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【覚え書】池波正太郎「古いものは一切顧みない日本人」

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ここまでやらねば文章が自分の言葉・思想として立ち上がってこないかも知れません。自戒を込めて【覚え書】として紹介します。

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 昔のもの、古いものに冷淡で無関心だというのは、時代小説の世界でも同じなんだよ。時代小説を書くために勉強しているという若い人でもね、聞いてみると、昔の時代小説読まないんだよ。
 そりゃあ中には古めかしくて読むにたえないという作家もいるかも知れませんよ。だけども、やっぱり一通り読まないとね。ああ、昔のこういう人がこれだけ売れてて、大家だっていわれていろんなもの書いてたと。それで、その人はどういうふうに材料取って、それをどのように消化しているかってことをね。これは読まなきゃわかないよ。
 昔の人の書いたものを、読んで真似(まね)しろっていうんじゃない。材料の消化のしかた、だな。こういうところは本当はこうじゃないんだけども、そいういうことは無視してやっているんだな……とか、こういうところは大事にしているな……とか、いろんなことがわかるわけですよ。研究すればね。
 まあ、ぼくらの場合は、随分読んだもんだけどね、若いうちに。今の人は、あんまりやらないらしいよ。
 自分のことでいうとね、昔の時代小説はだいたい全部読んでたけど、それだけじゃ駄目なんだよ。というのは、たとえば直木賞取った時点では、文章というものが、まだ自分の思うままに行かない。つまり、思ったことを文章で書きあらわして読者に伝えるという、その文章がね。まあ、思うように書くということは今でもなかなかできないけども。結局、自分の手足になるわけでしょう、文章というのは。自由自在に動かなきゃならないわけですよ。
 だから、文章が本当の自分の手足になって動くところまで、そのところを研究しなくてはならない。何年もかかります、そうなるまで。おれの場合、六、七年、その研究の期間が必要だったな。
 直木賞取ってから六年間ぐらいは、そんなに仕事が来ないんだよ、あの当時はね。だけど、毎日、寝る時間は三時間もあればいいほう。今よりずっと忙しかった、やること、やらなければならないことがあり過ぎて。
 たとえば、そのころにどんなことをしていたかというと、日劇のレヴューなんか観(み)に行ってね。プロローグからフィナーレまでの情景を全部描写するんですよ、文章で、帰って来てから。むろん、こんなものは、発表できない。だから金にもなりません。自分のためだから、それでいいわけだよ。自分に投資しているということだから。それで、二十景あれば二十景を、全部描写する、自分の文章で。で、各景の描写が同じような表現にならないようにするんだよ。
 あるいは、日比谷公園なら日比谷公園のベンチに、三時間なら三時間坐(すわ)って、そこを通る人間とか、景色の移り変わりとか、天気の変化、時間がたつにつれてだんだん曇ってくるとか、夕暮れになってくるとかね、そういうことを全部観察して帰って、それを文章にする。
 そういうようにして鍛えて行かなきゃ駄目だ、自分の文章をね。そうでもしないと、自分の思うがままに動いてくれない、文章が。
 こんなこと、今、やってられないからね。賞取ったらワーッと来ちゃうから。おれなんかがやったような、あんなのんびりしたことは、今ではできないでしょう、やれといってもね。だから、可哀(かわい)そうな気もするね。今の若い人たちを見てると。何もかも簡単に使い捨てる時代になっちゃたんだ。役者でも、作家でも。結局、そういう世の中であれば、それなりに自分で考えて、いざというときが来るまでに自分を鍛え上げておくしかない……そう思うね。
 〔鬼平犯科帳〕なんかでもね、ずっと早くから、いずれは書くつもりでいたけど、ああいうものを書く文章がまだ駄目なんだよ、直木賞取った時点では。芝居ならいいよ、もう台本の作りかたというものが躰(からだ)に叩(たた)き込んであるから、すぐにでも書こうと思えば書けた。台詞(せりふ)でもってこういって、次にこうしてというようなもんだけど、小説はまた違うわけだからね。
 だから自分の内部で発酵させながら、ときを待っていたわけです、文章が自分の本当の手足になるまでね……。

    --池波正太郎「古いものは一切顧みない日本人」、『フランス映画旅行』(新潮文庫、昭和六十三年)。
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Ike

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