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地上の道:荊棘を切り拓く希望のあしあと

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どうも、宇治家参去です。

東京は厳しい寒波です。
おまけに、市井の職場で一名・ノロウイルス。
通常より、あたまかずが1欠で業務……。
結構しんどいですね。ノロくん、早くよくなり給え。

そうした、こうしたで、依然としてなかなか考えるということが困難な昨今ですが、ちょうど、魯迅を読んでいたのでひとつ。

宇治家参去さん自身が、近代中国を代表する文筆家・魯迅に対して一番ふさわしい言葉とは何か--といった場合、いつも出てくるのがルソーの次の言葉です。

人間のすべての知識のなかでもっとも有用でありながらもっとも進んでいないものは、人間に関する知識であるように私には思われる。
    --ルソー( 本田喜代治・平岡昇訳)『人間不平等起源論』(岩波文庫、1972年)。

人間を理解するとは、その醜・善・美、すべてをトータルに受け入れ、そこからどうするか--現場に根ざした真理を語る必要が、その前提として存在する。この不可解な事実を直視、そこから発言し、そして励まし続けてきたのが、何を隠そう魯迅ではないかと思われるてほかなりません。

魯迅の文章は確かに読みにくいし、難しい。しかし、その難しさとは、ヘーゲルやカント、ドストエフスキーの難しさとはひと味違う。

どういえばいいのでしょうか--。反対者にも賛成者に対しても、「お前らの本音は、こっちはハナっから、お見通しなんだよ」的なノリがあるように思えて他なりません。ゆえに、生きているときも左からも右からも批判され、孤立していたわけではないでしょうか。

そうした魯迅自身も次のようにいっています。

 予言者、すなわち先覚者は、つねに故国に容れられず、また同時代人からも迫害を受ける。大人物も常にそうだ。かれが人々から尊敬され、礼賛されるときは、かならず死んでいるか、沈黙しているか、それとも眼前にいないかである。
 要するに、問いただすわけにいかぬ、という点がつけ目だ。
 もしも孔子、釈迦、イエス・キリストがまだ生きていたら、その教徒たちはあわてずにいられぬだろう。かれらの行為にたいして、教主先生がどんなに慨嘆するか、わかったものでない。
 それゆえ、もし生きていれば、迫害するほかない。
 偉大な人物が化石になり、人々がかれを偉人と称するときが来れば、かれはすでに傀儡(かいらい)に変じているのだ。
 ある種の人々のいう偉大と微少とは、自分たちがその人を利用する際の効果の大小を意味する。
    --魯迅(竹内好編訳)『魯迅評論集』(岩波文庫、1981年)。

反対者を手厳しく“打ち”、自分をあげつらい・利用する者に対しても手厳しく“打ち”据えた魯迅の肉迫です。

で……、
その魯迅といえば、巷間で広く親しまれた作品に『故郷』があります。いまだに中学校の国語の教科書に掲載されておりますが、そのラストが一番有名だと思います。

希望とは、もともとあるものともいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。
    --魯迅(竹内好編訳)『阿Q正伝・狂人日記 他十二篇』(岩波文庫、1981年)

 今日、たまたま読んでいたのが、『魯迅評論集』ですが、本当は、「『フェアプレイ』はまだ早い」の“水に落ちた犬を打て”について論じたかったのですが、論じるほど煮詰まってないので、“道”に関して、覚え書き程度に書いて起きます。ちょうど、この本で、上に紹介した“道”に関する補足が、「随感録抄」として収録されていましたので……。

六十六
 人類の滅亡ということを考えるのは、非常に寂しい、悲しいことである。しかし、若干の人々の滅亡は、少しも寂しい、悲しいことではない。
 生命の道は、進歩の道である。たえず無限の精神三角形の斜面に沿って登ってゆく。何ものもそれを阻止することができない。
 自然が人間に賦与した不調和は、かなり多い。人間のほうでも、萎縮し、堕落し、退歩したものが相当ある。しかし、生命は、そのために後もどりはしない。いかなる暗黒が思想の流れをせきとめようとも、いかなる悲惨が社会に襲いかかろうとも、いかなる罪悪が人道をけがそうとも、完全を求めてやまない人類の潜在力は、それらの障害物を踏みこえて前進せずにいない。
 生命は、死を恐れない。死の直面で、笑いながら、踊りながら、滅亡した人間を踏み越えて進んでゆく。
 道とは何か。道のなかったところに踏み作られたものだ。荊棘(いばら)ばかりのところに開拓してできたものだ。
 むかしから、道はあった。将来も、永久にあるだろう。
 人類は寂しいはずがない。なぜなら、生命は進歩的であり、楽天的であるから。
 きのう、私は友人のLにいった。〈〈ある人間が死ぬことは、死ぬ本人と、その眷属にとっては悲惨なことであるが、一村、一町の人から見れば何でもないことだ。かりに一省、一国、一種族……〉〉
 Lは不愉快そうに、言った。〈〈それはNature(自然)のことだ。人間のことではない。すこし注意したほうがいいね。〉〉
 私は、かれの言うことも、もっともだと思った。
    --魯迅(竹内好編訳)『魯迅評論集』(岩波文庫、1981年)。

希望の道たる“地上の道”はまさに“荊棘”を開拓して開かれた道……。
魯迅の進歩は西洋の近代的合理主義的進歩観と全く異なる人間観に基づいています。
それはまさに、人間が打たれても、すすみ行く、その歩みを表現しているのでしょう。

なんか最近、クォリティが落ちていてすいません(もともとクオリティがないのかもしれませんが)。
ですけど、文闘しつづけていきます。

酒のみながら……。

Rojin

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