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平屋の人生と多層階の人生

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◇宗教を学ぶわけ(宗教学の意味)
宇治家さんの指導教官(鈴木範久先生、学問の師匠)は、宗教を学ぶわけ(宗教学の存在意義)に関して以下の三点を指摘する。

①他者理解(すべての事象を表面的に見るだけでなく、その心の内奥より理解しようとする姿勢)。
②立体的なものの見方。
③宗教を見る目の形成(宗教に対する批判的精神の形成)。

以上の三点がそれである。

本日は②の立体的なものの見方に少し触れたい。

第二は立体的なものの見方である。
(中略)
 それは、おそらく、宗教思想のもつ大きな特徴による。たとえば、宗教に無縁の人が、かりに一部屋だけの現世のみの平屋に住んでいるとするなら、宗教者は来世や天国、地界もある二階と地下室つきの家に住んでいると言える。あるいは海と山に二つの別荘をもつ思想と言えるかもしれない。
 それにより、思想が、一部屋だけの窮屈さを離れ、ある程度の自由と解放を与えられるのである。このような宗教者のもつ思想の立体的なしくみを学んだなら、それを自分の生き方にも応用することである。そうして小さなことへのこだわりや堂々めぐりの悩みから脱却を味わえる。今の世の中だけで価値のある金銭、名誉、地位、権力をほしがる思想に対して、宗教は現世を超える価値を教える。超現実的価値のもつ大きな意味とはたらきとに目を見開かせてくれる。
--鈴木範久『日本宗教史物語』(聖公会出版、2001年)。

今日は市井の仕事の終業後、バイト君ニャンじょー君と飲みに行く。ニャンじょー君はミュージャンとしてこの世で自分の使命を果たそうとしている雄偉な青年だ。昨日、ライブで、ライブあけで仕事に来てくれた。ひとまず、感謝。彼の仕事は最高だ。

で--飲みに行っていろいろと話をするが、まぁ20歳なのでしょうがない部分もあるのだが(経験値不足に由来)、何かをめざす上での自分の根本原理が肝要であり、そこが決まっていない限り、本来的な前進ができないよな!って話になりました。
いわずもがな(私も含めてですが)、そこがハッキリと決まっていない限り、人間は、七転八倒の不の輪廻から脱出することは不可能だ。

そこで思い出したのが上述の引用です。
このことは、主語を宗教だけにおかずに、自己の信念・思想・哲学と置き換えてもいいと思うのですが、腹が決まっていない限り、いずれにせよ、本物には到達できないよなァと実感しました(ニャンじょー君だけでなく宇治家さんも含め)。

ただし、腹を決め、一人荒野に立つほんものの人間は、一部屋に住む住人ではなく、迫り来る物事に様々な角度から対処できる多層階の住人であることだけは理解できる。

さて、酒を飲みながら(「一の蔵」高いぞぉ!飲み屋に対して!!)、グッチ裕三のハッチポッチステーションの音楽性は高いなぁ!!と心地よく語りあった時間でした。

ニャンじょー君、ありがとう!!

さて、いずれにしましても……、
「我以外皆我師」(吉川英治)というこころねが欠落した、開き直った増上慢になった人間には、人生の前進はない!間違いない!

人は往々にして「我以外皆我弟子」と開き直り、一部屋の平屋が全世界だと錯覚しながら、二階の世界に不平をいう、つまらない人生を送りがちになるモノですから、。

すこしよっぱらいモードの宇治家参去でした。

つーか酔っぱらっている宇治家参去です。

You Tube で グッチ裕三、ハッチポッチステーションはこちらから!!!

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