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やまとで飲む

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 三十九石の家は古くて狭いが、畑にもなる庭は広くとられていて、縁側から庭の端へ声をかけるには遠いほどである。お早うござります、とあまが辞儀をするのを、輔四郎はすがすがしい気持ちで眺めていた。垣根の向こうには小さな草むらがあり、あまは朝餉の支度を終えると、よく庭へ出て、虫の鳴き真似をする。垣根越しに草むらの虫たちを呼んだり、語りかけたり、本物と区別のつかない声で鈴虫や邯鄲(かんたん)を鳴き分けるので、輔四郎はひとりで虫の音を聞くときなど、ひょっとしてあまではないかと思うことがある。彼女ほど季節の移ろいに敏感な人もなく、いつの年も虫たちより早く秋の気配をとらえて、ピルルル、ピルルル、と誘うように鳴き真似をはじめる。輔四郎が夏の終わりを知るのも、そうしたときであった。
 大方の人間は季節が変わり終えてから気付くのであって、晩夏が初秋に変わる瞬間までは分からない。ましてや酒の入った夜のこととなると、五感が鈍り、ただでさえ大まかな男の感覚ではとらえようもない。
    --乙川優三郎「邯鄲」、『武家用心集』(講談社文庫、2006年)。

『武家用心集』--惜しみ惜しみ読むつもりでいましたが、結局、新幹線の中で、込み上げてくる涙腺を押さえながら読んでしまいました。

作中にあるように、季節感を感じたいものです。
ただ、寝る前には必ず飲んでしまうので、まさに「五感が鈍り、ただでさえ大まかな男の感覚ではとらえようもない」のも事実です。

とわいえ、東京へ戻ると、3-6℃の寒波です。
昨晩は、淡雪が一瞬舞い散る寒い夜。
出張後が、短大の『哲学入門』の定期試験。定期試験がおわるとそのまま市井の仕事です。

大阪の学生さんたちから、答案用紙の末尾に「先生、肝臓を大切に」というコメントが数件あったにもかかわらず、久し振りに再会した仲間たちと軽く一杯のつもりが、重く一杯に--。いずれにしましても今年は控え目にいかないとなアと実感しました。

ただ、若い連中と音楽や文学について語り合えたのは収穫です。音楽や文学といったにんげんの作り出した文化は、床の間に飾るような物ではなく、にんげんと向き合うことによって双方が輝き出す人類の至宝だと実感。若いうちにしか読めないものもあれば、若いうちにはチンプンカンプンでも、歳月を重ねてから再度巡り会うと、妙に入ってくる書物も存在する。書物や音楽を手放すことなく、自分自身の血肉へと変換していきたいものです。

さて、最後は、大阪出張での名店案内(?)で締めましょう。

場所は通天閣のお膝元“ジャンジャン横丁”の「やまと屋」。
カテゴリーは“居酒屋”として紹介されていますが、串カツメインで、名物はスッポン鍋。刺身もうまければ、豆腐もうまい。食通にも、酒飲みにも愛される庶民のお店です。

で--。
びっくりするのが、その値段。安いこと安いこと--東京ではこのような安さの店にはめぐりあったことがありません。ただし、味には手抜きが一切無し。老若男女を問わずそこで、食らい語りあう様が一種の心地よい喧噪となって店内に響くなか、おもうさま食らうのがよかろう。そうしたお店です。

大阪を訪れる方がいましたら是非どうぞ。

そういえば、そこで、地道に社会活動を継続されている市井の学者さんと一献しましたが、

「世の中には、人のやっていることに対して文句をいったり、ぐだぐだいったり、批判をしたり、それは間違っていると自己主張したり--いろんな奴がいる。しかし、共通するのは、そうした連中は自分では何もやっていない。自分が何をやっているのか--やることだけきちんと自分でやっていけば、それでいいんだ」(趣意)。

ぐだぐだいうやつは言わせとけ。
自分はやるべきことを淡々とこなすのみ--そこに人間を輝かすことのできる本来的な強さがあるのかもしれません。

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