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富士の高嶺を知らざるか……。

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 ときどき無性に読み返したくなるのが中国の古典です。最近、思い出したように読み返しているのが『孟子』です。

 えっ、『孟子』なんて、儒教のそれでしょ?
 儒教なんて、封建制度をささえた古臭いイデオロギー、もしくは道徳でしょ?

 そんな声が聞こえてきそうですが、実際、読んでみますと、面白いものです。
 評価(体制イデオロギーとしての儒教)と実際(孔孟の肉声)は、かなりちがうところを実感できます。

 その実感とは、とやかくいわれていますが、偉大な人物ほど、その真の姿が伝わりにくいということである。
 さて……
 偉大であればあるほど、神格化されたり、その逆に、ときには厳しい批判に晒されるのが人間世界の現実である。孟子や、その先達となる孔子も、そうした典型的な思想家の一人である。
 儒教は、漢の武帝によって国教化された結果、官学として大きな地位を保つことになった。それにともない孔子や孟子の神格化が進み、官学としての儒教の地位は揺るがないものになった。その権威が地に落ちるのは辛亥革命(1911)を待たなければならない。
官学となった儒教や孔子たちの神格化は、儒教が封建的な支配体制を支え、強化する思想として、政治によって利用された結果でもある。体制維持のために思想や宗教がつかわれるとき、もともと保っていた思想の清新さや溌剌さは、固定化したイデオロギーへと転化してしまう。その結果、思想は生き生きとした性格や息吹を失い、むしろ時代や人間の進展を阻害することにもなる。
 封建制度を支え、強化したイデオロギーとしての儒教は批判されても当然であろう。

 しかし、しかしながらである。

 洗い桶から産湯を棄てるとき、お湯と一緒に赤子まで捨て去る必要はない。
 なぜなら、孔子や孟子の(彼等が書いたと伝えられる)著作には、等身大の人間主義に徹した彼等の魂の叫びが聞こえてくるからである。

 今日はその『孟子』からひとつ。

孟子見梁恵王、王曰、叟不遠千里而来、又将有以利吾国乎、孟子対曰、王何必曰利、又有仁義而已矣、王曰何以利吾国、大夫曰何以利吾家、士庶人曰何以利吾身、上下交征利而国危矣、萬乗之国弑其君者、必千乗之家、千乗之国弑其君者、必百乗之家、萬取千焉、千取百焉、不為不多矣、苟為後義而千利、不奪不厭、未有仁而遺其親者也、未有義而後其君者也、王亦曰仁義而已矣、何必曰利、
    --『孟子』巻第一 梁恵王章句上(小林勝人訳注『孟子(上)』(岩波文庫、1968年))

孟子梁の恵王に見ゆ。王曰く、叟(そう)、千里を遠しとせずして来る。亦将に以て吾が国を利するあらんとするか。孟子対(こた)えて曰く、王何ぞ必ずしも利を曰はん。亦(ただ)(惟)仁義あるのみ。王は何を以て吾が国を利せんと曰い、大夫(だいふ)は何を以て吾が家を利せんと曰い、士・庶人は何を以て吾が身を利せんと曰いて、上下交(しょうかこもごも)利を征(と)(取)らば、而(すなわ)(則)ち国危からん。万乗の国、其の君を弑する者は、必ず千乗の家なり。千乗の国、其の君を弑する者は、必ず百乗の家なり。万に千を取り、千に百を取るは、多からずと為さず。〔然れども〕苟も義を後にして利を先にすることを為さば、奪わざれば厭(あ)かず。未だ仁にして其の親を遺(す)つる者はあらざるなり。未だ義にして其の君を後(あなど)(忽)る者はあらざるなり。王亦仁義を曰わんのみ。何ぞ必ずしも利を曰わん。

孟子がはじめて梁の恵王にお目にかかった。王がいわれた。「先生には千里もある道をいとわず、はるばるとお越しくださったからには、やはり〔ほかの遊説の先生がたのように〕わが国に利益をば与えてくださろうとのお考えでしょうな。」孟子はお答えしていわれた。「王様は、どうしてそう利益、利益とばかり口になさるのです。〔国を治めるのに〕大事なのは、ただ仁義だけです。もしも、王様はどうしたら自分の国に利益になるのか、大夫は大夫でどうしたら自分の家に利益になるのか、役人や庶民もまたどうしたら自分の身に利益になるのかとばかりいって、上のものも下のものも、だれもが利益を貪りとることだけしか考えなければ、国家は必ず滅亡してしまいましょう。いったい、万乗(まんのくるま)の大国でその君を弑(あや)めるものがあれば、それは必ず千乗(せんのくるま)の領地をもらっている大夫であり、千乗の国でその君を弑めるものがあれば、それは必ず百乗(ひゃくのくるま)の領地をもらっている大夫であります。万乗の国で千乗の領地をもらい、千乗の国で百乗の領地をもらうのは、決して少なくはない厚録です。それなのに〔彼らが〕十分の一ぐらいでは満足せず、その君を弑めてまでも〔全部を〕奪いとろうとするのは、仁義を無視して利益を第一に考えているからなのです。昔から仁に志すもので親をすてさったものは一人もないし、義をわきまえたもので主君をないがしろにしたものは一人もございません。だから王様、どうかこれからは、ただ仁義だけをおっしゃって下さい。どうして利益、利益とばかり口になさるのです。」

 『孟子』の冒頭部分です。利益ばかり血眼になって探求する指導者に対して、孟子先生は「利益、利益といいなさんな、それより先に考える・探求べきことがあるんじゃねえの」とぴしゃり。

 聴いている方が青くなるようなやりとりです(よくも殺されなかったもんですよ)。

 孟子は利益そのものを否定しているわけではない。
 利益を求める人間の欲望は無限大である。そうした欲望の虜になった結果、己を見失い、最後には自滅するのが人間である。
 現実には、(例えば何か修行とかによって)欲求や欲望を100%滅却することは不可能である。そうであるとするならば、そうした自己の暗部を直視しながらも、振り回されずに、コントロールしながら、人間関係のありかたの基礎となる普遍的な徳(仁義)をおさめ、自己と自己との関係において、そして自己と他者との関係において、そして自己と環境(宇宙)との関係において、よりよき関係を構築していった方が賢明であろう。
 孔子や孟子の言葉に耳を傾けると、自己の矛盾を自覚しながらも、振り回されず力強く生きていく励ましのように思えて他ならない。

 ついでに言えば、先に引用した冒頭部分のやりとりを、論語とかの言葉をモットーに掲げる政治屋さんとか、自分しか見えていない巷の傍若さんたちにきかせてやりたいものです。

 さてさて……。
 写真は、市井の職場からの夕景。
 この季節、寒いのは寒いのですが、透明度が増し、景色が美しいですね。
 富士の高嶺を知らざるか……。
 富士のシルエットの美しい武蔵野の夕景でした。

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