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自分自身の幸福を確保することは義務である

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君自身の人格ならびに他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性をいつでもまたいかなる場合にも同時に目的として使用し、決して単なる手段として使用してはならない。
    --イマヌエル・カント(篠田英雄訳)『道徳形而上学原論』(岩波文庫、1976年)。



どうも宇治家参去です。
昨日、ちょうど、詐欺に巻き込まれた(?)おじいさんの話をしましたので、そのついでに、カントの言葉を紹介します。

人格(人間の全人性)を手段としてはいけない、いついかなるときにも目的として扱わなければならない--有名なカントの名言です。

人間はともすれば、自分以外の人間を自分がなにかをなす際の“手段”として安易に“利用”してしまう傾向をもっている。ちいさなレベルから、大きなレベルにいたるまで、そうした事例には事欠かない。

オレオレ詐欺から、社保庁の役人、そしてテロリストの親玉から、反テロ戦争をけしかける政治屋にいたるまで、かれらのなかには、「他のすべての人の人格に例外なく存するところの人間性」を尊重する心根はまったく存在しないのだろう。彼らにとって、ほかのすべての人間は、利益を達成する手段にすぎない。

目的と手段の混同が、さまざまな悲劇を誘発してきたのが人間の歴史である。労働者のため!との叫びが、労働者自身を苦しめる結果になった革命の歴史、そして、自国民のため!とのスローガンは、結果としてその国民に塗炭の苦しみをもたらした。

まさに定言命法(君の行為の格律が君の意志によって、あたかも普遍的自然法則と〔自然法則に本来の普遍性をもつものと〕なるかのように行為せよ)ではありませんが、カントのつぶやきは、時代や歴史、そして文化と風土をのりこえ、ひとりの人間としてひろくあてはまる公理のように思えて他ならない。

さ、新年まで、あと一息。ダレることなく、「傾向によるのではなくて、義務に基づいて幸福を促進」(カント前掲書)していこうかな。

そういえば、この『道徳形而上学原論』でカントは面白いことを言っています。さいごにひとつ。



自分自身の幸福を確保することは義務である。
    --イマヌエル・カント(篠田英雄訳)『道徳形而上学原論』(岩波文庫、1976年)。



カントにおける“義務”とは、人間をしばりつける掟ではなく、人格の発展を促す跳躍板のようですね。


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