仮象に振り回されず
十一月一日
コリント人への第一の手紙十五の一〇。「しかし、神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである。そして、賜った神の恵みはむだにならなかった。……」--これは、おそらくあなたがたが、パウロとともに、あなた自身に許してよいかもしれない謙遜なほこりであり、そして、地上のほかのどんな名声や好評よりも、はるかにまさるものである。詩篇第九二篇、ピリピ人への手紙二の五-九。
これに反して、この世のほまれはつねに悩みをともなうものである。これはたやすく観察できることで、特に新聞の称讃について、そうである。だから、新聞の称讃に敏感であったり、けなされた場合に腹立たしさを覚えたりする人は、よかれあしかれ、自分のことにふれた新聞記事を一切読まないのが一番よろしい。
--ヒルティ(草間平作・大和邦太郎訳)『眠られぬ夜のたに 第二部』(岩波文庫、1973年)
スイスの哲学者で、国際法の大家であったカール・ヒルティの言葉から。
限定チルドビールを飲みながら、ヒルティの語る哲学的断章にしみいる宇治家参去です。
ヒルティといえば、三大幸福論の一書としてあげられる『幸福論』(岩波文庫)で有名ですが、こちらの『眠られぬ夜のために』も含蓄深い、明確な言葉に満ちた人生の書です。
ひとは、この世の賛否の渦に投げ出され、その仮象に振り回されているのが現実世界である。
称讃は人を尊大にさせ、中傷は人をめいらせる。人はだれでも、妬みや僻み、高慢と尊大の気持ちを心底に宿している。聖人君主にいわせれば、それは“卑しい感情”になるのであろうが、その心を完全に滅却することは不可能である。
ただ、それを持っていることを認めてなお自制するのが理性ある大人ではなかろうか。他人の気持ちを斟酌することなく、己の感情の奴隷となり、自分の都合や利益を優先して、他人を自己の手段と見なすのが“卑しい人間”である。
己に巣くう獣性を自覚したもののみが獣道を歩まずに済むのである。
他人の評判の上に自分の安心を築こうとせず、おのれのやるべきことを自覚して、そのことにひたすら打ち込むことが肝心だ。
眠られぬ夜のために〈第2部〉 (岩波文庫) 著者:ヒルティ |
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