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ガダマー 途中まで・・・・

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ちきしょう!

どうも宇治家参去です。昨日から風邪をひいちまいました。

風呂上がり、あまり頭をよく拭かずに、たばこを買いに出かけたのがよくなかったようです。風邪ですが、代打がいないので、本日も市井の仕事へ出勤、今日は指示だけだして後方待機させていただきました。

さて、今日は休憩中に、現代ドイツを代表する哲学者のハンス・ゲオルグ・ガダマー(Hans-Georg Gadamer)の学問論(科学と哲学について)をぱらぱら読んでいたので、その話でも。

それは、『科学の時代における理性』という表題のつけられた論文集です。全編を貫くテーマとは、いわば、「科学の時代」とよばれる現代において、理性の学としての哲学の果たしうる役割とは何か、というものです。哲学も科学も学問史的に振り返るならば、同根であり、哲学の一分野であった科学が、近世・近代以降、独立するのがその歴史です。

ガダマーは何も、高見に居直った哲学的立場から、今日の文明批判者たちと同じように、科学技術のもたらす危機を声高に叫ぶわけではない。むしろそのトーンは控えめだ。ガダマーももちろん「科学における責任の喪失」を説いているけども、例えば、伝統的な学問の理念に立ち返るべきだとといった、理念的・道徳的な責任を云々説いたりはしない。

と--途中まで書きましたが、やはり風邪で頭がまわらず。

引用部分だけ、とりあえず記載し、後日論じます。すいません。

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 このような古い問題と科学のあの新しい出発に直面して、哲学が今一度自らの古い機能全体を引き受け、われわれの知すべてを統一的世界像として合一させることができるはずだなどとは、誰も考えないだろう。ところが、人間が哲学への、すなわち、<知らんとする意欲>への自然の性向をもつということは、一般的に認められている。科学〔学問〕の知、それが制限された暫定的なものであろうと、確証され影響力をもつものであろうとともかく、あるがままの科学の知と、人間文化の偉大な歴史的伝承からわれわれに押し寄せてくる、人間に関する一切の知とを、われわれの実践的意識のうちに移し変えるという課題が、相変わらず存在していないだろうか。私はここに、真正な統合という課題を、つまり、人間の自己自身との新たな自己合意を切り開くために、科学と人間の自分自身についての知とをひとつに結びつけるという課題を見るのである。われわれにはそれが必要なのだ。というのも、われわれは絶えず高まり行く自己疎外のなかで生きており、しかも、この自己疎外は、もはやとうてい、資本主義的な経済秩序の特殊性にのみ基づくものではなく、<われわれがわれわれの文明として自分たちの回りに獲得してきたもの>に人類が依存しているという点に基づくものだからである。こうして、人間を再び自己了解へ向かわせるという課題が、次第に緊急さを増して、立てられるのである。哲学は昔から、この自己了解という課題に貢献してきたのであって、私が解釈学と呼ぶ(理論としての、さらには、理解したり、疎遠なものや異種のものや疎遠になってしまったものを言葉に表したりする技巧の実践としての)哲学形態においてさえ貢献するのである。自己了解は、間違いなくわれわれの心を捉えているすべてのことに対しても、さらにはまた、われわれ自身の能力に対しても自由に振るまえるよう手助けをしてくれるかもしれないのである。結局のところ、プラトンは依然正しいわけである。たしかに自己のものは制御するけれども、自分が何に仕えているのかを知ることが出来ないような科学を脱神話化することによってのみ、知と能力の支配が自己制御されることが可能になる。「汝自身を知れ」というデルポイの要求は、「汝は人間であって、決して神ではないことを知れ」という意味であった。この要求は、科学の時代の人間にも妥当する。というのも、この要求は支配と制御の一切の幻想に対して警告を発しているからである。自己認識だけが自由を、すなわち、単にその時々の支配者によって脅かされているだけではなく、むしろ、実は、われわれが制御していると考えているすべてのものから出来する支配と依存とによって脅かされている自由を、救済することができるのである。
    --ハンス・ゲオルグ・ガダマー(本間謙二・座小田豊訳)「哲学に向かう人間の自然の性向について」、『科学の時代における理性』(法政大学出版局、1988年)。

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