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名も無きビーフカレー

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上方を特徴づけるものとは一体何か。
それは、人間の躍動的なエネルギイであり、生命力である。
大都会という意味では東京も大阪も、そして各地のいわゆる政令指定都市も同じである。
しかし、光景としては同じようなビルが林立していようとも、全く違うのだ。
そして都市としての上方を際だたせているのが、先に言った通り、そこに生きる人間の躍動的なエネルギイがそれであろう。
上方の都市には、くどいくらいに、人間のエネルギイが充溢しているのである。
同じ都市である東京と異なり、巷に剥き出しの生が満ち溢れ、その力はひとをひととして包み込む慈愛の炎をとして燃え上がる一方で、欲望や怨嗟の鉈としても襲いかかってくる。

むろん、上方以外の大都市にも同じエネルギイは存在する。しかしそれは、丁寧に隠蔽されており、旅人も、住人も伺い知ることは容易くない。
しかし上方の都市には、その力が街々にあふれている。いわばケとハレが渾然一体となっているのである。

エルメスのバックを小脇にかかえ颯爽と街を駆け抜ける美女の傍らを、金時計をちらつかせた、その筋の凄みのある男が通り過ぎる。耳を澄ませば元気なおばちゃんたちの大談笑。そしてベンチで昼寝を楽しむホームレスのおじさんの前をアイスを食べながら通り過ぎる女子高生たち・・・
すべての人間が街の風景になっている。そしてどれもが違和感がないのである。
東京ではこうはいかないだろう。誰かが輝き、誰かが場違いとなる、そういう街だからだ。
どちらが偉い、とか、素晴らしいとかそういうことではない。包み込むのも人間であれば、隠すのも人間である。どちらもそれが人間であること現実だからである。一面だけを見たのでは、ひとを理解することは不可能である。
私は東京で暮らし東京が好きだ。
そして、時折訪れる大阪も大好きだ。
そして街が好きだ。それを人間が作り、そしてそこに生きているからである。

だから人間は空き家に恐怖し、そこに幽霊を見る。人間が本来はそこにいなければいけないはずなのに、長い間人間が不在しているから、恐ろしいのだろう。
    --宇治家参去『上方記聞』(参去書院、2008年)。

どうも宇治家参去です。すこし印象批判めいた創作で始めてしまいましたが、大阪印象録を落ち着いて流すように書いてみました。

大都市にも関わらず、包容力満ちあふれる魅力的な都市が大阪なのでしょうか。大阪と違って東京はシャイな街かもしれません。恥ずかしくて大ぴらには感情を表出しませんから。そんなことを考えさせられました。

さて、写真は、スクーリング会場(大阪科学技術センター)ちかくの靫公園脇にあったカレー屋さん。初日(1/26土)の昼食で訪れた。

店内は7-8人で満席で、店には屋号もなく、ビーフカレーの1本勝負。並と中盛のみ、オプションで生卵がつく。
カレーは丁寧に煮込まれた欧風カレーで、ごろごろ野菜を煮たり、肉を煮詰めたりはしていない。ライスに添えられた野菜は温野菜で、別に調理した牛すじ肉がよそわれ、そこにカレーをたっぷりかけている。

うまい!

大阪へ行く機会があればどうぞ。

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