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ロマンのない哲学者はウルサイらしい

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 「してみると、われわれの夢は完全に実現されたわけだ、ほら、われわれは国家の建設を始めるとすぐに、何らかの神の導きによってか、<正義>の原理を示すようなある形跡のなかに踏みこんだらしい、と言っていたあの推測のことだよ」
 「ほんとうにそうですね」
 「ただし実際には、グラウコン、それは--だからこそ役にも立ったわけだが--<正義>の影ともいうべきものだったのだ。生まれついての靴作りはもっぱら靴を作って他に何もしないのが正しく、大工は大工の仕事だけをするのが正しく、その他すべて同様であるという、あのことはね」
 「そのようです」
 「真実はといえば、どうやら、<正義>とは、たしかに何かそれに類するものではあるけれども、しかし自分の仕事をするといっても外的な行為にかかわるものではなくて、内的な項にかかわるものであり、ほんとうの意味での自己自身と自己自身の仕事にかかわるものであるようだ。すなわち、自分の内なるそれぞれのものにそれ自身の仕事でないことをするのを許さず、魂のなかにある種族に互いによけいな手出しをすることも許さないで、真に自分に固有の事を整え、自分で自分を支配し、秩序づけ、自己自身と親しい友となり、三つあるそれらの部分を、いわばちょうど音階の調和をかたちづくる高音・低音・中音の三つの音のように調和させ、さらに、もしそれらの間に別の何か中間的なものがあればそのすべてを結び合わせ、多くのものであることをやめて摂生と調和を堅持した完全な意味での一人の人間になりきって--かくてそのうえで、もし何かをする必要があれば、はじめて行為に出るということになるのだ。それは金銭の獲得に関することでも、身体の世話に関することでも、あるいはまた何か政治のことでも、私的な取引のことでもよいが、すべてそうしたことを行なうにあたっては、いま言ったような魂の状態を保全するような、またそれをつくり出すのに役立つような行為をこそ、正しく美しい行為と考えてそう呼び、そしてまさにそのような行為を監督指揮する知識のことを知恵と考えてそう呼ぶわけだ。逆に、そのような魂のあり方をいつも解体させるような行為は、不正な行為ということになり、またそのような行為を監督指揮する思わくが、無知だということになる」
    --プラトン(藤沢令夫訳)『国家 (上)』(岩波文庫、1979年)。

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宇治家参去です。
日曜は、どうやら熱が下がったので、細君と息子が行たがっていた『大三国志展』(東京富士美術館)へ行って来る。
電車のなかで、久し振りに、プラトンの『国家』に目を通す。
プラトンの真理把握と哲人政治の理想にはすこしツイテイケナイ部分もあるのですが、哲学書なるものを読んでいて、内容もさることながら、読み物としても一流のものはやはりプラトンの著作なのだろうと改めて思った。

そのうえで、プラトンの生涯は現実には苦闘の連続だった。しかし、決して彼は理想を見失わなかった生涯だっという。その歩みが思想的に結実したのがプラトンの哲学であるとすれば、そこに、美的なロマンティシズムと真理の永遠性(善)が調和を持って手を取り合ったのだと思う。

プラトンはいつも永遠不変な真理を時ながらも、どこかロマン主義が漂っている。そうしたロマン主義に少し馴染めない宇治家参去なので、どことなくプラトンの主張を全面的に賛同できないのかも知れません。

さて--
そのロマンと言えばロマン。
『三国志』がひとびとを何世代にも渡り魅了するのは、歴史ロマンとその英雄譚なのでしょう。
日曜のせいか、館内は満員御礼。
当時の貴重な発掘物や文献をしばし堪能する。

美術館へよるまえに、道路を挟んだ勤務校でかるく昼食をとり一休みしてから、銘品を鑑賞しましたが、いつもおなじ結論ですが、やはり本物はいいですね。うちの子供も分かっているのかどうかそれすらこちらは把握できませんが、そうしたものに触れさせる機会は失いたくないものです。

ひとしきり鑑賞したあと、帰途へ。
自宅へ戻る前に、これも久し振りにデパートで買い物し、その足で軽く飲んで帰宅です。

これで終わると哲学をやる意味(?)がないのでひとつ。
帰りに細君からどうだった?と訊かれるので--

「『三国志』は英雄譚であり、ロマンはあるが、結局はガチンコの戦争で殴り合いの殺し合いの記録だろ?」

「そういうことではなく--」

「戦争にロマンがあったのは、19世紀までの話だ。機関銃、戦車、飛行機が登場して以降、戦場からロマンと英雄は消え去った。最後の戦場の英雄はナポレオンの時代で終わりだろう」

「……」

「19世紀以降、文芸運動においても、ロマン主義と自然主義が堪えず拮抗するが、ロマン主義が興隆したとき……」

「もういいや」

とのことだそうです。

ロマンのない哲学者はウルサイらしい。

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投稿: 宇治家 参去 | 2008年6月 5日 (木) 03時36分

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