« お互いの沈黙 | トップページ | What's Going On »

秋来にけり 耳を訪ねて 枕の風

0003

◇逃げてゆく残暑
 この年--寛政五年の残暑は、まことにきびしかったが、
「残暑め、いつの間に逃げて行きゃあがったか……」
 めずらしく、険友・岸井左馬之助が盃を口にふくみつつ、冗談をいったので、長谷川平蔵がくすくすと笑った。
「御頭(おかしら)、なにが可笑しい?」
 と、このごろの左馬之助は、もういっぱし、火付盗賊改方の一員になったつもりでいるらしい。
(中略)
 さわやかに晴れわたった秋の空をながめながら、親しい友とのんびり酒をくみかわすことが、
「いまのおれの気ばらしになってしまった。おれもじいさまになったものよ」
 平蔵はほろ苦く笑った。

    --池波正太郎「五年目の客」、『鬼平犯科帳 4』(文春文庫、1976年)

今年の夏は、まことにきびしかったが、朝な夕なに秋の装いを感じるようになった。
『鬼平犯科帳』ではありませんが、
「残暑め、いつの間に逃げて行きゃあがったか……」を実感します。

仕事を終え、商店街を抜けると、秋祭の準備のためか、提灯がちらほら目立つ。帰宅すると、まずオクラ納豆で一盃。単純な肴だが、最近、嫁さんが比較的リクエストどおりのつまみを準備してくれているのがありがたい。本人曰く、料理するのは嫌いだが、野菜がたくさんあると、つくり甲斐があるとのこと。本物の平蔵さんではありませんが、最近、肉とかよりも、野菜や魚を旨く感じる自分を実感する。「脂気がおちてきたのか」と。
新鮮な食材で丁寧にこしらえた単純な肴で、ワンランク上のビールをのむと、ビールと肴の味わいの両者が引き立ちます。焼き肉やステーキもいいですが、たまにはこうした肴も捨てがたいです。

  0002_2

 

  

◇語法が停止する瞬間

「語法が停止する瞬間がある(それは非常な努力の末に獲得される瞬間である)。この残響なき断絶が、禅の真理と俳句という簡素で空疎な形式を同時に成立させるのである。(……)俳句は私たちが経験したことのないことを私たちに思い出させる。俳句のうちに私たちが見出すのは、起源をもたないものの再来、原因のない出来事、誰も思い出す人のいない記憶、浮遊するパロールである」(ロラン・バルト(宗左近訳)『表象の帝国』(筑摩書房、1996年)。

『表徴の帝国(L'Empire des signes)』とは、フランスの哲学者ロラン・バルト(Roland Barthes)の日本論です。フランスの文化使節の一員として訪日した際の記憶を記号論の立場からまとめた印象録で、この中で、バルトは、西洋を「意味の帝国」と呼び、日本を「表徴(=記号)の帝国」と分類します。西洋世界が記号に意味を満たす世界理解をとるのに対し、後者は、意味の欠如を尊ぶ世界理解があると分析しています。
バルトは実例(天ぷらや皇居)をあげながら、意味から解放された日本世界の自由さ述べていますが、意味ではなく“かたち”からものごとに入っていく方向は確かに存在すると実感します。しかしながら、今の人たちは、意味や物語を消費する方向の方が多いのでは、と思ったりもします。

で・・・「語法が停止する瞬間」の“俳句”で面白いのがあるので一つ紹介します。

「秋来にけり 耳を訪ねて 枕の風」(松尾芭蕉)
じっくりと読めばわかりますが、藤原敏行の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(古今和歌集)をパロディー化した作品。芭蕉もお茶目です。

鬼平犯科帳〈4〉 (文春文庫) Book 鬼平犯科帳〈4〉 (文春文庫)

著者:池波 正太郎
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫) Book 表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)

著者:ロラン バルト
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« お互いの沈黙 | トップページ | What's Going On »

哲学・倫理学(現代)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 秋来にけり 耳を訪ねて 枕の風:

» 長門裕之『島津斉興』役 [篤姫(あつひめ)大河ドラマ]
1934年1月10日日本の俳優。本名は加藤 晃夫 (かとう あきお)。京都府京都市中京区生まれ。日本を代表するベテラン俳優の一人。戦後、映画製作を再開した日活に入社。 [続きを読む]

受信: 2007年9月14日 (金) 21時48分

« お互いの沈黙 | トップページ | What's Going On »