これって素敵でしょ?という言い方
哲学の第4回目の講義無事終了する。
今回は、哲学の主題と全体の見通しを話した上で、次節、哲学の起源と開かれた対話(フォアゾクラティカーからソクラテス、プラトン、アリストテレス)までの話を講義する。
これまで哲学とは何か--といった概論を続けていたのでいよいよ、具体的な人物、思想を題材に講義できるので、すこしは話がしやすくなる。
ただ、哲学を講じているときに、一番注意しなければいけないのは、
「結局哲学って答えないじゃーん」
「一人の人間が頭の中で考えているだけ」
という、すなわち、哲学とは、難しくて自分には関係ない、独りよがりな考え方、と聴講者に結論づけられないように教授することである。
たしかに、上のような意見も哲学とか思想のある一面ではあるが、それだけではないだろう。
確かに、哲学の出発点としては、自分自身で、人間とは何か、世界とは何か、と考える地平から立ち上がる。しかし、その思想や内容を、ひとりでオシマイにしてしまうのであれば、それはとてつもなく淋しく・悲しい営みなってしまう。
たとえば、私はこのことに関して、これまでのところこう考えたけれど、これって素敵でしょ?という形で、他者と摺り合わせ洗練させ(その中で“他人とは地獄である”他者との出会いもあるのだが)、共有していく方向性の方がより魅力的で生き生きとした営みになるのではなかろうかと思う。
それがおそらく対話という営みであろう。
人は自分自身との対話、自然との対話、他者との対話を通じて人間になる。
それは、ソクラテスが自身の対話を“産婆術”と読んだように--。
さて、急いで先ほど帰宅し、これから市井の仕事です。
今週より、週1回だけ、衣料品Mgr代行となるので、その研修です。
さて、がんばるか。
パイドン―魂の不死について (岩波文庫) 著者:プラトン,Plato |
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