に耳を傾けるのも興があるのではないかと思い、論を進めてみましょう。
マックス・ウェバーといえば、名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』や宗教社会学関連の草分けとして名高い学者です。細かいところでは、現実にその論のすすめ方や、出典やソースの扱い方で見直しが迫られている部分もありますが、再度、手にとって読み直すとやはり「大物」ですね。うちの先生(指導教官)も次のようにいいますが、すなわち、「小者を読むな、大物を読め(大物を研究しろ)」ですが、功罪含め、真摯に検討できる対象はやはり「大物」の“思想家”なんだろうな、と実感します。

営利の追求を敵視するピューリタニズムの経済倫理が実は近代資本主義の生誕に大きく関与したという逆説の論考であるヴェバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』から・・・。

「営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結びつく傾向があり、その結果、スポーツの傾向をおびることさえ稀でない。将来この鉄の檻の中に住むものは誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも--そのどちらでもなくて--一種の異常な寛大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした文化的発展の最後に現れる「末人たち」>>letzte Menschen<<にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この無のもの(ニヒツ)は、人間性のかつて達したことのない段階まですでに登りつめたと、自惚れるだろう」と。」
          マックス・ウェバー(大塚久雄訳)『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫、1989年)

同書をしめくくる有名なくだりである。とくに「精神のない専門人、心情のない享楽人」との言葉は、現代の人間性批判としての典拠として常に用いられてきた部分である。たしかに現実にはそういう連中はたくさんいる。しかし、生きている人間として、現実の世俗的経済活動を全否定することはもちろんできない。
私のような“流しの学者”なんかはひやがってしまうのが現実である。「しかしなお・・・」。経済的活動に限られた話題ではないが、現実の泥水を飲みながらも、「しかしなお・・・」--こういった部分は、折に触れて見直したいところである。

なんか説教くさくてすいません。
つーか、寝る。明日も観照はできないので。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫) Book プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)

著者:マックス ヴェーバー
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