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『誰か故郷を想わざる』

1  花摘む野辺に 日は落ちて
  みんなで肩を 組みながら
  唄をうたった 帰りみち
  幼馴染みの あの友この友
  あゝ誰か故郷を想わざる

2 ひとりの姉が 嫁ぐ夜に
  小川の岸で さみしさに
  泣いた涙の なつかしさ
  幼馴染みの あの山この川
  あゝ誰か故郷を想わざる

3 都に雨の 降る夜は
  涙に胸も しめりがち
  遠く呼ぶのは 誰の声
  幼馴染みの あの夢この夢
  あゝ誰か故郷を想わざる

    --西条八十『誰か故郷を想わざる』(昭和15年)。

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 先ほど、出張先の高松より帰宅。帰りにMiuryaにて、筑波鶏の焼き鳥(たれ)と、ベトナムを代表するビール『333』(ばーばーばー)をゲットして、一息ついたところです。

 出張前に書いたとおり、今回の訪問先が実は実家のあるところで、前日は実家に宿泊し、あとはホテルで、大学の地方スクーリング(倫理学)を行ってきました。

 最初に引用したのは、霧島昇の歌でヒットした『誰か故郷を想わざる』ですが、歌詞のとおり、2年ぶりの訪問は、様々な発見と感動の旅となりました。

 澄んだ空気と水、そして老いた母と旨い酒。地域のひとびとの暖かさに見守られての2泊3日の旅でした。

 さて、今回は、受講者数11名で、ゆっくり・じっくりと懇談的になごやかなムードで授業が行えました。受講生の皆様に感謝です。どうしても夏期スクーリングのようなかたちですと受講者数がかるく百名をこえてしまうので、こまかいところまで手が届きにくいのですが、地方スクーリングの場合、かえって痒いところにまで手が届くとでもいえばいいのでしょうか--じっくりできるところがいいですね(ただ、その分、進行速度はきわめて遅くなっちゃうのですが)。

 で……、いつも関心させられるのは受講される通教生の意識と向学心の高さです。授業自体は週末に設定されていますが、日々の仕事をこなし、家事をこなし、そして、学習の時間をつくり、授業にはせ参じてくる姿に、いつものことですが、こちらも真剣勝負で、毎回、最高の授業をめざして取り組まなければ、そして、ひとりひとりが、地域に根ざした人間主義のリーダーとして、根柢的に活用できるような授業にしていかねばとつくづく考えさせられます。

もっとも、倫理学とか哲学という学問は、語学に代表されるスキル系の科目と異なり、「暗記してなんぼ」という学問ではありませんので、教える方もマニュアルがない分、苦労苦労の連続ですが、自分で学問を創造していく楽しみ、学生と共有していく楽しみは代え難いものです。

カントは、「哲学ではなく、哲学することを学べ」と言いましたが、倫理学という学問もそうした学問のひとつであるとするならば、おそらく、本当の倫理学とか哲学というものは、教室で教科書を紐解いた時に始まるのではなく、授業が修了し、ひとりひとりが、教室を去り、自分自身の現場へ戻った時に立ち上がる学問ではないのかと最近想っています。

そうであれば、今回受講された11名の方々が、ひとりひとり、その人にしかできない、その生きている現場で、倫理(学)の意味を問い、根柢から力強く考えていけるようになれば、これ幸いと思うものです。

さて、ぼちぼち寝ないと明日は朝一で、これまた短大の哲学の授業です。

香川での食べ歩き紹介は、また後日……。

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