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小賢しく無感動の状態

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Kierkegaard

 現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激にぱっと燃えあがっても、やがて小賢しく無感動の状態におさまってしまうといった時代である。……善か悪かという質の上の選言的(せんげんてき)な対立が、徐々にむしばむ反省によって弱められると、人の世にあいまいさが支配することになる。
    --キルケゴール(枡田啓三郎訳)『現代の批判』(岩波文庫、1981年)。

先日、小学校の教員をやっている先輩と話す機会があったが、いまのこどもたちを象徴する性質としてつぎのようなあり方を指摘されていた。
すなわち、「(ものごとに)感動すれば、涙までながして感動するが、場面がかわるとスイッチが即座に切り替わり、そのことの感動をわすれドライに行動する」とのことだそうな。

たとえば、ひとの暖かさや死に関して、なにがしかを学習した場合、たとえそれがうまくつくられた話であったとしても、それにのり、感動するのであるが、その授業がおわると、即座に、そうしたことを学ぶ以前の冷徹なけものになりかわる--そうした意味合いでかたったのだと思われる。

たった2-3分の立ち話でしたが……
「それは子供だけでじゃなく、(われわれも含めた)大人にも当てはまるよね」
   ……という淋しいオチで終話しました。

キルケゴールの叫びではありませんが、現代人は、物知りだが情熱がない。どの道に行くべきか、わかっているのに進まない。知らないふりをしているのがかっこいいと錯覚でもしているのでしょうか。

さて……
何かを学ぶ、何かを体得すると言うことは、その文言だけを暗記したり、公式運用のルールを覚えるだけではない。こころと実践に刻み込むのが、何かを学ぶということではないだろうかと、最近つくづく実感しております。

さて、そうした意味で、教育だけの問題でなく、つくづく学生時代からながく考えているのが近代・現代社会のあり方の問題であります。そういえば最初のキルケゴールの著作も『現代の批判』ですね。

(名前と典拠は失念しましたが)ある歴史学者が、「仮にタイムマシンがあった場合、われわれがなんとか生きていけるのは産業革命以降の時代だ。それ以前の時代では物質的な生存は可能だとしても、トータルに生きていくことは不可能であろう」(趣意)といったそうだが、まさしく、そうした社会が近代・現代の社会のあり方であり、それにどっぷりつかっているのがいまのわたし自身なのだと思います。

効率性、採算性が重視され、熾烈な競争の演じられた近代社会は、それまでの社会(人間の共同体)と根本的に全く異なるありかたを形作った。

有限即無限を誤読し、現世や浮世をを永遠と錯覚したのがいまのわたしたちの社会なのではなかろうか……。そう思わざるを得ません。

かつて、戦中に、近代の超克を論じたカトリック系の神学者に吉満義彦という知識人がいたが、他の近代の超克論者にくらべ、知名度はほとんどありませんが、その彼が面白い言葉を語っています。

中世的人間はカトリック的人間であるかぎりは歴史を通じて永遠である。それは歴史的人間規定ではなく、神学的形而上学的人間規定として本質的に超自然てな霊性規定であったからである。
    --吉満義彦「中世的人間と近代的人間」、『吉満義彦全集 第1巻』(講談社、1984年)。

吉満も、その師であったマリタンも、基本的には近代社会を批判した「中世至上主義」者である。しかし、それは、歴史的個別の事実としての西洋中世社会を最高と模し、そこへ帰れ!という意味の現世を撃つ思想であったのではなく、(歴史的中世においてたまたま事実化したわけだが)その中世のもっていた永遠なるものという価値は現代でも有効ではないのか、そう問いかけているようにおもわれます。

健全(=まとも)な「分別」とは、「分断」ではない。
健全(=まとも)な「反省」とは、閉じた「独り言」とは無縁である。
そして感情のわからない人には、ひとはついてこない。

そうした、自分自身における「創造の秩序の回復」(吉満義彦)こそ、“小賢しい無感動の状態”を跳ね返すのではなかろうか……。

で……
今日も、まとまりなくすいません。
 たまの休日でしたもんで、子供と“ウルトラマン大怪獣バトルごっこ”をしたあとに呑んだ、冷や酒がきいています。
  話半分で聞き流して頂ければ……

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とかきつつ、蛇足ですが、YouTubeに真剣な動画があったので、最後に一つ。
   You Wa Shock!(Ai Wo Torimodose)

You Wa Shock! YouTube動画はコチラから

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