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道は邇きに在り

200801021713_007

Watsuji

とにかく、和辻哲郎の文章は、流暢で、読み手を読ませます。
たとえば……

 今日は雨の中をピサ見物に行って来た。ヨーロッパの北の方ではあまり経験しなかったが、イタリアへくると、たまには日本らしい雨が降る。今日などはそれで、相当びしょびしょしている。しかしピサでは、中央寺院や墓地を見ればまずそれでよい、というわけで、雨の中を行って来たのである。
    --和辻哲郎『イタリア古寺巡礼』(岩波文庫、1991年)。

とても戦前の文体には思えません。この和辻哲郎に一番、惑溺したが、ちょうど大学3年生のころだったと思う。はじめに、『風土』を、つぎに『古寺巡礼』、そして『人間の学としての倫理学』--。そういう流れでやたらに読みふけった記憶があり、古い版だが、神田の古本屋で岩波版の全集を買い求め、あらかた読みつくしたものである。

だが、ぷっつりと読まなくなった。

なぜか?

当時の私には、和辻倫理学の焦点がいまひとつピンとこず、「当たり前の論説に過ぎない」と退けたからだ。
難解な言語を駆使した華々しいフランス現代思想に魅力を感じたのもこの頃のことである。。
以後、大学で倫理学を講じるようになるまで、和辻を紐解くことはなかった……。

今思うと厚顔のいたりである。

では、なぜピンとこなかったのか--。
和辻の文章は確かに読みやすい。しかも古今東西の古典を渉猟しつつも、最新の学知を統合する手法で、倫理や文化を語るわけですが、その読みやすさに甘えてしまい、そこでかたられる、たとえば「倫理とは何か」、「ethicsとは何か」--等々、そうした部分があまりにも生活に立脚した普段の言葉遣いで語られているがために、かえって見過ごしてしまい、ピンとこなかったわけである。

孟子の言葉に次の一節がある。

道は近きにあり、然るに人これを遠きに求む。事は易きにあり、然るに人これを難きに求む。
    --孟子(小林勝人校註)「離婁上」、『孟子』(岩波文庫、1968年)。

人はともすれば、大切なもの、価値あるものが身近にあるとはなかなか思えず、それらをどこか遠方に求めてしまう。思えば、和辻を読みふけった、独り暮らし学生時代とは、どこか生活のにおいのない、勝手気ままな生活だったと思う。朝まで本を読んでいたかと思えば、夕方まで寝たり、徹夜で学校へいくかと思えば、バイトで授業を欠席したり--。
そこには、人間の生の生活は存在しない。ゆえに、生活を冷静に見直しながら、あるべき根本理法を追求した和辻の言説が、どこかちっぽけにみえ、真理とは、どこか遠くの、すばらしい世界に存在するのでは--なんて思ってみたりしたものである。

まさに、近すぎて見えなかったのだ。

さて、この孟子のコトバを、和辻哲郎は、『倫理学』の「序言」の末尾で引いている。

倫理そのものは倫理学書の中にではなくして人間の存在自身の内にある。倫理学はかかる倫理を自覚する努力に他ならない。道は邇(ちか)きに在りとは誠に至言である。
    --和辻哲郎『倫理学 (一)』(岩波文庫、2007年)。

倫理学はかかる倫理を自覚する努力--なかなかいい言い方ですね。

さて、熱が下がらないのでとっと寝ます。

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