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「深川・千鳥橋」

001

 町へ出た五郎蔵は、かの相模の彦十の住居へ入った。彦十は、本所・三笠町一丁目の裏長屋に暮らしている。
 「大丈夫でございましょうか、五郎蔵ほどのものを野放しにしておいて……」
 酒井祐介が不安げに問うや、
 「五郎蔵は、万三の顔をよく知っているそうな」
 「それならば、鰻やの金兵衛とか申す男を捕え、泥を吐かしましたほうが……」
 「それならわけもないことさ。だが、そうしたら、このおれが五郎蔵を騙して口を割らせたことになる。大和屋金兵衛に手はかけぬと約定したおれの一言。これはな、酒井。男の約束というものだ。相手が将軍様(うえさま)であろうとも、もと盗賊であろうとも、おれにとっては変わらぬことよ」
    --池波正太郎「深川・千鳥橋」、『鬼平犯科帳 5』(文春文庫、2000年)。

 大工の万三は、盗賊仲間では〔間取りの万三〕とよばれ、盗賊に家屋敷の間取り図をうりつける裏の稼業をもっている。病気〔労咳〕で死期を悟った万三が、情婦に金を残そうと、盗賊・鈴鹿の弥平次に接触する。鈴鹿の弥平次といえば盗賊界の老舗の一つだが、ためらいもなく急ぎばたらきをこなす冷酷無惨な兇賊になりはてていた。万三は弥平次の罠に陥るのか……。密偵・大滝の五郎蔵の初仕事を描いた作品が上に引用した「深川・千鳥橋」です。

 金鉄の一言ともいうべき男の約束を守る長谷川平蔵の活躍を無心に読み続けると心が洗われます。
 約束を守らず、ひとを平気で裏切り、恩を仇で返す連中が横行するこの世の中で、そうした矛盾を自覚しつつも、(相手が将軍様(うえさま)であろうとも)これだけは譲れない一点を持ち、筋を通していく生き方と言葉に、自分を見つめ直す・ヘタレの宇治家参去です。
 恩は押しつけるものではなく、報恩を感謝できる心をもつ人間が無心に光らせる人間力であると実感します。

 おそらく、それを長谷川平蔵は行動だけでなく、そのこころとからだから紡ぎ出す真実の言葉がそれを解き放っているのではないかと思わざるを得ません。
 鬼平の語ることばは、おそらく、耳から耳へ流されてゆく、音としての言葉ではなく、心に留まり、なおも余韻をひきずる真実の人間の叫びに違いない。

さて、この話のラストから。

 一味(引用者註--兇賊・鈴鹿の一味)が引き立てられ、高張り提灯がこれを取り巻いて、油堀沿いの道を西へ進んで行った。そのあとに駕籠が一つ。
 「万三」
 「へい」
 「あの駕籠へ乗れ」
 「えっ……?」
 「乗って、あの女と共に、好きなところへ行け」
 「げえっ……」
 「こいつ、よくおどろくやつだの」
 平蔵が、小判を懐紙へ包んだものを、きょときょとしている万三のふところへ入れてやり、
 「お前、あと三月(みつき)も保(も)てばよいほうだな」
 「へ……」
 「死にぎわは、きれいにしろよ」
 突き入れるように万三を駕籠の中へ押しこみ、お元へ、
 「行けい」
 「は、はい」
 駕籠は、道を東へすすむ。
 油堀へかかる千鳥橋を北へわたって行く、その駕籠の提灯のあかりをながめている平蔵の傍らへいつの間にか屈みこみ、これも凝(じつ)と駕籠の行方を見送っている大滝の五郎蔵へ、
 「これで、よいな」
 と、長谷川平蔵がいった。
 返事のかわりに、五郎蔵の号泣がおこった。
 いつしか、風は絶えていた。
    --池波正太郎「深川・千鳥橋」、『鬼平犯科帳 5』(文春文庫、2000年)。

002

 今日は軽く「金麦」です。日曜に、市井の仕事で米を売り場から撤去する際、腰を痛めてしまい痛飲すると、腰から右背中上まで激痛なものですから……とほほ。

 さて……
 “ほんとう”に「男が泣く」姿は美しい。

 こうした涙を流さなくなって久しいが、学生時代は11月によく泣いたものです。またほんとうに「泣く」男たちをよく見かけました。ノスタルジアで終わらせたくない青春の一頁です。

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