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「君子の交わりは淡きこと水の如し」

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 交通ルールは何のためにあるのか。もちろん事故を減らして、死んだりケガをしたりする人を減らすためだ。しかし、国家というシステムはひとたび法律が制定されると、何のために法律があるのか忘れて、法律を守らせること自体を人々に強制する装置になってしまう。たとえば、シートベルトの着用を義務づける交通ルールがある。シートベルトを装着しないで損害をこうむるのはシートベルトをつけていない本人なのだから、これを法律で強制することはバカげている。究極のパターナリズム(おせっかい主義)である。国家の決めることは何でも正しく、国民は無知な子供みたいなものだから、国家の言うことをハイハイと言って聴いていればよい、という考えである。
 パターナリズムを許しておくと、しまいには体にいいから毎日運動をしろとか、毎日野菜を食べろと言い出しかねない。違反した奴は罰金だ。ここまで書けば、誰だってそんな制度はおかしいと思うだろう。余計なお世話だと思うだろう。オレが何を食おうとオレの勝手ではないか。しかし、そう思っているアナタが、シートベルトの着用を義務づける交通ルールをおかしいと思っていないとしたら、アナタはすでにパターナリズムに冒されている。国家指定の健康野菜を毎日律儀に食べ、国家公認の健康体操を毎日律儀にするようになるのも時間の問題かもしれない。
    --池田清彦『他人と深く関わらずに生きるのは』(新潮文庫、平成18年)。

 著者の池田清彦氏は、昆虫を専門とする科学者。「構造主義科学論」をひっさげ、代々木系の科学の真理論を批判しつづけたことでも知られる論争屋。その評論活動は、多数派の情緒的正義を討つもので、激論かつ毒舌だが、いつも読んでいて納得する部分がおおいのも事実である。

 本書のタイトルは、『他人と深く関わらず生きるのは』。しかし「他人と深く関わらずに生きる」とは「自分勝手に生きる」ということではない。自分も自由に生きるかわりに、「他者の自由な生き方も最大限認める」ということに他ならない。
世の中には様々な人間が存在する。他人と深く関わって生きたい人も、ヘソ曲がりも、お人好しも、(志向としての)ヘンタイもいる。これらの人が、皆それなりに幸せに生きるには、互いに相手の自由を尊重する必要がある。しかし、自分にある程度、(精神的・物質的なモノをふくめて)余裕ががなければ、他人の自由を尊重する寛容さを維持するのは難しい。

 問題は人だけでもない。社会全体が不況続きで、社会のなかの余裕がうすっぺらくなってしまい、どちらかというと原理主義に傾きやすくなっているのが昨今の現状だ。しかし、その社会全体も、個々の人間から形成された集団であることも忘れてはならない。

 いずれにせよ人間は一人ではいきていけない。19世紀のアナキストたちが夢想したように社会や国家というシステムを破壊し、荒野で独り生きていくことは不可能だ。だからこそ国家や社会というシステムを絶対視するのでも、滅却視するのでもなく、相対化していく視点が必要だろう。そういう意味で、そろそろ国家というコントロール装置の馴致から脱却したいものである。

とか……書きつつワーキングプアの宇治家参去です。
これから、大学へ出かけて、個人情報保護に関する「教職員研修会」です。自分の個人情報が不手際に扱われるの嫌であるとすれば、自分が他人のそれを扱う場合も、自分が嫌だと思うような扱い方をしてはならないだろう。それが互いに相手の自由を尊重する生き方の流儀の原初にあるものである。ただ、しかし、個人情報に限らず、そうした生き方の流儀が勉強会だとか研修になってしまうと、なんだかつまらないモノになってしまうのも事実である。不思議なモノですね。

秋晴れの天空と風の心地よい午後ですね。
さあ、出かけますかね。

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著者:池田 清彦
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