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有限と無限の対峙、そして人の世界へ還っていく

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Siga

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 彼は石の上で二匹の蜥蜴(とかげ)が後足で立上がったり、跳ねたり、からまり合ったり、軽快な動作で遊び戯れているのを見、自らも快活な気分になった。
 彼はまたここに来て鶺鴒(せきれい)が駈けて歩く小鳥で、決して跳んでいかないのに気がついた。そういえば鳥(からす)は歩いたり、跳んだりすると思った。
 とく見ているといろいろなものがすべて面白かった。彼は阿弥陀堂の森で葉の真中に黒い小豆粒(あずきつぶ)のような実を一つづつ載せている小さな灌木を見た。掌(てのひら)に大切そうにそれを一つ載せている様子が、彼にはいかにも信心深く思われた。
 人と人との下らぬ交渉で日々を浪費して来たような自身の過去を顧み、彼はさらに広い世界が展(ひら)けたように感じた。
 彼は青空の下、高いところを悠々舞っている鳶(とび)の姿を仰ぎ、人間の考えた飛行機の醜さを思った。彼は三四年前自身の仕事に対する執着から海上を、海中を、空中を征服して行く人間の意志を賛美していたが、いつか、まるで反対な気持ちになっていた。人間が鳥のように飛び、魚のように水中を行くということは果して自然の意志であろうか。こういう無制限な人間の欲望がやがて何かの意味で人間を不幸に導くのではなかろうか。人智におもいあがっている人間はいつかそのため酷(むご)い罰を被(こうむ)ることがあるのではなかろうかと思った。
 かつてそういう人間の無制限な欲望を賛美した彼の気持ちはいつかは滅亡すべき運命を持ったこの地球から殉死させずに人類を救い出そうという無意識的な意志であると考えていた。当時の彼の眼には見るもの聞くものすべてがそういう無意識的な人間の意志の現われとして感ぜられなかった。男という男、すべてそのため焦っているとしか思えなかった。そして第一に彼自身、その仕事に対する執着から苛立ち焦る自分の気持ちをそう解するより他ならなかったのである。
 しかるに今、彼はそれが全く変わっていた。仕事に対する執着も、そのため苛立つ気分もありながら、一方遂に人類が地球とともに滅びてしまうものならば、喜んでそれも甘受出来る気持ちになっていた。彼は仏教のことは何も知らなかったが、涅槃とか寂滅為楽とかいう境地には不思議な魅力が感ぜられた。
    --志賀直哉『暗夜行路』(岩波文庫、2004年)。

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冒頭は、推敲を尽くした簡潔な文体は、「無駄のない文章」として強烈な影響を与えた小説家・志賀直哉、唯一の長編小説『暗夜行路』の末尾から。

強烈な自我を有する主人公・時任謙作が、出生の秘密や妻の不義に苦悩し、自己と外界との葛藤にいらだちながらも、やがては大自然(=宇宙)の中に心と体の平安を得るまでの心理を描いたストーリーです。

かつてゲーテの翻訳と研究で知られる山下肇東京大学名誉教授が、ゲーテの世界と日本文学の世界を対比して、日本文学を「四畳半の世界」と評し、ゲーテを始めとする世界的名著を「広々とした天空」と対比したことがあります。そういう意味だけでもありませんが、日本の近代文学を、それとなく読む中で、(専門家からは怒られそうですが)漱石と鴎外以外は、あまり読む価値なしとして、“読み捨て御免”としていました(池波正太郎は別ですが)。教養として活字を拾うだけで、味わってはいませんでした。

ま、10年ぶりくらいでしょうか……。
志賀直哉のこの本を読み直してみましたが、全肯定はできないが、まア面白い。
ゲーテとの対比ではありませんが、「四畳半の世界」も知悉しなければ、「天空」の広さも実感出来ない部分はあるナと実感です。

主人公の謙作ではありませんが、志賀直哉もどうやら、「近代的で、自然と平和と調和と静謐を愛した」「家族を愛し、来訪者を大切にした」人物などと称えられることがある一方、極端な癇癪癖でも知られ他者に対する好悪の落差が激しかった人物と伝え聞く。その調和が創作活動だったのかもしれません。

さて、謙作は、末尾で大自然の雄大な営みのなかに、人間世界の些事を超俗した平安の世界を体得しますが、そういう部分は現実にはありますね。

泥まみれ・金まみれ・怨嗟にまみれた市井の職場の中で、宇治家参去さんも、自然と対面する瞬間があります。

夕方の定刻、会社の屋上を施錠し、ひとまわりして安全確認を行う業務があるのですが、そのときどきに、自然を体感しております。

嵐の日もあれば、冷え冷えとぼたん雪の舞う日もある。かと思えば、灼熱の夏陽の照りつける日もあれば、晩秋の神々しき空気の息吹を感じる日もある。

一瞬ですが、それまでの銭や人間の汗にもまれた心と体が癒される瞬間です。
時間にしてみれば、ものの5分でしょうか……。
5分後には、もとも人間世界へ降下してゆきます。

そして、またがんばろうと。

自然や宇宙という無限が、人間という有限さを自覚させてくれる瞬間なのでしょう。
無限の接近は、有限の些事を癒してくれます。しかし、人間は、有限な世界でしか生きられない。どこまでも無限の自然のなかで永住することは不可能だ。人間は無限になった瞬間人間でなくなるのだろう。

宇治家参去も5分の無限と有限の対峙から、また有限世界へもどっていきます。しかし、5分前の有限とは同じ光景でありながら、色彩の違う世界になっています。

なぜか人に優しくなれます。

自然の無限さは偉大です。

さて、謙作はどこへいくのでしょうか……?
宇治家参去は、やっぱり、有限な人間世界が大嫌いです。だけど大好きです。

……ということで、“米焼酎”が切れたので、今日は“蕎麦焼酎”「吉兆・雲海」(雲海酒造)で一息ついて、寝ますね。

また明日も、泥と汗と銭にまみれた現実世界を雄々しく生きていかねばならぬので。

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