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投獄された智の勇者たち

Minakata_kumagusu

Henry_david_thoreau

日本の民俗学の草創者の一人にして、民俗学という枠にとどまらず、生涯、博覧強記の智の巨人であったのが、南方熊楠(みなかた・くまぐす)である。
その彼の思想を読み解く優れた入門書の一冊が、鶴見和子『南方熊楠』(講談社学術文庫・昭和54年毎日出版文化章受賞作)である。
この本との出会いが、宇治家さんを、南方熊楠の著作を片っ端から読ませるようになったきっかけだ。熊楠の著作を読まなくなって久しいが、青春時代に熱中した人物の一人である。
さて、昨日、本棚を整理しながら、再び手に取った同書に吸い寄せられるように再読する。著者の鶴見和子女史に関しては、これまで何度も日記で書いているのでくどくどかき立てるまでもないが、彼女自身も社会学というちっぽけな学問の枠組みにとらわれず、優れた業績を次々と残していった智の巨人である。

南方熊楠に関する文献や論文を読んでいるとどうしても、熊楠の思想的な方法論としての「南方曼荼羅」とか、東西文明を広汎にわたって狩猟した民俗論とか、そうしたものに眼が向きがちになってしまう(とはいえごく最近の関連論文は読んでいないのですけどネ)。たしかに熊楠の持つ思想の卓越した独創性を無視することはできない。しかし、それだけにとどまらない、世界史的な智の巨人としての側面が存在すると思われる。そうしたところを本書はそっと教えてくれるのである。

その一つが彼女のいう「南方熊楠とヘンリー・ディヴィッド・ソローの親近性」というところである。

 自己の考えを、生活の中で実践したという意味で、二人とも思想家であった。南方が『方丈記』の訳業を終えたのは、イギリスから帰国して、紀州那智の山奥に独居していたときである。那智山中の独居が、ソローのウォルデン湖畔の自然の中の「孤独」に深い共感をよびおこしたと考えられる。
 ソローと南方の劇的な類似は、投獄事件である。ソローは米墨戦争に反対して、六年間人頭税を払わなかったために、一八四六年七月投獄され、一夜を牢獄の中で明かした(ソローがたった一夜で開放されたのは、多分伯母がソローには知らせずに、人頭税の滞納金を支払ったからだともいわれている)。たった一夜のおかげで、ソローは不朽の名著「市民の不服従」を書いた。これを読んだガンジー(Mahatma Gandhi,1869-1948)、キング(Martin Luther King,1929-1968)等によってうけつがれ、非暴力不服従運動の世界史的な潮流を創った。一九七〇年代には、『ソローが牢獄で過ごした一夜』という劇が書かれ、オハイオ州立大学を皮きりに、アメリカ全土の大学およびコミュニティ劇場で、およそ百回におよび上演され、ベトナム反戦運動の高潮期に、非常な反響をよんだ。
 南方は、神社合祀反対運動に十年のたたかいを続け、その間に、十八日間投獄された。そして数通の合祀反対意見書および書簡を、書いた。
 ソローの米墨戦争反対--投獄と、南方の神社合祀反対--投獄とは、現代につらなる重要性において、またその独創的で劇的な運動形態において、東西の双璧である。にもかかわらず、ソローの「市民の不服従」ほどに、南方の「神社合祀反対意見書」は読まれていない。ソローも、南方も、いわゆる「政治的」な人間ではなかった。非政治的人間が、自分の学問的、哲学的信念から、行動をおこすとき、後の代にまで感動の余韻をのこすような、すぐれて政治的な結果をよびおこす、という意味でも、二人は近似している。
    --鶴見和子『南方熊楠』(講談社学術文庫、1981年)。

非政治的人間が、自分の学問的、哲学的信念から、行動をおこした余韻は、どこまでも続いていく。目の前の不正や虚偽に対して、心底から、溌剌としたNOを叫ぶ時、それは本物になるのであろう。

ともあれ、投獄された智の勇者たちこそ、“本物”の“等身大”の“人間”である。

 さて、最後に、南方熊楠には「日本にあるほどのことはヨーロッパにあり、ヨーロッパにあるほどのことは日本にもある」という人間の普遍性についての信念がある。地球的規模で固有性と普遍性をどのように識別し説明するかが、南方熊楠の課題であったと鶴見和子は解説するが、水俣病へ深い関心を示した彼女の横顔を思い出すと、どうしても鶴見和子と南方熊楠が重なって見えてしまうのは、おそらく宇治家参去ひとりではあるまい。

ちなみに以下はその記念館のURLです。
http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/

南方熊楠―地球志向の比較学 (講談社学術文庫 528) Book 南方熊楠―地球志向の比較学 (講談社学術文庫 528)

著者:鶴見 和子
販売元:講談社
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コメント

>非政治的人間が、自分の学問的、哲学的信念から、行動をおこした余韻は、どこまでも続いていく。

「余韻」って表現はとても迫力がありますね。
流石です。

投稿: まっと | 2007年11月 9日 (金) 03時35分

まっとさんへ。
書き込みありがとうございます。

(プロの)政治家(屋)の発言と行動は、まったく、民衆を無視したもので、響きませんが、信念から発した民衆の叫びは、「余韻」をもって響き続けていきます。
そうした余韻を出せるような、本物の哲学者になりたいと思う宇治家参去でした!

投稿: 宇治家参去 | 2007年11月10日 (土) 01時17分

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