「衣食は他人の厄介になると申しては、学問もまた無益なる哉」
老生事、三、四日前より子供召し連れ静岡へ参り、九能山、三保の松原、清見寺など見物致し、今夕帰宅のところに、本月四日の電信、ならびに五日のお手紙ともに拝見仕り候。近来はそこ御地にも義塾出身の人多きについては、懇親会の御催しこれ有るよし、遥に欣喜に堪えず。来諭のごとく、この人々はいずれも実業の門に入り、今後の望み空しからざるは、あえて信ずる所なり。今更申すも珍らしからず候えども、学問はただ人生行路の方便のみ。学問して学理を談じ、またはその学問を人に教えて第二の学者を作り、第二第三際限もなく学者ばかりを製造して、その学者は何を致すかと尋れば、相替らず学問を勉強して、衣食は他人の厄介になると申しては、学問もまた無益なる哉。老生かつて言えることあり。学者が学者を作りて際限なきは、養蚕家が種紙を作りて、その種紙よりまた種紙を作り、遂に生糸を作り得ざる者に異ならず。本来養蚕の目的は絹糸を得るにあり。種紙はただ方便のみ。然るにその種紙の製造に熱心して、かえって絹糸収穫の目的を忘るる者多きは遺憾なり云々と。されば慶應義塾は学者の種紙製造所なり。塾の業を卒(おえ)ればとて、決して人生の目的を達したるにあらず。然るに在神戸の旧塾生が、今まさに実業の門に入り大いになす所あらんとは、すなわち塾の種紙を糸に製する者なり。老生のよろこびの外にあるべからず。憚りながら会集の諸君へ宜しくご致意(ちい)下され、今後とも左右を顧みず、真一文字に実業に進み、先ず身を立て家を興し、いやしくも他人の厄介にならぬよう致したく、すなわちこれ文明独立の男子なり。右拝答にかねて、老生が欣喜の哀情を申し述べ炊く、余は後便に附し候。匆々頓首。
十月七夜 諭吉
矢田賢契 梧下
尚以(なおもって)、会集の諸君へくれぐれも宜しくご伝声(でんせい)下されたく、態々(わざわざ)電報までお遣し下され、芳情謝す所を知らず、万々御礼申し上げ候。以上。
--慶應義塾編『福沢諭吉の手紙』(岩波文庫、2004年)
福澤諭吉が門下の矢田賢契(明治13年入塾)に宛てて書いた手紙です(明治21年)。
この手紙に先立ち、門下の矢田が福澤へ、塾生たちの実業界での活躍を伝える手紙を受けて、その返信として書かれたもので、この私信には、福澤の信念が凝縮されている。
◇ 「学問はただ人生行路の方便のみ」
学問はたしかに大切だが、それを身につけてどうしていくのか--福澤は常にこのことを念頭において塾生たちと向き合っている。
学問馬鹿は必要ない、池波風にいえば、学問に“淫する”なとの戒めだ。
後代の論者たちは、この部分をもって、“福澤諭吉は哲学がない、功利主義者だ”“福澤の思想は浅い”“福澤拝金教”だと酷く批判している。確かにそうした批判が当たらぬともいえなくないが、正鵠を射ているとはいえないだろう。
そうした状況を稀代の政治学者丸山眞男は次のように評している。
すなわち……
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福沢の哲学思想は明治初期の他の啓蒙思想家と無造作に一括されて、啓蒙的な合理主義だとか功利主義だとか英仏的実証主義だとか漠然たる規定で片附けられてしまったのである。
--丸山眞男(松沢弘陽編)『福沢諭吉の哲学 他六篇』(岩波文庫2001年)。----
もとより福澤は、狭義の哲学者ではないから、そもそも彼の認識論なり存在論なりはどこにも提示していない。しかし、福澤の著作を丹念に読むと、そこに一貫した物の見方、価値観は存在する。ゆえに、そうした批判で全否定することは不可能だ。
◇ 「衣食は他人の厄介になると申しては、学問もまた無益なる哉」
福澤は空疎な迂遠な漢学や有閑的な歌学に対して、「人間普通日用に近き」実学(『学問のすゝめ』)を対置した。そこにはじめて「衣食は他人の厄介になる」ことを前提とした従来の学問から解放が宣言され、「自ら労して自ら食ふ」生活のただ中に学問が据え置かれた。この意義は極めて大きいだろう。『学問のすゝめ』は、いわば「実学」のマニフェストといってよいが、福澤学が実業学としてのみ普及していったことが、前述の誤解を招いている。
福澤の主張は、単に学問の実用性にのみ尽きるのではないし、たんなる実学の宣揚でもない。実践的関心から切り離された理論理性に対して無関心なのは東洋的学問の特色であり、思弁的観念論と切り離された「実学」を提唱する福澤の思想はその意味でも新鮮さは全くない(というか実は福澤の主張には、思弁的観念論と実学との分断を否定し、その弁証法的関連が説かれているように思われるが、それは考をまたにして、ここでは述べない)。福澤の革新性はそこには存在しない。ではどこに存在するのか。福澤の主張の革新性は、実学の提唱や学問と生活との結合ではなく、むしろ学問と生活とがどのような仕方で結びつけられるのかという点に核心が存在する。
福澤は学問に励むことを奨励するが、その一方で、「他人の厄介」になるなとも説く。そこである。福澤は当時の東洋社会の停滞性の原因を数理的認識と独立精神の欠如のうちに探り当てている。それが「独立自尊」という福澤のモットーと直結している。ひとの世話になっている人間には、真の創造も自由もない。内心の自由も、物質的環境の自由が基盤に存在しないと安定して存在することは不可能である。そのためには、いかにあるべきか……。生活者として、誰に頼ることもなく、自足自存して大地に立つ--そうした基盤がないと、学問をやっても、自分の学問ではなく、他人の学問になってしまう。そうしたところを「独立自尊」の言葉にこめており、「他人の厄介」になるなとくどくいう。
福澤には倫理学が存在しないと云われるが、つきつめていけば、彼のいう学問の日用性こそ彼の倫理学である。学問の日用性(実学)とは、単に学問が生活の中でリアルに活かされるといったものの見方ではない。物理的な世界を物理的に認識し、把握し、自己の環境を主体的に形成し行く人間像の提出である。それは、封建的秩序構成の人間の在り方とは全くことなる人間像の提示である。
「親の仇(かたき)」と唾棄されたアンシャン・レジーム人間像が、形式主義的機会主義であるとすれば、試行錯誤を通じて生活と真理の沃野を開拓する“奮闘的人間”を、ひとつの倫理として福澤は志向した。
「文明独立」の人間とは、学問に励みかつ衣食は他人の厄介にならなってはならないし、「塾の業を卒(おえ)ればとて、決して人生の目的を達したるにあらず」。
さあ、学問に取りかかろう。
生きている世界と自己が不断に対話を繰り返すこと必要だ。
福沢諭吉の手紙 (岩波文庫) 販売元:岩波書店 |
福沢諭吉の哲学―他六篇 (岩波文庫) 著者:丸山 真男,松沢 弘陽,丸山 眞男 |
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