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Who is my neighbor ?

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The question,Who is my neighbor ? hinges on the meanings of the term neighbor,which,like the terms caring person,and individual,are, in the language of Gilbert Ryle,systematically ambiguous.The ambiguity arises because these terms occupy the twin domains of ethics and morality-that is,thick relations and thin ones.Thus,in the context of morality,neighbor means a mere fellow human being.But in the context of ethics,a neighbor is someone with whom we have a history of a meaningful,positive,personal relationship,or a history that can be mediated through some imagined community,such as the community of my fellow Jews,most of whom I never encountered in my life.
The scope of ethics is determined by our thick relations,which determine who our metaphorical neighbor is.But then the hard question arises,What thick relations ? The actual ones we happen to have,or the one we are assumed to have or ought to have,which might,in their most extensive scope,encompass all of humankind ? Thus morality turns into ethics.
    -- Avishai Margalit,The Ethics of Memory,Harvard Univesity Peress,2002,pp44-45.

「アウシュヴィッツ以後に詩を書くことは野蛮である」と表明したのはユダヤ人哲学者アドルノである。
アウシュヴィッツの悲劇も、ヒロシマ・ナガサキの惨状も偶発的な狂気でなく、近代の合理的な啓蒙主義が生んだひとつの必然的な結果であることに異論を挟む者は誰もいないだろう。人は過去の過ちを虚心坦懐に見つめ直し、理性的に行動し、次第に賢くなるだろう--近代ヨーロッパの啓蒙主義は、理性の明るい光のもと、人間は無限に進歩し、理想的な社会になると論じたが、20世紀の悲劇は、たった一人の狂人によって振り回されたわけではない。すべてが、完全に計画的に、科学的な方法を最大限用いて、一民族の抹殺作戦(ホロコースト)が発動し、無差別的な人体実験として、極限の武器である核兵器が投下されたわけである。もっとも合理的で人類に幸福をもたらすはずだった科学や理性が、逆に最大の悲劇の根源となった--こうした逆説的な現実を深く見つめ直して、当事者である人間そのものを問い直す作業は決して無益ではない。

さて、上に引用したのは、イスラエルの倫理学者アヴィシャイ・マルガリットの著書『記憶の倫理(学)』より。

マルガリットの両親はパレスチナにいて、ホロコーストの難を逃れたが、ヨーロッパにいた親類はほとんどがナチスの犠牲になったという。本書でマルガリットは、アウシュヴィッツ以後の倫理がいかにして可能かを追求しているが、宗教にかわるべき存在として「記憶」の重要性を指摘している。

記憶は個人の記憶だけでなく、集団の記憶も存在する。そこでマルガリットは、「倫理(ethics)」と「道徳(morality)」を区別して、「倫理」とは「濃密な人間関係」の間に成立するものであり、「道徳」は「薄い人間関係」の間で成り立つという。「濃密な人間関係」とは、両親や友人、恋人など「感情を共有できる関係」であり、「薄い人間関係」とは、文字通り、前者に比してより抽象的な関係である。そして「薄い人間関係」のひとつの頂点が「人間性」にもとづく人類の共同体である。

記憶は、「濃密な人間関係」の中で共有され、次代へと継承されてゆく。

記憶は、楽しい記憶より、苦難の記憶の方が痛切に刻印されるものである。その記憶を継承していくとき、例えば、ユダヤ民族の共同体としての記憶であるホロコーストの記憶は、罪を許せることが出来るのか否か--こうした難問が本書では次々と問われている。

倫理といえば社会性がつよく、道徳といえば、やや主観性(個人性)が強いとこれまで考えてきたが、マルガリットの著作に触れたとき、そうした通念が打破された。倫理が内面化されるたとき、自律としての道徳が機能すると短絡的に考えたものだが、事態はそうでもなさそうだ。

人は皆、好むと好まざる煮関わらず、「濃密な人間関係」(倫理)のなかで暮らし、「薄い人間関係」(道徳)のベールを被って生きている。この重層的な状態のなかで、「倫理」の領域をどのように広げ、「道徳」の領域とどのように関わっていくべきなのか、考えざるを得ない。

倫理学を講ずる上で、今年一年の、ひとつの大きな課題を与えられたようです。

Margalit

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