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晴れない疑念ややるせなさを乗り越えて

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どうも、宇治家参去です。

昨日まで花冷えする雨が降り続いていましたが、今日は一転、春の陽光につつまれたおだやかな、一日。家のゴドラ星人も大喜び。

このところ、市井の仕事が忙しく、やるせないといいますか、いきばのない憤りといいますか、いろいろ追い立てられている局面もあり、大学も始まり、チト大変でしたが、金曜はとりあえず、休日。

休日ではありますが、ゆっくりするどころか、レポート添削と次の授業の仕込みに負われていました。

大学の教員という生きものは、毎日が休日のように思われがちですが、実は、90分一コマ一コマの仕込みが、そのおくに控えているわけで、そこをおろそかにすると、空虚な授業になってしまいます。要領のいい教員はそうではないでしょうが、そういう時間を大切にする宇治家参去でした。

さて、今日は、青臭い!と笑われそうですが、添削の合間にフランスの作家・カミュ(Albert Camus,1913-1960)を読んでいました。

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一九三六年五月
世界から離れてはいけない。人生が光にさらされるとき、人生をやり損なうようなことはない。どんな地位にあっても、また、どんな不幸や幻滅のさなかにあっても、ぼくの努力の一切は、世界との絆を見いだすことだ。そして、たとえ悲しみのさなかにあっても、ぼくの心には、愛したというなんと熾烈な欲求が燃え、また夕べの大気にひたされている丘の景色をただ見ただけで、なんという陶酔がこみあげてくるのだろう。
 真実ともろもろの絆。まずはじめに自然との、ついで、理解した人びとの芸術との、またもしぼくに可能なら、ぼくの芸術との絆。そうでなくとも、光が、水が、陶酔が、いぜんとしてぼくの前にある。それに欲望に濡れた唇が。
 微笑を浮かべる絶望。逃げ道はない。だが、それが空しいこととは知りながらも、やはりたえず支配しようとするのだ。要は自己を失わぬことだ。そして、おのずから世界のなかで眠りこけているものを見失わぬことだ。

一九三七年九月
フェイゾール。
人びとは困難な生を営んでいる。ひとは、自分たちの行為を、事物に関していただいているヴィジョンと常に一致させられるとはかぎらない(ぼくの運命の色彩をちらりとのぞき見たと思ったときには、それはもう、ぼくの視線の前から逃れ去ってしまっている)。人びとはそれぞれの孤独を克服しようとして苦しみ、かつ闘っている。だがいつかは、地上が、ありのままの姿の素朴な微笑みを見せることもあるだろう。そのときこそわれわれのなかでの闘いや生活は、まるで消しゴムで消されるように、一瞬の間に消え去ってしまうのだ。幾百万の目がこの光景を眺めた。だがぼくには、それは世界の最初の微笑のようであった。言葉の深い意味で言うのだが、その風景をぼくは自分の外に放りだした。その風景は、ぼくの愛なくしては一切は空しい、また、その当のぼくの愛でさえも、それが無垢でなければ、そして対象にかかわらぬものでなければ、ぼくにとっては価値がないのだということを確信させるのだった。それはぼくという一個の人格を拒絶し、ぼくの苦悩を反響のないものにしてしまう。世界は美しい。そしてすべてはそこにある。その風景が辛抱づよく訓(おし)えてくれた偉大な真実とは、精神はなにものでもなく、心もまた然(しか)りということだ。そして、太陽があたためる石や、ぽっかりとのぞいた空にすくすくと伸びる糸杉こそ、<<道理がある>>ということだ。この世界はぼくを空しゅうしてしまう。それはぼくをとことんまで運んでゆく。そして怒りもなくぼくを否定する。それに同意し納得させられながら、ぼくは一つの叡知(えいち)に向かって歩んでいた。そこではすでに、一切が征服されていた--もし涙がぼくの目にあふれてこなければ、またもしぼくの心をいっぱいにしている詩(うた)の激しい啜(すす)り泣きが、世界の真実をぼくに忘れさせなければ。
    --カミュ(高畠正明訳)『太陽の賛歌 カミュの手帖ーー1』(新潮文庫、昭和四十九年)。

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なかなか浸みますね。

生きる不条理を描いた作家と呼ばれ、ノーベル文学賞も受賞していますが、彼が、一番きらった他者からの評価が、“実存主義者”という言い方です。盟友サルトルとも、その立場をめぐって、袂を分かつわけですが、おそらく、生きるということ事態の不条理・矛盾という現実をことさら美化したり、醜化したりすることを、きらったカミュになぜか牽かれます。

存在よりも実存が先行すると説いたサルトルには、どこか人間を実験室でみる眼差しが感じられ、大物であるにもかかわらず、どこか“違和感”を感じていましたしたが、まちがいでなければ、そんな些細なところに、カミュとサルトルの違いがあったのかもしれません。

今日は、息子とウルトラマンの『第23話「故郷は地球」(1966年12月18日放送)』をDVDで鑑賞していました。監督はいわずもがな、若き日の実相寺昭雄です。

筋としては、Wikipediaに簡潔な筋があったのでチト紹介。

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以前は宇宙開発競争の時代に某国が打ち上げたロケットに乗っていた宇宙飛行士「ジャミラ」であり、正真正銘の地球人であった。事故によって水のない惑星に墜落し、救助を待つうちに体が変異し、醜い怪獣の姿となってしまった。母国が国際批判を恐れて事実を隠蔽したために見捨てられたことを恨み、宇宙船を修理して地球に帰ってきた。地球に帰ってきた後は、見えない宇宙船に乗って要人を乗せた旅客機を墜落させた。

武器は口から吐く高熱火炎(100万度)。

水のない星に長くいたせいか皮膚が粘土質に変化しており、そのため炎に強いが、皮肉にもずっと欲していた水が最大の弱点となってしまったという性質をもつ。科学特捜隊による人工降雨弾攻撃は耐えたものの、ウルトラマンのウルトラ水流によって絶命する。その断末魔は、這い蹲って万国旗を潰し、赤ん坊の泣き声に似た悲痛なものであった。科学特捜隊は、かつての人間を殺したことに晴れない疑念を持ったまま、彼を埋葬した。

・ジャミラの名はアルジェリアの独立運動家ジャミラ・ブーパシャに由来する。
・断末魔の悲鳴は、赤ん坊の泣き声を加工したもの。
・特徴的な外見は衣服の丸首の部分を頭まで被る事によって子供に真似される事がある(ジャミラ被り)。
・番組終盤に一瞬写る墓碑銘の記載によれば、ジャミラの年齢は1960年~1993年(没年)である。また、墓碑銘の記載の文字はフランス語で、これは、ジャミラの名前の由来であるジャミラ・ブーパシャと関係されていると思われる。

(出典)http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%A9

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子供とともに、そのやるせなさに号泣です。

殺す・殺さないという極限的レベルは別にしても、生きているなかでは、そうしたやるせなさや、不条理を甘受して、明日を生きていかなければいけないのが現実。

ジャミラを見ながら、カミュの言葉を噛みしめた宇治家参去です。

とりあえず、今晩はジャミラとともに、『本格焼酎 雲海』でも呑みながら、寝ます。

最期にだめ押し。

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一九三五年五月
 体験という言葉の空しさ。体験とは実験ではない。それは人為的にひき起こすこともできぬ。ひとはただ、それに服するのみだ。それは体験というより、むしろ忍耐だ。ぼくらは我慢する--といよりむしろ耐え忍ぶのだ。
 あらゆる実践。ひとたび経験を積むと、ひとはもの識(し)りにはならない。ひとは熟練するようになる。だが、一体なにに熟練するのだろう?
    --カミュ(高畠正明訳)『太陽の賛歌 カミュの手帖ーー1』(新潮文庫、昭和四十九年)。

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最近、考察ができなくてすいません。
水準をまた上げますので、少々ご辛抱を。

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Book Carnets, 1935-42

著者:Albert Camus
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