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ニーバーを読む

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休みを利用してじっくり読書と映画と日本酒三昧。
今回は、途中までしか読んでいないが、面白いニーバー(大木英夫訳)『道徳的人間と非道徳的世界』(白水社、1998年)から。
著者のラインホールド・ニーバーは、ティリッヒとともに近・現代アメリカを代表するプロテスタント系神学者。ニーバーといえば、日本では、神学者・現代政治の助言者という印象より、ニーバーの祈り(Serenity Prayer)の方が有名だろう。

O God,Give us
Serenity to accept what cannot be changed,
Courage to change what should be changed,
And Wisdon to distingusih the one from one from the other.
Amen.
(神よ、変えることのできなものを受け入れる平静を/変えるべきものを変える勇気を/そして変えることのできないものと変えるべきものとを識別する知恵を/我らに与えたまえ/Amen)

 さて、そのニーバーであるが、ニーバーのもとで学んだドイツの神学者D.ボンヘッファーもすこぶる社会的(反ナチ闘争で獄死)だが、彼に負けず劣らず社会派です。デトロイトのフォード自動車工場での労働者たちの悲惨な状況が思想形成に大きな影響を与えたと言われ、キング牧師もニーバーの影響を受けているという。神学者には、(メインストリームから評価されなくとも)社会派の思想の伝統があり、良きにせよ悪しきにせよ、社会的に影響力をもつ神学思想家なるものが存在する。しかし、そういえば、日本にはそういう坊主はいねぇよなというのも逆説的な実感。

さて、本書は、1932年に執筆され、アメリカ政治学の世界に衝撃を与えた一冊である。
冷静に社会状況を見つめ直した場合、そこにあるのは「社会は永続的な戦争状態」にある。社会においては集団の力関係が重要であり、社会には強制という要素が必ずつきまとう。ゆえに個人の道徳的訓育のみによって社会問題が解決することはありえない。この意味で道徳主義(社会問題を個人的な訓育に還元する考え方)には反対する。還元主義的道徳主義は社会問題の所在を隠蔽し、巍然と自己欺瞞を再生産するだけで、保守派のイデオロギーを強化するに過ぎない。
社会問題はモラリズムの延長では解決できなず、それ独自の戦略が必要である--これが彼の視点である。

で、、、そのあとはまた読み進め報告しますが、
人間には、個人の道徳的な訓育、すなわち人間陶冶による“まともな人間”の育成“のみ”によってあらゆる社会問題は解決するのではないかと短絡的に原理的に考えてしまう傾向がある。もちろん、そうした訓育は重要であり、人間教育は必要であろう。しかしながらそれ“のみ”によっては問題は解決しない。冷徹なニーバーの視座はそういっているように思えて他ならない。
言われればその通りで、社会には強制力も暴力も必然的に付随する。暴力の問題は横に置いておいたとしても、強制力の問題は、共同体の維持という側面からも永遠に無くなることはない。ではそうした社会のなかで、どういうあり方が可能なのか、どういうかたちの強制力が必要なのか、考える必要はある。
そうした状況を前に、ともすれば、あらゆるものを一方的に“悪”であると決めつけ、全面廃棄を主張するオプションを人は選択しがちである。しかし、あれか・これかの全面廃棄が、暴力と革命の20世紀を彩ったことも忘れてはならないだろう。

はぁぁ~これから市井の仕事です。4日ぶり、かなりだるチョフです。

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Amazon のニーバー『道徳的人間と非道徳的社会』(白水社)はこちらから

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