偉大な思想に生き抜く
浮き世に佇む宇治家参去です。
2008年の開幕、誠にもっておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。
今年の元旦だけはどうやら市井の仕事がお休みですが、前後はがっちりと組まれてい、来週からは、大学の講義も始まるので、休みどころか、仕込み作業で忙殺です。
とはいえ、ゆっくりと起き、新年の用事をすませ、夕方から先ほどまで、書類と文献とPCと格闘し、今から御屠蘇です。
来年は、家族と祝える環境へ切り替えたいものですね。
とか書いていると、勤務先の市井の職場の店長から電話--。
「マジかよ」と思って出てみると、
パソコンとデジカメの接続方法の問い合わせだった。
「お願いしますよ~」。
それでは、気を取り直して、ヒルティの言葉から……。
一月一日
たえず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい。これは一般的にいって、人生の多くの苦渋と心配事を最もたやすく乗りこえる道である。
最も偉大な、しかも同時に、一般に最もわかりやすい思想は、現在では、キリスト教の形をとる神の信仰である。
しかし、古い時代から今日まで、いじけた、あまりに偏狭な性質のキリスト教も存在した。これは、キリストの本性とその教えに合致しない、あるいは少なくとも完全には合致しえないものであり、実際、そのためにすでに多くの心の立派な、教養の高い人びとが、キリストの教えから遠ざかったのである。
もしあなたが人生の幸福をこころから望むならば、キリスト教を神学や教会主義と取替えてはならない。むしろ、あなたは自分でキリスト教をその源において、すなわち、福音書のうちに、とりわけキリストみずからの言葉のなかに、求めなさい。キリストの言葉と比べられるものは、どんな哲学にも見いだすことができない。
マタイによる福音書二一、同胞教会賛美歌六七番、六九一番。
われわれは、ときとして、自分がどんなに強く浄化され、どのような方法で浄化されたいかを、みずから選ぶことができる。しかしそのうちに、品性の純金は、ただ強度の、しかもたびかさなる精煉によってのみ得られるものだということを、はっきり悟るにちがいない。
病気は、それが正しく理解され善用されるならば、心の純化に到達する、手っとりばやい方法である。
イザヤ書四八の一〇、サムエル記下二四の一三-一六。
--ヒルティ(草間平作・大和邦太郎訳)『眠られぬ夜のために 第一部』(岩波文庫、1973年)。
ヒルティの言葉は、いつ読み直しても、静かな響きですが、決然とした決意と卓越性が秘められています。
ちょうど、一年のはじめですので、一月一日のところを引用してみました。
「たえず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい。これは一般的にいって、人生の多くの苦渋と心配事を最もたやすく乗りこえる道である」。
悲喜交々織り交ぜられた実態が人の生の現実である。宿命や運命に翻弄されるだけでなく、日常の些事にも篭絡されるのが、生きている現実です。その現実の中で、どのようにすれば、決然と前へ進めるのか、年頭を飾るヒルティの言葉は、そっと教えてくれるようですね。聖書の言葉を引きながら語るヒルティは、いうまでもなく、キリスト教信仰の立場からのそれであるが、深い英知と誠実な体験に支えられたその言葉は、そうした文化的枠組みを突き抜け、あらゆる立場の人々の心を強く打つ。
まさに「人生の多くの苦渋と心配事を最もたやすく乗りこえる」一年にしたいものです。悩んでいても始まらない。まずは、決めて動く--そうした決意で本年は進んでまいりましょう。
さて、そろそろ、一杯やり始めましょうかね。
細君と息子さんが帰省したため、たったひとりですが、一応、おせちもセッティングしましたので。
では、皆さん、本年もよろしくお願いします。
眠られぬ夜のために〈第1部〉 (岩波文庫) 著者:ヒルティ |
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