« イェルサレムの久保田さん | トップページ | 「二十歳のころ」 »

武蔵野の夕暮れ

0001

 茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。
 空は蒸暑い雲が湧きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に蒼空が現われ、雲の蒼空に接する処は白銀の色とも雪の色とも譬えがたき純白な透明な、それで何となく穏やかな淡々しい色を帯びている、そこで蒼空が一段と奥深く青々と見える。ただこれぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差、任放、錯雑のありさまとなし、雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とが彼方此方に交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している。林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光と熱とに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔っている。林の一角、直線に断たれてその間から広い野が見える、野良一面、糸遊上騰して永くは見つめていられない。
 自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天ぎわの空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上を喘ぎ喘ぎ辿ってゆく。苦しいか? どうして! 身うちには健康がみちあふれている。
           --国木田独歩『武蔵野』(岩波文庫、2006年)

上の一節は、国木田独歩の『武蔵野』から。
武蔵野の夕暮れを写したので、そのついでの噺でも。

この文章は、ワーズワースに心酔した独歩が、郊外の落葉や田畑の小道を散策して、その情景や出会いを描いた作品です。もっと続きを読みたい!と思わせる、およそ百年前の独歩の筆致に驚かされます。
 キリスト教を専門として研究するまで知りませんでしたが、実は国木田独歩という作家はクリスチャンなんですね。一番町教会(のちの富士見町教会)で植村正久から洗礼を受けています。キリスト教や社会正義の意識に目覚めた、明治日本を体現したような独立自尊の青年だったといわれています(もちろんそこに由来する不幸もたくさん経験していますが)。

で……その植村正久ですが、植村正久といえば、横浜バンドの中心者で、明治期日本において福音主義の信仰を確立するため心血を注ぎ、教界の橋頭堡を守り抜いた人物として知られています。現在でも通有するような日本人キリスト者のイメージをつくった人物と言うことも出来ると思います。
植村で面白いのは、神学者・牧師として活躍するだけでなく、実は近代の西洋文学をいち早く日本に紹介した人物であり、国木田独歩が心酔したワーズワースのほか、カーライル、テニソンの紹介や翻訳も行っていることです。

例えば、トルストイを評して曰く
「伯(引用者註--トルストイ)は快濶なる男児なり。胸中に無声の感覚思想鬱勃として禁ずること能はず、胸襟を寛げ、満腔の熱血を絞りて、之を文字の上に発表したるなり。故にその文や芸術の細則に束縛せられず、其の小説の美は自然の長江大河を観るが如く、峻嶺の雲に聳ゆるを仰ぐが如し。伯は社会の預言者なり。真理を伝ふるの天職を奉じたる人なり。小説は其の預言を四方に伝へ、万民を教へんと欲するの手段に過ぎざるなり。伯は真実無妄、熱心燃ゆるが如く、其の口に説き、筆に唱ふる所は忌み憚る所なく、至るところに之を実行せんことを試みるの人なり。口に逸楽安居を咎め、筆に一視同仁の大義を唱ふれば、自ら進んで農民の群に入り、糞士の間に居起し、手づから耕耘に従事すと聞く。其の節操の清烈貴ふべきに非ずや。伯は剛勇不撓の士なり。其の主義のために如何なる結果あるをも顧みず、水火も刀鋸も之を沈黙せしむること能はざるべし。トルストイ伯は写実小説のの巨擘なり。其の社会の実際を写すや理想の情熱内に溢るゝの心を以てせり。故に其の小説は時として伝奇異常の帯を帯ぶることあり。日本のトルストイ何処にか在る。」
           --植村正久「トルストイ伯」、『植村正久文集』(岩波文庫、1939年)

これは1890年(明治23)に植村が書いたトルストイ評です。前半でトルストイの略歴を紹介した上で、手短にその思想をまとめた文章ですが、日本におけるトルストイ評の嚆矢でありながらも、今読んでみても、内容としても正鵠を射ているものです。

近代日本の知識人の言説を読み直すことが(仕事上)比較的多いのですが、特に明治第一世代(生まれは江戸末期~明治初年)の博学さ、マルチタレントぶりには驚かされます。また国木田独歩じゃありませんけど、青年の熱と力を、彼らの言説からいつも感じ取らされています。興味のある方は、読みにくい文体かもしれませんが、ゆっくりと味わいながら読んでほしいと思います。

※写真は仕事で現場確認・記録用に使用している古いデジカメNikonCoolPix2500ですが、5年前のモノにしては好くうつりますね。やはりニッコールレンズの力でしょうか。

武蔵野 (岩波文庫) Book 武蔵野 (岩波文庫)

著者:国木田 独歩
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« イェルサレムの久保田さん | トップページ | 「二十歳のころ」 »

詩・文学・語彙」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 武蔵野の夕暮れ:

« イェルサレムの久保田さん | トップページ | 「二十歳のころ」 »