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狐の反逆

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ギリシアの詩人アルキロコスの詩作の断片に、「狐はたくさんのことを知っているが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている」という一行がある。この謎めいた言葉をどう解釈すべきかについては、学者の意見はさまざまであった。それは、ずる賢い狐も、防禦一本槍のハリネズミには負けてしまうということしか意味していないのかもしれない。しかし、比喩的に解すれば、その言葉に作家と思想家、ひいてはおそらく人間一般を大別するもっとも深い一つの差異を指し示すような意味を持たせることもできるであろう。

--バーリン(河合秀和訳)『ハリネズミと狐--『戦争と平和』の歴史哲学』(岩波文庫、1997年)

ラトビア生まれのユダヤ系政治哲学者の言葉から。トルストイの大著『戦争と平和』を材料に、トルストイの歴史観を探り、思想的源流を探る作品である。訳文も読みやすく、内容も大変示唆に富み、面白い作品ですの興味のある方は一読どうぞ。

訳者の河合秀和氏の解説がわかりやすいので少々引用を。

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 バーリンは、二〇世紀のもっとも首尾一貫した自由主義の思想家という評価を得ている。いくらか技術的にいえば、多元主義という新しい見方を打ち出した思想家とも言われている。本書の表題を引いていえば、多元主義とは狐の思想である。ハリネズミの一元主義は、人間の求める多様な価値は何らかの最高価値のもと調和した一つの体型を成していると信じる。バーリンによれば、それは少なくともプラトン以来二千年以上にわたるヨーロッパの伝統であって、もちろんきわめて多様な形態のもとに展開されてはいるものの、知的には普遍妥当的な真理の存在を、社会的には合理的秩序(ユートピア)の実在を、また歴史的には必然法則の支配を信じてきた。しかし、古来「人はパンのみにて生きるものにあらず」といわれているように、人はただ一つの価値によって生きるものではない。少なくともいくつかの基本的な価値はそれぞれに独立しており、他の価値に対して上下の関係や目的-手段の関係に封じ込められるものではない。極端な状況では対立することになり、したがって人に選択を迫ることになるであろう(例えば「よい」価値を集約的に表現しているとされている真善美にも、対立の契機が孕まれている。真が善である訳はなく、善が美である訳でもない)。
 こうして狐の多元主義は、いたるところでハリネズミの一元主義を掘り崩そうとする。政治思想史において、特に一八世紀の啓蒙主義思想が一元主義を代表しているがために、バーリンの目から見た近代の思想史はハリネズミに対する狐の反逆の歴史であった。
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ケセラセラの相対主義と異なる意味での多元主義の必要性は、何も政治哲学の世界だけではない。文化・風俗・宗教・人のもつ些細な価値観に至るまで、必要とされている考え方である。今、必要なのは、自己の存在と自己と全く異なる存在者の両者の存在を肯定する寛容さである。

しかし寛容さには、強靱な忍耐と勇気が必要だ。寛容とは、なんでもかんでも飲み込んでしまう東洋的肯定とは異なる原理である。

今一度ヴォルテールの言葉を味わってみたいものである。
「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ」

さて、写真の如く、日本酒のおいしい季節となった。一人娘に舌鼓をうちつつ、秋の夜長を楽しむ昨今です。

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