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人材育成を放棄した組織に未来はない

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 何らかの閉塞状況を前にした人間の取りがちな行動は、“極端”と“徹底”であり、性急に白黒をつけたがる。

 ご多分にもれず、市井の職場(業界中堅GMS)でも、成果主義のかけ声がけたたましくこだまする。

 いうまでもなく成果主義の目的は従業員のやる気を“煽って”会社の業績を向上させることにあるが、その裏、実は、成果をあげぬ従業員を“炙り出して”人員を“整理”することに大きな目的が存在する。
 とはいえ、この発想自体は経営学的には初歩的な対処方法である。“使えない”社員を整理し、人件費を圧縮させることに異論はない。

 ただ……しかし……、ここには見逃しがち大きな落とし穴も存在する。
 ひとつは、“整理”という美名のもとで、その組織が「人材」を失う可能性が存在することである。成果主義の徹底は、長期雇用という視点に立って考えるならば、組織内での“人材育成”を放棄することにつながりかねない。人材育成とは即席栽培とは全く異なる、時間もカネもかかる大事業である。長期的スパンで見た場合、恒常的な人材育成は不可欠だ。しかし、目先の利益にとらわれた組織は、そうした教育や薫陶といった部分を“極端”に切り捨ててしまう。

 しかし、長い時間で見た場合、そうした傾向はいかがなものか……。
 結果は、「人物」が育たず、長い目でみれば大きな不安定材料を内部に抱え込むことになってしまう。後継者を自分で切り捨てた結果は、組織外から莫大な労力を払って人材をスカウトする状況になってしまう。

 さてもう一点は、成果主義の徹底は、過度の結果主義を招くことである。一度達成された結果が水準となり、より高い目標を要求されるようになると、人は過度の心理的圧迫を蒙ることになる。たしかに、より高い目標を設定し、前進していくことは重要だ。しかし、結果しか見られなくなってしまうと、目標に対する“プロセス”や“新しい発想”は出てこなくなる。「なにをやったか」だけで評価され、「なにをやろうとしているのか」に目が向かなくなる。ここには創造性は皆無である。

 社会全体としては、景気は回復基調にあるといわれるが、まったく実感もなく、職場には創造性も触発も、高い目標をクリアする工夫も感じられないと実感する宇治家参去です。
 ご多分に漏れず、うちの職場も、今月、管理職限定だが、全社で、500人ちかい50代プラスマイナス5歳くらいの人々が、早期退社する。すぐれた人材もかなり退社するのですが、「去るも地獄・残るも地獄」です。

「世の中は黒か白かという単純なものでなく、中間色のさま ざまな色合いがあり、理屈で割り切れるものではない」
    --池波正太郎『男の作法』(新潮文庫、1984年)。

 たしかに業績を出したのか否か白黒を決着させる視座は必要だ。しかし、さまざまな取り組みや創造性を否定し、人を育てることを拒否した組織はどんずまりだ。

 その民間企業に、いつまでも居る気がない分気楽ですが、居ざるを得ない人をみていると、胃が痛みます。

 とりあえず、本日は、風邪をおして出勤してきてくれたバイト君を励ます為に、終業後焼き肉です。

 で……帰宅すると、夕食がテーブルの上に存在していた……。

 食べとかなきゃ、細君は怒るだろうな……。

 黒白でもない、中間色をさまよう宇治家参去でした。

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