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私は考える……デカルトの人間本質論

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どうも宇治家参去です。

昼過ぎ自転車で桜並木を走り抜けると、もうつぼみが色づいていました。
季節の移り変わりとは、はやいものです。人間がその変化を自覚するのは、変わった後になってはじめてなのかもしれません。

さて--。
先日来、ヘーゲルと吉野に関してすこし言及しましたが、そのヘーゲルのなかで、「理性」ということが重点的に論じられていましたので、その「理性」についてひとつだけ補足しておきます。
理性といった場合、さしあたりは、ものごとを筋道を立てて正しく考える能力、といった具合で理解してよろしいかと思います。西洋の近代哲学においては、その人間が考える能力、を重視し、そのちからによって、人間は真理を正しく理解し、世の中全体を良い方向へスライドさせることができるという発想がありますが、その嚆矢となるのが、やはりデカルトだと思います。

そこでデカルトの「われ思うゆえにわれあり」という有名な言葉をひとつ考えてみようと思います。このデカルトの思考実験としての方法的懐疑に関しては様々論じられておりますので、割愛しますが、デカルトが、そう語ることによって、ひとつの人間本質論を提示した、そういう側面に注目してみたいと思います。

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……わたしは、それまで自分の精神のなかに入っていたすべては、夢の幻想と同じように真でないと仮定しよう、と決めた。しかしそのすぐ後で、次のことに気がついた。すなわち、このようにすべてを偽と考えようとする間も、そう考えているこのわたしは必然的に何ものかでなければならない、と。そして「わたしは考える、ゆえに私は存在する〔ワレ惟(おも)ウ、故ニワレ在リ〕というこの真理は、懐疑論者たちのどんな途方もない想定といえども揺るがしえないほど堅固で確実なのを認め、この真理を、求めていた哲学の第一原理として、ためらうことなく受け入れられる、と判断した。
    --デカルト(谷川多佳子訳)『方法序説』(岩波文庫、1997年)。
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デカルト以来、近代のヨーロッパ哲学が大きな問題としてきたテーマのひとつが「わたし」という問題である。ここでいうわたしとは、「わたしは嫌だ」「わたしは寒い」「わたしは好きだ」といったときの述語ではなく、述語をもっている主語としての「わたし」のほうである。

哲学的な術語に置き換えるならば主観あるいは主体といってもいいでしょうし、主観性という言葉で「わたし」のあり様を言うことができると思います。そしてこの「わたし」の術語としてもっともほんもので確実な在り方こそ「考える〔わたし〕」だとデカルトは発見した。

「考える」ということは特権的な在り方である。

たとえば、「わたし」は、怒ったり、笑ったり、走ったりする。
そして「わたし」は、怒ったり、笑ったり、走ったりすることについて〔考える〕ことはできる。
しかし、〔考える〕ことについて怒ったり、笑ったり、走ったりすることはできない。その意味で特権的である。

さて、デカルトは、方法的懐疑の結果手に入れた不動の第一原理としての〔考える〕ことを精神の第一の属性と定め、人間観を組み立て直すのである。すなわち、〔考える〕という属性は、精神をもっているすべての人に共通している。だから人間の本質とは〔考える〕ということに存在する--そうデカルトは考えたわけである。

デカルトが生きた時代、実は「人間」の境界は定かでなかった。どこまでが魔物の部類であり。どこまでが獣の部類であり、どこまでが天使の部類であるのか、そういったことには、はっきりとした境界がなかったのである。だから、魔女も魔男も人里離れた幽谷の深森にひっそりと棲んでいなかった。町や村落に存在したのである。

その意味で、デカルトは人間として「何が同じか」ということを「考える」(=きちんと考える能力」の有無に置き、そこに人間の人間らしさを見いだしたということができる。そのことで動物や魔物と人間を区別したのである。

『方法序説』の冒頭でも、デカルトは良識はすべての人に分かちあたえられていると力説したが、「わたし」が〔考える〕ということは、平等なものとして人間をとらえる見方のマニフェストとも言えるのである。

主観と客観の二元論の大成者にして、独我論の祖として批判をあびているデカルトですが、こう読み直してみると、まア悪くはありませんね。

ただ、どうもデカルトの肖像を見ると、ズラと付け髭のように思われて他なりません。

Deca

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