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【覚え書】鈴木範久「新渡戸稲造と対話の精神」

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学問の恩師の文章がありましたので、ひとつ【覚え書】として紹介しておきます。
先生のところへ伺ったときも、おっしゃっていましたが、新渡戸の真骨頂は、講演・対話にあるとのことでしたが、その現代的な意味をわかりやすくまとめた一文です。
鈴木先生の文章を読むと、本当に、無限にある豊富な引き出しから、1つを紹介していても、読みやすくかつ、論点をはずさずまとめ、資料的裏付けも決して手放していないところです。研究と教育はひとつものの裏表とよく言われますが、そうした真摯な研究と深い教育的配慮(情熱)が言語になるとこうなるのか……といつも唸らされています。

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 ところで対話の相手は人間ばかりかというと、そうでない。著作を通じてみられることは、しばしば自己自身に対する反省である。つまり自己自身も対話の対象になっているのである。それを深める方法のひとつに読書がある。読書をとおして著者との深い対話がかわされ、それが自己自身との対話へと進んでいく。こうして新渡戸の対話の相手は、宗教的な存在である「天」にまでいたる。
 このように新渡戸の対話の相手は広いが、人々との直接の対話も好んだ。学生食堂に出向いて学生に話しかけたり、路上で出会った幼児とも会話を楽しんでいる。
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このあたりなんかを読んでいますと、ソクラテスを尊敬した新渡戸がソクラテスに重なるように、宇治家参去にとっても鈴木先生がソクラテスに重なります。
通俗的な部分でも、歴史を振り返ってみると、その道を究める(=極める)うえで師弟関係は大切だとつねづね実感します。また極める上だけでなく、自身の人格を修養するうえでも不可欠の相対(あいたい)であると思います。

最後の薫陶をうけ、最後の弟子となった宇治家参去自身の、弟子としての本当の学問の研鑽・闘いをいやまして勢いよく開始せねばと反省しました。

それが学恩ある師への誓いであり、弟子の道なのだと思っております。

それでは、ひとつ。

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◇ 鈴木範久「新渡戸稲造と対話の精神」

 新渡戸稲造の『武士道』は、妻メリーの日本の思想や風習に対する質問が契機となっている。言い換えれば、『武士道』は新渡戸と妻との家庭内の対話にもとづく。
 新渡戸には、家庭外の各所で語った話で、いまだ全集に収録されずに残っているものも多い。それらをふくめ、最近、新渡戸の思想をよく語っていると思われる文章を集め『新渡戸稲造論集』(岩波文庫)を公刊した。
 同所を編集して気付いた点のなかで、「解説」に書きもらしたことがある。それは、新渡戸が、なによりも対話の達人であるという点である。同書の題名も『新渡戸稲造論集』とはせずに『新渡戸稲造対話集』にしたほうがよかったかと反省している。
 講演や講話をもとにした新渡戸の著作は、当然、だれかを相手にして語られたものである。それも高い壇上からの一方的講義でなく、ひとりひとりを前にして語りかける調子の対話といってよい。
 その対話の相手となると、札幌農学校、第一高等学校をはじめ多くの学校で教師をつとめたから、まず学生である。話を聞いた学生たちの回想によると、教室のみならず、自宅においても、せんべいを食べながらの談話の会が設けられている。新渡戸は女子教育にも力を注ぎ、いくつかの女性雑誌に連載するなど、女性相手の対話もしきりと行っている。
 国際連盟の事務局次長として外国人を相手に国際間の紛争の調停に尽力した活動はいうまでもない。アメリカでは交換教授として短期間に100回を超す講演をし、日米関係が悪化したときは、渡米して新渡戸なりの打開をはかろうとした。戦前の日本で、外国人と最もよく対話した日本人の一人であった。
 ところで対話の相手は人間ばかりかというと、そうでない。著作を通じてみられることは、しばしば自己自身に対する反省である。つまり自己自身も対話の対象になっているのである。それを深める方法のひとつに読書がある。読書をとおして著者との深い対話がかわされ、それが自己自身との対話へと進んでいく。こうして新渡戸の対話の相手は、宗教的な存在である「天」にまでいたる。
 このように新渡戸の対話の相手は広いが、人々との直接の対話も好んだ。学生食堂に出向いて学生に話しかけたり、路上で出会った幼児とも会話を楽しんでいる。他人との直接の対話にあたり、「応対談話の七要件」と題した心構えが語られている(『世渡りの道』)。その七要件を内容に即して書き改めると、次のとおりになる。
 ①気取るな②ありのままであれ③商売気を出すな④お世辞をいうな⑤卑下するな⑥人により言葉をえらべ⑦相手から学ぶように心がけよ
 これらの心構えを読むと、まるで新渡戸の尊敬するソクラテスの精神である。新渡戸は、ソクラテスを尊敬する理由として、第1に己をかえりみること、第2に人を区別しないこと、第3に高ぶらないこと、第4に修養を持続すること、第5に世評に頓着しないこと、の5点をあげる。
 新渡戸が日ごろ説いていることを参考にすると、このほかの大切な心構えとして、個々の人格の尊重と多様性を認める寛容さを加えたい。これらの心構えは修養によって養われる。対話を重んじた新渡戸は、対話の心構えを磨くために一生修養に心がけたといえる。
 新渡戸の対話の精神は、決して一夜にして形成されたものではない。さかのぼれば、札幌農学校時代、寄宿舎の集会において、級友の内村鑑三らと激しい議論を交わしている。友人らとの議論と反省、さらに読書のなかから、あの「太平洋の橋」たらんとの使命が兆(きざ)したといってよい。
 近年、札幌農学校の教育が顧(かえり)みられている。それは、教養と対話の精神である。卒業後、内村は英文『代表的日本人』を著し日蓮を最初に海外に紹介する。後輩の志賀重昂(しげたか)は世界中に広く足跡を残す地理学者になる。新渡戸稲造、内村鑑三、志賀重昂の著書と精神に、同じ北の大地に強い影響を受けた人物に教師・牧口常三郎がいた。ここに対話の精神の太い系譜が見いだされる。(立教大学名誉教授)

すずき・のりひさ 1935年生まれ。立教大学教授をへて、2002年、定年退職。主著に『明治宗教思潮』『内村鑑三』『日本宗教史物語』『聖書の日本語』。訳書に『代表的日本人』(内村鑑三)など。専門は宗教学、日本宗教史。

(出典)『聖教新聞』(2008年06月24日(火)付)。

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