ありふれたものをわたしは歌う
数ヶ月に一度はやってしまうのですが……。
外出時に自宅の鍵を持参するのを忘れてしまった。
仕事が済んで帰宅すると25時前。
非常に恐縮で申し訳ないのだが、細君を起こして扉を開けてもらう必要上、自宅へ電話する。無言で切られ、暫くすると扉が開いた。
無言のまま彼女は去っていった……。
当然と言えば当然なのですが、自分の愚かさを反省すると同時に、細君の慈愛に感謝することも忘れてはいけない。
「ありふれたもの」を“ありふれたもの”と感じてしまった瞬間、「ありふれたもの」の持っている生き生きとした本来的な価値が減ずる結果となってしまう。
「ありふれたもの」はたしかに“ありふれたもの”なのだが、「ありふれたもの」であるが故に、自分自身に対してそれは必要不可欠の交換不可能な価値なのだ。
そこに対する敬意と感謝を忘れないようにしたいと再度思い直す宇治家参去でした。
ホイットマン(Walter Whitman,1819-1892) がちょうど善い詩を残しているので最期にひとつ。
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ありふれたもの
ありふれたものをわたしは歌う、
健康であるに金はかからぬ、気高くあるにも金はかからぬ、
摂生をこそ、虚偽や、大食、淫欲はお断りだ、
晴れやかな大気をわたしは歌う、自由を、寛容を、
(ここからもっと主要な教訓を学び取れ--学校からでも--本からでもなく)、
ありふれた昼と夜とを--ありふれた土と水とを、
君の農場、君の仕事、商売、職業、
そして万物を支える堅牢な地面さながら、それらのものを支えている民主的な知恵を。
--W.ホイットマン(鍋島能弘・酒本雅之訳)「ありふれたもの」、『草の葉 下』(岩波文庫、1971年)。
草の葉 (下) (岩波文庫) 著者:ホイットマン,酒本 雅之 |
Walt Whitman's Leaves of Grass (Penguin Classics) 著者:Walt Whitman,Malcolm Cowley |
Leaves of Grass: A Textual Variorum of the Printed Poems, 1870-1891 (The Collected Writings of Walt Whitman) 著者:Walt Whitman |
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コメント
物が、あふれすぎている
だから、自分のことばかり考えてしまう心の狭い人が多いような気がする
投稿: 長谷川 裕恵 | 2008年6月 9日 (月) 17時27分
ヒロさんへ
ご無沙汰しております。
物は、たしかに人間の生存にとって必要不可欠ですが、それが過剰となった場合、どうなるのか……。物に支配され、人間が物をコントロールする視点が見失われていきますね。残念なことです。
昔の人はよくいいましたが、「物を大切に」。
あふれているなかで、自分自身の物との関係、そして人との関係、そして自分自身との関係を、ときどきは点検する必要があるかも知れません。
投稿: 宇治家 参去 | 2008年6月10日 (火) 01時30分