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芸術の美は、物の美しい表象である

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実家は、山の麓にあるわけですが、海まで自動車で、20分。
さすがに日本一小さい県の香川県です。

どうも宇治家参去です。

3月末に帰省した際、自分の実家で二泊しましたが、その折り、その山へ分け入ってみました。

「もうひとがはいらなくなったから、草深い。ひとがはいらなくなったから、松茸もでなくなったよ」

母親がそういいましたが、はいってみると、まさにその通り。

むかし、この山野でよく遊んだものでした。

家の横手を流れる川の源流へ向かいあるきました。

川の静謐はそのまま。
澄んだ水もそのまま。

ひんやりとした冷気が美しい。

自然美です。

自然は美ですが、芸術とは違う。

なにがちがうのか--。

人間という“芸術家”の関与が自然には存在しない。
だから自然美だ。
芸術美には人間の関与が存在する。だから人間美かもしれない。
そういえば、ゲーテの盟友シラー(Johann Christoph Friedrich von Schiller)が面白いことを書いていた。古い訳だと、シラーではなく、“シルレル”なんて昔は訳されていましたがね。

最後に一つ。

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一七九三年二月二十八日

 芸術の美

 芸術の美には二種あります。
 (一)選択または素材の美--自然美の模倣。
 (二)表現または形式の美--自然の模倣。
 後者がなければ、芸術家は存在しません。この両者の合一は偉大な芸術家を作ります。
 形式または表現の美は、芸術にだけ特有なものです。「自然の美は、美しい物の一つであり、芸術の美は、物の美しい表象である」とカントが言うのはきわめて正当です。われわれはこれに、次のことを付け加えることができるでしょう。--「理想美とは美しい物の美しい表象である」と。
 選択の美にあっては、芸術家が何を表現するかということが注目され、形式の美(厳密にいえば芸術美)にあっては、芸術家がいかに表現するかということだけが注目されるのです。
 前者は美の自由な表現であり、後者は真理の自由な表現であると言えます。
 前者は自然美の条件に制約されることが多いが、後者は芸術に特有のものですから、私はまず後者から取り扱おうと思います。なぜならわれわれが偉大なる芸術家について語る以前にまず、芸術家一般を作るものが何であるかということが示されなければならないからです。
 自然的所産は、その技術性において自由に見える場合には美しい。--芸術的所産は、それが自然的所産を自由に表現する場合には美しい。--したがって表現の自由は、われわれがここで問題にしようとする概念です。
    --シラー(草薙正夫訳)『美と芸術の理論 カリアス書簡』(岩波文庫、1974年)。
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