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トルストイ来学する

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昨日は、勤務校の入学式。

新入生を桜花舞うキャンパスが歓迎する。

入学式の来賓で、ロシアの文豪トルストイの玄孫・ウラジミール・トルストイ氏(トルストイ博物館館長)も参列されていた。

トルストイ曰く。

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教育の要は、自ら良く生きること、即ち自身が動き自身を教育するというに帰する
    --トルストイ(八杉貞利訳)「訓育に関する諸考察」、『トルストイ全集 20巻』(岩波書店、1931年)。
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学ぶの学生だけでない。教員自らも常に学びの日であらねばと実感する。

さて……。
トルストイといえば、ロシアを代表する作家であり、社会活動家であり、思想家であり、非暴力主義者である。その作品は常に、人間の愚かさと善良さを描ききった大作が多く、『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』、『復活』など大長編作が有名だ。是非、トライしてもらいたい著作である。
そして付け加えるなら、ロシアの全人性は、トルストイとドスエフスキーはいわばひとつものになっていると思う。人間は善良だけでもなく、悪徳だけのいきものではない。トルストイの作品と、ドストエフスキーの作品の両方を読むことで、まさに人間とは何かを理解できるのであろう。

トルストイの『イワンのばか』とドストエフスキーの『地下室の手記』の両側面があって人間なのであろう。

良書を徹して読まなければ、人間は人間として成長することは不可能だ。

入学式でも学生さんたちへ、「良書を読め」との訓育があったが、まさにその通りだと思う。青年が、世界的な名著を読まなくなってしまったら、ひとびとが快適に生活できる社会を創出したり、最高学府を卒業した各界のリーダーとして活躍することなど不可能だ。
徹して「良書」を読んでほしいと思った。
また学生のみならず、私も読み続けます。

で……。
入学式後、子供が実家に帰ったままなので、細君と久し振りにふたりで外食する。
先月決意したとおり、ジョッキ×2、日本酒3合のルールを守る。
自分で決めて、守っているから、まア自律だろうか。
今後の話や、子供の教育など、おちついて二人で話し合う時間がゆっくりとれました。

では、最後にトルストイの作品でも紹介しておきましょう。
解説にストーリーのようやくがあり、手短なのでまず、そこから。

「青年近衛士官カサーツスキイ公爵は、高慢な心と癪性という欠点をもつが、なにごとにも首位渇望の有能な男で、最高の社交界に入ろうとして選んだ結婚相手の令嬢が皇帝の愛人であったことを知り、絶望し、俗世の上に立ち見下ろしてやろうとして修道院に入る。しかしここもやはり諸々の誘惑の渦巻く世界である。彼は三年の修業で神父セルギイとなり、それから修道司祭、老師、隠者、聖者と地位が上がり、人々の尊敬を集めるようになってゆくが、同時に肉欲、俗世の栄誉の誘惑、慢心との闘いも烈しくなり、神を見失ってゆく。そして最後に老巡礼になって民衆の中へ逃れ、ようやく神を見出し、安らかな生活に入る。」

作品の名前は「神父セルギイ」。
トルストイ晩年の作品で、発表されたのはその死後である。ではその末尾から……。

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<<つまり、これがわしの夢だったわけだ。パーシェニカ--あれこそ、わしがならなければならないのにならなかったものなのだ。わしは神のためだと言いながら、人間のために生きていたのだ。ところがあの女は、自分では人間のために生きていると思いながら、そのじつ神のために生きているのだ>> (そうだ、一つの善行、報いを予想しないで与えられるいっぱいの水、これこそ、わしの手で人々のためにほどこされた恩恵よりも、はるかに貴いものなのだ。しかし、そこにも、神に仕えようという真実な願いの一滴くらいはなかっただろうか?) こう彼は自問した。と、その答えが聞こえた。-- <<そうだ、あった。が、それはみな浮世の名聞によって殻をかぶせられ汚されてしまっていたのだ。そうだ。わしのように浮世の名聞のために生きていたものにとっては、神はないのだ。これからわしは、神をさがそう>>。
 こうして彼は、パーシェニカのところまで辿りついたときと同じように、男女の巡礼たちとみちづれになったり別れたりして、キリストのみ名によってパンや宿りを乞いながら、村から村へとさまよって行った。ときには、意地のわるい主婦にどなられたり、酔っぱらいの百姓にののしられたりしたが、多くは、食うものや飲むものを与えられ、ときにはわらじ銭を恵まれたりした。その上品な風貌のおかげで、彼はだいぶとくをした。もっとも、中には反対に、こういう紳士が乞食にまで落ちぶれたことを喜ぶらしい手合いもあったが。
 しかし、彼の柔和はすべての人に打ち勝った。彼はよく、方々の家で福音書を見つけると、それを読んで聞かせた。と、どこでもきまって、人々はみな感動したり驚いたりして、新しいと同時に、なじみ深いものとしてそれを聞くのだった。
 もし人に助言を与えるなり、読み書きを教えるなり、またはけんかの仲裁をするなりして、人の役に立つようなことがあっても、彼は礼を言われたことはなかった、なぜなら、さっと立ち去ってしまったから。とかくするうち、しだいに神が彼の心に現れはじめた。
    --トルストイ(中村白葉訳)「神父セルギイ」、『トルストイ後期短篇集』(福武文庫、1991年)。
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