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2008年4月

こんなことをされると、むかしのままだな

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 火付盗賊改方の長官(おかしら)・長谷川平蔵宣以は、その生いたちが生いたちだけに、
 「四十をこえてみて、わしは、その二倍も三倍もの年月を生きて来たようにおもえる。さればさ、もう生きているのが億劫になった」
 と、妻女の久栄に、よく語りもらすことがある。
 つまり、それだけ多彩な人生を体験してきたからであろうが、いまになってみると平蔵、つくづくとこうおもうのである。
 (つまりは、人間(ひと)というもの、生きて行くにもっとも大事のことは……たとえば、今朝の飯のうまさはどうだったとか、今日はひとつ、なんとか暇を見つけて、半刻か一刻を、ぶらりとおのれの好きな場所へ出かけ、好きな食物(もの)でも食べ、ぼんやりと酒など酌みながら……さて、今日の夕餉には何を食おうかなどと、そのようなことを考え、夜は一合の寝酒をのんびりとのみ、疲れた躰を床に伸ばして、無心にねむりこける。このことにつきるな)
 若いころ、義母に勘当同然のあつかいをうけて、無頼の仲間へ入り、父のいる屋敷へも帰らず、やれ〔本所の鬼銕〕だとか〔入江町の銕〕だとか評判され、のむ打つ買うの三拍子に明け暮れたこともある平蔵だが、いまは公儀御役目によって悪党どもを取締まるため、ろくに正月の雑煮も落ちついて祝えぬ身となってしまった。
 それは〔泥鰌の和助〕事件が片づいてから十余日を経た或日のことであったが……。
 長谷川平蔵は深川から本所を単独で巡回し、日暮れてから、本所二ツ目の軍鶏鍋屋〔五鉄〕へおもむき、昔なじみの密偵・相模の彦十やおまさ、それに五鉄の亭主の三次郎をまじえて酒になり、昔がたりに時をすごすうち、雪が降り出してきた。
 この夜。平蔵はめずらしく興に乗り、一升ほどの酒をのんでしまい、清水門外の役宅へ帰るのがめんどうになってきて、
 「彦や。今夜はここに泊まる。何かあるといかぬから、お前はすまねえが役宅へ知らせておいてくれ」
 いうや、二階の、女密偵・おまさが寝泊まりしている部屋へあがりこみ。ねむりこけてしまった。
 夜半に、おまさがそっと入って来て、掻巻(かいまき)を直してくれたことを平蔵はおぼえている。
 そしてまた、ぐっすりとねむった。
 目ざめたときは、もう五ツ(午前八時)をまわっていて、窓障子に陽射しが明るかった。
 (昨夜の雪はつもらなかったか……)
 平蔵には、そのことがさびしく感じられた。
 おまさは、朝早くから例の小間物行商の風体で、市中をまわりに出て行ったという。
 顔を洗った平蔵へ、五鉄の亭主・三次郎が茶わんに冷酒をくんで出した。
 苦笑した平蔵が、
 「こんなことをされると、むかしのままだな」
 「もうじき、三十年でございますぜ。むかしは私の死んだおやじが、あなたさまへ、こうしたもので」
 「あなたさまはねえだろう」
 このあたりへ来ると、平蔵は若いころの気分になってくるのを、どうしようもない。年をとればとるほどに、そうなってくるのである。
    --池波正太郎「寒月六間堀」、『鬼平犯科帳(七)』(文春文庫、2002年)。

どうも、宇治家参去です。
劇中の長谷川平蔵の青春は本所にありましたが、宇治家参去の学生時代の青春は、江ノ島~熱海~伊東にあってよかったと思います。季節に一度は、気心の知れた仲間と遠出して、ぶらぶらあてどもなく酒を飲みながら、経巡り歩いたものです。

さて、今日は(もう昨日ですが)、子供のために、以前より計画していた、新・江ノ島水族館ツアーです。
家族同様のおつきあいをしている、うちの隣の老夫婦と一緒に出発しました(すべて出して頂き感謝です)。

さて、劇中の平蔵ではありませんが、ロマンスカーで一杯、江ノ島で一杯、水族館で一杯、帰りのロマンスカーで一杯、地元へ戻って一杯の一日でした(ビールだけですが)。

子供も楽しみ、老夫妻も楽しみ、妻も楽しんでいたのがなによりです。

ただ疲れました。

今日は、ビールしか呑んでいないので、日本酒で締めてこれから再度寝ます。

おやすみなさい。

大事なことを忘れていました。

①生しらす最高です。
②新江ノ島水族館のイルカ・ショーは必見です。
※イルカ・ショーといえば、きびきびした係員のホイッスルの指示で、イルカが跳んだり跳ねたりする“見世物”を想像しがちですが、そうした先入観を打破してくれます。
ひとつのミュージカル仕立てのイルカ・ショーになっています。係員のお姉さんが謳いながら、イルカと一緒にミュージカルです。そこには、無粋なホイッスルもかけ声もありません。

まさに必見です。

とはいえ、一日中呑んだ一日でした。
若い頃を思い出し、ひとときのノスタルジアと現在の対話ができたひとときです。

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Book 鬼平犯科帳〈7〉 (文春文庫)

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young urban professionals の GW

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 ニーチェとフロイトが共有している概念は、平等としての正義が羨望に基づいているというものである。それは、我々が持っていないものを独占し享受している<他者>への羨望である。すなわち、正義の要求とは最終的に、享受へのアクセスが誰にとっても平等になるよう<他者>の過剰な快楽を抑制してくれという要求になる。当然のことながら、この結果は禁欲主義でしかありえない。平等な享楽をおしつけることは不可能であるため、禁止の共有を課すほかないのだ。ただ忘れてはならないのは、今日、何でも許しがちだとされる我々の社会で、正反対の形をもってこの禁欲主義が表れるという事実である。一般化された<楽しめ!>という超自我の命令下に皆が置かれている結果、快楽は一層妨げられている。ナルシシズム的な<自己満足>と、ジョギングや栄養食といった禁欲的規律とを組み合わせるヤッピーの姿を想い浮かべてほしい。これこそが、<末人>というニーチェの概念かもしれない。その輪郭は、ヤッピーたちの快楽主義的な禁欲主義において今日やっとはっきりしてきた。ニーチェは、禁欲主義に対して生の肯定を主張することを促すだけでは終わらなかった。彼は、特定の禁欲主義が退廃的な官能の過剰と対になっていると認識していた。ヴァーグナーの『パルジファル』、より一般的にはしめった肉欲性と素性の卑しい精神性との間を揺れ動いていた後期ロマン派の退廃を批判した理由が、ここに見受けられる。
    --スラヴォイ・ジジェク(訳・インタビュー 岡崎玲子)『人権と国家 --世界の本質をめぐる考察』(集英社文庫、2006年)。

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著者のスラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek,1949-)の言葉です。ジジェクは、スロベニアの思想家、哲学者、精神分析家。難解なラカンの精神分析学を自在に操ることで有名ですが……。

平等を考えてみようと思ったのですが、息絶えました。
チト、ツカレハテタ。

月曜が宇治家参去的には一番きつい一日です。土日月の夕方は市井の仕事で、月曜は日中、大学での講義。風邪っぽく久し振りに、栄養ドリンク二本仕立てで乗り切りました。

内容にはふれませんが、ま、ヤッピーだけではありませんね。
ジョギングや栄養バランスに気を遣いながら、<楽しめ!>との超自我の命令によって、<楽しむこと>を無意識下から強要されている人々は……。

ヤッピー(yuppie, YUP)とは 都市に住む、高学歴のエリートサラリーマンのことです。。語源は「young urban professionals 」、ヒッピーをもじった言い方です。

いよいよゴールデンウィークですね。

明日は、というか今日ですが、江ノ島へ旅立ちます。

更に疲れそうです。

ヤッピーではありませんので、<超自我>から命令は降りてきません。

家人からの命令で、少し楽しんできます。

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人権と国家―世界の本質をめぐる考祭 (集英社新書) Book 人権と国家―世界の本質をめぐる考祭 (集英社新書)

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絶対とか普遍とか……そのあたり

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またまた素描ですいません。

ただ大事かなと思ったので、コメントでしたが、日記に転載します。

絶対的な正義とか善といったものをどう捉えるのか……ひとつの考え方です。

人間主義の問題に限られたことではないですが、ものごとを固定化してとらえることに何か違和感を感じるので、書いた次第ですが、たとえば人間主義に関しては、スケッチになりますが、<1><2>のとおりで、また文化や伝統に関しては、以前も論じましたが、日々、生々流転しているのが実態であるにも関わらず、人はどこか過去の一点をスタティックに「固定化」して、“ありがたい”文化や他より素晴らしい“伝統”を夢想する。

そうした「固定化」に対する違和感とでも言えばいいのでしょうかね。ただし、やはり、人間は、“立ち止まって”考える習性がありますので、やはり、考える際、どこか“固定化”してしまう……そうした、解釈学的循環の中にいるのが現実ですが、そのことを踏まえた上で、文化や伝統との関係、また他者との関係を、変更不可能な固定化されたものとして受け止めるのではなく、現実の緊張的な関係のなかで、いかに価値創造していくのか、そちらのほうが重要なのかなと考えていましたので。

さて、正義とか絶対的な善という問題ですが、プラトンのような立場にたてば、正義とか絶対的な善は、所与のものとしてアプリオリに存在することになると思います。もちろんそう主張する背景もありますが、プラトンの当時、流行していた思潮のひとつが、相対的な快楽主義という立場です。「人間は万物の尺度である」(プロタゴラス)とのソフィストの格言(人間尺度論)は有名ですが、<よい>とか<正しい>ということは、そのひとにとって<よい>とか<正しい>ということであって、その意味ですべての物事・価値観は相対的であるという主張です。その主張ににのって、彼らは「善とは快楽である」という主張が出てきたわけですが、快楽とは長続きするものではない。例えば、腹が減ったら飯を食う。満腹を目指す運動が快楽(感・幸福感)であるとすれば、満腹になったにもかかわらず、食べ続ければそのことは苦痛である。そうした部分に対する批判が惹起する。その流れで出てくるのがソクラテスといえます。ソクラテスは、(それが何だかわからないが)人間には、個人を超えた誰にでも共通するようなαでありΩであるようなものは何かあるはずだ(それが真理ということなのでしょうが)と考え、問答を繰り返します。そこでソフィストや当時の有力者と呼ばれた人々は、ソクラテスとの対話のなかで、その無知が暴かれ、ソクラテスを刑死へと追いやるわけです。

ですので、ソクラテスは、「だれにでも当てはまるような普遍的(絶対的といってもよいと思いますが)真理は、何かあるはずだ!」と発想しましたが、結局「それが何か」については語る前に亡くなります。

そこで弟子のプラトンがその課題と格闘するのですが、そこで提示されるのが、イデアという概念です。

机といった場合、ひとびとはいろいろな机を想像し、絵に描くことが出来ます。ある人は四角いテーブルを、ある人はちゃぶ台を、そしてある人は……。そこで出てくるのは、現実の様々な机たちです。しかし、それが机であることにはかわらない。そうした共通性・本質性が、現実の机の背後にある。それがイデアというものと考えていいと思います。机には机のイデアが、そしてペンにはペンのイデアが、そして勇気には勇気のイデアがある。そして最高のイデアが善のイデアであるとプラトンは考えました。

このイデアはある意味で現実の感覚的な世界から、まさに超越したイデア界にあるとされたわけですが、ひとはそれをただしく認識し、行い為すところに、正しい生き方、幸せがあると考えたわけです。『メノン』でも魂の不死が語られていますが、人間は現象世界に生まれる前、イデア界で、イデアを見ていた。しかし現実世界に肉体をもって生まれてきた際、それを忘れている。しかし古物をみて、イデアを想起することはできる、だから真実へ迫ることが可能となる……そういう論調ですよね。

※ただし、乱暴な私見によれば、ソクラテスは、普遍的客観的な真理はあるはずだと考え、それを何かはいわなかった。しかしプラトンは、それをイデアと呼び、考え方を深化・整理しただけにすぎないでは?と思ったりもします。

でこのあとのアリストテレス。

アリストテレスは、プラトンと違い、真理は現実に内在すると考えました。
ラファエロの『アテナイの学堂』なんかを見れば二人の対照性が理解できます。中央にプラトンとアリストテレスが語り合いながら歩いている部分があります。プラトンは天空を指さし、普遍的真理は、現実世界を超越したイデア界にあるということを暗示しつつ、横のアリストテレスは地面へ向けて指さしています。普遍的真理は、現実世界に内在する……そうした立場を暗示させます。

アリストテレスは現実から発想しますすなわち、善の問題に関していえば(『ニコマコス倫理学』で詳しく触れられていますが)、善は、まずもってこの人間の世界から考えるべきだと論を立てます。善とは何か……すなわち人間が皆望んでいるものですが、その“よさ(善さ)”とは何か?それは「幸福」(エウダイモニア)であるとアリストテレスはいいます。幸福はこの現実世界における善の実現であり、「人間にとっての善とは幸福である」このように主張しました。

そして善=幸福の活動はどこにあるのか、それは魂の活動であり、幸福はスタティックな在り方ではなく、活動にこそあるとアリストテレスはいいます。

アリストテレス主義の要点は二つです。ひとつは、善を幸福として考えること。このことはプラトンと逆の発想です。現実の活動の中から善の内実を語っているといえます。そしてもうひとつは、幸福を魂の活動に見出したことです。

例えば、アリストテレスにおいては、健康で不自由のない生活が幸福かといった場合、幸福ではないということになる。健康も不自由のない生活も状態であって、活動ではないからです。健康でも、それをどのように使うかであり、不自由のない、例えば、お金に不自由がないと言った場合、どのように使うのか、すこし踏み込んで言えば、どのように「よく使うのか」それができないと、幸福とはなりません。この“よく”ということに関してアリストテレスは、習慣的徳と知性的徳というふたつのアプローチをもうけていますが、その部分はひとまず措きます。

こうしたふたりの善とか正義とか普遍的真理といったものを対比した場合、非常に通俗的なものの言い方になり恐縮ですが、プラトン主義がどちらかといえば、二元論的(それがプラトニックという所以ですが)・真理実在論であり、アリストテレス主義の場合、一元論的・内在論といえるかもしれません。

で……、現実の場で考えてみると、考え方として、絶対的な正義や、絶対的な善といったものが、どこか、われわれの泥沼にまみれた現実世界を超越した真理の世界に、あらかじめ所与のものとして存在すると考えることは、すっきりするといえば、すっきりします。宇宙の法則しかり、自然界の法則しかりです。われわれの現実的行動を、形而上からささえる基盤があると考えるのは発想としてすっきりしています。またそう思うことも多いと思います。

それに対して、普遍的真理が内在的なものと考えれば、アリストテレスの幸福論のように、<善く>生きるといっても、人によってアプローチや達成の方途が全く異なってきます。どのように価値的に<善く>生きるのか……という問題が当事者に投げ出されているという現実に当惑させられてしまうことの方が多いと思います(もちろん、アリストテレスの場合は、一つ観想という魂の知的運動に最大の幸福・善の実現を見出していますが、発想をかりるだけでそこまでは踏み込まないようにします)。

前フリがながくなってしまいました……。

で……、どちらが良いのか?というわけではありませんが、ワタシの実感ですが(実感デスヨ)、普遍的な真理とか絶対的なαでありΩであるような軸とでもいえばいいでしょうか……そうしたものは、あるのかもしれないと思います。ただカントがいうように、人間の理性の力には限界があるから確認のしようがない。感性界に生きる我々は、イデアが存在するような叡智界(プラトンのいうようなイデア界)に存在する物自体を正しく認識することは不可能です。だから、それに「ふさわしく」生きる。また「(幸福とか真理とか正義とか絶対的な善とかに)ふさわしくあるような自己を目指して」現実を生きていく。そのことしかできないのかと思います。

もちろん、いうまでもありませんが、そうした現実の緊張感を超克するのは宗教的な真理把握(宗教体験)になるのだと思いますが、議論としては、世俗に生きる人間のレベルで話を進めてみました。

カントのいうように、人間は、絶対的な善とか正義を、正しく認識することはできないとしても、それに対して、ふさわしくあるように人間は努力することが可能である。だとすれば、不完全であっても、現実には善とか正義とかを実現することは可能になるんだと思います。ただそれはひとによって千差万別で、善や正義を実現させるマニュアルとかハウツゥー本はないんだと思います。でも、人間はひとりではありません。目指そう!と励まし合い、体験を語り合いながら、漸進することは可能だと思います。

あと蛇足ですが、絶対的な真理が人間の存在と関係なく、所与のものとして存在するということを巡って、詩聖タゴールとアインシュタインが論争をしております。アインシュタインは絶対的な真理が人間の存在と関係なく存在すると主張しました。例えば、万有引力の法則を例に取ってみれば、そこに人間が存在しようがしまいが、存在する。人間という生き物が仮に地球上に存在しないとしても、リンゴは木から落ちる。だから普遍的な絶対的な真理は、アプリオリに存在するとの主張です。

この主張に対して、タゴールは、絶対的な真理とか普遍的な真理というものは、人間存在の関わり抜きには存在しえないと主張しました。人間が存在しない地球において、リンゴがおちても、それは真理としての万有引力の法則ではない。人間という存在と無関係の真理は真理でないというのがタゴールの主張です。

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真理が人間性から遊離して存在するというのは、実際には科学そのものを否定することになる。人間に知り、理解できる事実だけを、科学は合理的概念として体系づけることができるからであり、論理とは、機械的な人間がつくりだした思考の機構であるからである。
     --タゴール(森本達雄訳)「人間の宗教」、『タゴール著作集 第7巻』(第三文明社、1986年)。

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タゴールのいう真理とは、人間の精神によって把握されるものであり、たんなる論理的知性とか悟性によって把握されるのではありません。全体的な精神性の立場から、経験的に把握されるものである。だから科学もまた人間という立場を離れることは出来ず、人間と無関係な真理を考えるということ自体、科学の自己否定であるという主張です。

こういう考えに耳を傾けてみると、絶対的とか、普遍的とか、そうした、いわば、「誰にも当てはまり」「だれもがそう思わざるを得ない」というような考え方(真理とそれを読んでよいのでしょうが)は存在するのは存在するが、それは人間のいきているこの現象世界を超越した、どこか宇宙の果てに存在する所与の法則とか価値機軸ではないのかもしれません。その意味で、絶対的とか、普遍的とか、そういうものは、予めあるのではなく、あったとしても、「誰にでも獲得可能な」という意味で、絶対的で(=そう考えざるを得ない)、普遍的(=誰にでも当てはまる)のだと思います。

哲学とは何か……といった場合、いつも次のように定義しています。

すなわち、

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哲学とは、人間が世界について、自分について考えるということ。その際、哲学とは、人間が言語を通して徹底的かつ精確に、合理的に考えようとする試みである。その営みは、自分の考えを“普遍的真理”と思い込んで他者に押しつけようとするものではない。
その反対に、自分の考えを他者の吟味に委ね、相互批判を通して、多くの人を納得せしめるような強い考え方(普遍的な考え方や原理)を作り出そうとするものでなければならない。
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その意味でようやくたどり着きましたが、「正義とか絶対的な善というもの」は存在するといえば存在すると思います。ただし、それを所与の原理原則として「固定化」することは、イデオロギーの奴隷となってしまいます。そうではなく、例えば、それを普遍化ならしめる過酷な対話レースを勝ち抜き、獲得されるところの、だれもがそう考えざるをえない価値機軸こそ、本来的な強さと説得力を持つ、「正義とか絶対的な善」なのではないのかな……そんなところです。

だから、固定化の議論で言い換えれば、正義とか善といったものは、確かにあると思いますが、それを一人一人が、自分の現場で、普遍化たらしめる、過酷な対話レースを繰り返す中で、ときには涙し、ときには友と深い握手をしたり、ときには笑いながら、獲得していくものではなかろうかと思います。どこかに完成品があるようではないと思うのですが……。

本当の価値とか正義とか真理というものは、本来は自分自身が創造するもだと思います。人間自身を離れて存在するものこそが、なにか客観的な真理だとする考え方が強いと思いますが、そうした真理はしばしば権威化し、人間を支配するものへ転化してしまいます。権威となった真理は私のものではなく、おそらくそれは真理ということもできないものなんだと思います。

趣意がつたわっていないとすいません。

こういう話は、酒でも飲みながらヤルのが一番なんですけど。

いつか皆さんと呑みながら話したいものですネ。

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人間主義再考<2> 被造物の自覚、凡夫の自覚

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私は人間である。人間に関することで私と無縁なものは一つもない。
Homo sum. Humani nil a me alienum puto.
    --テレンティウス(木村健治ほか訳)『 西洋古典叢書 ローマ喜劇集<5>』(京都大学学術出版会、2002年)。

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本来、人間を人間としてお互いに尊重し、豊かな共同生活をおくらせしめるべく整備されてきたはずの人間主義(ヒューマニズム)という発想そのものが、人間中心主義とでもいうべき、他者や環境、そして共同体と<孤立>した<個人>へと一極集中した考え方へと変貌して待った。その結果、われわれにもたらされたものは、人間自身の生存を脅かそうとする状況であり、対他関係の現実である。

ただし、人間がこの世界での生存を望むのであれば、真正に人間とは何か、そしてどのように、そうした人間と人間が向かい合っていくべきかは、考えざるを得ない。

人間中心主義は唾棄されてしかるべきであろうが、人間そのものを真正に捉え直し、対他関係(環境も含む)を踏まえた上で、その尊厳を尊厳たらしめる<人間>主義は議論されるべきであるし、その在り方はひとりひとりの人間が所与のものとして受け取るのではなく、自己の中に立ち上がらせ、対他関係のなかでよりより在り方を学んでいかざるを得ないと思う。

この問題には様々な立場から考えることが可能であろう。例えば、環境との関わりや生存圏の問題から、生命を捉え直す環境倫理学の立場から捉え直す視点もそうであろう。また、人間中心主義を招いた、デカルト以来の西洋形而上学の伝統の再検討を目指す、いわば哲学の「脱=構築」という立場もそうである。こうした考え方は、20世紀後半から大きな潮流となり、様々な分野で大きな業績を残している。そのため、ここでの議論はひとまず措く。

今回は、宗教学とか神学が交差する視点から考えてみたいと思う。

ひとつのキーワードとして、先に提示するとすれば、それは<被造物の自覚>であり、<凡夫の自覚>という視点にヒントがあると思われる。

人間主義という言葉は先に見たとおり、ラテン語の「フマニタス(humanitas)」由来する。このフマニタスとは、ローマ時代において、ローマの外側に広がる野蛮な世界に対して、人間的なものを指し、フマニタスと呼ばれたわけだが、ルネサンス期においてその概念が再生される際、「人間的なもの」は野蛮との対比ではなく、「神的なもの」との対比で扱われた。ここにひとつヒントがあると思われる。

中世ヨーロッパの世界は、確かに、ローマ・カトリック教会を中心にした神聖なコスモロジーのもと、宗教的な価値観が生活を規定し、まさにゆりかごから墓場まで教会が、ある意味で“支配”していた世界である(もちろん、現代の歴史学や中世神学の最先端では、そうした“支配”構造が一面的な理解に過ぎないとの指摘もあるが、この問題もひとまず措く)。そうした支配の揺らぎが、中世末期から近世初頭にかけて、まさに台頭してくるわけだが、そこでキー概念となるのが、デカルトの“我思う故に我あり”の主張である。そしてその誤解の定着化である。

単純化していえば、それ以前の世界は、すべて宗教的な価値観による真理規定が存在したが、デカルトの主張は、人間の理性をすべての認識基盤の出発点せよという主張であり、そのことによりデカルトは神の存在証明を行おうとしたわけだが、前者の視点が肥大化するなかで、人間はすべての中心軸におかれてしまったところである。そのこと自体わるいわけではない。しかし問題なのは、人間のいわば、<神化>という事態である。<神化>という発想自体は、悪いものではないかもしれない。アッシジの聖フランチェスコは、一瞬一瞬の雄大な自然の姿の中に、何か神的なものを認め、さえずる小鳥にまで説教したといわれるが、そうした一瞬一瞬の造化のなかに、なにか神的なものを感じる瞬間はあるだろう。しかし、それは人間からの応答ではなく、あくまでも神からの恩寵である。恩寵は人間から発しない。神があるがゆえに、人間の神聖さが保証されるという逆の構造である。

とわいえ、そうした交通路の問題を別にしても、バルトが嫌悪したような自然神学的な、なにか神聖さが認められる一瞬はたしかに存在する。しかし、一番大きな問題は、<神化>の<固定化>という問題である。

<神化>ないしは、<神性>なものが、所与の属性として<固定化>されたところに、問題があり、そこに驕りと悲劇が生まれる原因があるのではなかろうか……そう思わざるのが宇治家参去の実感です。

通俗的な言い方ですが、ある意味では、人間は、「無限の可能性」とか「無限の力」をもっているのでしょう。その意味では、他の被造物と違って、まさに、神にちかい被造物であり、そこに他の動物や植物と大きな質的な断絶が存在する。

しかし、それだけでもないが現実である。
人間は、他の被造物と同じように、「有限」な存在であり、死すべき存在であり、神学的には、まさに、罪を背負った存在である。その意味で、「無限」と対峙する「有限」さを内包した、矛盾する存在である。

しかし、<神性>の固定化、無限の高潮は、いきおい、人間の有限さを忘れさせる結果となり、存在自体の尊厳性ばかりが甲高い声で主張され、無限が手放しで歓迎される結果となってしまったのではあるまいか。他の動物を支配し、環境を操作した。そして、その議論に乗るならば、本来、自己と同じような<神性>をもち、「無限」の可能性を秘めた他者を目的とするのではなく、手段とする対他関係を極限まで押し進め、現在の事態が招来された……そう言い切れなくもないのではなかろうか。

人間は、牛や馬、犬や猫といった、神から造られた被造物といえば、同じような有限な存在である。今、忘れられているのは、そした「有限の自覚」である。有限性を顧みず、無限性のみ高揚するのは、一面的な人間理解であり、ゆがんだ人間理解である。ゆがんだ発想を極限まで押し進めれば進めるほど、ゆがんだ現状を露呈してしまう。ただそれだけのことだ。

「無限の可能性」も「無限の力」も「有限性の自覚(=被造物としての自覚」なくして成り立たない。

ただそのことである。

今までの議論は、通俗的なキリスト教理解の線で話を進めてきたが、同じようなことは仏教的な世界観でもいえよう。

それは、宮沢賢治がいえば、<デクノボーの自覚>とでも言えばいいのでしょうか……<凡夫の自覚>ということである。

小乗教典においては、まさに、人間という存在は、永遠に続くような修行を何代にも渡って繰り返し、その果てに、成仏が可能になるという発想があったが、大乗系の仏教においては、内在する仏性ももとに、現世での凡夫の成仏が可能になった。

いわば、人間の尊厳性の根拠であり、そして無限の可能性の根拠である「仏性」が人間に内在するという如来蔵の発想がそれである。

仏性の主張は、新しいものではないが、そこである程度共通しているのは、凡夫が現世で成仏するためには、もともとそうしたダイヤモンドのような尊厳性を内在していても、そのままではダメで、修行によって尊厳性を尊厳たらしめる努力が必要であるという点である。形態は千差万別だが、仏性とよばれる無限の可能性とか尊厳性をもっているだけではダメだという点ではマジョリティは共通している。

単純化して言えば、「無限の可能性」とか「無限の力」の根拠となる「仏性」はそれだけでも、多分(専門じゃないので許して)、当人が持っているだけではダメだという点である。当人が、その存在を自覚し、それを尊厳たらしめる努力・修行がない限り、無限を無限たらしめることが不可能ということである。

しかし、そうした仏性の発想は、伝教大師・最澄(767-822)によって、天台教学のひとつとして日本にもたらされ、整備されたが、中古天台教学において、ひとつは天台本覚思想として発展をとげる。鎌倉新仏教とよばれる始祖たちもおおむねこの発想の受容と対峙が大きな問題となるが、この思想のひとつのながれは、“素晴らしき”が内在するが故に、そして“もともと素晴らしき”仏性を持っているがゆえに、修行は不必要という主張へと発展する(立川流もここから出てくる)。

それが人間主義を考える上では、大きな問題と言わざるを得ないのである。
キリスト教学的にいうらならば、<神性の固定化>という事態と心根は同じである。
それが問題のである。

<凡夫の自覚>、ないしは、<被造物の自覚>とは、人間が有限な存在である事実と、無限への開けを両眼でみる、両者の緊張的な弁証法的関係である。有限であるが故に、無限であり、無限であるがゆえに、有限である。そうした緊張関係が生の現実であり、片方を高揚したものの見方では、真実を語ることは不可能である。

あるがままに尊厳があるのではない。
尊厳を内在しているにせよ、付与されるにせよ、尊厳を尊厳たらしめる緊張的な努力を放棄したとき、“慢心しきったお坊ちゃん”の時代が到来するのである。

んー、うまく書けませんねエ。
覚え書きふうに、書き流しましたが……。
いずれにせよ、<被造物の自覚>や<凡夫の自覚>がない限り、人間の尊厳性は安っぽいものになってしまうのではと危惧します。あるがままに神ではないし、あるがままに仏でもないんだと思うのだが……。

そのうちに、「その<3>へ」

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人間文化の徹底的な建直しを宗教性の否定において、宗教的の無限性格を以て見出さんとするニーチェ的人間宿命のヒロイズムは、或る意味において姿を変へてナチス的な民族的血の神話の中に再現されたとも見ることが出来る。今かうして無神論的な社会主義や神話的民族主義等が結局真の信仰を失つた人間の自殺的な悲劇に他ならないことを最も深い西洋近代人間の解剖を以て指摘したものが、ドストエフスキーの偉大なロマン『悪霊』の中に見出され得ると思ふ。このロマンはさうした意味において、近代ヨーロッパにおける宗教的精神性の悲劇を最も形而上的に直感し預言者的に洞察したものであると言へよう。

 かうした「文化としての宗教」と言つた人間主義的な宗教の観念が、帰着するところ徹底的な無神論、乃至徹底的な人間神化の悲劇的な宿命となるところに、此等の立場に対する一種の警報が発せられる所以がある。そしてそれは軈(やが)て他の極端な文化否定の立場において、宗教を徹底的に把持せんとする立場の出現となるであらう。今同じくヨーロッパの近代精神史についてこの立場を系統づけて見れば、先の人間主義的な「文化としての宗教」の立場がルネッサンス的な自然観や人間観に繋り得るごとく、このルネッサンス的な人間に徹底的に対立する所のレフォルマチオン的乃至宗教改革者的宗教理念がそこに指摘される。実際第一次欧洲大戦前後の宗教精神界において意識された危機的な人間意識を繞(めぐ)つて登場した所謂弁証法的神学といふ、近代的文化プロテスタンティズムの徹底的批判を意味する立場は、「ルッターに帰れ」「カルヴィンに帰れ」といふ原始プロテスタンティズムの志向を意味したのであつた。この立場において、例へばカール・バルトがその『ロマ書講解』の画期的な著作を以て爆弾の如くに投下した思想、或ひはエミール・ブルンネルやフリードリヒ・ゴガルテンなどの如き人々の近代的イデアリズム乃至文化主義の批判の試みは、帰するところ世界の危機的有限性乃至罪悪性を暴露するところの「世界審判としての宗教の立場」の意味づけに他ならなかつた。宗教とは文化に対立して、文化をその人間的有限性において暴露するところの審判に他ならない。宗教は人間の側より、文化の側より下から基礎づけられるものではなく、却つて人間に対立し、人間文化への危機を意味する、上よりの垂直的降下の天啓の語における審判を意味するものである。歴史的世界は、そしてその文化は、宗教の前に一応全く無として罪として否定し盍(さら)される。人間性とその文化に対する死を宣告するものが、宗教の真理である。かゝる文化の否定としての宗教性の意識は、直接には近代的人間中心主義的な宗教間年への根本的自己批判を意味するものとして、具体的現代的思想状況の所産であると言ふべきであるが、然しそれはそれらの主張者において、明白に志向された如く、神学的に原始宗教改革者達の人間観や歴史観の立場を表明せんとするものである。即ちそこにおいて志向されるものは、ルッター、カルヴィン的な原罪観乃至救済観とそれに繋る週末論的な歴史観乃至文化観の立場である。原始プロテスタンティズムの原罪観乃至救済観は、つまり「神の前に」立たされた人間の罪悪性、「永遠の前」に立たされた歴史と文化の空虚を強調する立場であるが、然しそこには「神と人間」、「永遠と時間」との距離を強調する余りに、人間性とその歴史を全然消極的に「死の相の下に」(sub specie mortis)見るといふ、一面的な否定のラディカリズムに陥つうてゐる点において、先に述べたのと対蹠点的(たいせきてんてき)な無神論的なニヒリズムの立場と、そのラディカルな性格において、何等か相通ずるものがないとは言へないものがある。しかしこのことは今さし措いて、この徹底的な人間性本質の文化の否定において宗教性を定立する考へ方には、先きの宗教を文化と人間性に同一化して世俗化し現世化して考へる立場に比すれば、遙かに深い宗教性の真実を把握してゐる点が認めなければならない。宗教は固と人間の罪の意識と救済の要求を外にしてはないのである。神の実在的威厳の深い意識なしに真実の宗教性は存しないのである。神の前に己を主張する、或ひは己の中に神を包摂し盍すところには、宗教性はその本質を見失はれ、神はその姿を見失はれてゆく。神あつての世界であり、神あつての人間であるといふ意識の中にこそ宗教性は存するので、人間のための、人間の故の神といふ意識の中には、神は実在的には臨在しないのである。この意味において、近代の初期の宗教改革者的な宗教意識が、宗教性の外面的世俗化意識に対するプロテストとして現はれ、神の絶対性を人間の徹底的在悪性の強調において意識しようとしたのは、確かに深い宗教性を表明してゐるものと言へるのであるが、然しそれは後に述べるであらう如く、真の宗教性の一面を強調する立場であつて、特にキリスト教的神観及び人間観において、真の深い全体的な真理は、かゝる神の絶対他者性や人間の絶対在悪性を強調するところに存するのではない。たゞこの立場が特に近代的な西洋精神史の状況において、次第に人間主義化されてゆく、世界内在化されてゆく誤謬に対して、神と世界との「無限なる絶対的質的差別」を強調する点に、その近代に対する訂正的意味をそこに見るならば、この立場は本来的な立場への復帰の一つの契機ともさえ得よう。即ち今日の弁証法的神学乃至危機神学といふ立場の根源に、近代的イデアリズムの最高の表現とも言ふべきヘーゲルに直面対峙する北欧の預言者的思想家ゼレン・キェルケゴールが存するが、このキェルケゴールの意味がとりもなほさずかゝる危機的な近代訂正(Korrektiv)といふところにあると言へるのである。このキェルケゴールに繋る現代の所謂「実存哲学」の立場においても、人間の有限なる不安なる存在としての把握が深く営まれてゐるのであるが、この現代的有限人間性の実存形而上学の立場にも一種の危機的意味をもたしめ得るのでそれ自身としては却つて「世界内在的存在」としての人間の自意識の営みと言つた一種の宿命的無神論の主張ともなつてゐることは、例へばハイデッガーの哲学に知られる如くである。が然し又それは人間性の限界状況を自意識することによつて、更にこれを超越的無限者の最も生命的な把握乃至飛躍への契機となすことも出来るのであつて、実存哲学的な人間意識はキェルケゴール的道を通じて軈てアウグスチヌス・トマスと言つた伝統的キリスト教哲学の神観に繋る契機ともなし得るであらう。
    --吉満義彦「文化と宗教の理念」、『吉満義彦著作集 第1巻』(みすず書房、昭和二十二年)。

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人間主義再考<1> 評判の悪いヒューマニズム

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ヒューマニズムは人間の個性を発見し、これを十分に発揮させ、中世の生活におけるあの屈従から解放し、自己肯定と創造の自由な道を教えたものといわれている。しかしヒューマニズムにはまたこれとは反対の原理がある。そこには人間の向上、創造的人間能力の発見の原理ばかりではなく、人間の低下、創造的能力の枯渇、人間の弱体化の原理もある。(中略)自己自身を肯定し、人間的なものよりも偉大な一切のものを否定する人間は、究極において、彼自身の能力の意識を崩壊させる。これは近代史上のヒューマニズムにおける最も大きな逆説の一つである。
    --N.ベルジャーエフ(氷上英広訳)『歴史の意味』(白水社、1998年)。

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 20世紀初頭のロシアの思想家ベルジャーエフ(Nikolai Aleksandrovich Berdyaev,1874-1948)は、人間(中心)主義が人間の孤立化を招き、結果として人間性をその内部から崩壊せざるをえないと人間主義の問題点を指摘した。無制約な自己肯定は、人間そのものを弱体化させ、かえってアンチ・人間主義になってしまう。そのパラドックスを見事に示して見せたものである。

 たしかに、現代哲学の世界では、人間主義の評判はかなり悪い。
宗教的な世界観や社会制度による束縛から解放され、慢心しきったお坊ちゃん(オルテガ)と化し、みずから全知全能を自負して已まない現代人が、自然を征服し、環境を操作し、諸々の問題を引き起こした原因として人間主義、すなわち人間中心主義が批判の矢面に立たされている。

ヒューマニズムは、ラテン語の「フマニタス(humanitas)」由来する。このフマニタスとは、「人間的なもの」との意味であり、もともとはキケロ(Marcus Tullius Cicero,B.C.106-43)など古代ローマの哲人たちが用いた概念である。キケロの時代、ローマ世界の外側にある野蛮な(barbarus)世界に対して、人間的な(humanus)ものを指して、フマニタスと呼んだのである。これは広い教養・教育を意味し、人間の人間たる所以は、そうした教養・教育を身につけていることであるとされたのである。

こうしたフマニタスの概念を再生させたのがルネサンス期の人文主義者たちだが、ルネサンス期のフマニタスは、次の点で古典期と著しい対比をなしている。すなわち、「人間的なもの」は野蛮との対比ではなく、「神的なもの」との対比で扱われた。古代ローマ時代のヒューマニズムが野蛮と教育(文明)との対比で人を見て、人間化していくという戦いの意義をもっていたのに対して、ルネサンスのそれは人間を超えた(=神的な)ものへの戦いという意義をもっている。清濁あわせのむ人間の実像を描いたボッカチオや聖職者の堕落を指摘したエラスムスも文芸も、神的なものと対峙した人間に焦点があわされているのもそのためである。

ルネサンスを経て、17世紀を生きたデカルト(1596-1650)は、「我思う、故に我あり」と説き、“考える”ことの重要性を指摘した。デカルトにとって、すべての出発点は、あらゆる超越的なものを排した自己自身でなければならなかった。このデカルトの原理こそ、近代に誕生する“個人主義的ヒューマニズム”の基礎となる。「我思う、故に我あり」――すなわち自己が存在するためには、なにも超越的な存在者の援助は必要ではない、との宣言である。ただ必要なのは「考える」ことだけである。「近代的自我」とは<考える“わたし”>である。すべては考える私から出発し、尊厳の根拠もそこにある。このデカルト的発想を基礎にして「個人主義」が成立し、フランス革命を経て、人権という概念に結実する。デカルト的発想は、以後、西欧の知的伝統の主流となり、近代哲学では、人間存在の基盤を思惟に置くようになる。

近代のヒューマニズムは、<考える“わたし”>をすべての出発点とし、そこに尊厳をおく。この<考える“わたし”>こそ、彼我と交換不可能な「個人」のことであり、英語では<individual>と訳される。元々の意味は「分けられないもの(in-dividual)」である。つまり個人とは究極の単位であり、独立したものである。考え、行うことすべては自分自身の主体的行為である。個人主義的ヒューマニズムにおいては、この世界は自分を中心にまわっているともいえよう。世界の中心軸は、主体的に考え、行動するこの自分である。
ヒューマニズムが西欧において人々の心をひきつけ、近代以後の哲学・芸術・文学、さらには社会運動の原動力となってきたのは、神中心主義のキリスト教伝統が人間を抑圧していたという事実があったからである。圧迫があったからこそ、そこから人間を解放し、人間をこそ最も尊び、あらゆる創造的営みの主役にするべきであるとする(個人主義的)ヒューマニズムが、現実変革の原理として力をもちえたのである。フランス革命やアメリカの独立宣言、さらには以後、急速に広まる信教の自由もこうした思想と変革運動の所産である。元来、ヒューマニズムは、人間の尊厳性を認め、これを圧迫と束縛から解放することを目指したのであり、その限りにおいては高く評価することができよう。しかし、近代ヒューマニズムには人間そのものを再び危機的状況に陥れる諸問題をはらんでいる。
人間性の解放を謳った近代ヒューマニズムは、一方においては理性による厳格な真理の探求としてあらわれたが、他方においては、物質的・現世的な欲望の追求となってあらわれた。

真理の探求は、自然を機械的・物質的な対象としてのみ捉える志向性(=デカルト以降の心身二元論)から、自然は切り刻まれ、大自然に対する素朴な畏敬の念を失わさせる結果となった。環境に神性を見出さず、操作対象として扱った結果、環境問題が惹起したことはいうまでもない。そしてデカルトにより定式化された個人尊厳の原理は、「我思う」よりも「我あり」に重点が移ってしまい、人間の崇高性の真摯な探求が失われてしまう。そのため、自己の存在が無前提に肯定され、無制限に主張されるようになってしまい、結果として、人間の尊厳性を奪ってしまったのである。つまり、“尊極の個人”の尊重が、“わがままな個人”の肯定へ、はき違われてしまったのである。

こうした問題を踏まえると、人間を解放し、尊厳されるべき存在として真正にその存在を認めようという発想から誕生した人間主義(ヒューマニズム)の伝統は、ここにきて、人間存在そのものを崩壊させる唾棄すべき言説へと質的な変貌を遂げるに至っている。

現代の思想状況において、人間主義は実に評判が悪いのも頷ける。

古代ローマの文人テレンティウス(Marcus Terentius Varro,B.C.116-B.C.27)は次のように語ったという。

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私は人間である。人間に関することで私と無縁なものは一つもない。
Homo sum. Humani nil a me alienum puto.
    --テレンティウス(木村健治ほか訳)『 西洋古典叢書 ローマ喜劇集<5>』(京都大学学術出版会、2002年)。

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現実には、「私は人間である。人間に関することはすべて私と無縁である」といった<孤人>主義的フマニタスが蕭然と広がっている。

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おお炎々と燃える天守閣!

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町はにわかに物々しい戒厳状態に入って、辻々には剣付き鉄砲をかついだ番兵が二人ずつ立ち、刀を差した巡査が、三人五人と組をなして街を見廻り、挙動不審とみれば、容赦なく引留めて、妙名や住所、用向きをきき糺(ただ)していた。私たちが家に着いて間もなくである。凍るような寒空をとどろかして、どどんと号砲が三発、続けざまに鳴った。
 早くも城下は戦時状態に入ったのである。
 その翌日、二月十九日も、身を切るような寒い風が強く吹き荒んでいた。お午近くである。にわかに門前が騒々しくなった。
 「お城に火がついたぞ!」
と叫ぶ声が聞こえて来た。
 私はびっくりした。父はもっと驚いて立ち上がった。
 裏切者の仕業か、それとも士族連の斬り込みか。熊本城下は一瞬にして魂を奪われた。しかし、まだ薩摩の軍勢は城下に入っていなかったのである。
 村の若い者は勿論、老人も子供も、白川の堤防へと駆けて行った。父は、
 「かねて覚悟はしていることだ、騒いでも仕方がない。わしが見て来る。お前方は、言いつけておいた通り、身につけるものは、それぞれ身につけて、わしの帰るのを待っていなさい」
と母と姉に言いつけてから、
 「正三と次太郎は、わしについて来い」
と言った。私は次太郎と共に、父の後に従(つ)いて、お城のよく見える長六橋に行った。
 本山から迎町にかけては、大変な騒ぎで、長六橋に来てみると、附近は人で埋まっていた。
 おお炎々と燃える天守閣! 窓から凄まじい火焔を吹いて、強風が黒煙を竜巻きのように、空高く巻きあげ、城下の街々へ火の粉を降らしている! 強風にあおられて火勢はますますつのるばかりである。暫くすると天守閣全体が、一つの火の塊となって昇天するかのようである。
 父は長六橋の欄干に身を寄せて、じっとお城を眺めていた。
 「何が原因であろうとも、天守閣を焼くとは言語道断、実に怪(け)しからん」
とぶつぶつ憤慨し出した。その瞳は涙に濡れている。私も悲しくなった。群集の中にも泣き声で、
 「士族が火を放ったのだろう」
という者もあれば、
 「馬鹿め、たとえ敵味方に別れても、お城を焼く士族が何処にある!」
と怒号する者も、共に泣いているのである。中には拳で涙を拭いながら「おいおい」声をあげて泣いている立派な士族もある。
 道に土下座して合掌し、念仏を唱える老人もあれば、土下座したまま立つ気力もなくなって、
 「恐ろしいことでございます」
と身をふるわせている者もある。
 この悲壮な情景は、筆や言葉に尽くせない。それもその筈である……
 慶長十二年、清正公の手によってお城が完成されて以来、二百余年の間、私たちの先祖代々が、この城下に生まれ、この城を仰いで育ち、この城を守り、この城と共に栄えてきたのである。そして、自分たちの宝として誇り、藩主細川公の居城として尊敬してきた名城ではないか。一朝に焼尽して行くのを目前に見て、嘆き悲しまない者は一人としてある筈がない。
 父も泣いた。私も泣いた。次太郎も大声をあげて泣いた。溢れる涙で曇る眼を開いて次第に焼け落ちて行く天守閣を眺めていると、突然群集の中から、 「おやッ、上林の方に火の手があがったぞ」
と叫んだ。私は、はっとした。上林は生田の家の在るところだ。
 全市の半鐘が私どもの心臓のように早鐘を打ち出した。
 「通町にも火が移ったぞ」
 「唐人町も燃え出したぞ」
 城下の方々に火焔が渦巻き出して、騒ぎはますます大きくなるばかりである。やがて非難する人たちが、なだれを打ったように押し寄せて来た。
 「これは大変だ。ご城下全体が火の海になってしまう。正三、さあ帰ろう」
 私は父に促されて、急いで家に戻ると、母たちはもうすっかり避難の準備を整えて、私たちの帰りを待っていた。父は欅の大樹の下の祠に額づいて、暫く黙禱してから、座敷に一家中を集め
 「城下は大変な火事になってしまった。官軍の準備もすっかり出来たようだし、薩軍も国境を越えたのであろう。薩軍が熊本に入るとなればこの辺は陣営になろう。西郷さんが率いているといっても、旧兵隊のことだ、規則も厳しくない、どんなことが起こるか判らない。お前(母)は真佐子や真臣を連れて今から谷尾崎へ避難しなさい」
 母は私をちらりとかえりみて「正三も一緒に連れて行きたいが……」と言うと、父は、
 「正三はもう十歳だ、女子供と一緒に逃げるようなことをさせてどうする。ここに残してわしの手伝いをさせる」
と叱るように言った。母や姉やお寿加伯母さんは、真臣や妹たちを連れて、早速西郊の谷尾崎へ非難した。あとは父と私と次太郎と三人で家を守ることになったのである。
 城下の火事はますます激しくなって行くばかりであった。
    --石光真清『石光真清の手記1 城下の人』(中公文庫、1978年)。

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冒頭は、明治から大正にかけてシベリア、満州での諜報活動に従事した陸軍軍人・諜報活動家・石光真清(1868-1942)の手記より。

熊本藩士・石光真民、守家(もりえ)の四男として熊本市本山町に生まれ、父・真民は産物方頭取を務めていた。引用シーンは、西南戦争で、熊本に西郷隆盛率いる薩軍迫り、天下の名城と謳われた熊本城が炎に包まれた日について叙述です。

この手記は、明治期から大恐慌まで陸軍で諜報活動に従事していた石光真清が残した細やかな記録をその子息が取りまとめた体裁ですが、そこにはナショナリズムを煽ったり、妙なヒロイズムを高揚するような筆致は全くありません。非常に淡々と日常が語られているだけです。
“藩”のパトリオティズムから“帝国”の“ナショナリズム”へひとびとのメンタリティがどのように編制されていくのか--読み始めると止まらないこと必至です。

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 慶長十二年、清正公の手によってお城が完成されて以来、二百余年の間、私たちの先祖代々が、この城下に生まれ、この城を仰いで育ち、この城を守り、この城と共に栄えてきたのである。そして、自分たちの宝として誇り、藩主細川公の居城として尊敬してきた名城ではないか。一朝に焼尽して行くのを目前に見て、嘆き悲しまない者は一人としてある筈がない。
 父も泣いた。私も泣いた。次太郎も大声をあげて泣いた。
    --前掲書。

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“お国”のために泣いたわけですが、その“お国”は、まだ郷土というレベルの想像の共同体への忠誠であり、今日の日本と呼ばれる範囲に対する忠誠は、明治ヒト桁時代には、あまり現れてきません(形となるのはやはり日清~日露戦争期ですが)。

で……、
石光自身の人生は、語られている通り、結局は揺れ動く国政や軍部に振り回され、失敗を繰り返して終わるわけですが、この顛末も悲劇的です。ただし、それを嘆くのでもなく、過去をノスタルジックに憧憬するわけでもない。いわば、一人の明治人の記録という立場に終始して淡々と語りのみである。しかし、淡々とある独白だからこそ、現場の様子がよく伝わってくる。

思えば、石光の活躍した日清~日露戦争期の中国東北部(いわゆる満州)も、無政府状態であった。政府(清)が機能せず、馬賊の群れが実質管理を果たしていた地域で、諸外国が利権確保と在留自国民保護の名目で出兵しあい、出方をうかがい、しのぎあう。こうした構造自体はいまだ変わらず--というところでしょうか。

さて、熊本出張の精算や採点がすべて終わり、夕方大学へ発送するだけになりましたので、ひとつ総括を。

①ふるい城下町だった都市は、都市計画がさっぱりしている。
 基本的には、城下の編制どおり、官庁街、歓楽街、住宅街が整頓されてい、無定見な近代都市よりわかりやすく、道路がひろい。

②焼きモノの串が驚くほど旨く安い。
 名物は馬刺しと天草の海産物ですが、阿蘇を中心に育てられた地鶏や豚、そして新鮮な野菜や海産の焼きものの串(焼き鳥)が驚くほど、安くてうまい。博多なんかも比較的そうした部分がありますが、そのうえをいくレベルでしょうか。

③歩きたばこが少ない。
宇治家参去は愛煙家ですが、いちおう、外で吸う際は状況を気にかける人物です。たった3日の滞在ですが、市内で、歩きたばこをしている人間と出くわしたのは1件だけ。たまたまそうだったのか、はたまた条例で、市街が禁止区域に指定されているのか不明ですが、このことに衝撃を受けました。

④シャイ(謝意)。
授業とか、飲飯のやりとりしかありませんが、概して、シャイな方が多いのでしょうか--。慎み深いといいますか、思慮深いといいますか、穏やかな方が多かったです。

そんな感じの熊本紀行でした。
来年は行けるのでしょうか……。
いずれにせよ、関係各位に謝意です。
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シビレエイたるソクラテス② 暗黙知との関わり

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 ちょうど、前日紹介したプラトンの『メノン』における探求の議論をどこかで読んだよなアと思っていたので、昔読んだ本をパラパラ読みますとありました。

 ハンガリーの科学哲学者とでもいえばいいのでしょうか……マイケル・ポラニー(ないしはポランニー)(Michael Polanyi)によって1966年に提示された概念のひとつに、認知のプロセス、ないしは、言葉に表象できる知覚に対して、言表できない・説明不可能な知覚を指す言葉に『暗黙知(Tacit Knowing)』という概念があります。それが『暗黙知の次元』という書物になっているわけですが、そのなかに、プラトンの『メノン』のパラドックスに関する議論が含まれております。

 Polanyi(日本語表記が統一されていないので、ローマ表記で)によれば、知識というものがあるとすれば、その知識の波形には必ず“暗黙の次元”のおける“知る”という作動が存在する。それが概念かされたものが、「暗黙知」である。まさに「暗黙に知る」ということだ。このことは、経験やヤマカンに基づく曖昧な知識、潜在的な知識、先験的なオカルティックな知識とは全く異なる概念である。いわば……、記述に還元不可能な、統合的・全体的な知とでもいえばいいのでしょうか……明示的な知が“語られるもの”とすれば、暗黙的な知とは、“語られ得ない”が人に“知られた・知られうる”知であり、人の身体には、暗黙のうちに、しかも自然に、複雑な制御を実行するプロセスが作動することで、状況制御が可能となる、語り得ない知が立ち上がる、それがどうやら暗黙知らしい。

Polanyiいわく……

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人間の知識について再考するときの私の出発点は、我々は語ることができるより多くのことを知ることができる、という事実である。この事実は充分に明白であると思われるかもしれない。しかし、この事実がなにを意味しているかを正確にのべることは簡単なことではない。一つの例をとりあげよう。我々はある人の顔を知っている。我々はその顔を千、あるいは一万もの顔と区別して認知することができる。しかし、それにもかかわらず、我々が知っているその顔をどのようにして認知するのかを、ふつう我々は語ることができないのである。そのため、この知識の大部分は言葉におきかえることができない。しかし最近警察で、この知識の多くを伝えることができる一つの方法が導入されている。まず、花や口など顔のいくつかの部分について、そのさまざまなかたちを描いた絵の厖大なコレクションがつくられる。目撃者は、顔の部分をなすそれら諸細目の中から自分の知っている顔の細目に似ているものを選びだす。そしてそれらの断片がよせ集められると、犯人の顔にかなりよく似た顔がつくりあげられる。このことは、適当な自己表現の手段があたえられれば、結局、我々が人相についてもっている知識は伝えることができる、ということを示唆しているのかもしれない。しかし、語ることができる以上のことを我々がそれに先だって知っていたという事実は、警察のこの方法によってもゆらぎはしないのである。しかもこの警察の方法を用いることができるのは、我々が記憶の中にもっている諸特徴の絵のコレクションの中の諸特徴といかに結びつけるべきかを知っているときだけである。しかし我々が実際どのようにそれを結びつけているのかを、我々は語ることができないのである。このようにして成立する知識伝達の行為こそまさしく、我々が語ることのできない知識を示している。
    --マイケル・ポラニー(佐藤敬三=訳・伊東俊太郎=序)『暗黙知の次元』(紀伊國屋書店、1980年)。

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いわば、職人の師弟が、語りを交えずに、その技を盗んで自分のものにしていくようなものでしょうかね。

こういうのを読んでいますと、ひとはしばしば、科学的知識の客観性や普遍性を問題にする中で、当人の主体的な関心や営為と切り離して考えがちだが、そうした客観性や普遍性の探求は、探求者の主体的営為を通してのみ、開示されるひとつの知であることを実感します。ともすれば、客観的、普遍的な知とは、超個人的な(誰にでもあてはまる、獲得可能で再現可能という意味では超個人的なのでしょうが)主体や現実と切り離された、事実に即しただけの客観性とうけとめがちだ。事態はそうでもなさそうだ。

Polanyiの主張は、科学的知識の客観性や普遍性を否定するのではなく、事実に即しただけの客観性を拾い上げる探求者の洞察のプロセスに焦点を当てたものである。Polanyiの議論は、客観性か、主観性か、といった不毛な二者択一を迫る「客観性の神話」をより創造的かつ緊張的な主観、客観関係へ転換する力をもつものであり、そこには、安易な東洋的な合一論を退ける科学論も内包する。

読んでいるとすっきりします。

これで、わたしが、行ったことのない土地でも、うまく旨い店へ辿り着ける理由がわかったようです(どこか違うよな)。

ということで、最後に冒頭に示した、プラトンの『メノン』に関する言及部分を紹介します。

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 すべての研究は問題から出発しなければならない、とはふつうに言われることである。研究は、問題がよい場合にだけ成功することができる。研究が独創的でありうるのは、問題がよい場合にだけ成功することができる。研究が独創的でありうるのは、問題が独創的である場合にかぎる。しかしよい問題にせよ独創的な問題にせよ、そもそも人間にはどのようにして問題が見えるということがおこりうるのだろうか。なぜなら、問題が見えるということは、かくれているなにものかが見えることだからである。それは、まだ包括的にとらえられていない諸細目のあいだに、まとまりがあるのではないか、という一つの内感(intimation)をもつことである。この内感が正しければ問題はよい問題となる。我々が予感している包括の可能性を、ほかのなんぴとも見ることができない場合、その問題は独創的である。偉大な発見に導かれるような問題が見えるということは、たんにかくれているあるものが見えることではない。それは、他の人が夢想だにせぬあるものが見える、ということである。このことはわかりきったこととされている。そして我々はそこに自己矛盾がひそんでいることに気づくこともなく、それをまったく当然のことのように考えている。しかしプラトンは『メノン』の中でこの矛盾を指摘したのであった。彼は、問題にたいして解答をさがしもとめることは不合理であるという。なぜなら、さがしも
とめているものを知っているとすれば、その場合には問題など存在していないことになるし、また、もしそうでなければ、さがしもとめているものがなにかを知らないのだから、なにを見出すことも期待することができない、というのである。
 このパラッドクスに対してプラトンが与えた解決は、発見とはすべて、過去の経験を想い起こすことである、ということであった。この解決はほとんど受けいれられていない。しかしこれまでの、この『メノン』の矛盾を回避するために、ほかになんらの解決も提出されてはいない。このようなわけで、我々はつぎのような事実に直面しているのである。つまり、人類はこの二千年以上ものあいだ、困難な問題を解決しようとする人々の努力によって前進してはきたものの、他方、その間あらゆる場合に、それらの努力が無意味であるかそれとも不可能であるかが示されえた、ということである。こうして我々は、だれの目にもふれるところになにげなくおかれていたがゆえに、すべての人が気づかずにいた重要書類という、あのポーの『盗まれた手紙』の古典的な一例をここに見ることができるのである。なぜなら、もしすべての知識が明示的なら、つまり明らかに述べることができるのなら、我々が問題を知るということはありえず、あるいはその答をさがすことなどありえないことが、『メノン』によって明白に示されているからである。したがってまた、それにもかかわらずもし問題が存在し、さらにそれを解くことによって発見をすることができるならば、それは、語ることができないことがら、しかも重要なことがらを、我々は知ることができるからにほかならない。このことも『メノン』によって示されている。
 『メノン』のパラッドクスを解決することができるのは、一種の暗黙知である。それは、かくされてはいるがそれでも我々が発見できるかもしれないなにものかについて、我々がもっている内感である。このような精神の力をあらわすもう一つの重要な例がある。偉大な科学的発見は、それがもたらす結果の豊さによって特徴づけられる、としばしば言われており、それは真実である。しかし、我々は、真理をその豊かな結果によって知ることがどのようにしてできるのであろうか。我々は、ある言明が真実であることを、その言明のまだ発見されてもいない諸帰結を評価することによって知ることができるのであろうか。もし、まだ発見されてもいないことを、我々が明示的に知らなければならないというのなら、これはもちろん意味をなさない。しかし、まだ発見されていないことについて、我々が暗黙的な予知をもつことが認められるならば、それは意味をなす。太陽中心説が、たんに惑星の軌道を計算するための一つの便利な方法にすぎないのではなく、実際に真実であるということを、コペルニクス主義者達はニュートンが証明する百四十年もまえに重圧にめげず情熱的に主張したが、そのとき彼らが肯定しようとしていたのは、まさにこのような種類の予知であったにちがいない。
 そこで、ある言明が真であることを知るということは、語ることができるよりも多くのことを知るのである、と考えることができる。したがってまた、ある発見によって問題が解決されるときには、その発見は、当の発見以外に不確定な範囲の内感をともなっていると考えるられる。さらに、我々がその発見を真理として認めるときには、我々は、まだ明らかにされていない、そしておそらくはまえもって考えられすらもしないそのすべての帰結を信じることにみずからを傾倒*させているように思われる。
 *(訳注)傾倒。commitmentあるいはcommit。この語は本書はもちろん、“Personal Knowledge”でも用いられるポラニー哲学における重要な概念であるので、文脈に応じて適宜訳しわけることをせず、「傾倒」あるいは「傾倒する」という一通りの訳語を与えた。関与、参加などという言葉より強い、主体的かかわりを意味する観念である。
    --マイケル・ポラニー(佐藤敬三=訳・伊東俊太郎=序)『暗黙知の次元』(紀伊國屋書店、1980年)。

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※引用は手元にあった紀伊國屋書店版を使っていますが、筑摩書房から文庫で新訳された、マイケル・ポランニー(高橋勇夫訳)『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫、2003年)のほうが入手しやすいと思います、念のため。

で……、写真は、熊本でゲットした、地酒「れいざん」(山村酒造)です。
九州は焼酎天国ですが、日本酒も旨かったです。水と米がおいしい地域は酒もウマイですね。酒と並んでいるのは、ウィルコムの端末です。熊本出張では、LANケーブル忘れで、ウィルコムが大活躍しました。もう少し通信速度が速いとよいのですが……。

Book 暗黙知の次元―言語から非言語へ

著者:佐藤 敬三,マイケル・ポラニー
販売元:紀伊國屋書店
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暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫) Book 暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

著者:マイケル ポランニー
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シビレエイたるソクラテス

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一三
ソクラテス それでは、もういちど最初から答えてくれたまえ。君も、君の仲間の人も、徳とは何であると主張するのかね?
メノン ソクラテス、お会いする前から、かねがね聞いてはいました--あなたという方は何がなんでも、みずから困難に行きづまっては、ほかの人々も行きづまらせずにはいない人だと。げんにそのとおり、どうやらあなたはいま、私に魔法をかけ、魔薬を用い、まさに呪文でもかけるようにして、あげくのはてに、行きづまりで途方にくれさせてしまったようです。もし冗談めいたことをしも言わせていただけるなら、あなたという人は、顔かたちその他、どこから見てもまったく、海にいるあの平べったいシビレエイにそっくりのような気がしますね。なぜなら、あのシビイレエイも、近づいて触れる者を誰でもしびれさせるのですが、あなたがいま私に大してしたことも、何かそれと同じようなことのように思われるからです。なにしろ私は、心も口も文字どおりしびれてしまって、何をあなたに答えてよいのやら、さっぱりわからないのですから。
 とはいえ、これまで私は徳について、じつに難解となく、いろいろとたくさんのことを、数多くの人々に向かって話してきたものです。それも、自分ではとてもうまかったつまりでした。それがいまでは、そもそも徳とは何かということさえ、ぜんぜん言えない始末なのです。--あなたがこの国を出て海を渡ったり、よそへ行ったりしようとしないのは、賢明な策だと私は思いますね。なぜなら、あなたがほかの国へ行って、よそ者とこんなことをしてごらんなさい。きっと魔法使いだというので、ひっぱられることでしょう。
ソクラテス 油断のならぬ男だね、君は、メノン。もうすこしでひっかかるところだったよ。
メノン え? いったい何のことですか、ソクラテス?
ソクラテス 何のために君がぼくを譬えたか、気がついているよ。
メノン 何のためだと思われるのですか?
ソクラテス ぼくに君のことを譬えかえさせようという魂胆なのだろう。とかく美しい連中は誰でも、「たとえっこ」をするのをよろこぶものだということを、ぼくは知っている。彼らにしてみれば、それは得になることだからね。だって、思うに、美しい人たちは、やはり美しいものに譬えられるにきまっているではないか。しかしぼくは、君を譬えかえしてはあげないよ。
 それから、このぼくのことだが、もしそのシビレエイが、自分自身がしびれているからこそ、他人もしびれさせるというものなら、いかにもぼくはシビレエイに似ているだろう。だがもしそうでなければ、似ていないことになる。なぜならぼくは、自分では困難からの抜け道を知っていながら、他人を行きづまらせるというのではないからだ。道を見うしなっているのは、まず誰よりもぼく自身であり、そのためにひいては、他人をも困難に行きづまらせる結果となるのだ。いまの場合も例外ではない。徳とは何であるかということは、ぼくにはわからないのだ。君のほうは、おそらくぼくに触れる前までは知っていたのだろう。いまは知らない人と同じような状態になっているけれどもね。だがそれでもなおぼくは、徳とはそもそも何であるかということを、君といっしょに考察し、探求するつもりだ。

一四
メノン おや、ソクラテス、いったいあなたは、それが何であるかがあなたにぜんぜんわかっていないとしたら、どうやってそれを探求するおつもりですか? というのは、あなたが知らないもののなかで、どのようなものとしてそれを目標に立てたうえで、探求なさろうというのですか? あるいは、幸いにしてあなたがそれをさぐり当てたとしても、それだということがどうしてあなたにわかるのでしょうか--もともとあなたはそれを知らなかったはずなのに。
ソクラテス わかったよ、メノン、君がどんなことを言おうとしているのかが。君のもち出したその議論が、どのように論争家ごのみの議論であるかということに気づいているかね? いわく、「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」--。
メノン あなたには、この議論がよくできているとは思えませんか、ソクラテス。
ソクラテス ぼくはそうは思わないね。
メノン どの点がよくないかを指摘できますか?
ソクラテス できる。というのは、ぼくは、神々の事柄について知恵をもった男や女の人たちから聞いたことがあるからだ……。
メノン どのような話をですか?
ソクラテス 真実な--とぼくには思えるのだが--そして美しい話だ。
メノン どんな話でしょうか、それは。また、話した人たちというのは誰ですか?
ソクラテス それを話してくれたのは、神職にある男の人や女の人たちのなかでも、自分のたずさわる事柄について説明をあたえることができるように心がけている人々だ。さらにまた、ピンダロスをはじめ、その他多くの神的な詩人たちもこのことを語っている。彼らの言うのは次のようなことだ。さあ、それが真実を伝えていると君に思えるかどうか、よく考えてみてくれたまえ。
 すなわち、彼らの言うところによれば、人間の魂は不死なるものであって、ときには生涯を終えたり--これが普通「死」と呼ばれている--ときにはふたたび生まれてきたりするけれども、しかし滅びてしまうことはけっしてない。このゆえにひとは、できるだけ神意にかなった生を送らなければならぬ。なぜならば--
 ふるき歎きへのつぐないを ペルセポネに
 うけいれられし人びとの魂は 九つたびめの年に
 ふたたび 上なる陽のかがやく世へと送られ、
 その魂からは ほまれたかき王たちと
 力つよき人びとと 知恵ならびなき人びとが生まれ
 のちの世に 人たたえて聖なる英霊とよぶ

一五
こうして、魂は不死なるものであり、すでにいくたびとなくうまれかわってきたものであるから、そして、この世のものたるとハデスの国のものたるとを問わず、いっさいのありとあらゆるものを見てきているのであるから、魂がすでに学んでしまっていないようなものは、何ひとつとしてないのである。だから、徳についても、その他いろいろな事柄についても、いやしくも以前にも知っていたところのものである以上、魂がそれらのものを想い起すことができるのは、何も不思議なことではない。なぜなら、事物の本性というものは、すべて互いに親切なつながりをもっていて、しかも魂はあらゆるものをすでに学んでしまっているのだから、もし人が勇気をもち、探求に倦むことがなければ、ある一つのことを想い起したこと--このことを人間たちは「学ぶ」と呼んでいるわけだが--その想起がきっかけとなって、おのずから他のすべてのものを発見するということも、充分にありうるのだ。それはつまり、探求するとか学ぶとかいうことは、実は全体として、想起することにほかならないからだ。だからわれわれは、さっきの論争家ごのみの議論を信じてはならない。なぜならあの議論は、われわれを怠惰にするだろうし、惰弱な人間の耳にこそ快くひびくものだが、これに対していまの説は、仕事と探求への意欲を鼓舞するものだからだ。ぼくはこの説が真実であることを信じて、君といっしょに、徳とは何であるかを探求するつもりだ。

メノン わかりました、ソクラテス。ただしかし、われわれは学ぶのではなく、「学ぶ」とわれわれが呼んでいることは、想起にほかならないのだと言われるのは、どのような意味なのでしょうか。ほんとうにそのとおりだということを、私に教えることができますか?
ソクラテス だからさっきもぼくは言ったのだよ、メノン、君は油断のならない男だとね。いまも君は、ぼくが君に教えることができるかどうかなどとたずねてくる--教えというものはなく、想起があるだけだと、ぼくが主張しているのに。つまり、ぼくが自分の言葉と矛盾したことを言うのを、たちどころに暴露させようというつもりなのだ。
メノン いえいえ、ゼウスに誓って、ソクラテス、けっしてそんなつもりで言ったのではありません。つい、くせが出たのです。でも、あなたの説のとおりだということを、もし何らかの仕方で示すことがおできになるなら、ぜひそうしてください。
ソクラテス なかなかむずかしい注文だが、まあ君のためなら、努力してやってみよう。--では、そこにいるたくさんの君の従者のなかから、これはと思うのを誰かひとり、ぼくのためにここへ呼び出してくれたまえ。その者をつかって君に証明するから。
メノン 承知しました。〔召使の一人に〕君、ここへ来たまえ。
ソクラテス ギリシア人だね? ギリシア語を話すだろうね?
メノン ええ、それはもう……。私の家で生まれたのですから。
ソクラテス さあそれでは、よく注意していてくれたまえ。この者が想起するとわかるか、それともぼくから学ぶのだとわかるか、という点にね。
メノン よく注意していましょう。
    --プラトン(藤沢令夫訳)『メノン』(岩波文庫、1994年)。

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「徳を教えることは可能か」と問うメノンに対して、ソクラテスは、その前に把握すべきは「徳とはそもそも何であるか」と問い直し、「徳」の定義の問題、探求する(学ぶ)という意味を巡って提起される「(学習)想起説」の問題、そして「想起」を可能にさせる「魂の不死」の問題--様々な課題が彩り鮮やかに、爽やかな対話として進行するプラトンの美しい対話編の一節から。

上で少し述べたように、「徳」(アレテー)とは何か、というテーマを手掛かりに、想起(アナムネーシス)の問題、知識論、そして徳を体現した全体人間の養成という課題(哲人政治家の教育、この問題は『国家』で深く論じられることになるが)が本論の主軸となる。ちょうど上に引用したのは、知識論(探求・学ぶということの意味)との関わりから、想起が提起される個所です。

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「人間は、自分が知っているものも知らないものも、これを探求することはできない。というのは、まず、知っているものを探求するということはありえないだろう。なぜなら、知っているのだし、ひいてはその人には探求の必要がまったくないわけだから。また、知らないものを探求するということもありえないだろう。なぜならその場合は、何を探求すべきかということも知らないはずだから」--。
    --前掲書。

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なんとなく“聞き流す”ともっともらしく聞こえてしまう“論争家ごのみの議論”です。
ゆっくり読み直してみると……、この“論争家ごのみの議論”は、知を探求することは無駄だとの主張といえる。すなわち、
①人が知っていることを探求することはありえない。知っているから探求する必要がない。
②人が知らないことは探求することは不可能である。対象を知っていないから探求不可能である。

こうしたいわばソフィスト的議論は、哲学とは「知を愛する」という“フィロソフィア”という営みを否定するものであり、知と知の所有者を固定させてしまう二元論である。
現実の人間は、いわば知と無知のただ中に投げ出されており、はっきりとは知らないが、そしておぼろげにしかつかめていないが、その全貌とは何か、そしてその真実とは何か、“知ろう”と欲する、知を愛そうと動くがゆえに、哲学が存在する。そこには知の固定化は存在しないし、固定化した時点で、探求すべき知は存在する価値を失ってしまう。また人間の現実を固定化させてみてしまうこと自体が、傲慢なソフィストの立場である。

ソクラテスは、そうした議論に対して、「魂が不死なるもの」という条件に基づく想起説を提示する。その想起説の、技術時代における有効性に関する議論には興味がないので、ここでは措く。ソクラテスがそうした議論を提示した意味を探求すべきだと思うからだ。

ソフィストの議論に従えば、探求には意味がない。
初めから“あらゆること知っている”がゆえに、ソフィストたちは探求しない。そして、“知らない人間”たちに、知を“教える”がゆえに金もとる。いわば、ソフィストたちだけが「知っている者」であり、それ以外は「無知の者」ということにもある。そうした分断的な二元論への異議申し立てとしてのソクラテスの議論が存在するのである。

人間は、「知らない」と同時に「知っている」。
だから、探求が必要だ。
ソクラテスにおいては、それが“想い起こす”ということであり、知らない状態は、忘れている状態にほかならない。今は忘れているから「知らない」のである。

だからこそ“汝自身を知れ”と語ったのである。

“汝自身を知れ”とは単に知らないこと自覚という知識論的なレベルに収まるような格言ではない。本来知っていたからこそ、想起するのである。であるとするならば、ソクラテスの知とは、知のカタログや見本市ですべて展示されているような知とは質的にことなるものである。つまり、知とは本来自分自身のものである知にほかならない。自分自身のものでない知は存在しないし、探求の価値もない。

探求によって自己自身に帰る……“自覚”という手続きが必要かもしれません。

久し振りにプラトンの対話編を読み直しています。
シビレエイたるソクラテスの議論にしびれてしまう、ある日の宇治家参去でした。

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著者:プラトン
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旨いもの・酒巡礼記:熊本市編 「きたはち」

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旨いもの・酒巡礼記:熊本市編 「きたはち」

熊本へいったならば、「馬刺し」だろう……と各方面より声援があり、滞在二日目、「馬刺し」探索へ出発しました。

例の如く事前の調査無し。

こうした場合、鉄則としていえるのが、
①チェーン店を避け、地元の店を探す
②地産を使っている
③比較的リーズナブル(といっても安かろうではマズイ)
④清潔感

とりあえず、うえの4つの金科玉条を守り、酒飲みの感で、今回発見したのが、「きたはち」です。

熊本城や交通センターから繁華街へ入ってすぐのお店で、間口は狭いが奥行きのある店舗で、土曜ということもあり、予約が沢山入っていた。

ふらりと入りましたので、とりあえずカウンターで生ビールを注文。
目の前で、鳥を焼いております。奥にも厨房があり、焼き物と生もの(海産)では厨房を分けて使っている様子です。

で……。

「霜降り馬刺し」を注文する。
しばらくしてテーブルに出されるが、残念ながら「食べ方」が分からない。
「薬味を入れて刺身のように」と教えられ、一口口にする。

肉と言うよりも……
「上等な刺身です」

だから“馬刺し”ですね。

匂いもなく、さっぱりとしており、焼いた場合でも、牛より旨そうな感じです。

一緒にだされた、白い脂身のようなものが、“たてがみ”だとかで、こちらも初体験。

量を食べる、量を食べたいメニューではありませんが、ひとつあると上等な気分の味わえる一品です。

そのあと……、阿蘇地鶏の串焼きを注文するが、こちらも絶品です。
独自のごまだれ風のつけだれで味わいましたが、脂がのっているにもかかわらず、サッパリとしてウマイ。何本でもいけそうです。

最期は……、芥子レンコンです。
無学を告白するならば、宇治家参去、「芥子レンコン」なる、通常のレンコンより素材として「辛い」レンコンが品種として存在すると思っていたのですが、そうではありませんでした。

穴に、詰まっています、黄色いエキスが……。
知らずに口にすると、大火事です。
ビールが進むこと、進むこと。

春の夜に、ひとり味わう肥後料理。

ご主人に伺うと、熊本に昔からある焼き鳥屋さんとのこと。
名物は昔ながらの「ホルモンの煮込み」です。
価格は非常にリーズナブルでメニューも多く、日替わりメニュー(その日限定の肴)も豊富でとにかく旨くて安い。

熊本へ立ち寄るときは、是非。

ただし、焼酎は充実していますが、日本酒のラインナップがいささか淋しい部分が玉に瑕。

「きたはち」
熊本県熊本市花畑町13-27
096-353-2750

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天然水 阿蘇

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宇治家参去です。

これから東京へ。

空港近くのホテルビスタ熊本空港に最終泊しましたが、料金の割りになかなかよいホテルです。まだオープンしてから半年あまりなのかもしれませんが……。

1枚は、自室のポーチからの写真。

そして……。

普段、ミネラル・ウォーターは、サントリーの「南アルプスの天然水」を利用しているので、こちらでも手にとると……、

驚きです。

同じラベルですが、サントリー「天然水 阿蘇」となっていました。

微妙に味が違う。

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宇治家ゼミ@熊本 無事終了する。

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お疲れ様です。

誰に?

宇治家参去です。そして、宇治家参去と、その倫理学@熊本の4人の仲間たちにです。

なんとか、地方スクーリング(D1期・熊本会場)、無事に終了する。

受講生4名。

ほとんどゼミ状態です。

眠る人皆無。

今までで一番、しゃべった授業です。

学生さんたちへ、本当にお疲れ様でした。

ただ、授業でくどく言った様に、倫理学とか、哲学っていう科目は、教科書読んだ、授業に出席した……でなんぼ!の科目ではありません。

もちろん、プラトンがこう考えた。
     カントがそう考えた。
     ヘーゲルがそう主張した。

その部分を“覚える”ことが無意味ではない。

ただ、“覚える”ことに本位のない科目である。

かつて、カントは、「哲学を学ぶのではなく、哲学することを学べ」と学生を励ました。

学んだ部分をもって、教室から一歩でたとき、倫理学とか、哲学という科目は、当人の存在に対して、“立ち上がる”科目である。

日々の生活の中での健闘を心より祈りたい。

ただし……注意事項。

死ぬまで、まじめに生きろ!っていうことではまったくありません。

ときには破れ、涙することもあるのが人生。
そして、ときには、勝利し、肩を組みあい、喜びを分かち合うのも人生。

ときには、絶望の淵に立たされるのも人生。

そして、ときには、深夜ひとりで、身の幸福を実感するのもひとのいきざまである。

それをすべて受け止めた上で、どのように、雄雄しく、そしてしなやかに、そしてしたたかに生きていくのか。

人生は一瞬ではない。

死ぬまでが、そして死んでもなお、ひとの歩みである。

歩み続けるなかで、世界と人間の意味を考え続けたい。

そう実感しております。

したたかに、しなやかに生き続けたいものです。

話がずれたようですね。

さて……。

今年度より、地方スクーリングの最終日の時間延長がはじまりましたので、しゅうりょうすると、すでに17:30.

JAL最終便がギリギリなので、事前に余裕をみて、空劫近隣のホテルに一泊です。

熊本駅前で、それなりに(?)しこたま(?)飲んできたので、これからゆっくり休息をとり、明朝朝一で東京へ戻ります。

その足で、短大へ講義。
そして、終了後、そのまま市井の仕事へ。

現実が待っています。

しかし、現実を離れて、自分の生の実存はありえない。

今日はゆっくり休み、明日からまた戦いの開始です。

最後に、遠藤周作の『沈黙』から……。
久しぶりに、何か引用しておかないと気のすまない宇治家参去です。

ストーリー要約は帯から。

「島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、<神の沈黙>という永遠の主題に切実な問いを投げかける書下ろし長編。」(遠藤周作『沈黙』(新潮文庫、平成十五年))。

本論はまさに“神の沈黙”が主題でしょうが、いろいろと考えさせられます。そのことは後日論じますが(論じるネタが山積して身動き取れませんがお許しを)……。

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澳門(マカオ)やゴアの宣教師たちが既に自分が転んだことを知ったかどうかはわからない。しかし、長崎の出島に居留を許されているオランダの貿易商人たちによって事の経過は澳門にもおそらく伝わり、自分はもう布教会から追放されているだろう。
 自分は布教会から追放されているだけではなく、司祭としてのすべての権利を剥奪され、聖職者たちからは恥ずべき汚点のように見んされているかもしれぬ。だがそれがどうした。それが何だというのだ。私の心を裁くのはあの連中たちではなく、主だけなのだと彼は唇をつよく嚙みながら首をふる。
 だが、真夜中、その想像が不意に彼の眼をさまし、鋭い爪の先で胸の芯を目茶苦茶にかきむしることがあった。そして思わず呻き声をあげて布団からとびあがる。教会裁判の状況は、まるで黙示録に出てくる最後の審判のように眼前に迫ってくるのだ。
 (何がわかるか。あなたたちに)
 ヨーロッパにいる澳門の上司たちよ。その連中に向かって彼は闇のなかで抗弁する。あなたたちは平穏無事な場所、迫害と拷問との嵐が吹きすさばぬ場所でぬくぬくと生き、布教している。あなたたちは彼岸にいるから、立派な聖職者として尊敬される。烈しい戦場に兵士を送り、幕舎で火にあたっている将軍たち。その将軍たちが捕虜になった兵士をどうして責めることができよう。
 (いや。これは弁解だ。私は自分を誤魔化している)司祭は首を弱々しくふった。
 (なぜ卑しい抗弁を今更やろうとしているのだ)
 私は転んだ。しかし主よ。私が棄教したのではないことを、あなただけが御存知です。なぜ転んだと聖職者たちは自分を訊問するだろう。穴吊りが恐ろしかったからか。そうです。あの穴吊りを受けている百姓たちの呻き声を聞くに耐えなかったからか。そうです。そしてフェレイラの誘惑したように、自分が転べば、あの可哀想な百姓たちが助かると考えたからか。そうです。でもひょっとすると、その愛の行為を口実にして自分の弱さを正当化したのかもしれませぬ。
 それらすべてを私は認めます。もおう自分のすべての弱さをかくしはせぬ。あのキチジローと私とにどれだけの違いがあるというのでしょう。だがそれよりも私は聖職者たちが教会で教えている神と私の主は別なものだと知っている。
 あの踏絵の記憶は司祭の目ぶたの裏に焼きつくように残っていた。通辞が自分の足もとにおいた木の板。そこに銅版がはめこまれ、銅版には日本人の細工師が見よう見まねで作ったあの人の顔が彫られていた。
 それは今日まで司祭がポルトガルやローマ、ゴアや澳門で幾百回となく眺めてきた基督の顔とは全くちがっていた。それは威厳と誇りとをもった基督の顔ではなかった。美しく苦痛をたえしのぶ顔でもなかった。誘惑をはねつけ、強い意志の力をみなぎらせた顔でもなかった。彼の足ものとのあの人の顔は、痩せこけ疲れ果てていた。
 多くの日本人が足をかけたため、銅版をかこんだ板には黒ずんだ親指の痕が残っていた。そしてその顔もあまり踏まれたために凹み摩滅していた。凹んだその顔は辛そうに司祭を見あげていた。辛そうに自分を見あげ、その眼が訴えていた。(踏むがいい。踏むがいい。お前たちに踏まれるために、私は存在しているのだ)
    --遠藤周作『沈黙』(新潮文庫、平成十五年)。
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主人公・ロドリゴの告白に涙しながら、とりあえず寝ます。
弱さを認める強さも必要かもしれません。

最後に……。
初日、創立者より、「遠くからご苦労様です」と激励が入る。
学生と教員にパンが配れた。

ありがたいことです。

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火の国の城下で……

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熊本といえば、自分の研究している吉野作造の信仰の師匠にあたる海老名弾正の生まれ故郷で、近代日本のキリスト教受容におけるもっとも重要な地域のひとつです。

近代日本のプロテスタンティズムは、植村正久の横浜バンド(バラ、ブラウン)、内村鑑三や新渡戸稲造の札幌バンド(クラーク)、そして、海老名弾正や小崎弘道で有名な札幌バンド(ジェームズ)です。

熊本藩の近代化を目的に開校された熊本洋学校のお雇い外国人教師の私的な集いから、信仰を誓い、いわば、“精神の第二維新”を志した群像たちです。

また、混乱する大陸を駆け抜け、軍人として壮絶な人生をおくり、国家とは何か、軍とはどうあるべきかを真摯に追求した石光真清のふるさとでもあります。彼は西南戦争で焼け落ちる熊本城を目の当たりにしており、髷をとり、刀を外すことに、少年時代涙したひとりで、郷土愛(パトリオティズム)が、愛国心(ナショナリズム)へ変容されていく現場に立ち会っています。

で……。
昨夜、地産の店で、酒と地域の料理を楽しんできました。

どうやら、馬刺しが名物だったようですが、少し遠慮してしまいました。おいしいのだろうか……。

さて、これから授業です。

最終仕込を確認し、出発です。

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またしても……出鼻を挫かれる

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どうも宇治家参去です。

土曜日より、熊本で講義のため、嵐の中、今朝早く家をでる。

JR行のバスに乗るか、私鉄行きのバスに乗るか、早く来たほうで、と思い、JRを選択すると、中央線がほぼ不通状態……。

深いため息とともに、私鉄へ振替え、回り道をして、羽田へ向かう。浜松町の窓口で、搭乗便の変更手続きをギリギリ行い、1本あとの飛行機で、一路阿蘇熊本空港へむかう。

とりあえず、今回からラウンジが無料で使えるようになったので、ビールで遠藤周作を読む。

荷物積載の遅れで、定時より30分近く遅れ、到着が夕方にずれこみ、ホテルへつくと、今度は、予約が1泊分しかはいっていなかった。

ずしーん!

ホテル側の予約の入力ミスのようだったので、とりあえず、シングル料金でツインに案内され、現在ひと行きいれています。

最後に……〆の一発。

メールを確認しようとPCを立ち上げたが、LANケーブルを忘れていた。とりあえずウィルコムで接続し、簡単なチェックを行い、これから町へ出ます。

もう夕方なので、熊本城へもいけず、外から眺めるのみ。

こうした不運を幸運へのきっかけへと転じる、“弔い合戦”の開始です。

とりあえず、熊本は快晴、20度オーバーじゃないでしょうか。
ビールが旨そうです。

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『ツォリコーン・ゼミナール』

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たしかにハイデッガーの特徴的な新しい言葉のいくつか、たとえば「世界内存在(In-der-Welt-Sein)」とか、「関心(Sorge)」とかの言葉はこの間に馴染み深いものになっている。実際、これらの言葉の一つや二つは、すでに非常に日常的で安直な大衆新聞の中にまで入り込んでいる。だが、それが深く立ち入った理解という意味での真に馴染んでいるといえることなのか、それとも、単に表面的に耳に聞き慣れているだけのことなのかは、まだはっきり言うことができない。いずれにせよ、当時ゼミナール参加者から時々あえて直接ハイデッガーに向けられたのと同じ疑問が、今日でもなおしばしば聞かれる。その疑問は、なぜハイデッガーは自分が問題とする事柄を、誰にでも分かるドイツ語で言おうと努力しないのか、という言い方で表現されるのが常である。それに対して彼は決まって次のように答えた。「わたしたちはいつも、自分が現に考えているように言い、現に言っているように考えることしかできません。ある事柄の--たとえば人間であること(Mensch-sein)そのもの--本質根拠が、新しい考え方と見方の経験の中で、今までと違った意味指示性(Bedeutsamkeiten)を帯びて現れるなら、これはおのずと新しい、それに適した言い方を求めます。たとえば人間を規定するにあたって、主体(ズプイエクト)とか自我(イッヒ)といった言い方に留まるならば、人間であることの本質根拠の理解もまったく被い隠されたままになります。しかし、人間であることの本質根拠は、聞き取り〔認取し〕ながら世界の開けの場を保持すること(Aushalten eines vernehmenden Welt-Offenständigkeits-Bereichs)にほかならないのです。」
 当時、互いに理解しあうことに関してこのような異常なほどの困難さがあったことを考えれば、ツォリコーン・ゼミナールをハイデッガーもゼミ生の誰一人もつまらないものと考えなかったのは、実に希有なことといえよう。最初の授業で出会った教師と生徒たちが、執拗に切磋琢磨しあいながら長年にわたって勉強を続けたのである。
  --メダルト・ボス編(木村敏・村本詔司共訳)『ハイデッガー ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房、1991年)。

誰にでもわかる言葉で伝わる言葉もあれば、自己自身が本質根拠の理解として聞き取った言葉でしか表現できない<事態>も存在する。そのことばを哲学者たちは、世界の中で創出し、ひとつひとつの<事態>を看取してきた。

今日はくどくど解説するのはやめましょう。どうも宇治家参去です。
今、ちょうど、『ツォリコーン・ゼミナール』を原文と照らし合わせて読んでいますが、内容よりも面白い(?)のがこの“ハイデッガー・ゼミナール”。

哲学をはじめとする人文諸科学と全く縁のない、医者たち自然科学者たちをゼミ生として数十年継続されたハイデッガーの私的なゼミです。その記録が本書というわけです。

ちょうど、明日(土曜日)から、熊本で、4人の生徒さんを対象に倫理学を講じてきます。

「クマモト・ゼミナールをウジイエ・サンキョもゼミ生の誰一人もつまらないものと考えなかったのは、実に希有なことといえよう。最初の授業で出会った教師と生徒たちが、執拗に切磋琢磨しあいながら長年にわたって勉強を続けたのである」というような授業をしたいものです。

朝早いので今日はこのへんで。
湯豆腐でいっぱいやって寝ます。

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美しい日本、由緒正しい日本人はどこへ?

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Benedict

〔一方において〕《国家》自身が次のような欲望そのものなのである。つまり、専制君主の頭から臣下たちの心へと、また知的な法則から自然の全体系へと(つまり、この法則を免れて自由になっている自然の全体系へと)移行しようとする欲望そのものなのである。〔ところが、他方において〕、《国家》を求める欲望が働いているのだ。すなわち、抑制の最も幻想的な機械である《国家》を求める欲望が。となると、《国家》は欲望する主体であるとともに、また欲望の対象であるということになる。
(中略)
ここにあるのは、《国家》の生成の二つの様相である。そのひとつは、〔地上の〕自然の体系を守りながら、次第に脱コード化する社会的な力の場に、《国家》を内在化する様相。いまひとつは、形而上学的体系を守りながら、次第に超コード化する超地上的な場に、《国家》を精神化する様相。無限の負債が内在化されるのと精神化されるのとは、同時でなければならない。良心の呵責の時は近づいている。それは偉大なシニシズムの時ともなるであろう。「内面化を抑圧され、恐ろしくなって自分自身の中に後退した〈畜群人間〉の内攻したあの残酷さ。こうした人間は、飼い馴らされるために、《国家》の中に閉じこめられて……。」
    --G・ドゥルーズ、F・ガタリ(市倉宏祐訳)『アンチ・オイディプス』(河出書房新社、1986年)。

 国家が「創造の共同体」に過ぎないと喝破したのはベネディクト・アンダーソン(Benedict Richard O'Gorman Anderson, 1936-)だが、そうした幻想に過ぎない国家や共同体を、側面から固定化する作用として機能しているのが、これまた幻想に過ぎない文化とか文明といったものである。

 由緒正しい固有の“日本文化”なんて存在しない。
 同じように、固有の英国文化も存在しないし、その国固有の文化なんてものはないのである。

 では文化とは何か。
 三省堂の『大辞林』なんかを紐解くと次のようにある。

1 人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。それぞれの民族・地域・社会に固有の文化があり、学習によって伝習されるとともに、相互の交流によって発展してきた。カルチュア。「日本の―」「東西の―の交流」

2 1のうち、特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産。物質的所産は文明とよび、文化と区別される。

3 世の中が開けて生活内容が高まること。文明開化。多く他の語の上に付いて、便利・モダン・新式などの意を表す。「―住宅」

 ここで問題にしようとする文化なるものは、うえの1の定義の部分である。
 冒頭に「人間の生活様式の全体」であるとすれば、「文化」なるものは、日々流動し変容しつづけている。その意味で、固定化した固有でスタティックな「文化」などは存在しようがない。そうだとすれば、「日本」や「英国」といったナショナルな切り口で弁別されるような、固有の文化がア・プリオリ(先験的)に存在できるはずがあろうもない。
 現在とは、常に流動している。
 固定化や固有化、そして静止化が常に不可能な、生活様式全体、あるいは生活そのものがしか存在しないのが現在である。

 さて、現在流通するような意味で用いられるようになった文化という言葉は、近代西欧の知の発明である。

 ここで注意したいのは発見ではなく、発明であるということだ。
 帝国主義思想・植民地思想を補完教化する理論の構築が目的で成立した近代知の成果である。植民地主義の流れで、西欧より“劣った”“野蛮”が発見され、その表裏をなす、文化・文明の自己認識が開かれる。二項対立を軸に、“優れた文化”、“進んだ文明”が形成されていくのである。

 ただし、冒頭で、示したように、文化とは「人間の生活様式の全体」であるとすれば、まさに、現在進行形として流動している現在を、文化として固定化することは不可能である。だとすれば、ひとびとはどこに由緒正しい、固定化された、そして静的な文化を、創造したのであろうか……。

 すなわち過去にである。
 過去であるなら、生活様式全体あるいは、そうした先人たちの生活そのものを固定化し固有化し、静的な文化として整備することはたやすいことである。おまけに美化することも可能である。

 いみじくも、博物館が整備されてくるのも、同じ時期である。そこでは野蛮と文明が対照的に展示され、人々の幻想を強化するモニュメントとして機能する。

 さて、そうした文化なるものが、想像の共同体たる“国家”なるものの独自性を強化するわけですが、この、現代的な意味での国家(国民国家、Nation-State)なるものが整備されてくるのもほぼ同時期である。

 そもそもフランス革命以前には、「国家」などという言葉は存在しなかった。中国でいう「国家」は、日本でいう「ミカド」であるし、江戸時代の日本人には、日本人意識すらなかったのである。あるのは、○○藩の構成意識だけで(郷土愛、パトリオティズム)、日本人としての意識(国民主義、ナショナリズム)などは皆無である。その意味で、現代的な意味合いでの国家などという概念は、ここ二百数十年の伝統しか持たない、はかない実在である。

 国家だとか伝統だとか文化だとかを、万世一系・永遠不変の高尚なものとして、ありがたく奉ることは、きわめて愚かなことである。宣揚する人々だけが大火傷するのはいっこうに構わないのだが、そうもいかないところが難しいところである。

 よく言われる言葉に、「健全なナショナリズム」だとか「正しいナショナリズム」という言い方がある。すなわち、ナショナリズムの負の歴史(私見によれば、すべてのナショナリズムの歴史が負の歴史に他ならないが)を反省した、一段高い・高尚なナショナリストたちが、自分たちのナショナリズムと、それとを区別して、自分たちのは、「健全なナショナリズム」であり、負の歴史に現れた在り方は「誤ったナショナリズム」という言い方が存在するが、そもそも「健全なナショナリズム」も存在しなければ、「誤ったナショナリズム」も存在しない。あるのは、「捏造された・想像されたナショナリズム」だけである。

 そうした文化や国家という捏造物に対する距離の取り方をひとりひとりが、射程に入れないことには、政治も経済も、育児も食事も、そして娯楽を語ることも不可能である。

 要は、幻想や想像や捏造にすぎないものを実体として享受したり、固定化された揺り動かすことのできない構築物と捉えないことである。

 国家という仕組みや、伝統という文化が、変更可能な“構築物”であることを、前提として理解しておかない限り、生活そのものを豊かにしようと思ったり、のびのびと生きていこうと思ったりすることなどは、できるはずもない。

 われわれは、実は無限の大海に住んでいるはずなのに、そこが閉じられた池であると錯覚しているだけである。それは池ではなく、海に張られたいけすである。いけすであるならば、境界線の変更は不可能ではない。

 そうした制限と抑圧、自由と不自由を正面から捉えない限り、幻想の捏造物を乗り越える、世界市民とはたりえないだろう。

 なにも、捏造だから、そうした国家を廃棄しろ!と、19世紀のアナーキストのように夢想的な革命を主張しているのではない。

 現実に、明日から、そうした国家を廃棄することは不可能である。
 ただ、住んでいる人間や、それと対峙している人間にとって、居心地の良い関係に結び直すことは不可能ではない。

 そうしたものの見方への変更が必要だと思われて他ならない。

 こっちの文化が優れている。お前の文化は低級だ。
 こっちの文化は、おまえの文化より古い。
 こっちの文化は、おまえの文化より繊細だ。
 だから、こっちの国は素晴らしい。お前の国は、ダメな国だ。

 はっきりとそう言いきれる人間の精神年齢は、無邪気な幼稚園児のそれである。
 無邪気は、諸手をあげてで歓迎できる要素ではない。ヘタをすると火傷する。
 そう主張する人だけが、大火傷するのであれば、それでいたしかたないが、そうもならないのが、過去の歴史である。

 ナショナリズムは過去のものではない。
 手を代え、品を代え、新しい装いでやってくる。
 

宇治家参去は、“万歳”という言葉に臆します。
万歳!というかけ声が、発明されたの明治初期。
中国の古典からの引用で、どこにも、日本古来のかけ声ではない。
あまり有り難がたがってると、痛い目みます。

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【ご案内】4/19-20:地方スクーリング、熊本へ(倫理学)

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【ご案内】4/19-20:地方スクーリング、熊本へ(倫理学)

どうも宇治家参去です。
近所の公園の、ぼたん桜が満開です。
桜は、種類によって開花時期がことなりますので、長く楽しめます。

さて……。

今週末の土日、地方スクーリング(熊本)にて、倫理学を講じます。受講される学生さん方がいらっしゃいましたら、どうぞ宜しくお願いします。

で……。
例の如くですが……

できれば……といいますか、学生さん方へのお願いです。

これまでの、教科書に目を通した上で受講される方が、全体の2-4割前後です。
※先年の高松での地方スクーリングでは逆に、それなりに教科書に目を通してきてくれた学生さんが、8割で、スムーズに授業が進行しました!

さて……。
忙しいとは思いますが、目を通さずに、授業に望まれてしまうと、これはきわめて“モッタイナイ”状態です。

もちろん、こちらは、読んでいない学生さんの存在を前提に講義をすすめますが、できれば、全編を読んできて!とは申しませんので、序章から1章(できれば2章まで)ぐらいは、ザァーっと目を通してきて頂くと、うれしいです。

どうぞ、よろしくお願いします。

で……。

ここからが重要(?)

宿泊は、スクーリング会場とおなじ、チサンホテル熊本ですが、近くに安くておいしいところがありましたら皆さん是非教えてください!

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真面目で熱心な帝国陸軍憲兵隊長は、最もタチの良くない人

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……親が阿呆でも、子は育つ。
 英国でこの子が生まれた時に、
 「よりよい位置を求めて、終わりなき席取りゲームを繰り返すような生活を子供にさせても、しかたなかんべ」
 と妻と語り合った。
 妻と語り合わなかった部分では、
 「どんなにむずがり泣き叫んでいようが、茶碗の音がすれば泣きやみ、煮炊きの音が聞こえれば微笑み、取り柄といえば、しっかりとしたクソをする」
 そういう子供に育てよう、とわたしは密かに念じていた。
 わたしの育児目標はまったく外れてしまい、おそろしくセンシティブで、他人の痛みがわかる優しい子に息子は育ってしまった。
 わが家での、わたしの分担であった育児の部は、はたして成功したのか、失敗したのか? 個的な経験のみから得た仮説をここに書かせていただくなら、親の思い入れなどとは無関係なところで、子は育っていくものではなかろうか。
 わたしは、「いい加減」な人間である。そしてそれは一時的な失態などではなくて、過去三十数年間持続した、しかも矜持(きょうじ)をもった失態だった。誰がなんと言おうと、わたしは、この一点においては首尾一貫していた。
 そしてわたしは、この「いい加減」さとか「不真面目」さだとかを、必ずしも負の要素として捉えていない。
 それは、
 --真面目で熱心な帝国陸軍憲兵隊長は、最もタチの良くない人、
 という認識に根差していた。
 ゲーテも言っているように、
 --努力をするから間違いが起こる。
 できるだけ、楽しいことをしていよう、そうすれば、間違いはない、というなんとも楽チンで、しかもなんとも無責任な信条をある時期から唯一の生活の支えとしてわたしは生きてきた者だ。
 遊んでいれさえすれば、間違わない。真面目で努力する人たちは、間違える。
    --森巣博『無境界家族』(集英社文庫、2002年)。

 冒頭は、オーストラリアを拠点として、世界各地の賭場を攻める“国際的博奕打ち”森須博氏のエッセーからの一節です。森須氏は、雑誌記者を経て、博奕で凌ぐ様になった快男児。妻は、世界を代表する経済史・思想史家のテッサ・モーリス・スズキ。近代日本のシステムや思想に関する研究も多い。不思議な夫婦である。

 さて、博奕を打ってしのぎをけずるほど、破天荒な人生を宇治家参去も歩んでいるわけではありませんが、ある意味「いい加減」な人間です。
 矜持をもった首尾一貫した「いい加減」ではないところがいささか淋しい部分もありますが、人間という生きものに関しては、どこか、ある部分では、「いい加減」なところが必要だと考える一人です。

 「いい加減」にしましょう!
 努力をするな!
 --と訓戒を垂れる意味で、「いい加減」を宣揚するつもりは毛頭ありません。

 努力したり、学んだり、ときにはツライ思いをすることも大切だと思います。
 ただそれと同時に、ある部分では少し「いい加減」なところをもったほうが、人間は、「楽チン」に生きていけるのだと思います。
 それは体系的な思想とか形而上的な道徳学の立場からのそれではなく、感覚とこれまで生きてきた経験からですが……。

 どう表現すればいいのでしょうか……。
 我ながら語彙の貧弱さをなげくばかりですが、ともあれ、努力するところはしっかり努力しつつも、24H努力し続ける必要はないといえばいいのでしょうか……まさに、ある部分では、息抜きととらえてもよいかもしれませんし、ガス抜きととらえてもよいかもしれませんし、ともあれ、一生涯、ゴチゴチの努力主義者を貫き通すのではなく、努力しつつも、時折は、「いい加減」であるべきでは……そう実感する部分です。

 深刻なときは深刻になればよい。
 深刻に疲れたときは、疲れを取ればよい。
 疲れたまま深刻を貫き通しても、さらに疲れるだけだということです。
 ただそれだけです。

 張り詰めるときは張り詰めればよい。
 張り詰めすぎて疲れても、張り詰めすぎるとチトきつい。
 疲れたまま、張り詰めすぎると、ある日、ポキンと折れちゃうよ。
 ただそれだけです。

 篤志で熱心に物事を探求したり、仕事を精一杯やっている人間がある日、ポキンと折れてしまうように……。

 もちろん、折れないような強靭な人格を作れ!
 折れるようでは、人間ができていない!
 様々な道徳的命法は山のようにでてきそうですが、そのようなことができるのは万に一つの人格ぐらい。凡俗には超える難き霊峰のごとくそびえ立つ方向性ではないでしょうか。

 その意味で、登頂しつつも、時折、「いい加減」に立ち止まり、深呼吸したり、水筒に手を伸ばしたり、あたりの光景を見回してみるのもよろしくないでしょうか?

 つまり、「いい加減」とは「余裕をもって」ということかもしれません。

 余裕ある人は、寛容です。
 「真面目で熱心な帝国陸軍憲兵隊長」は、余裕のない人かもしれません。

 余裕がないから、真面目で熱心なエリートさんは、ノーパンしゃぶしゃぶに出かけたり、インサイダー取引に手を染めるのかもしれません。

 “チョイ駄目親父”ぐらいがいいのかも?

 すこし脱線。

 さあ、「いい加減」に生きていきましょう!

 でも、人から「いい加減」って言われない方が無難かもしれません。
 人から「いい加減」って指摘される人物は、自分が「いい加減」に生きていることが自覚できていないからです。だから、“良(い)い加減”になっていない。
 「いい加減」を自覚できている人物は、“良(い)い加減”なんだと思います。

 では、おぬしは?
 「ハイ、細君から、“いい加減”人間との誹りを受けております」。

 だから今日は、グロールシュ・プレミアム・ラガービール(オランダ産)で、“いい加減”になろうと思います。レトロな牛乳瓶のような造形が、“いい塩梅”です。

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無境界家族(ファミリー) (集英社文庫) Book 無境界家族(ファミリー) (集英社文庫)

著者:森巣 博
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「よだかの星」を見たことがありますか

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悲しさに美しさを見いだすのはどうしてだろうか?

最近そのことをよく考えます。

ここでいう悲しさとは、作られた(操作された)悲しさのことではない。
作られた(操作された)悲しさとは、例えば、“死の美学”という言葉に象徴されるような、忠君愛国とか、忠義の烈士とか、そういう文脈での、作業仮説上の概念における、物語のことです。悲しさに限らず、作られた、どこか操作された物語の胡散臭さはいうまでもない。

ではそれ以前の、感情としての“悲しさ”はどこにあるのだろうか。

以前、孟子の言葉(巻第一 梁恵王章句上)「吾その觳觫若(こくそくじょ)として罪無くして死地に就くに忍びざるなり」にみられる、供犠の牛の悲しい瞳を目の当たりにした王が、“思わず心を動かされた”エピソードや、童謡「ドナドナ」を材料に論じたこともあるが、そういう、ところではないだろうか--というのが実感です。

いわく--

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他者(の不幸)に対面したとき発現する忍びざる感情は、いかなる勘定からも生じない。いかな反省の対象でもなく、その反応が、いわば「自然になされる」ところにその特徴がある。計算づくの行動ではなく、「思わずなされた」行動である。その意味では、陳腐な言い方だが、偶然対峙した相手に対して、個人的な関心を乗り超え、人間は思わず「公正無私」な行いが出来るのである。自己を通り越して、自己に背いてまでも他者のために動く存在者が現出する瞬間である。

その瞬間こそ、倫理(学)が「自然」と立ち上がる瞬間なのだと思われる。
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そうした思わず感情がたちあがるときの、悲しさの感情は、なぜか美しい。

宮沢賢治(1896-1933)の作品を読むと、迸るような筆致で、そうした感情が色鮮やかに描かれている。裕福な出自と、郷土の寒村との対比が生んだ贖罪意識と自己犠牲の精神が、仏教信仰によって洗練された独自の発想、そして旺盛な自然との交感力が圧倒的な魅力である。

正直なところ、学生時代には、読んでもあまりピンとこなかったのですが、自分自身も親になったり、いろいろと生きていく中で、最近になってしっくりくるようになった作家の一人です。

さて、話を戻しますが、その悲しさの美しい物語のひとつに、賢治の「よだかの星」()という作品があります。

あらすじは……
醜さゆえに鳥の仲間から嫌われ、鷹からも改名を強要されるよだか(夜だか)という鳥が主人公。
よだかはついに生きることに絶望し、太陽や星にその願いを叶えてもらおうとするが、相手にされない。
それでもただ夜空を飛び続けた彼はひとつの星になる……。
そういう物語です。
通俗的ですが、この「存在」への罪悪感から最期には体を燃やして星へと転生するよだかの姿は、宮沢賢治自身の姿といわれています。自己犠牲の物語ですが、単なる自己犠牲ではなく、そこには、まさに根源的な暴力と生命の問題が論じられているように思えて他なりません。

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 夜だかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらゐにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。
 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。
 それだのに、ほしの大きさは、さっきと少しも変わりません。つくいきはふいごのやうです。寒さや霜がまるで剣のやうによだかを刺しました。よだかははねがすっかりしびれてしまひました。そしてなみだぐんだ目をあげてもう一ぺんそらを見ました。さうです。これがよだかの最後でした。もうよだかは落ちてゐるのか、のぼってゐるのか、さかさになってゐるのか、上を向いてゐるのかも、わかりませんでした。たゞこゝろもちはやすらかに、その血のついた大きなくちばしは、横にまがっては居ましたが、たしかに少しわらって居りました。
 それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。そして自分のからだがいま燐(りん)の火のやうな青い美しい光になって、しづかに燃えてゐるのを見ました。
 すぐとなりは、カシオピア座でした。天の川の青じろいひかりが、すぐうしろになってゐました。
 そしてよだかの星は燃えつゞけました。いつまでもいつまでも燃えつゞけました。
 今でもまだ燃えてゐます。
--宮沢賢治「よだかの星」、『宮沢賢治全集 5』(ちくま文庫、1986年)。

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そろそろ、この物語を子供に読み聞かせてあげようと思います。

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宮沢賢治全集〈5〉貝の火・よだかの星・カイロ団長ほか (ちくま文庫) Book 宮沢賢治全集〈5〉貝の火・よだかの星・カイロ団長ほか (ちくま文庫)

著者:宮沢 賢治
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ある日の宇治家参去

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三月末に植えたサニーレタスが芽を吹いていた。
不思議なもので、もともとは、ある意味で無機物のような、乾いた種だったが、土に植え、適度に水をやり、太陽のもとにだすと、米粒以下の固い種は、青い植物へと変化する。
固い種も、それが変化した青葉も、おなじ“物体”である。
“物体”といえば、人間という存在と対峙したとき、どこか、空々しい、空虚なイメージがつきまとうが、物体という存在には、それだけではない、横溢するような芳醇なイメージが内包されているのかもしれない。

人間という存在も、物体といえば、物体である。もちろん、サニーレタスの固い種とは、違うと誹られそうだが、様々な原子や組織から、構成された物体であることには間違いない。もちろん、人間は、物体だけの存在ではない、意識や理性や心がある!--こうした非難も受けそうだが、物体であることは否定できない。

その意味では、人間にせよ、固い種にせよ、青葉にせよ、物体は物体であるという事実を否定することは不可能だ。ここでいう物体とは、物体を空虚なイメージに限定する物理学とか生化学でいうような狭い意味での物体ではないのかもしれない。

それって“生きている”物体か?

そう聞き返されそうですが、物体そのものには生/死も関係ないのかもしれない。物体であるという事実が重要で、その原初の事実を、人間は、拒否するのではなく、受け容れる必要があるということだ。

物/心を立て分ける(西欧近代主義的知による)二元論への批判でしょうか?
こういう質問が出てきそうですが、そういうわけでもありません。安直な二元論批判の裏返しとしての、アニミズム的な心身合一論や物心一元論にも辟易する。

物体とは、そうした対立項や一元論とは無縁なのかもしれない。人間がこねくりまわして、解釈することを真摯に拒絶するのが物体なのだろうか--。

ふと、そんな思いの駆けめぐる、ある日の宇治家参去でした。

そのヒントを与えてくれたのが、アバンギャルド芸術論の嚆矢となる文芸評論家とでもいえばよいのでしょうか、花田清輝(1909-1974)の『物体主義』というエッセーです。
私見ですが、花田のベースにあるのは“徹底的な対峙”による、芸術的直感にも似た“本質暴露”がその主軸にあると思います。

で、その花田清輝--。
戦後、左翼的な立場から評論活動を展開した人物ですが、立場をめぐり日本共産党からは除名された人間です。その意味で、単純に左翼とか右翼とかに収まり切らぬ柔軟な思考スタイルをもっており、その優雅な文体の魅力はいまなお読む人を惹き付けてやみません。

それでは、締めに花田の『物体主義』でも読んでみましょう。
相変わらず、思索ができておりませんで、すいません!

とりあえず、細君が湯豆腐を作っておいてくれたので、一杯飲みながら、深く考えてみます。

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物体主義
わたしは物体に支配されるとともに、物体を支配する物体であり、物体として、運動し、かつ静止する。なぜわたしが運動するかといえば、むろん、わたしが、わたしを支配し、わたしによって支配される物体と、対立し、闘争するからであり、なぜわたしが静止するかといえば、むろん、その対立物との闘争において偶然、そのものの力とわたしのそれとが、均衡の状態におかれているからである。
 私を支配する物体とは、わたしを物体として支配する結果、みずからを物体以外のなにかものかであると考えているらしいが、むろん、わたしは、そのものを、わたしといささかも変りのない、物体とみなさざるを得ない。わたしによって支配される物体は、むろん文字どおり、物体にすぎず、いかにわたしが、そのものを支配してみたところで、わたしは、みずからを、物体以外のなにものかであると思い込むことはできない。物体であるわたしは、むろん徹頭徹尾、量にほかならないが、もしもわたしが、量から質へ転化するとすれば、むろん、わたしを支配し、わたしによって支配される物体を、わたし自身のなかに、すっかり吸収してしまった後のことであろう。
 つまり、要するに、わたしが、つねに物体であり、絶対に物体であり、終始一貫、物体である原因は、むろん、わたしが、物体を支配していることにではなく、みずからを物体から区別している物体によって、わたし自身、わたしの支配する物体と同様、物体として支配されていることに求められるべきであり、むろん、……
 むろん、あなたは、なにが、むろん、だと苦々しく感じながら、そもそもわたしが物体であるとはなにか、物体の支配被支配とはなにか、物体の量から質への転化とはなにかーーさっぱり不得要領のまま雲をつかむようなわたしの物体論に、すでに相当辟易(へきえき)されており、これ以上、わたしが、物体なぞという抽象的な観念に拘泥(こうでい)せず、もっと生活に即した、なまなましい話題に移ってゆくことを、心から希望されているにちがいない。
 しかし生活とはなにか。たとえば、わたしの、家庭生活とはなにか。わたしという物体と、わたしという物体を分離した物体と、わたしという物体のと結合した物体の、さらに分離した物体との単なる運動や静止にすぎないではないか。誤解を避けるために、一言、ことわっておくが、これらの物体は、わたしと同様、すべてことごとく、みずからを物体から区別している物体によって支配されている物体であり、わたしという物体とのあいだには、原則的には、支配、被支配の関係はない。
 以上によってもあきらかなように、わたしのいわゆる物体は、いささかも抽象的なものではなく、むしろ、抽象的なものを否定する極度のなまなましさうぃ具(そな)えている。ピカソの画面に貼りつけた物体、エルンストの動く物体、ダリの象徴機能の物体、等々をあげるまでもなく、二十世紀の芸術家は、あくまで具象的であろうとするがゆえに、物体にたいする異常な執着を示すのである。
 周知のように、この種の物体はオブジェと呼ばれる。オブジェはシュジェにたいする言葉であり、主体に対する客体の意味もある。思うに、わたしたちのあいだで、主体性に関する論争ばかり盛んであって、いっこう、それとともに客体性に関する論争がおこらないのは、わたしたちが、まだ十九世紀の段階にさまよっており、二十世紀的な観点から、おのれ自身を、客体として、オブジェとして、物体として、はっきりとらえていないためではなかろうか。(それは単なる自然科学的把握を意味しない。)
 おのれの主体性は、おのれの徹底的な客体化とともに、確立する。これらの相反する二つの作用が、対立したまま、同時に進行するのが、二十世紀の性格であり、それは、たとえばダリの作品が、幻想的であればあるほど、ますます客観的な明証性をもっているようなものである。したがって、また、わたしたちが、おのれの自由を実現するのは、おのれを物体としてみとめたとき、--みとめさせられたときであり、おのれの人間性を喪失したとき、--喪失させられたときである。
 もっとも、こういうと、自由を、もっぱら魂の自由としてとらえ、しかもその完全な自由は、死なないかぎり不可能であると考えているようなひとは、わたしたちが、人間性を喪失させられ、物体に変化させられるということを、さっそく、死ぬことであると思うかもしれない。さらにまた、機械的な唯物論者のなかには、右の言葉を、わたしたちが、おのれ自身を、単なる客体として、非情冷酷に観察し、その法則性をあきらかにすることができるようになれば、自由の実現など、易々たることであるというふうに受けとるひともあるかもしれない。しかし、むろん、それはそのいずれのばあいをも示すものではない。一言にしていえば、それは、わたしたちが、物体の状態にまできびしく追いつめられ、みずからの非人間性をはっきり自覚するとき、かえって、わたしたちの闘争の決意は、具体的に明確な形をとる、という簡単な事実を指す。
 このような物体を、一般に人民と呼ぶ。かれらは、おのれの非人間性を、かれらを支配する物体や、かれらによって支配される物体の--生産手段や、その所有者の非人間性と対決させ、物体として、運動し、時に、静止する。人間とは、かれらを支配する物体が、その支配のおかげで、おのれを物体以外のなにものかであると思い込もうとするばあいにいだく幻影にほかならない。
 物体には生活がない。したがって、わたしにもまた、生活がない。しかし、わたしは、たしかに物体によって支配される物体ではあるが、私の支配する物体は、つまるところ、一本のペンにすぎず、若干、貧弱のそしりをまぬがれない。
    --粉川哲夫編『花田清輝評論集』(岩波文庫、1993年)。
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晴れない疑念ややるせなさを乗り越えて

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どうも、宇治家参去です。

昨日まで花冷えする雨が降り続いていましたが、今日は一転、春の陽光につつまれたおだやかな、一日。家のゴドラ星人も大喜び。

このところ、市井の仕事が忙しく、やるせないといいますか、いきばのない憤りといいますか、いろいろ追い立てられている局面もあり、大学も始まり、チト大変でしたが、金曜はとりあえず、休日。

休日ではありますが、ゆっくりするどころか、レポート添削と次の授業の仕込みに負われていました。

大学の教員という生きものは、毎日が休日のように思われがちですが、実は、90分一コマ一コマの仕込みが、そのおくに控えているわけで、そこをおろそかにすると、空虚な授業になってしまいます。要領のいい教員はそうではないでしょうが、そういう時間を大切にする宇治家参去でした。

さて、今日は、青臭い!と笑われそうですが、添削の合間にフランスの作家・カミュ(Albert Camus,1913-1960)を読んでいました。

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一九三六年五月
世界から離れてはいけない。人生が光にさらされるとき、人生をやり損なうようなことはない。どんな地位にあっても、また、どんな不幸や幻滅のさなかにあっても、ぼくの努力の一切は、世界との絆を見いだすことだ。そして、たとえ悲しみのさなかにあっても、ぼくの心には、愛したというなんと熾烈な欲求が燃え、また夕べの大気にひたされている丘の景色をただ見ただけで、なんという陶酔がこみあげてくるのだろう。
 真実ともろもろの絆。まずはじめに自然との、ついで、理解した人びとの芸術との、またもしぼくに可能なら、ぼくの芸術との絆。そうでなくとも、光が、水が、陶酔が、いぜんとしてぼくの前にある。それに欲望に濡れた唇が。
 微笑を浮かべる絶望。逃げ道はない。だが、それが空しいこととは知りながらも、やはりたえず支配しようとするのだ。要は自己を失わぬことだ。そして、おのずから世界のなかで眠りこけているものを見失わぬことだ。

一九三七年九月
フェイゾール。
人びとは困難な生を営んでいる。ひとは、自分たちの行為を、事物に関していただいているヴィジョンと常に一致させられるとはかぎらない(ぼくの運命の色彩をちらりとのぞき見たと思ったときには、それはもう、ぼくの視線の前から逃れ去ってしまっている)。人びとはそれぞれの孤独を克服しようとして苦しみ、かつ闘っている。だがいつかは、地上が、ありのままの姿の素朴な微笑みを見せることもあるだろう。そのときこそわれわれのなかでの闘いや生活は、まるで消しゴムで消されるように、一瞬の間に消え去ってしまうのだ。幾百万の目がこの光景を眺めた。だがぼくには、それは世界の最初の微笑のようであった。言葉の深い意味で言うのだが、その風景をぼくは自分の外に放りだした。その風景は、ぼくの愛なくしては一切は空しい、また、その当のぼくの愛でさえも、それが無垢でなければ、そして対象にかかわらぬものでなければ、ぼくにとっては価値がないのだということを確信させるのだった。それはぼくという一個の人格を拒絶し、ぼくの苦悩を反響のないものにしてしまう。世界は美しい。そしてすべてはそこにある。その風景が辛抱づよく訓(おし)えてくれた偉大な真実とは、精神はなにものでもなく、心もまた然(しか)りということだ。そして、太陽があたためる石や、ぽっかりとのぞいた空にすくすくと伸びる糸杉こそ、<<道理がある>>ということだ。この世界はぼくを空しゅうしてしまう。それはぼくをとことんまで運んでゆく。そして怒りもなくぼくを否定する。それに同意し納得させられながら、ぼくは一つの叡知(えいち)に向かって歩んでいた。そこではすでに、一切が征服されていた--もし涙がぼくの目にあふれてこなければ、またもしぼくの心をいっぱいにしている詩(うた)の激しい啜(すす)り泣きが、世界の真実をぼくに忘れさせなければ。
    --カミュ(高畠正明訳)『太陽の賛歌 カミュの手帖ーー1』(新潮文庫、昭和四十九年)。

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なかなか浸みますね。

生きる不条理を描いた作家と呼ばれ、ノーベル文学賞も受賞していますが、彼が、一番きらった他者からの評価が、“実存主義者”という言い方です。盟友サルトルとも、その立場をめぐって、袂を分かつわけですが、おそらく、生きるということ事態の不条理・矛盾という現実をことさら美化したり、醜化したりすることを、きらったカミュになぜか牽かれます。

存在よりも実存が先行すると説いたサルトルには、どこか人間を実験室でみる眼差しが感じられ、大物であるにもかかわらず、どこか“違和感”を感じていましたしたが、まちがいでなければ、そんな些細なところに、カミュとサルトルの違いがあったのかもしれません。

今日は、息子とウルトラマンの『第23話「故郷は地球」(1966年12月18日放送)』をDVDで鑑賞していました。監督はいわずもがな、若き日の実相寺昭雄です。

筋としては、Wikipediaに簡潔な筋があったのでチト紹介。

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以前は宇宙開発競争の時代に某国が打ち上げたロケットに乗っていた宇宙飛行士「ジャミラ」であり、正真正銘の地球人であった。事故によって水のない惑星に墜落し、救助を待つうちに体が変異し、醜い怪獣の姿となってしまった。母国が国際批判を恐れて事実を隠蔽したために見捨てられたことを恨み、宇宙船を修理して地球に帰ってきた。地球に帰ってきた後は、見えない宇宙船に乗って要人を乗せた旅客機を墜落させた。

武器は口から吐く高熱火炎(100万度)。

水のない星に長くいたせいか皮膚が粘土質に変化しており、そのため炎に強いが、皮肉にもずっと欲していた水が最大の弱点となってしまったという性質をもつ。科学特捜隊による人工降雨弾攻撃は耐えたものの、ウルトラマンのウルトラ水流によって絶命する。その断末魔は、這い蹲って万国旗を潰し、赤ん坊の泣き声に似た悲痛なものであった。科学特捜隊は、かつての人間を殺したことに晴れない疑念を持ったまま、彼を埋葬した。

・ジャミラの名はアルジェリアの独立運動家ジャミラ・ブーパシャに由来する。
・断末魔の悲鳴は、赤ん坊の泣き声を加工したもの。
・特徴的な外見は衣服の丸首の部分を頭まで被る事によって子供に真似される事がある(ジャミラ被り)。
・番組終盤に一瞬写る墓碑銘の記載によれば、ジャミラの年齢は1960年~1993年(没年)である。また、墓碑銘の記載の文字はフランス語で、これは、ジャミラの名前の由来であるジャミラ・ブーパシャと関係されていると思われる。

(出典)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%A9

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子供とともに、そのやるせなさに号泣です。

殺す・殺さないという極限的レベルは別にしても、生きているなかでは、そうしたやるせなさや、不条理を甘受して、明日を生きていかなければいけないのが現実。

ジャミラを見ながら、カミュの言葉を噛みしめた宇治家参去です。

とりあえず、今晩はジャミラとともに、『本格焼酎 雲海』でも呑みながら、寝ます。

最期にだめ押し。

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一九三五年五月
 体験という言葉の空しさ。体験とは実験ではない。それは人為的にひき起こすこともできぬ。ひとはただ、それに服するのみだ。それは体験というより、むしろ忍耐だ。ぼくらは我慢する--といよりむしろ耐え忍ぶのだ。
 あらゆる実践。ひとたび経験を積むと、ひとはもの識(し)りにはならない。ひとは熟練するようになる。だが、一体なにに熟練するのだろう?
    --カミュ(高畠正明訳)『太陽の賛歌 カミュの手帖ーー1』(新潮文庫、昭和四十九年)。

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最近、考察ができなくてすいません。
水準をまた上げますので、少々ご辛抱を。

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【覚え書】ペトラルカ「自己自身に」

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心に浸みるフランチェスコ・ペトラルカ(Francesco Petrarca, 1304 - 1374)の文章があったので、【覚え書】として残しておきます。

浸みます。

ペトラルカといえば、叙事詩人ダンテ、友人であった散文家ボッカチョと並ぶ、イタリア文学の三巨星のひとり。どの仕事も超一流と言われた詩人、学者、人文主義者です。

いうまでもなく哲学者としての仕事も超一流だったとか。

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「私はなによりも哲学を愛します。しかし私の愛しているのは、わが学者どもがこっけいにも自慢のたねにしているあのスコラ流の空虚なおしゃべりの哲学ではなく、真の哲学なのです。たんに書物のうちにばかりか魂のうちに住みついている哲学、ことばにではなく、ことがらにもとづいている哲学なのです」(『親近書簡集』第一二巻三)。
     --ペトラルカ(近藤恒一編訳)『ペトラルカ ルネサンス書簡集』(岩波文庫、1989年)

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まさにルネサンスを予感させるペトラルカの言葉です。ペトラルカによれば哲学とは、魂の世話や生の形成を主要任務としており、この方面で実際的な力を発揮するものでなくてはならない。その意味で、哲学の正当は道徳哲学(倫理学)でなければならないことになる。しかしペトラルカは、一般的な倫理学的考察や体系の構築には無関心であったようだ。

個々の現実的状況の中で直面する具体的問題に焦点を当ててに人間を考察し、その生や生き方を考察する--そういうスタイルをペトラルカは取っています。つまり、実際に生きている具体的存在者としての自己自身や個々の人間を通じて普遍的な在り方を探究する、モラリストの在り方である。

その意味で、ペトラルカは偉大な“道徳哲学者”(philosophus moralis)であろう。

【覚え書】として紹介するのは、「自己自身への書簡」という一文です。
この書簡は自己自身への語りかけの形式をとり、自己自身との対話(独白)の記録となっている。

主題としては「内なる戦い」です。

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自己自身に

ああ、何ゆえにこの苦しみか。運命の暴威は私をどこへ押し流すのか。
私の眼に、世界はいまや終末へといそしぎ、
「時」がすさまじい勢いで遁走していく。
そして私の周りには、死にゆく若者のおびただしい群れ。
世界のどこにもわが身をよせる安全な泊(とま)りの港は見いだせぬ。
救いへの切なる願いにも 絶えて希望の訪れはない。
おびえるわが眼をどこに向けても
葬列につぐ葬列に私はたじろぐ。
寺院は死者の棺で雑踏し、悲嘆のうめきにみちる。
屍体はあわれにも貴賎の別なく一面に散らばる。
私は心にわが死をおもい、自分の不孝を思い出す。
ああ、我が心によみがえる、すでに亡き数々の友。なつかしい語らい。
そして突然、その甘美な顔たちが消え、
埋葬につぐ埋葬で すでに墓地も狭すぎる。
かくもおびただしい死によって見る影もないイタリアの民はこれを泣き、
人影もなく病みおとろえたフランスはこれを悼(いた)む。
いづこの星のもとなる他の国民もこれをかなしむ。
すべては神の怒りのためなのか。われらの罪の当然の報いか。
あるいはただ自然の異変に由来する天体の影響なのか。
この悪疾(ペスト)の年は人類に重くのしかかり、
悲惨な破滅をつきつけておびやかす。
大気は異様によどみ 死の勢いを助長する。
ユピテルは怒って、汚(けが)された天界の高見みから下界を見おろし、
そこから地上に疫病や陰惨な死を降らせているのだ。
運命の女神は非情にも 人間の生命(いのち)の糸をことごとく
瞬時に断ち切りたいと急いでいるのだ。
その願いは天に容(い)れられたのではないかと私はおそれる。
げに悲惨にも冥界へと落ちいそぐ青ざめた顔の群れはかくもおびただしいのだ。

こうした思いに私はおののき、間近に死のたくらみを予感する。
いったいどこに逃(のが)れたらわが身を隠すことができるのか、
海も地も 岩壁の暗い洞穴(ほらあな)も なんら示してはくれぬのだ。
げに死の力はすべてにうちかつ。そしてどんな隠れ処(が)にも
死は猛然とおそいかかってくるのだ。
たとえば水夫が不意に危険な嵐におそわれて、その目の前で
仲間の小舟がつぎつぎに凶暴な荒海に呑みこまれていくとき、
自分のもろい小舟も脇腹がきしみ
櫂(かい)も岩礁に打ちあたって砕けるのを聞き、
舵(かじ)もとおく怒濤に流されていくのを見るように、
そのように私も、確実な危険を前に、なすすべも知らず途方に暮れる。
あるいはまた、激しい火炎がひそかに古い梁(はり)に燃え付き
貪婪(どんらん)な猛火が分厚い屋根板を舐(な)めはじめると、
突然の轟音(ごうおん)に一家は仰天していっせいに起き出し、
父親はだれよりもさきに屋根の上によじのぼって周りをうかがい、
そしておびえおののくわが子を抱きかかえ、
おそろしい危険からまっさきに遠ざけることを思い、
襲いかかる炎のなかを子どもをかかえて連れ去ろうとする。
そのように私もしばしば、危惧の念から、私の惰弱な魂を抱きしめ、
なんとかして情念の炎をかいくぐって魂を連れ去り、
肉欲の炎を溢れる涙で消しとめようと思いめぐらす。
しかし現世は私をとらえ、快楽は強烈にひきつける。
そして凶暴にも習慣は わざわいのきずなで私をしばって放さないのだ。

私はこんな状態にある。こうして深い暗黒が氷のような戦慄で私をつつんだ。
自分はつねづね死についての省察を怠らず
死の断末魔にも平静に直面できる--
こう思うのは誤りだ。あるいは気違い沙汰か自信過剰だ。
しばしば真摯高邁な怒りの念や正しい苦痛の思いが、
私の優柔な心をひたし、内と外で私とたたかう。
私はあきらかな理性の光に導かれるが、
衝動が理性にうちかち、まじめな意図をさまたげる。
こうして私は捕えられ、嘆き悲しみ、しばしばみずからに問いかけるのだ。

おまえはむなしく何をもとめているのか。みじめにもどこへゆこうとしているのか。
こんなに多くの回り道をして いったいどこへゆけると思っているのか。
おまえの死は確実なのに、憩いを求めてこの絶えざる労苦はなんの役にたつのだろうか。
なにゆえ不毛な砂地に種を蒔くのか。なにゆえ砂浜を耕しているのか。
へつらいの希望を追い求めては、希望にもてあそばれ翻弄されているのだ。
すでにバラ色の時期(とき)はおまえの背後に遠く、
はや灰色の老齢が ひそかにおまえを侵しつつある。
おお、無知な子どもよ。なぜにこれほど愚鈍にふるまうのか。
いつも心に明日を思い求めては この現在を失っているのだ。
いつも未来の 定めない運命に依りかかり、
おまえ自身とおまえの善から逃げ出して 他人(ひと)のものを追い求めることになるだろう。
さあ、立ちどまれ。逃げるをやめよ。
おめがじかに認めうる今日という日に拠ることをなぜしないのか。
明日という日はおそらくおまえの上に これほどあかるく訪れはせぬ。
知らないのなら教えよう。死はたやすくすべてを滅ぼし 暗黒の闇にとかしこむのだ。
しかも死の常として突然にやってくるのだ。もしもおまえ自身のことを気づかうのなら、
おまえの魂が未来に先送りしているそのことに なぜすぐ着手しないのか。
おそらく慎重にさまざまな計画を 未来の長期間に割りあてているのか。
なんたる盲目ぶりよ。死後になすべくあれこれと大きな仕事を企てるとは!
人の世のはかなさが身にしみてわかっていながら、
おまえが土塊(つちくれ)となり、血に飢えた禿鷹がおまえのからだを喰いちぎり、
きたないうじ虫がはらわたをむしばむそのときに、おまえはそれをなすのだろうか。
むしろいま、このいまが、その時期(とき)なのだ。
いまならおまえはからだを動かすことも 心を意のままにすることもできるのだ。
もっとも善きものである自由と生が 不意に消え去ることもなくまだ残されているのだ。
おまえには見えないだろうか。「時」の翔ぶように逃れ去るのが。
瞬間は刻々とかろやかに一時間一時間を押し進め、各時間はつぎつぎに昼と夜を追いたてる。そして昼夜の逃れるうちに
月はその周期を満たし、新月となって回帰する。月はつぎつぎに日を奪い去り、一年に一年を重ねてゆき、
そして年の経過は老衰と死とをもたらす。
こうしていっさいを動かしつつ「時」は過ぎ、一刻もとどまらず
生は二度と還ることなく走り去る。その速いこと、急湍(きゅうたん)の
水勢すさまじく峻嶺の高みより海へと落つるにまさる。
弓弦(ゆみづる)をふるわせて放たれた矢も
これほど速く空(くう)を切って進みはしない。
思い出してもみるがいい。おまえが生みの母の胎内から
はだかの無力な泣き虫の哀れな赤ん坊として生まれ落ち、
口をふるわせて泣きながら産声(うぶごえ)をあげたその日より、
その心にはただ 労苦と涙と呻吟と
かなしい胸をさいなむ苦悩(なやみ)だけが住んでいた。
おまえには一度も たのしい日の訪れはなかった。
あえぐ心が無数の嘆きに終止符を打ちうるような日の訪れは。
おまえは休息を望んでいるのに、運命は非情にもそれをこばむ。
歩み疲れたからだを横たえて
しばしの憩いを楽しむこともできないうちに
おまえの生涯がすべて終わってしまいはせぬかと私はおそれる。
おまえの一日はすでに大部分が過ぎ去ってしまった。
永遠の夜を予告する夕べがすでに迫ってきている。
おまえははや老齢なのに、遠い将来のことまで思いわずらっている。
おもえは死にかかっているのに、重い睡魔に囚(とら)われて、安堵の眠りに浸っているのだ。
西の方(かた)、地平へと落ちいそぐ太陽を見よ。そして間に合ううちに、
いたずらに浪費した「時」を泣け。
そして永遠の母国へと歩みを向けよ。
まだ天の高みから束の間の光がおまえを照らしているうちに。
おまえは嵐の海に生きてきて、あまりにも悩み苦しんだ。
港のうちに死ぬがいい。さあ、ぼろぼろの帆布をたため。
嵐でばらばらにちぎれた帆綱を、いまこそ拾いあつめるがいい。

こんな思いにふけるうちにも、しばしば怒りと苦悩が私に叫ばせるのだ。--
いったい だれが私を 敵の口からひきはなしてくれるのだろうか。
だれが私を この死すべき牢獄から解放し、天に返してくれるのだろうか。
こんなにおびただしい陥穽(かんせい)や迷路のあいだにあって、
永遠の救いにいたる正しい道を だれが示してくれるのだろうか。
ああ、はるかに山の高みからのように 平和の母国(くに)が
遠くかすかに見えるような気がする! いや、ほんとうに見えているのか。
しかし私の周りはすべて固いイバラの茂みにおおわれて、そこに住む
おそろしい地獄の犬ども。かつて天主の御旗(みはた)を投げすてた略奪者ども。
そこを歩み抜けようとすれば連中の すばやい襲撃の的となる。
忘れもせぬが、いかにしばしば正しい道を歩もうとして挫(くじ)けたことか。
そしていつも押しもどされては途方に暮れ、
ゆくべきでないほうへとあこがれるのだ。
それではだれが、不幸な私を助けてくれるのだろうか。
幸福な魂や至福の民の住むところへと だれが安全に導いてくれるのだろうか。
私が肉の重みにあえぎ、私の罪が私の歩みを妨げているのなら、
だれの助けで私は重荷をおろし、鳩の翼を付けて高みをめざし、
かくも多くの苦難の果てに憩いを見いだしうるのだろうか。

これが私の現状なのだが、未来を予知せる運命がこの身に
いかなる終わりを準備しているのかはまだわからない。
果てしない希望とおそれとがこれまで絶えず私の心のなかで争ってきている。
しかしまもなく、私の最期そのものが教えてくれよう。--
私はほんとうにだれだったのか。幸運の星のもとに生まれていたのか。
しめされや道をたどる私の旅は 速かったのか遅かったのか。
要するに、この死すべき肉体の 私はいかなる客人であったのか。
(『韻文書簡集』第一巻一四)
     --ペトラルカ(近藤恒一編訳)『ペトラルカ ルネサンス書簡集』(岩波文庫、1989年)。

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『生きる力 学習指導要領がかわります』らしい……

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火曜日から息子の幼稚園の新学期がスタートしましたが、当分は午前保育。
帰ってくるのが早い。
それまで寝てると、細君にどやされますので、早めに起きるのが辛い毎日の宇治家参去です。

さて、今日はかろうじて、起床し、レポート添削をしたり、出張の準備をしたりしていたわけですが、細君が、「これを読んでおけ!」と一冊の小冊子を手渡してくれました。幼稚園の事務所でもらってきた小冊子は、『生きる力 学習指導要領がかわります』(文部科学省、2008年)というものです。

ゆとり教育に対する反省から、コンテンツ変更を余儀なくされた新学習指導要領というわけでしょうが、パラパラとめくる。

13頁目に「子どもたちの現状」という項目がある。

曰く……。

「基礎的な知識・技能は身に付いていますが、知識・技能を実生活の場面に活用する力に課題があります」とのこと。

なるほど……。

10頁目には「伝統や文化に関する教育を充実します」とある。

曰く……。

「たとえば、
国語の時間では…
・小学校で古文・漢文の音読を行います
社会の時間では…
・小学校で国宝などの文化遺産、中学校で江戸時代の教育・仏果や近現代史など、歴史学習を充実します
音楽の時間では…
・唱和や和楽器の学習を充実します
保険体躯の時間では…
・中学校で男女共に武道を必修にします」

なるほど……。
結構です。

って、本当かよッてつっこみを入れた方がよいのでしょうか?

ゆとり前もゆとり後も、その以前の(古くは、御一新以来の近代教育以来)形から孕んでいる問題が一向に解決されていないのでは?と思うのは宇治家参去一人ではあるまい。

教育学とか、教育行政学、もしくは教育史・教育思想史の専門家からは、怒られそうですが、なんとなく、違和感を感じてしまいます。

つまるところは、公教育だけで、全体人間を創出することは不可能かもしれません。
教育という言葉を広い意味で捉えれば、読み書きを教えることから、子供との遊び、ふれあいにまで、至ると思いますが、少し、我が子との時間を、考える時間・表現する時間、共に悩む時間を創らねばと実感しました。

そういう意味で、おもしろ一節がありましたので、ひとつ紹介を。
『エセー』の著者で知られるミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(Michel Eyquem de Montaigne)に関する自伝的小説に『ミシェル 城館の人』(集英社文庫)というのがあります。モンテーニュといえば、16世紀ルネサンス期のフランスを代表するモラリストとして知られ、現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けたその文章は、広く読み継がれています。そのモンテーニュの学童時代の教育環境のエピソードからひとつ。

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 第七章
 更にミシェルにとって幸いしたことは、教科が退屈きわまりない初歩の級から、上級へ進むにつれて課目の内容もが豊かになり、暗記一点張りの文法から、次第に修辞学の分野へと転化していったことであった。修辞学は、美辞学とも言うように、思想を最も有効、かつ適切に表現する方法を学ぶものであった。かくしてはじめて身につけていた母語としてのラテン語を、自分のものとして自ら活用することが出来るようになりもしたのであった。
 学級の階段を上るに従って、教師たちも優秀な人々に変わって行くこともまた、ミシェルの頭脳と精神にとっては、よい刺激になる。
 刺激と言えば、上級へと昇って行って課目に、議論と討論(デイスピュタテイオ)が加わって来たことが、彼にとってもっともよい刺激であったであろう。それは、毎日午前午後の全科目が終わったところで、その日の授業のしめくくりとして行われたものであった。その日のどの課目、あるいは教師の説明等についても学童たちが相互に質問を提出し、それに答える。意見を交換し、また時には討論によって勝負を決める。と、このような形のもので、それは西欧の教育には欠かされてはならないものであり、彼等西欧人の人格形成は、いわばこの討論の形をとって形成されて行ったものであった。
 学校とは、あるいは教育とは、ある学年級に到達した場合、一言で言って、討論の場であった。そうしてこの討論の場としての学校、あるいは教育という考え方が、遺憾ながらもっとも欠けているのは、東方世界のそれであろう。
 そうして土曜日になると、午前中の授業の終わったとところで、学級別、あるいは全校的な規模での討論集会が行われた。そのための材料は、教師が出題することもあったが、生徒自身が、たとえば作文をして、それがつかわれることもあった。文章中の誤りなどの指摘も当然行われた。反論、反駁も、これも当然であり、修辞学、哲学の初歩なども必然に加わる。
 こういう時に、大人しく、ただ椅子に腰をおろして黙って聞くだけ、という生徒は、大人しいのではなく莫迦(ばか)、低能と見做(みな)されるであろう。それはまた、ただの会話や問答というものではなく、多数の人間の同意をかちえなければならぬていのものである。
 すなわち、ここで討論は、すでにして言論である。こういう言論はまた、<知性の体操>でもある。この、知性の体操ということばは、まことにふさわしくもエラスムスの言であり、ルネサンスの教育のみならず、爾後の西欧の教育の基礎をなしたものであった。
 この討論によって、学童たちは、一つの主題に対して、解釈の多様性というものがありうることを学んで行く。一つの問題に対して、答えが多様にありうることを知ることもまた、市民社会に生きるためには必須の知恵でなければならない。それは、答えが唯一に限定されている、試験ではない。
    --堀田善衛『ミシェル 城館の人 第一部 争乱の時代』(集英社文庫、2004年)。

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“和”とか“空気を読む”といった感じの“黙る”伝統的エートスも大切なのでしょうが、教育に関しては、いかがなものかと思うことが時にあります。剣豪と剣豪の撃ち合いのような、熾烈な対峙から、人は、価値観の多様性を、本源的に学ぶのだと思います。

基礎体力として暗記はいうまでもなく、必要ですが、それを発酵・醸造させる在り方をなんとか取り込んでほしいものです。

「修辞学」という課目が小学校にあってもよいと思う次第ですが……。

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「一所懸命にやって先(ま)ず十年」

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 翌朝……。
 まだ、うす暗いうちに、
 「ごめんなせえ、ごめんなせえ」
 早くも、辻売り鰻屋の又六が、道場の戸を叩いた。
 いつもは道場へ泊まりこんでいる飯田粂太郎(くめたろう)少年は、母が発病したので、一昨日から浜町の田沼家・中屋敷の長屋へ帰っている。
 唖(おし)の百姓の女房が朝の支度をしているので、秋山大治郎が道場の戸を開け、ころげこむように入って来た又六へ
 「早いな。飯を食べて来たかね?」
 又六は、かぶりを振った。
 「では、私といっしょに食べよう。さ、来なさい。何をするにも腹ごしらえが肝心ゆえな」
 「じゃあ、剣術を教えて下さるんで?」
 「ああ、やってみよう。だが、な……」
 「へ……?」
 「剣術というものは、一所懸命にやって先(ま)ず十年。それほどにやらぬと、おれは強いという自信(こころ)にはなれぬ。これは昨日も、よくよく、お前に申したことだ」
 「だ、だから、そこを何とか、十日ぐれえで……だからこそ、おれは、この体の汗のかたまりみてえな五両もの大金を……」
 「まあ、待て。そこでな、十年やって、さらにまた十年やると、今度は、相手の強さがわかってくる」
 「へへえ……そんなら、おれ、もう、わかってる。けれど何としても、その野郎を負かしてえのです」
 「それからまた、十年もやるとな……」
 「合わせて、さ、三十年もかね……」
 「そうだ」
 にやりと、うなずいて大治郎が、
 「三十年も剣術をやると、今度は、おのれがいかに弱いかということがわかる」
 「そ、それじゃあ、何にもなんねえ」
 「四十年やると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる」
 「だって、お前さん……いえ、せ、先生は、まだ、おれと同じ年ごろだのに……」
 大治郎は苦笑した。
 いまいったことは、父・秋山小兵衛のことばの受け売りだったからである。
 蕪(かぶら)の味噌汁に里芋の煮物。それに大根の漬物の朝飯を、又六は緊張のあまり、ほとんど喉(のど)へ通さなかった。
 おどおどしている又六へ、
 「むりにも食べろ」
 と、大治郎が味噌汁だけは強引に食べさせたものである。
 そのあとで、又六が、
 「昨夜から今朝、おらあ、こんなに口をきいたことはねえ。しゃべったことはねえ」
 つぶやくように、いった。
 「そうか。そうとも見えぬが……いつもは、それほどに無口なのかね?」
 こっくりと無邪気にうなずき、又六が子供に返ったような仕ぐさで頭を掻き掻き、
 「おらあ、一所懸命でたのみに来た。だから、あれだけ、口がきけたです」
 「そうか、な……」
 「それに、先生が、やさしくしてくれたから……だから、たのめた。口がきけたです」
 「そんなに、私がやさしかったかね?」
 「うん……」
 秋山小兵衛が、大治郎の道場へあらわれたのは五ツ(午前八時)ごろであったろう。
 「ほう……この仁(じん)かえ」
 小兵衛が満面を笑みくずしつつ、
 「十日で強くなりたいというのじゃな」
 この妙な老人は、
 (どこのだれで?)
 とでもいいたげな顔を大治郎へ向けた又六へ、
 「私の父だ。私より強いお人だ」
    --池波正太郎「悪い虫」、『剣客商売② 辻斬り』(新潮文庫、昭和六十年)。

話の筋は、須崎弁天の側で商っている辻売り鰻屋・又六の物語。
土地(ところ)の“悪い奴”(実は又六の腹違いの兄)に馬鹿にされたくないと、四年間、酒も飲まずにためた五両をもって秋山大治郎に剣術指南を頼む。秋山父子の十日間の特訓で目的を果たすまで物語である。引用部分は、修行の当日の、修行開始まえの一コマ。

どうも宇治家参去です。
昨日より、幼稚園が始業式。
うちの息子も年中(3年保育の2年目)さんです。
通園している幼稚園では、年中から、スポーツ倶楽部(?)が用意されてい、サッカーだとか剣道だとか見学する中で、本人の希望で、今月から、“剣術”の道を歩むとか。

「一所懸命にやって先(ま)ず十年」

どこまでやるのか分かりませんが、環境としては応援するばかり。
宇治家参去も、小学二年からおよそ十数年剣道を遣りましたが、ものにならず。
あまり良い思い出もありませんが、スポーツ武道でなく、何か、道というものを学んでいただければ幸いかなと思います。

いずれにせよ、「一所懸命にやって先(ま)ず十年」は、剣術だけに限られたことではないだろう。学問も生活も趣味も生きる流儀も十年ごとに大きく変化する。目に見えるところもあれば、見えないところもあろう。それを誠実に積み重ねていくことのできるひとは、より高みに登っていくことが出来るのであろう。

途中で投げ出すのは簡単なことだ。

ちなみにこの物語(『剣客商売』)の主人公・秋山父子は、無外流の使い手。
無外流とは次のような流派だそうな。

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  無外流--清貧に生きた無欲恬淡の勇士、辻月丹資茂
 生涯を無欲で通した、異風の剣客として知られる辻月丹資茂は、慶安二年(一六四九)に近江国(滋賀県)甲賀郡馬杉(甲賀郡甲南町上馬杉)の郷士の家に生まれた。
 一三歳の時に入門したのは当時の京で勇名を馳せていた山口流の創始者・山口ト真斎であった。それから、二六歳で山口流の印可を授けられるまで、月丹は山口の許で修行を積み、剣の腕を磨いた。
 と言っても一三年間、ずっと師の道場に居着いていたわけではない。北越地方を廻る武者修行の旅を経験しているのだ。人の師に仕えながら諸国を巡っていたという事実は、誠に興味深い。現代の武道界においても、剣を学ぶには師は生涯一人と定めつつ、先生は何人持っても良いとされている。なぜなら、他の道場に出稽古に行くことが奨励されているからである。
 印可を得た後も月丹は武者修行の旅を行い、三三カ国を巡って一二流派を究めた。しかし江戸で山口流の道場を開いたものの上手くいかず、三年の間、単独での修行に取り組んだ。この時期に、月丹は禅を始める。麻布・吸光寺の石潭禅師についての参禅は一九年に及び、その没後は後を継いだ神州禅師に学んだ。
 ごく簡単な言い方をさせていただければ、禅の修行は「大悟」という悟りを開くことで完遂する。四五歳で大悟した禅師は一偈、すなわち印可の教えを授けた。
 印可の一節「一法実無外」にちなんで「無外」と号した月丹は、創始した流派の名を無外流と定めた。折しも江戸に出てきていた師の山口ト真斎に三本勝負で完全勝利を収めたことで、彼は名実共に独立を果たす。
(中略)
 大規模な流派の宗家でありながら、月丹は金銭にはまったくこだわることなく、生涯を清貧の内に過ごしたという。蓬髪弊衣(ほうはつへいい)に塗りの剥げた鞘の大小を帯びた姿は、若き日からの修行で鍛え上げられた風貌と相俟って、異様な凄みをたたえていたと伝えられる。
    --牧秀彦『剣豪 その流派と名刀』(光文社新書、2002年)。
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息子には武家の子らしく、師弟の道、使命の道、そして、正義の道を歩んでほしいものである。

すこし親バカでしょうかね。

さて、こういう剣術ものを読んでいると、内に潜む剣術魂が騒ぎます。
剣術をやってみたいものですね(それを支える体力がないのがチト辛いところです)。

最後におなじ本から。

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 剣術に刀。いずれも歴史が生んだ時代の産物であり、どちらが欠けても用を為さない、いわば車の両輪であろう。剣術と刀は殺人技・殺人刀にもなれば、活人技・活人刀にもなる。あらゆるスキルとツールがそうであるように、すべては使い方次第なのである。
    --牧秀彦『剣豪 その流派と名刀』(光文社新書、2002年)。
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剣豪 その流派と名刀 (光文社新書) Book 剣豪 その流派と名刀 (光文社新書)

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探究しながら途上にあること

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答張五弟
    王維

終南有茅屋
前對終南山
終年無客長閑關
終日無心長自閒
不妨飲酒復垂釣
君但能来相往還

張五弟に答う
終南 茅屋有り
前に終南山に対す
終年客無く長く関を閉ざし
終日心無くして長く自ずから間なり
妨げず 酒を飲み復た釣を垂るるを
君但だ能く来たらば相往還せよ

終南山に一軒のあばら家がある。その家の前は、終南山と向かい合っている。ここでは一年中、客が一人も来ないので、門はいつもしめたきりだ。一日中、何も心をわずらわすものがないから、いつでものどかなものだよ。酒を飲もうと釣糸を垂れようと思うまま、何のさしつかえもないのさ。君もここへ来られさえしたら、来てつきあいたまえ。
    --前野直彬注解『唐詩選(上)』(岩波文庫、1961年)。
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冒頭は、盛唐期の高級官僚で、時代を代表する詩人・王維の詩より。
輞川(もうせん)の別荘に引きこもっている王維にあてて、友人の張諲(ちょういん)がなにか手紙でも送ったのであろう。それに対する返事がうえの詩で、張諲を山中の閉居に誘うおうとするもの。

張諲でなくとも、宇治家参去も行かせてください!
日がな酒を友に、無心に釣り糸を垂れたいものです。

さてそうした仙人のような暮らしとは無縁な新学期が始まりました。
昨日は短大での『哲学入門』のガイダンス。

高等学校を卒業したばかりの学生たちにとって“哲学”とは、いわば、高等学校で習う社会科学系の“倫理”やら“世界史”“日本史”の延長線上の認識で、暗記科目では?という印象が極めて強い。

ガイダンスでは、そうしたところを払拭するところから始めます。
暗記することがわるいことではない。
英単語を覚えたり、文法の意味を理解(もしくは脳のシナプスの接続)しないと英文は読めないし書けない。条文を覚え、判例を理解しないと、刑法各論の単位は取得できない。暗記が必要な場面は無尽蔵に存在する。

ただ本質ではないということだ。
暗記をすることは手段に他ならず、目的ではない。
そういうところが本末転倒し、毒気をふりまいているのであろう。

暗記が必要ならすればよい。ただそれだけだ。

知識の混同と詰め込みが蔓延している。

さて--。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスは、知識を3つに分類した。
すなわち、エピステーメー(科学知識)、テクネー(技術的知識)、フロネーシス(良識、或いは知恵)の3つである。

それぞれ知に関わる重要な概念だが、ひとはこれを混同しがちである。単純化をおそれずにいうならば、エピステーメーとはscienceとも訳されるように、技術を背景支える概念的・理論的な科学知であり、テクネーとは、まさにtechnologyと訳されるように、操作法・やり方を含む技術知であろう。

エピステーメーに関わる人間が広義の科学者であるとすれば、テクネーは実際に物事に関わる人間を含めた広義の技術者である。

では最後のフロネーシスとは何か。
古代ギリシャでは、人の生活を導く知の働きを、フロネーシスと呼んでいた。その意味では、まさにprudenceと訳されるように思慮分別のことであろう。その意味で、フロネーシスに関わるのは、科学者も技術者も含めた自由な市民がその担い手である。
※もちろん、フロネーシスを「科学的な思慮」として構想し、純粋知(ソフィア)と区別したプラトンの議論はここではひとまず措く。

近代公教育の現場において、長い間、知識の多様性は顧みられず、知識とは単に、科学知識と技術知識のみがその役割を担ってきた。学校で学ぶとは、即ち、学的法則の理解と、技術的知の暗記が主軸であり、そこにはフロネーシスの出番はない。

そのお陰であろう。
産業革命以降の(西欧型)の近代化は驚くべき速度で、人々を“魔術から解放”し、快適な生活スタイルとイノベーションを提供した。

そのことになんら異論はない。
現代社会は快適で便利な社会であるし、それへの依存なくして日常生活の運行は不可能なほどに生活にとけ込んでいる。

しかし便利で快適な社会は、実は危険社会の側面も持っているとの指摘もある。ドイツの社会学者ウルリヒ・ベックは、古典的工業化社会においては、“危険の拡大”よりも“富の拡大”が圧倒したため、“危険の拡大”は等閑視されてきたが、現代置いてはそれは逆転されていると警告する。古典的工業化社会においては、副作用で済んだ問題が、世界化しているのが、現代である。そのことは時事的報道に目を通せば明らかである。食の問題から環境・政治・国際レベルにおいても、もはや“危険”がキーワードといっても過言ではない。

危険は技術者の檻から解き放たれ、市民社会を闊歩している。

多様な在り方であった知識が、一元化され、単純化された(教育)の末路であろう。多様性を単純化する恐怖はここにも存在する。

危険に満ちた現代世界では、科学知識、技術知識を学ぶだけでは充分でない。良識、知恵を学ぶ事が必要なのだ。

ヤスパースが面白いことを言っている。
「確かに、私たちはギリシア時代の医者であったヒッポクラーテスよりもはるかに進歩しています。しかし私たちはプラトーンよりも進歩しているとはいえないのです。私たちは、プラトーンに利用できた科学的認識の材料に関してだけなら、彼よりも進歩しているといえる。しかし「哲学すること」それ自身に関していえば、おそらく私たちはもう一度彼の水準に到達することはほとんどできないのではないでしょうか」(ヤスパース(草薙正夫訳)『哲学入門』(新潮文庫、昭和四七年))。

その意味で、生活や書物、そして世界と人生という教材を相手に、自分で筋道を立てて考え、そして、ひとびとや社会という全体と対話しながら、共通理解(普遍性)を目指していく哲学の営みは無益ではない。

そうした講座になればと思いつつ……。

いつもながら、話が飛びまくる宇治家参去でした。
酒の漢詩で始めたのにネ。

最後にヤスパースの言葉にでも耳を傾けながら……。

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 哲学者(philosophos)というギリシア語は、学者(sophos)と対立する言葉であって、知識をもつことによって智者と呼ばれる人と異なり、知識(知)を愛する人を意味する言葉であります。この言葉の意味は現代まで維持されてきております。すなわちそれは独断主義の形態、換言しますと、いろいろな命題として言い表された究極決定的な、完全な、そして教訓的な知の形態、をとることにおいて、しばしばこの言葉の意義を裏切っているのでありますが、哲学の本質は真理を所有することではなくて、真理を探究することなのであります。哲学とは途上にあることを意味します。哲学の問いはその答えよりもいっそう重要であり、またあらゆる答えは新しい問いとなるのであります。
 しかしこの途上にあること(Auf=dem=Wage=sein)--時間のうちに存する人間の運命--はそれ自身のうちに深い満足の可能性を隠しているのであります。特に高潮した完成の刹那においてそうなのです。このような可能性はけっして言葉で表すことのできる知識や命題や認識のうちに存するのではなく、人間存在の歴史的な実現過程のうちに存するのであって、存在そのものはこの人間にとって現われ出るのであります。人間がそのつどおかれている状況のうちにこの現実をとらえることが「哲学すること」の意味なのであります。
 探究しながら途上にあること、あるいは瞬間の安心と完成を発見すること、これらの言葉はけっして哲学の定義ではないのであります。哲学には縦の組織とか横の組織とかいうものはないのです。哲学はある他のものからは導き出されない。哲学はいずれも自己を実現することによって自らを定義する。哲学とは何であるかということは、私たちによって実験されなければならないことなのです。かくて哲学は生きた思想の実現であり、またこの思想への反省であります。あるいは哲学は、行為であり、この行為について語ることであります。自己自身の実験からして、はじめて私たちは、世界の中において私たちが哲学として出会うところのものを感得することができるのであります。
 しかし私たちはさらにもっと多くの哲学の意味の型を示すことができます。しかしどんな型でも、哲学の意味を完全に尽くしているものでもなければ、また唯一のものとして表わされるものでもありません。古代から伝えられているところによると、哲学とは(その対象に従っていえば)神的な事物や人間的な事物についての認識であり、存在者としての存在者の認識である。さらに(その目的に従っていえば)死の学びであり、思惟によって浄福を得ようと努力すること、神的なるものに似ることである。最後に哲学は(その包括的な意義に従っていえば)あらゆる知の知、あらゆる技術の技術、ここの領域に立つことのない学問一般であります。
 今日私たちは、哲学に関しておそらくつぎのような型において言い表わすことができるでしょう。
 現実を根源においてみること。
 私が思惟しながら私自身と交わるという仕方によって、すなわち内的行為において現実をとらえること。
 包括者(das Umgreifende)の広い世界に対して自分の心を開くこと。
 あらゆる真理の意義を通じて愛の闘争において人間と人間との交わり(Kommunkation)を敢行すること。
 もっとも疎遠なものや反抗者に対しても、忍耐強く常に理性を目ざめさしておくこと。
 哲学は人間が現実と関係をもつことによって、人間自身となるために必要な「集中すること」(das Konzentrierende)であります。
    --ヤスパース(草薙正夫訳)『哲学入門』(新潮文庫、昭和四七年)。

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自由を奪われている

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 人間はどういう状態のとき、「自由を奪われている」と感じるのだろうか。宇治家参去は、酒のほかに、アンティークカメラの収集と撮影が大好きだが、最近多忙且つ金欠で、収集どころか、撮影する時間すらなかなかとれない。精密な機械を手に取り、シャッター押す感覚は、とてもじゃないが、デジカメではかなわない。

 そうしたとき、宇治家参去は「自由を奪われている」と感じる。このことは宇治家参去とカメラの関係だけでなく、あるひとがカラオケ狂である場合、カラオケにいく時間がないほど、他の用事や仕事が立て込んでいたりすると、おそらく“自分には自由がない”と感じるのだろう。また、本当は嫌だが親から習い事を「強制」されて、友だちと遊ぶ時間がない子どもたちも、「自由を奪われている」と感じることだと思う。

 その意味で、自己に対する外的な障害が存在しないことを「自由である」と人は考えがちだろう。好きな対象へ向かう行為を、他から妨げられず、自分の意のままに選択し、享受できるという状態、それが「自由」の意味だと理解しがちである。ところが「そうじゃねえよ」と冷や水をさすのがカントの発想である。酒飲みがアルコールの奴隷であり、カメラ狂がカメラの奴隷であるように、好きな対象に向かう行為は、自己以外の他者である外的な対象によって制約をうけた行為にほかならないから、自由ではない、とカントはいうのである。すなわち、それが「他律」(Heteronomie)である。

 それでは、カントにおいては、真の「自由」とはいかなる状態なのであろうか。
 カントによれば、それは、理性的な意志が、みずから立てた決まり事(掟)によって自己を規定すること、すなわち、「意志の自律」(Autonomie)が、真の「自由」である。

 そしてこの“決まり事(掟)”とは何か。
 カントのいう“決まり事(掟)”とは、「道徳法則」に他ならない。カントの発想では、道徳法則によって自己を律するところにこそ、真の「自由」が成立する。道徳法則とは、たとえば、「人を騙すな」「人を殺すな」というような断言的な命令の形をとるが、そういう道徳的命令に従うことが「自由」を成就する契機となる。

 こうしたカントの考え方は分からなくもない。
 たとえば、受験勉強のために、親からTVを見る時間の制約をうけている学生がいたとする。学生はそのことに不自由を実感していたとしても、そのうち入りたい大学が見つかった。そのためには受験勉強に集中する時間が必要だと自覚した。親から言われてTVを見ないのではなく、受験勉強に集中するためにTV視聴の時間を減らそうということを自分で選択したとすれば、それは自分で選んだ道である。その学生は、その規則に従うことを以前のように“不自由”とは感じないはずであろう。世の中には、いろんな意味で、自由を束縛する規則やルールが存在する。しかし、その規則が外的規範として与えられたままでなく、内在化されたとき、その規則やルールに従うことを、不当な束縛とは感じないだろう。むしろ積極的にそれに従おうとなるはずである。

 そう考えると、「自己に対する外的な障害が存在しないこと」だけが「自由」の状態ではない。もちろん、社会的強制力の問題における「自由」は真剣に探究されてしかるべきだが、それだけに終始することなく、自律と他律の対比から、真の「自由」も考える必要があるのでは……? 最近そう考えることが多くて他なりません。

 もちろん、道徳には、押しつけがましい側面がたしかに存在する。しかしそれだけじゃない。そういうことを考えていかないと、本当に無法者の荒野になってしまうのでは?

最後に一発。

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 ここに二つの物がある、それは--我々がその物を思念すること長くかつしばしばなるにつれて、常にいや増す新たな感嘆と畏敬の念とをもって我々の心を余すことなく充足する、すなわち私の上なる星をちりばめた空と私のうちなる道徳的法則である。私は、この二物を暗黒のなかに閉ざされたものとして、あるいは超越的なもののうちに隠されたものとして、私の視界のそとに求め、もしくはただ単に推測することを要しない。私は、現にこれを目(ま)のあたりに見、この二物のいずれをも、私の実在の意識にそのままじかに連結することができるのである。第一のものは、いま私が外的な感性界の中で占めている場所から始めて、私自身をもつないでいる連結の範囲を拡張して、もろもろの世界を超えた彼方や世界や体系の、そのまた体系を包括する測り知れぬ全体的空間に達し、またこれらの世界や体系の周期的運行と、その始まりおよび持続とをうちに含むところの無際限な時間に達するのである。また第二のものは、私の見えざる「自己」すなわち私の人格性に始まり、真実の無限性を具えて僅かに悟性のみが辛うじて跡づけ得るような世界〔可想界〕において、〔可想的存在者としての〕私をあざやかに顕示する。そして私は、この世界(しかしまたこの世界を介して、同時に自余いっさいの可視的世界)と私とのつながりが、第一の場合〔経験界〕におけるとは異なり、まはや単なる偶然的連結ではなくて普遍的必然的連結であることを知るのである。無数の世界群を展示する第一の景観〔自然界の〕は、動物的被創造者としての私の重要性なるものを無(な)みする。このような被創造者は、暫時(私はその長短を知らない)生命力を付与されたのちに、彼を形成している物質〔身体〕をこの遊星(これは宇宙におけるただの一点にすぎない)に返却せねばならない。これに反して第二の景観〔可想界の〕は、叡智者としての私の価値を、私の人格性を通じて無限に高揚するのである。道徳的法則はこの人格性において、動物性にかかわりのない--それどころか全感性界にかかわりのない生を私に開顕する。少なくとも、私の現実的存在がこの法則によって合目的に規定されているということから推知せられる限りでは、まさにこの通りである。そして私の現実的存在のかかる合目的規定は、此世における生の条件や限界に制限されているのではなくて、〔来世にまで〕無限に進行するのである。
    --カント(波多野精一・宮本和吉・篠田英雄訳)『実践理性批判』(岩波文庫、1979年)。
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【覚え書】〔今週の本棚〕「松原隆一郎 評 永遠平和のために(イマヌエル・カント著)」、『毎日新聞』(2008年(平成20年)3月30日付)。

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ちょいと読んでいると面白い書評があったので、忘れないウチに覚え書として残しておきます。
カントの新訳の話は聞いていましたが、まだ読んでいません。パラパラめくって見ようと思います。

そういえば今年の桜はなかなか残っていてよいですね。

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◇〔今週の本棚〕 「松原隆一郎 評 永遠平和のために(イマヌエル・カント著(綜合社/集英社・1365円))」
 哲学者カント、71歳の小著。国際的な平和連合の結成を訴え、現在の国際連合の前身にあたる国際連盟の結成に理念を与えたとして知られている。
 約20年前に岩波文庫の改訳、2006年には新訳が光文社新訳文庫で出ている。今回の新味は、「のんきな夢をみている哲学者のひとりごとなのか」と当人の生の声が聞こえるかのような池内紀のこなれた訳文と、その言葉をアフォリズムとして藤原新也・野町和嘉・江成常夫の写真と大胆に組み合わせたイメージ豊かな前半部にある。心に響く一節と印象的な写真のコラボレーションで若い世代にカントを繙(ひもと)かせようという編者のアイデアは斬新だ。だが評者には、直訳のこわばりを解いてくれたお陰で、従来語られてきた「戦争放棄」「民主主義」「理想主義」とは異なる文脈が浮かび上がったように感じられたのが収穫だった。
 18世紀のヨーロッパでは各地で戦争が続き、本書が発表された1795年は、フランスとプロイセンが「バーゼル平和条約」を結んだ年でもある。カントは1781年から『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』と続く三批判書を出版、人間の自然に対する認識から意思の自由、道徳のあるべき姿へと思索を進めていたが、その内省的で強力無比の哲学を戦火にまみれた現世にぶつけた成果が本書であった。
 だから本書には、カントの達した境地が詰まっている。人間は理性を有し道徳に従う意思力を持つがゆえに、尊厳ある人格性を認められる。人間はつねに目的とされるべきであって、手段とされてはならない。また、そのためには道徳律として理解したルールにはみずからも従わねばならない。本書のミソは、人間の尊厳を保ち人が人を殺す道具に見立てる戦争から遠ざける方策として、道徳の裏づけのある「法の支配」を持ち出した点にある。
 「法の支配」とは、立法と行政を分離し、行政に気ままに権力を振るわせない立場である。カントはそれを共和主義と呼び、君主制や貴族制に親和性を持つとした。先日邦訳が出たJ・ポーコックの『マキャヴェリアン・モーメント』が詳説するように、16世紀以降の西欧ではギリシアの共和主義思想が再評価されていた。カントの平和主義もまた、そうした共和主義の一齣だったのだ。民主主義は不同意の少数者を無視し、立法者が思うままに執行できる専制になるという。ヒトラーの出現を、百年以上前に言い当てていたのだ。「兵士が戦争を早く終えたがるよう常備軍ではなく民兵を」、「対外紛争のために国債発行をしてはならない」という本書の主張も、18世紀イギリスで共和主義者たち(ハリントニアン)が唱えている。
 そして「法の支配」を国際社会にも適用したのが、民族間で国際法を締結し平和のための国家連合を広げるというアイデアだった。戦争放棄は、カントの目的ではあるが方法ではない。正義を主張する国同士がぶつかると戦争は避けられない。そこで各国に正当性を公開の場で表明させ、戦闘を法の下に置き、闘っても、相互の信頼を損ねないまま終結に向かわせよう、というのである。本書の執筆動機は秘密条項を含むバーゼル平和条約への批判だといわれるが、公開性の原則に反し戦争を永久に終わらせるには道徳を欠いていた点で、「法の支配」の誤った運用例と思われたのだろう9・11後の世界は、まっとうな法に服しているのか。カントは我々にそう問いかけている。(池内紀訳)
    --『毎日新聞』(2008年(平成20年)3月30日付)。

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アルゲマイネ・ビルドゥング(Allgemeine Bildung 一般教養)

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◇ 和辻哲郎「『倫理学概論』開講の辞」(〔昭和十二年四月十九日〕東大二十九番教室)。

 私は今こそ先生商売をしておるが、初めはこんなこと、予想もしなかった。いつのまにか先生になってしまっていた。それは多分、東洋大学に招かれて「日本倫理思想」を講義したのが、振出しであったと思う。
 大体、私は、中学のときは、シェリーだのバイロンだの、英詩を愛読して、将来、詩人になろうと思っていた(笑声)。そのうち一高に入って、いろいろするうちに、今度は戯曲が面白く、芝居が好きになって、ドラマチストになろう、脚本を書こう、などと考えていた。
 三年か、二年の終り頃か、大学に入るのに、一体、何をやったら良かろうか、と迷っているとき、先輩に魚住折蘆(うおずみせつろ)という大へん我の強い男がいて、なんでもかんでも、哲学科に入らにゃいかん、哲学はアルゲマイネ・ビルドゥング(Allgemeine Bildung 一般教養)だから、何をやるにもまず哲学を修めてからのことだ、という。哲学はアルゲマイネ・ビルドゥングゆえ、哲学専攻などということは、ありえないわけですナ。その魚住に影響されて、とにかく哲学へ入ったには入ったが、別に何をしようという当てもなかった。
 当時は、なんでもかんでも西洋崇拝で、私なども西洋かぶれで、ニイチェなどが面白く、あればかり読んでいました。他人が何をやろうと、何が流行しようとかまわずに、ニイチェばかり暮していた。あまり学校へは出ず、勉強もしなかったので、私は諸君に、「勉強しろ」という資格がない。
 大学出てからも、原稿など書いて暮していましたが、そのうち、子どもの死の機(おり)に、フト仏像に心を牽(ひ)かれてから、日本の古典を調べてみると、なんと日本のものも満更(まんざら)ではない。それまで西洋崇拝だった眼で見ても、われわれの祖先は、それに劣らぬ仕事をしている。捨てたものでない、どころか、立派なものである。
 それから急に、日本の昔のことが知りたくて、いろいろ研究し、書いたりしているうちに、あれが日本のことをやっているから、ひとつ日本思想の講義をさせようじゃないか、というわけで東洋大学に招かれたり、法政大学で教えたりした。
 いつぞやは、永平寺の坊さんが、私を御飯に招待してくれたりした。
 とにかく、もしわれわれの仕事を凌駕する力量の士が現われるとすれば、(と大教室を見廻して)それはこの中から現われるのですから、諸君は「後生恐ルベシ」の後生であるわけです……。
    --勝部真長『和辻倫理学ノート』(東京書籍、昭和五十四年)。
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来週から新学期が始まります。
月曜から授業開始なので、本日はその仕込みを少々。

そういえば、干した布団を引き入れていると、鉢の花が咲いていました。

で……。
上に引用したのは、倫理学者・和辻哲郎の「『倫理学概論』開講の辞」です。
新学期、初めて履修する学生に対して語った言葉です。

こういう感じで、話はじめられるとよいのですが、そうもいかないので、例の如くユルく語り始めると思います。

さて、上の文章を読んだのは、大学2年生のころだったかと思いますが、いわゆる「アルゲマイネ・ビルドゥング(Allgemeine Bildung 一般教養)」としての“哲学”について考えさせられたものです。

和辻曰く、「哲学はアルゲマイネ・ビルドゥングゆえ、哲学専攻などということは、ありえないわけですナ」です。

前時代的かも知れませんが、全ての学問を統括する諸学の王としての哲学の存在意義、人間をビルドゥング(育成)するものとしての教養の意義が語られているように思えます。
「一般教養」といえば、ふつう“パンキョウ”と蔑称され、とりあえず、履修しておかなくてはならない“つまらない科目”というイメージが、自分も含めてありますが、そもそもそうではなかったということでしょう。

一般とは、英語で、general。
generalとは、“一般”という意味だけでなく、軍隊で言う“将軍(将官)”の意味があります。専門科目とはいわば、その将官の手足となって働く実務系の部下。将官は、専門のすべてを熟知・網羅しているわけではありませんが、そうした人材を使いこなし、作戦を練り、すべてを統括していく役割です。

そうした意味合いで一般教養なるものは、タコツボ化した専門性を惑溺することを避けつつ、専門性を活かすための幅広い人間の知恵として存在したものだと思います。

そうであるとすれば、本来的には、一般教養とは、専門に進む前の人格形成における最良の道標であったはず。

気合いを入れ直して、一般教養の講義に取り組む必要がありますナ。

とにかく、「もしわれわれの仕事を凌駕する力量の士が現われるとすれば、(と大教室を見廻して)それはこの中から現われるのですから、諸君は「後生恐ルベシ」の後生」を育てる授業にしていきましょう。

とりあえず今日、息子さんが義母につれられて東京へ到着。
夜はひとしきり話して、細君に叱られて爆睡。
わたしも一杯飲んで寝ます。

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芸術の美は、物の美しい表象である

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実家は、山の麓にあるわけですが、海まで自動車で、20分。
さすがに日本一小さい県の香川県です。

どうも宇治家参去です。

3月末に帰省した際、自分の実家で二泊しましたが、その折り、その山へ分け入ってみました。

「もうひとがはいらなくなったから、草深い。ひとがはいらなくなったから、松茸もでなくなったよ」

母親がそういいましたが、はいってみると、まさにその通り。

むかし、この山野でよく遊んだものでした。

家の横手を流れる川の源流へ向かいあるきました。

川の静謐はそのまま。
澄んだ水もそのまま。

ひんやりとした冷気が美しい。

自然美です。

自然は美ですが、芸術とは違う。

なにがちがうのか--。

人間という“芸術家”の関与が自然には存在しない。
だから自然美だ。
芸術美には人間の関与が存在する。だから人間美かもしれない。
そういえば、ゲーテの盟友シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)が面白いことを書いていた。古い訳だと、シラーではなく、“シルレル”なんて昔は訳されていましたがね。

最後に一つ。

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一七九三年二月二十八日

 芸術の美

 芸術の美には二種あります。
 (一)選択または素材の美--自然美の模倣。
 (二)表現または形式の美--自然の模倣。
 後者がなければ、芸術家は存在しません。この両者の合一は偉大な芸術家を作ります。
 形式または表現の美は、芸術にだけ特有なものです。「自然の美は、美しい物の一つであり、芸術の美は、物の美しい表象である」とカントが言うのはきわめて正当です。われわれはこれに、次のことを付け加えることができるでしょう。--「理想美とは美しい物の美しい表象である」と。
 選択の美にあっては、芸術家が何を表現するかということが注目され、形式の美(厳密にいえば芸術美)にあっては、芸術家がいかに表現するかということだけが注目されるのです。
 前者は美の自由な表現であり、後者は真理の自由な表現であると言えます。
 前者は自然美の条件に制約されることが多いが、後者は芸術に特有のものですから、私はまず後者から取り扱おうと思います。なぜならわれわれが偉大なる芸術家について語る以前にまず、芸術家一般を作るものが何であるかということが示されなければならないからです。
 自然的所産は、その技術性において自由に見える場合には美しい。--芸術的所産は、それが自然的所産を自由に表現する場合には美しい。--したがって表現の自由は、われわれがここで問題にしようとする概念です。
    --シラー(草薙正夫訳)『美と芸術の理論 カリアス書簡』(岩波文庫、1974年)。
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トルストイ来学する

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昨日は、勤務校の入学式。

新入生を桜花舞うキャンパスが歓迎する。

入学式の来賓で、ロシアの文豪トルストイの玄孫・ウラジミール・トルストイ氏(トルストイ博物館館長)も参列されていた。

トルストイ曰く。

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教育の要は、自ら良く生きること、即ち自身が動き自身を教育するというに帰する
    --トルストイ(八杉貞利訳)「訓育に関する諸考察」、『トルストイ全集 20巻』(岩波書店、1931年)。
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学ぶの学生だけでない。教員自らも常に学びの日であらねばと実感する。

さて……。
トルストイといえば、ロシアを代表する作家であり、社会活動家であり、思想家であり、非暴力主義者である。その作品は常に、人間の愚かさと善良さを描ききった大作が多く、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』、『復活』など大長編作が有名だ。是非、トライしてもらいたい著作である。
そして付け加えるなら、ロシアの全人性は、トルストイとドスエフスキーはいわばひとつものになっていると思う。人間は善良だけでもなく、悪徳だけのいきものではない。トルストイの作品と、ドストエフスキーの作品の両方を読むことで、まさに人間とは何かを理解できるのであろう。

トルストイの『イワンのばか』とドストエフスキーの『地下室の手記』の両側面があって人間なのであろう。

良書を徹して読まなければ、人間は人間として成長することは不可能だ。

入学式でも学生さんたちへ、「良書を読め」との訓育があったが、まさにその通りだと思う。青年が、世界的な名著を読まなくなってしまったら、ひとびとが快適に生活できる社会を創出したり、最高学府を卒業した各界のリーダーとして活躍することなど不可能だ。
徹して「良書」を読んでほしいと思った。
また学生のみならず、私も読み続けます。

で……。
入学式後、子供が実家に帰ったままなので、細君と久し振りにふたりで外食する。
先月決意したとおり、ジョッキ×2、日本酒3合のルールを守る。
自分で決めて、守っているから、まア自律だろうか。
今後の話や、子供の教育など、おちついて二人で話し合う時間がゆっくりとれました。

では、最後にトルストイの作品でも紹介しておきましょう。
解説にストーリーのようやくがあり、手短なのでまず、そこから。

「青年近衛士官カサーツスキイ公爵は、高慢な心と癪性という欠点をもつが、なにごとにも首位渇望の有能な男で、最高の社交界に入ろうとして選んだ結婚相手の令嬢が皇帝の愛人であったことを知り、絶望し、俗世の上に立ち見下ろしてやろうとして修道院に入る。しかしここもやはり諸々の誘惑の渦巻く世界である。彼は三年の修業で神父セルギイとなり、それから修道司祭、老師、隠者、聖者と地位が上がり、人々の尊敬を集めるようになってゆくが、同時に肉欲、俗世の栄誉の誘惑、慢心との闘いも烈しくなり、神を見失ってゆく。そして最後に老巡礼になって民衆の中へ逃れ、ようやく神を見出し、安らかな生活に入る。」

作品の名前は「神父セルギイ」。
トルストイ晩年の作品で、発表されたのはその死後である。ではその末尾から……。

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<<つまり、これがわしの夢だったわけだ。パーシェニカ--あれこそ、わしがならなければならないのにならなかったものなのだ。わしは神のためだと言いながら、人間のために生きていたのだ。ところがあの女は、自分では人間のために生きていると思いながら、そのじつ神のために生きているのだ>> (そうだ、一つの善行、報いを予想しないで与えられるいっぱいの水、これこそ、わしの手で人々のためにほどこされた恩恵よりも、はるかに貴いものなのだ。しかし、そこにも、神に仕えようという真実な願いの一滴くらいはなかっただろうか?) こう彼は自問した。と、その答えが聞こえた。-- <<そうだ、あった。が、それはみな浮世の名聞によって殻をかぶせられ汚されてしまっていたのだ。そうだ。わしのように浮世の名聞のために生きていたものにとっては、神はないのだ。これからわしは、神をさがそう>>。
 こうして彼は、パーシェニカのところまで辿りついたときと同じように、男女の巡礼たちとみちづれになったり別れたりして、キリストのみ名によってパンや宿りを乞いながら、村から村へとさまよって行った。ときには、意地のわるい主婦にどなられたり、酔っぱらいの百姓にののしられたりしたが、多くは、食うものや飲むものを与えられ、ときにはわらじ銭を恵まれたりした。その上品な風貌のおかげで、彼はだいぶとくをした。もっとも、中には反対に、こういう紳士が乞食にまで落ちぶれたことを喜ぶらしい手合いもあったが。
 しかし、彼の柔和はすべての人に打ち勝った。彼はよく、方々の家で福音書を見つけると、それを読んで聞かせた。と、どこでもきまって、人々はみな感動したり驚いたりして、新しいと同時に、なじみ深いものとしてそれを聞くのだった。
 もし人に助言を与えるなり、読み書きを教えるなり、またはけんかの仲裁をするなりして、人の役に立つようなことがあっても、彼は礼を言われたことはなかった、なぜなら、さっと立ち去ってしまったから。とかくするうち、しだいに神が彼の心に現れはじめた。
    --トルストイ(中村白葉訳)「神父セルギイ」、『トルストイ後期短篇集』(福武文庫、1991年)。
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ドナドナ倫理学

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「ドナドナ」
安井かずみ訳詞・ショロム セクンダ作曲

ある晴れた 昼さがり
いちばへ 続く道
荷馬車(にばしゃ)が ゴトゴト
子牛を 乗せてゆく
かわいい子牛 売られて行くよ
悲しそうなひとみで 見ているよ
ドナ ドナ ドナ ドナ
子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ
荷馬車が ゆれる

青い空 そよぐ風
つばめが 飛びかう
荷馬車が いちばへ
子牛を 乗せて行く
もしもつばさが あったならば
楽しい牧場(まきば)に 帰れるものを
ドナ ドナ ドナ ドナ
子牛を 乗せて
ドナ ドナ ドナ ドナ
荷馬車が ゆれる
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どうも宇治家参去です。冒頭は有名な「ドナドナ」です。市場へ売られてゆく子牛への眼差しを歌い上げた童謡、反戦歌、神への歌と様々な解釈がありますが、ここではそれは措きます。注目したいのは、その子牛への眼差しと情(こころ)の問題です。実はここにこそ、倫理学が立ち上がる契機が孕まれているのではなかろうかと思うことが屢々ありましたので、ひとまず紹介しました。

その契機とは、小難しい体系や専門用語の羅列、もしくは暗記科目として講壇学問化する以前の、“道”としての倫理です。

人間という生きものは不思議な物で、たとえ相手が人間でない、動物であれ、植物であれ、他の存在と生(リアル)に向き合ったとき、すなわち他の存在を「目の当たりにしたとき」なんらかの形で“情(こころ)が動く”ようになっている。情が動くということは、すなわち、相手がなにであれ、両者の間に暗黙のうちに関係が生じてしまうという事態である。たとえ一瞬でもそれに対面すると、人間はそれに対して「無関係」ではいられなくなってしまうのである。

その眼差しが交差する瞬間と言外の情を「ドナドナ」は美しく歌い上げていると思います。

同じような牛のエピソードが、実は、中国の古典『孟子』で紹介されています。

少し長くなるが引用してみます。
※白文は入力が面倒なので割愛しています。

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斉の宣王問いて曰く、斉桓の事、聞くことを得べきか。孟子対(こた)えて曰く、仲尼(ちゅうじ)の徒、桓・文の事を道(い)う者無し。是の以に後世伝うる無く、臣未(われいま)だ之を聞かざるなり。以(已)む無くんば則ち王〔道を述べん〕か。曰く、徳如何なれば、則ち以て王たるべき。曰く、民を保んじて王たらんには、之を能く禦(とど)むる莫きなり。曰く、寡人の如き者も、以て民を保んずべきか。曰く、可なり。曰く、何に由りて吾が可なるを知るか。曰く、臣之を胡齕(こけつ)に聞けり。曰く、王堂上に坐せるとき、牛を牽きて堂下を過ぐる者有り。王之を見て曰く、牛何にか之(ゆ)く。対えて曰く、将に以て鍾(鐘)に釁(ちぬ)らんとす。王曰く、之を舎(お)け。吾その觳觫若(こくそくじょ)として罪無くして死地に就くに忍びざるなり。対えて曰く、然らば則ち鍾に釁ることを廃めんか。曰く、何ぞ廃むべけんや。羊を以て之に易(か)えよと。知らず諸有りや。曰く、これ有り。曰く、是の心以て王たるに足れり。百姓は皆王を以て愛(惜)しめりと為すも、臣は固より王の忍びざりしを知るなり。王曰く、然りや。誠に〔かかる〕百姓もあるか。斉の国褊小(へんしょう)なりと雖も、吾何ぞ一牛を愛しまんや。即ちその觳觫若として罪なくして死地に就くに忍びず、故に羊を以て之に易えしなり。曰く、王、百姓の王を以て愛しむと為すを異(怪)しむこと無れ。小を以て大に易えたり。彼悪んぞ之を知らん。王もしその罪なくして死地に就くを隠まば、則ち牛と羊と何ぞ択ばん。王笑いて曰く、是れ誠に何の心ぞや。我その財を愛しみて、之に易うるに羊を以てせるに非ざりしも、宣なるかな、百姓の我を愛しむと謂える。

曰く、傷むこと無れ。是れ乃ち仁術(道)なり。牛を見て未だ羊を見ざりしなり。君子の禽獣に於けるや、その生けるを見ては、その死するを見るに忍びず。その声を聞きては、その肉を食うに忍びず。是の以に君子は庖廚(ほうちゅう)を遠ざくるなり。王説(悦)びて曰く、詩に、他人心有りて、予之を忖度(はか)ると云えるは、夫子の謂なるかな。我乃ち之を行ない、反(省)みて之を求むれども、吾が心に得ず。夫子之を言いて我が心に於て戚戚焉(おもいあたるもの)有り。此の心の王たるに合(足)る所以の者は、何ぞや。曰く、王に復(白)す者有りて、吾が力は以て百鈞を挙ぐるに足るも、以て一羽を挙ぐるに足らず。明は以て秋毫の末を察るに足るも、輿新を見ずと曰わば、則ち王之を許さんか。曰く、否。今恩(なさけ)は以て禽獣に及ぶに足るも、功(いさしお)の百姓に至らざるは、独に何ぞや。然らば則ち一羽の挙がらざるは、力を用いざるが為なり。輿新の見えざるは、明を用いざるが為なり。百姓の保んぜられざるは、恩を用いざるが為なり。故に王の王たらざるは、為さざるなり、能わざるに非ざるなり。

斉の宣王がたずねられた。「斉の桓公と晋の文公の事蹟について、ひとつお話を承ることはできぬものだろうか。」孟子はお答えしていわれた。「孔子の流れをくむ者は、誰ひとりとして、桓公や文公のことを口にするものはありません。だから、なんの言い伝えもなく、私も彼らのことはなにも知りません。〔それでも〕是非にとおっしゃるなら、天下の王者となる道についてお話し申しあげましょう。」王がいわれた。「どんな徳があれば、王者となれるのだろうか。」孟子はこたえられた。「別に格別の徳とてはいりません。ただ仁政を行って人民の生活を安定すれば、王者となれます。これを、なんびととても妨害できません。」王がいわれた。「わしのようなものでも人民の生活の安定ができようか。」孟子はこたえられた。「勿論、できますとも。」王がいわれた。「どうしてそれが分るのじゃ。」孟子はこたえられた。「私はご家来の胡齕(こけつ)君から、こんな話を聞きました。王様がいつぞや御殿におられたとき、牛をひいて御殿の下を通ものがあった。王様はそれをご覧になって『その牛はどこへつれていくのじゃ』とおたずねになると、その男から『こんど新しく鐘をつくったので、この牛を殺してその血を鐘に塗り、お祭をするのです』ときかれて、『止めてくれ。道理で牛は物はそ言わぬが、罪もないのに刑場へ曳かれてゆくかのようにオドオドと恐れている。可哀想だ、助けてやれ』とおっしゃったのでしょう。『それでは、鐘に血を塗るお祭はやめにしましょうか』とその男が申しあげると、『なんで〔大切な〕祭がやめられようぞ。牛の代りに羊にしたらよかろう』とおっしゃられたとか。ほんとうにそんなことがあったのですか。」王がいわれた。「そうそう、そんなことがあった。」孟子はいわれた。「そのお心こそ、天下の王者となるのに十分なのです。ところが、人民たちは大〔きなもの〕を小〔さなもの〕にとりかえられたので、王様はけちんぼうだと口さがなくもお噂しています。だが、私には王様の〔情深い〕お心はよく分かっております。」王は苦笑いしていわれた。「さようか。なるほど、そんなことを申している人民どもがおるのか。斉の国がいくらちっぽけでも、このわしが、なんで牛の一匹ぐらい物惜しみしよう。ただ、罪もないのに殺されにゆくそのオドオドしているさまを見て、いかにも不憫とおもい、羊にかえさせたまでのことだ。」孟子はいわれた。「しかし王様、けちんぼうだといって非難するのも無理からぬことです。小さな羊で大きな牛ととりかえさせたのですから。〔なぜそうなされたのか〕、彼らには王様のお心のうちがよく分らんからのです。もし、罪もないのに殺されにゆくのが不憫だとおっしゃるなら、牛も羊もなんのちがいがありましょう。」王はまた苦笑いしていわれた。「これはなるほど。どんなつもりだったのかな。自分でもサッパリ分らぬ。物惜しみし〔て羊とかえさせ〕たのではないが、人民どもがそう申すのも尤もだわい。」

 すると孟子がいわれた。「人民たちがかれこれ申しても、決してお気にかけなさいますな。これこそ尊い仁術(仁への道)と申すもの。牛はご覧になったが、羊はまだご覧にならなかったからです。鳥でも獣でも、その生きているのを見ていては、殺されるのはとても見てはおれないし、〔殺されるときの哀しげな〕鳴き声を聞いては、とてもその肉を食べる気にはなれないものです。これが人間の心情です。だから、君子は調理場の近くを自分の居間とはしないのです。」王は〔これを聞いて〕たいへん喜んでいわれた。「詩経に『他人の心をば、われよくおしはかる』とあるが、正しく先生のことをいったようなものだ。自分でしたことだが、なぜ、ああした(羊にかえさせた)のか、考えてもサッパリ分らなかった。それが、先生のことばを聞くとひしひしと自分の心に思い当るのです。しかし、この心があれば十分王者となれるというのは、なぜだろう。」孟子はいわれた。「では、申しあげましょう。ここに誰かが王様に、『自分は力があるから、三千斤もある重いものでも持ちあげられるのだが、一枚の羽根はどうも持ちあげられない。自分は目敏(めざと)いから、秋に生えかわる細い毛の先でも見分けられるのだが、車いっぱいに積んだ薪はいっこうに見えない』と申しあげたら、王様は『なるほど、尤もだ』と信じられますか。」王様がいわれた。「なんで、そんな〔馬鹿げた〕ことが信じられるものか。」〔孟子がそこでいわれた。〕「それなら、申しあげますが、いま王様のおなさけはとりやけものにまで及んでいるほどなのに、肝心の人民にはサッパリそのご実績が及んでいないのは、これはいったいどういうわけでしょう。一枚の羽根が持ちあげられないというのは、力をだそうとしないからです。車いっぱいに積んだ薪が見えないというのは、見ようとしないからです。しも人民の生活が安定しないのは、あなさけをかけようとなさらぬからです。ですから、王様が〔仁政を施かれて〕王者となられないのは、なろうとなさらぬからであって、できないのではありません。」
巻第一 梁恵王章句上
    --小林勝人訳注『孟子 (上)』(岩波文庫、1968年)。
-----

出来事の要点(?)としては、王が人民に対して善を行いうるかと悩んでいたとき、王にその資格があることを理解させるために、孟子は以前王が行った逸話を掘り返す。
さる儀式の折、一等の牛が供犠のために曳きつれられていくのを王が目にしたときのことである。処刑場に引っ立てていかれる無辜の民にも似た、牛の怯えた様子に、王は「忍び」なかった。王は牛を放すように命じ、代わりに、「牛に代えて羊を用いよ」と命じる。さらに話は続くわけで、王者の資質、仁政の意味など、様々に探究すべき命題が凝縮された一節ですが、ここでは、牛の姿に「忍び」なかった所に集中してみようと思います。

牛の姿を見た王の情にはなにがおこったのだろうか。

孟子は言う。

王が、考える暇もなく、牛に代えて羊を用いよと提案したのは、牛の怯えた様子を「目の当たり」にしたからであって、羊のほうは「目の当たり」にしていなかったからだと。王は、怯えた一頭の牛の姿を自分の眼で見てしまった。その怯えに対する「忍び」ないこころの発露は、出来事的には、不意に出現した事件である。王は何か心の準備をしていたわけではない。不意の出来事であるにもかかわらず、王と牛が対峙した瞬間、絶対的な関係が立ち上がったわけである。

では一方の羊はどうか。

王は羊を「目の当たり」にしていない。王にとって、羊は「観念」にすぎず、「匿名」であり、「抽象的」であり、一切、両者の間に効果ある関係は存在していないのである。王は羊と対面しなかったのであり、牛の怯えに情が動かされ、その閉ざすことの出来なくなった関係が、羊には届かなかっただけである。だからこそ、代わりに羊を用いよと提案した王は、羊に対して一切の情が揺り動かされることなく、いわば、羊を事物と同列に扱っただけにすぎない。

本文中でも続いているように、そうした王の姿に、吝嗇だとか、一貫性がないとか様々な批判はでてくるが、孟子はそんなことを一切気にかけない。

王は苦しんでいるものを「目の当たりにすること」に「忍び」なかった。王は、それが人間でない他者であろうとも、その運命に「無関心」でいられなかったのである。いわば、「忍びざるもの」を前にして、直ちにとった、この反応こそ、王の王たる徳性を示すものであると孟子は言う。

主義に一貫性がない、そして吝嗇である……こうした傾向は、王の王たる徳性を損なうに充分の資質であるにもかかわらず、孟子はそこを問題にしない。なぜなら、いわば、「無関心であることの不可能性」にこそ倫理が自然と立ち上がる原初の場を見ているからである。

他者(の不幸)に対面したとき発現する忍びざる感情は、いかなる勘定からも生じない。いかな反省の対象でもなく、その反応が、いわば「自然になされる」ところにその特徴がある。計算づくの行動ではなく、「思わずなされた」行動である。その意味では、陳腐な言い方だが、偶然対峙した相手に対して、個人的な関心を乗り超え、人間は思わず「公正無私」な行いが出来るのである。自己を通り越して、自己に背いてまでも他者のために動く存在者が現出する瞬間である。

その瞬間こそ、倫理(学)が「自然」と立ち上がる瞬間なのだと思われる。
他者の圧倒的な存在に対して、ひとが「思わず」動き出す瞬間である。反省も言語もないにもない。

関係に対する責任が「自然」と動き出す瞬間である。
古代中国で、ひとつの単語として成立した「倫理」とは、「倫」すなわち「ともがら」であり、「理」すなわち「ことわり」である。その意味で「倫理」とは単純化すれば「人間(関係)の在り方」という部分が大きなウェイトをしめる、在り方といえよう。その意味では、人間がたったひとりでは、倫理は存在しない。しかし、他者との関係が偶然であろうが、必然であろうが、全く人間はその関係を断ち切り、孤立して存在することも不可能である。ここでいう他者とは、人間だけに限られない。

そうした圧倒的に迫ってくる関係にたいして、敏感でありたい……そう思うある日の宇治家参去でした。

そういえば、宇治家参去より長く、帰省していた細君が帰ってきた。
しかし、子供を連れて帰らなかった。
子供曰く、もう少し、香川での生活を楽しみたいとのこと。週末に(子供から見れば)祖父母が東京までつれてきてくれるとのこと。
細君が子供と物理的に離ればなれになったのは、生まれてから今日が実ははじめて。
どこに行くにも、なにをするにも一緒だった。
だから、空港で別れ、子供に「ママ、東京でいい子にするんだよ」と言われたとき、涙があふれ出しそうになったとのことだ。

自然に溢れ出す涙は美しい。

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健闘している人の快活な声がこだまする

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いよいよ4月1日……。
出発の季節。
決意の季節。

そして桜の舞う美しい季節。

がんばっている人の歌声が聞こえる。

健闘している人の快活な声がこだまする。

そうした季節に相応しい歌を一つ紹介します。

例の如くウォルト・ホイットマンです。

「アメリカの歌声が聞こえる」

「アメリカ」の部分を、自分の環境に入れ替えてみてください。
ホイットマンの励ましが、勇気づけてくれるはず。

※写真は夜桜。桜の下で一杯やりたいものです。

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I Hear America Singing
Walt Whitman

I hear America singing,the veried corols I hear,
Those of mechanics, each one singing his as it should bex blithe and strong,
The carpenter singing his as mesures his plank or beam,
The mansion singing his as he makes ready for work, or leaves off work,
The boatman singing what belongs to him in his boat, the deckhand singing on the steamboat deck,
The shoemaker singing as he sits on his bench, the hatter singing as he stands,
The wood-cutter's song, the ploughboy's on his way in the morning, or at noon intermission or at sundown,
The delicious singing of the mother,or of the young wife at work, or of the girl sewing or washing,
Each singing what belongs to him or her and to none else,
The day what belongs to the day -- at night the party of young fellows, robust, friendly,
Singing with open mouths their strong melodious songs.

アメリカの歌声が聞こえる
ウォルト・ホイットマン

アメリカの歌声が聞こえる、さまざまな喜びの歌が聞こえる、
職工の歌、めいめいが職工にふさわしく陽気に力強くうたっている、
大工は板や梁の寸法を測りながらうたい、
石工は仕事の準備をしたり終わりの片づけをしたりしながらうたい、
船頭は小舟の上で、水夫は汽船の甲板で、自分の世界の歌をうたい、
靴屋は仕事台にすわってうたい、帽子屋は立ったままうたっている、
木こりの歌、朝に、昼の休みに、日没に、野道をたどる農夫の歌、
母親や、仕事に励む若妻や、裁縫、洗濯にいそしむ娘の、心地よい歌、
めいめいが、自分の世界の歌、ほかの誰のものでもない歌をうたっている、
昼間は昼の世界の歌--夜にはたくましい気のよい若者の集団が、
口を大きくあけ、力強く美しい調べの歌をうたっている。
    --亀井俊介・川本皓嗣編『アメリカ名詩選』(岩波文庫、1993年)。
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