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人間の真の本質は、その顔において現前する。

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「宇治家さん~。すいません、お客様が“責任者だせ!”とおっしゃっているので対応お願いできませんか?」

内線のPHSから嫌なメッセージというか、ヘルプの連絡が入る。

このところ、市井の仕事場でクレームが頻発しており、「またか」と頭を抱える。
学問で食えない市場の荒野を彷徨う宇治家参去です。

売り場へ出て応対すると、若い姉ちゃん。
話を伺うと、単なる、商品の在庫の確認の問い合わせ。
最初に応対した人間が他部門のバイト君のため、正確な対応ができず「分かる人に見てもらいたい」とのことでした。

案件はすんなりクローズする。

いやはや、お客様に限らず、初めて逢う人と面と向かって話し合うというのは結構生命力がいるものです。ただし、今回の案件はクレームではありませんでしたが、電話やメールでなく、実際に顔と顔をつきあわせて話をするというのは、解決の早いものだと再確認です。

で……。
お客様の退店後、最初の担当者がおそるおそる出てくる。
「宇治家さん、何だったんですか?」
「ん……? あぁ、お客様に告白された! どうしましょうか?」
「それは、ないでしょ!」

そういえば、レヴィナスが、顔について書いていたので最後に一つ。

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人間の真の本質は、その顔において現前する。顔のうちで人間は、私の暴力とかよいあう暴力とは無限に他なるものとなる。私の暴力に対立し、敵対する暴力、すでに私の暴力と争いあっているような暴力とはべつなものとなるのである。そのような対立は、ひとがおなじ体系に参与している歴史的な世界の内部にのみ存在する。顔は、暴力をふるうことなく高みから到来する呼びかけによって、私の暴力を停止させ麻痺させる。存在の真理とは、存在のイメージでも、存在の本性についての観念でもない。それは、主観的な領野のうちに位置をもつ存在のことである。主観的領野は視覚をたしかに変形させるけれども、まことにそのことによって外部性は、まったき命令、権威として語り出されうる。外部性とはつまり、まったき優越〔上位〕なのだ。間主観的な空間のこの湾曲によって、隔たりが屈曲させられて高みとなる。その湾曲は、存在を歪ませるものではなく、存在の真理をはじめて可能とするものなのである。
    --レヴィナス(熊野純彦訳)『全体性と無限 (下)』(岩波文庫、2006年)。

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