« 探究しながら途上にあること | トップページ | 『生きる力 学習指導要領がかわります』らしい…… »

「一所懸命にやって先(ま)ず十年」

Dscn7450a

 翌朝……。
 まだ、うす暗いうちに、
 「ごめんなせえ、ごめんなせえ」
 早くも、辻売り鰻屋の又六が、道場の戸を叩いた。
 いつもは道場へ泊まりこんでいる飯田粂太郎(くめたろう)少年は、母が発病したので、一昨日から浜町の田沼家・中屋敷の長屋へ帰っている。
 唖(おし)の百姓の女房が朝の支度をしているので、秋山大治郎が道場の戸を開け、ころげこむように入って来た又六へ
 「早いな。飯を食べて来たかね?」
 又六は、かぶりを振った。
 「では、私といっしょに食べよう。さ、来なさい。何をするにも腹ごしらえが肝心ゆえな」
 「じゃあ、剣術を教えて下さるんで?」
 「ああ、やってみよう。だが、な……」
 「へ……?」
 「剣術というものは、一所懸命にやって先(ま)ず十年。それほどにやらぬと、おれは強いという自信(こころ)にはなれぬ。これは昨日も、よくよく、お前に申したことだ」
 「だ、だから、そこを何とか、十日ぐれえで……だからこそ、おれは、この体の汗のかたまりみてえな五両もの大金を……」
 「まあ、待て。そこでな、十年やって、さらにまた十年やると、今度は、相手の強さがわかってくる」
 「へへえ……そんなら、おれ、もう、わかってる。けれど何としても、その野郎を負かしてえのです」
 「それからまた、十年もやるとな……」
 「合わせて、さ、三十年もかね……」
 「そうだ」
 にやりと、うなずいて大治郎が、
 「三十年も剣術をやると、今度は、おのれがいかに弱いかということがわかる」
 「そ、それじゃあ、何にもなんねえ」
 「四十年やると、もう何がなんだか、わけがわからなくなる」
 「だって、お前さん……いえ、せ、先生は、まだ、おれと同じ年ごろだのに……」
 大治郎は苦笑した。
 いまいったことは、父・秋山小兵衛のことばの受け売りだったからである。
 蕪(かぶら)の味噌汁に里芋の煮物。それに大根の漬物の朝飯を、又六は緊張のあまり、ほとんど喉(のど)へ通さなかった。
 おどおどしている又六へ、
 「むりにも食べろ」
 と、大治郎が味噌汁だけは強引に食べさせたものである。
 そのあとで、又六が、
 「昨夜から今朝、おらあ、こんなに口をきいたことはねえ。しゃべったことはねえ」
 つぶやくように、いった。
 「そうか。そうとも見えぬが……いつもは、それほどに無口なのかね?」
 こっくりと無邪気にうなずき、又六が子供に返ったような仕ぐさで頭を掻き掻き、
 「おらあ、一所懸命でたのみに来た。だから、あれだけ、口がきけたです」
 「そうか、な……」
 「それに、先生が、やさしくしてくれたから……だから、たのめた。口がきけたです」
 「そんなに、私がやさしかったかね?」
 「うん……」
 秋山小兵衛が、大治郎の道場へあらわれたのは五ツ(午前八時)ごろであったろう。
 「ほう……この仁(じん)かえ」
 小兵衛が満面を笑みくずしつつ、
 「十日で強くなりたいというのじゃな」
 この妙な老人は、
 (どこのだれで?)
 とでもいいたげな顔を大治郎へ向けた又六へ、
 「私の父だ。私より強いお人だ」
    --池波正太郎「悪い虫」、『剣客商売② 辻斬り』(新潮文庫、昭和六十年)。

話の筋は、須崎弁天の側で商っている辻売り鰻屋・又六の物語。
土地(ところ)の“悪い奴”(実は又六の腹違いの兄)に馬鹿にされたくないと、四年間、酒も飲まずにためた五両をもって秋山大治郎に剣術指南を頼む。秋山父子の十日間の特訓で目的を果たすまで物語である。引用部分は、修行の当日の、修行開始まえの一コマ。

どうも宇治家参去です。
昨日より、幼稚園が始業式。
うちの息子も年中(3年保育の2年目)さんです。
通園している幼稚園では、年中から、スポーツ倶楽部(?)が用意されてい、サッカーだとか剣道だとか見学する中で、本人の希望で、今月から、“剣術”の道を歩むとか。

「一所懸命にやって先(ま)ず十年」

どこまでやるのか分かりませんが、環境としては応援するばかり。
宇治家参去も、小学二年からおよそ十数年剣道を遣りましたが、ものにならず。
あまり良い思い出もありませんが、スポーツ武道でなく、何か、道というものを学んでいただければ幸いかなと思います。

いずれにせよ、「一所懸命にやって先(ま)ず十年」は、剣術だけに限られたことではないだろう。学問も生活も趣味も生きる流儀も十年ごとに大きく変化する。目に見えるところもあれば、見えないところもあろう。それを誠実に積み重ねていくことのできるひとは、より高みに登っていくことが出来るのであろう。

途中で投げ出すのは簡単なことだ。

ちなみにこの物語(『剣客商売』)の主人公・秋山父子は、無外流の使い手。
無外流とは次のような流派だそうな。

-----

  無外流--清貧に生きた無欲恬淡の勇士、辻月丹資茂
 生涯を無欲で通した、異風の剣客として知られる辻月丹資茂は、慶安二年(一六四九)に近江国(滋賀県)甲賀郡馬杉(甲賀郡甲南町上馬杉)の郷士の家に生まれた。
 一三歳の時に入門したのは当時の京で勇名を馳せていた山口流の創始者・山口ト真斎であった。それから、二六歳で山口流の印可を授けられるまで、月丹は山口の許で修行を積み、剣の腕を磨いた。
 と言っても一三年間、ずっと師の道場に居着いていたわけではない。北越地方を廻る武者修行の旅を経験しているのだ。人の師に仕えながら諸国を巡っていたという事実は、誠に興味深い。現代の武道界においても、剣を学ぶには師は生涯一人と定めつつ、先生は何人持っても良いとされている。なぜなら、他の道場に出稽古に行くことが奨励されているからである。
 印可を得た後も月丹は武者修行の旅を行い、三三カ国を巡って一二流派を究めた。しかし江戸で山口流の道場を開いたものの上手くいかず、三年の間、単独での修行に取り組んだ。この時期に、月丹は禅を始める。麻布・吸光寺の石潭禅師についての参禅は一九年に及び、その没後は後を継いだ神州禅師に学んだ。
 ごく簡単な言い方をさせていただければ、禅の修行は「大悟」という悟りを開くことで完遂する。四五歳で大悟した禅師は一偈、すなわち印可の教えを授けた。
 印可の一節「一法実無外」にちなんで「無外」と号した月丹は、創始した流派の名を無外流と定めた。折しも江戸に出てきていた師の山口ト真斎に三本勝負で完全勝利を収めたことで、彼は名実共に独立を果たす。
(中略)
 大規模な流派の宗家でありながら、月丹は金銭にはまったくこだわることなく、生涯を清貧の内に過ごしたという。蓬髪弊衣(ほうはつへいい)に塗りの剥げた鞘の大小を帯びた姿は、若き日からの修行で鍛え上げられた風貌と相俟って、異様な凄みをたたえていたと伝えられる。
    --牧秀彦『剣豪 その流派と名刀』(光文社新書、2002年)。
-----

息子には武家の子らしく、師弟の道、使命の道、そして、正義の道を歩んでほしいものである。

すこし親バカでしょうかね。

さて、こういう剣術ものを読んでいると、内に潜む剣術魂が騒ぎます。
剣術をやってみたいものですね(それを支える体力がないのがチト辛いところです)。

最後におなじ本から。

-----
 剣術に刀。いずれも歴史が生んだ時代の産物であり、どちらが欠けても用を為さない、いわば車の両輪であろう。剣術と刀は殺人技・殺人刀にもなれば、活人技・活人刀にもなる。あらゆるスキルとツールがそうであるように、すべては使い方次第なのである。
    --牧秀彦『剣豪 その流派と名刀』(光文社新書、2002年)。
-----

Akiyama Gettan

辻斬り Book 辻斬り

著者:池波 正太郎
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

剣豪 その流派と名刀 (光文社新書) Book 剣豪 その流派と名刀 (光文社新書)

著者:牧 秀彦
販売元:光文社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

|

« 探究しながら途上にあること | トップページ | 『生きる力 学習指導要領がかわります』らしい…… »

告白・独白・毒吐の日々」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「一所懸命にやって先(ま)ず十年」:

« 探究しながら途上にあること | トップページ | 『生きる力 学習指導要領がかわります』らしい…… »