« 「二十歳のころ」 | トップページ | 事実はただ問題を導くだけであり、解決を導きはしない »

人それぞれ……だけじゃないよな

0001

社会や人間に関わる問題に関して、ひとびとが、より強くより深く考え、そうしたものをめざして漸進していくことで、困難な現実にも対処できると宇治家さんは考えます。

ものごとをより強く深く考え、対話によってひとびとと考えを摺り合わせ、さらに洗練されたかたちで共有していく方向--それが哲学の営みであるとすれば、思索する現況は貧しく、広がりを失っていると思います。もちろん哲学や思想に関する専門誌はいくつも存在しているし、真摯に考える哲学者、思想家と呼ばれひとたちもいないわけでない。しかし、例えばアカデミズムとは縁のない、日々を生きるふつうのひとびとのなかに、思想や哲学というものが生きているのだろうかと考えた場合、考えあい・語り合うことへの希望と信頼は死に絶えている。

多くの人が「人それぞれですから」とよく口にする。

もちろん、趣味のようなものは「人それぞれ」でいいのだし、またそうでなくてはならない。しかし、生きている人間の間には、共通な課題、共通な困難も確かに存在している。

共同体や社会という共通な局面だけでなく、一人一人の個人的な生の実存のなかにも、共通な困難は存在していると思われる。そこを手がかりに、ともに考えあう・ともに語り合うことができるなら、そうした営み(=哲学)は、ひとびとのあいだの“つながり”を回復し、希望をもたらすかもしれない。

しかし多くの人語る「人それぞれ」という言い方は、つながりを絶ち、思索の営みを破壊する。話のテーブルにつくこと自体を、それとなく拒否してしまうのだ。

だからといって、宇治家さんは、「人それぞれ」を口にするひとびとを批判したいのではない。そもそも、そういう考え合う・語り合うプロセスから何かが拓けてくる--そういう実感をもったことがないからこそ、そうした営みに参加する気がおきないなのだろうから……。

それよりも問題なのは、むしろ、現代思想や最先端の哲学が「人それぞれ」の感覚を強化するようなものになってしまっていることを、考えないといけないのだと思う。

たしかに20世紀後半の思想と哲学にとって、古代以来の哲学者の語る“客観的真理の存在”や“真理の絶対性・普遍性”という観念を批判することは、きわめて重要な課題だったと思う。歴史を振り返ってみれば、真理の普遍性・絶対性という方向性が、多様な実存のあり方や声なきひとびとの生を踏みにじってきたのも事実であり、批判されても当然だと思われる。しかし、批判のその結果、現代思想は明らかに、相対主義や懐疑主義となり、深く根本的に考えるという可能性を断ち切ってしまった。

現代思想においてさまざまな新しいテーマが次々と登場し、一見社会への批判が豊かに繰り広げられるように見えても、批評の後には、不毛の大地が横たわるだけになってしまっている。現代の批判思想が、その立脚点をどこに置くべきか、新たな社会構想はどのようにして可能なのかを曖昧にしたまま、ひたすら現実を批判しつづけるている……ただそれだけですよね。

普遍的な真理とは、プラトンが考えたように、ひとびとの実存とかけ離れた、どこか天空に存在するとは思われない。むしろ、真理は現実に根ざしていると志向したアリストテレスに共感する。すなわち、ひとびとが考え、語り合うなかで、共有された考え方、たとえば、(趣味的・感覚的には納得できない場合があるかもしれないが)「こう考えざるを得ないよな」というオチが、普遍的な真理に上り詰めていくのではないかと宇治家さんは考えたりもします。

宇治家さんの考え方は、一見すると古臭い“真理主義”の哲学です。しかし、ひとびとが、現実の生活のなかで真面目に考える、そしてその考えたことを対話のなかで洗練させてゆき、共有していくことによって到達される“真理”は、現実世界に内在し、世の中をよりよき方向へ導くことの出来る“真理”に思えて他なりません。

裸の聖者・ガンジーは、自身のおこなった非暴力・不服従運動を、“サティヤ・グラハ”と名付けましたが、“サティヤ・グラハ”とはすなわち、“真理の掌握”を意味する言葉です。ひとびとが自分自身で真理を掌握することで、その人の生活だけでなく、時代は大きく転換すると思います。

ですけど、ひとりよがりは禁物・だからこそ対話による自己吟味が不可欠です。

フランスを代表する啓蒙思想家ヴォルテールは、「君の意見に賛成できないが、君が意見を述べる権利は死んでも守る」( Monsieur l'abbé, je déteste ce que vous écrivez, mais je donnerai ma vie pour que vous puissiez continuer à écrire.)と述べましたが、その言葉をかみしめたいものですね。「人それぞれ」さん!

来月、子供が運動会(幼稚園・年少)なので、細君の強い要請で、デジタルビデオカメラを買いました。ヤフオクで3万。2006年モデルなので、HDではありませんが、値段のわりにまあまあ使えそうです(CanonDC40)。

Book 世界の名著 35 ヴォルテール・ディドロ・ダランベール (35) (中公バックス)

著者:ヴォルテール
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 「二十歳のころ」 | トップページ | 事実はただ問題を導くだけであり、解決を導きはしない »

哲学・倫理学(現代)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人それぞれ……だけじゃないよな:

« 「二十歳のころ」 | トップページ | 事実はただ問題を導くだけであり、解決を導きはしない »