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御名があがめられますように。御国がきますように。

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虫の知らせとでもいえばいいのでしょうか……
今日は何かいやな予感があったのですが、市井の職場で仕事をしているとお客様から電話。昼過ぎに購入した商品が不備とのことで、「いますぐ取り替えに来い」とのことです。
運悪く、対応できる“大人”が宇治家参去しか存在していなかったため、雨の中、お客様宅へ向かう。

「商品交換だけで済んでほしい……大クレームに発展しないでほしい……」
まさに“祈る”ような気持ちで、希望を立ち上げながら到着する。

電話では強面の感じでしたが、会ってお話をするとそうでもなく、すんなり案件がクローズする。

“祈り”とか“希望”を少しだけ考えた一コマです。

さて……、ここで「祈り」という問題が出てくることに、何か奇異な感じを抱かせるかもしれませんが、そうした「祈り」の問題を奇異に感じさせるこの時代感覚の方が奇異なものへと変質しているのではなかろうかとつくづく思う宇治家参去です。

「祈り」とは、元来、人間の生活世界の中で、そして「生」そのものの中で、良くも悪くも中心的な位置を占めていたと思う。過去の歴史を振り返るまでもないし、特定の宗派や団体に所属して“祈る”というあり方(チャーチ・ゴーアー)だけが「祈り」を占有しているのではない。人間が未来へ何かを希望する時点ですでに「祈り」は立ち上がるし、その高低浅深を論じることほど無意味なものもない。その意味で「祈り」とは、何か特殊な人間の行為や行動を意味する物ではなく、人間の個人生活においても、共同生活においても、ごく自然な形式であり、踏み込んでいうならば、人間の「生」そのものが「祈り」であり、「生」は「祈り」においてあったのではなかろうか。

人間とは様々な関係世界の中においてそのひとの営みが現実のものとして存在する。
対象との関係とはすなわち、物との関係、人との関係、そして自分自身との関係である。そうした対象と善い関係が結べたときひとは幸福を感じ、善い関係が結べないとき懊悩する。そうしたリアルな関係を横軸とすれば、縦軸に、これまでそのひとが歩んできた営み、そして現在、そして到来以前の未来である。その交差軸に「祈り」が存在する。

「祈り」とは何か。
一つ言えるのは、人間は「祈る」ことで自分自身と遭遇する。
祈る行為により、人間がその内奥に深く秘めている「生の肯定」の根本的信念が「事実」として溢れ出してくる。そして何かを希望する。その意味で「祈り」とは(カント的な積極善としての)「生の肯定」についての“根源的な叫び”といってもよかろう。

もうひとつは、「祈り」によってひとはひとと「共同」する。
ともすれば、現実世界は、人間同士の欲望や欲求の強烈な自己主張の修羅場にすぎない。実際にはなかなか協同して共同することが困難だ。しかし「祈り」が自分となんらかの対象との関係にたいする希望の表現であるとすれば、自己自身を見つめ直しながら他者と協同することが可能になる。

かつてマルクス・レーニン主義のイデオロギーは、「祈り」の存在を根本から否定し、ひとつの共同幻想を強要した。しかしひとびとの「祈る」姿は堪えなかったという。
もちろん、「鰯の頭も信心から」というジレンマも存在するが、なによりも代え難いのは祈る人間の「美しさ」である。ついでにいえば、大宗教家と言われるような人の「祈り」よりも貧しき老婆の「祈り」のほうが格段に美しい。

「祈り」の瞬間に希望の成就の閃光が煌めく。
つねに人間を、そして世界をその内部からつき動かし、歴史を導くのは「祈り」であるのかもしれない。なんせ、歴史を創る人間をその内奥から希望させるわけですから……。

ふとそんなことを感じたある日の宇治家参去でした。
いつもと全く違う、自由筆致ですいません。

ま……そういうわけで(?)、「祈り」という次元が人間と対象との関係に入らざるを得ない事象であるとすれば、「祈り」は人間の学としての「倫理学」の射程に入らざるを得なくなる。

そういえば、カントが哲学を定義して次のように言っている。

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 理性の一切の関心(思弁的および実践的関心)はすべて次の三問に纏められる、
1 私は何を知り得るか
2 私は何をなすべきか
3 私は何を希望することが許されるか
    --カント(篠田英雄訳)『純粋理性批判 下』(岩波文庫、1962年)。

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……私は何を希望することが許されるか。

倫理学は「祈り」をきちんと学としての対象として吟味する必要がありそうです。

ちなみに今日は金がないので……「すずろ」です。

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