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遅れてきた国民 を 巡る諸問題

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 ドイツはカルヴィン主義にも啓蒙主義にも心をとらえられたことがなかった。ルター主義が両者の流入をはばみ、ドイツの近代史は、近代的デモクラシーを基調にした国家意識の形成に関与することを許さなかった。その埋め合わせとして、ヨーロッパ一般の風潮であった政治的なものの世俗化の傾向のなかで、国家の本来の担い手であり、最終的には国家目的でさえある民族の意識が形成された。しかしそのため、っぎかいせい民主主義に対する関心は薄れたのだった。民族、諸種族及びその地域の歴史的特殊性を表現するにいたっていない憲法はすべて、真の民族性から見れば、根底において偶然的なものに見えるのと同じで、議会制民主主義に対する関心も薄れていくのである。文明化し、法となったもの一切の総体としてのローマ的なるものに対する反抗を呼びさますのは容易であり、えてして政治的普遍性を目指すもの一切に対する不信がこれに結びついてくる。なかんずくドイツ民族が国家としてそのような“コスモポリタン的”普遍性への使命を持ったり能力を持ったりすることへの不信が結びついてくる。
 ドイツ人がみずからの進むべき道を定めえないのは、歴史的に容易に説明のつくことだが、この不安定さゆえにドイツ人は、純粋な法手続きを通じての人間の価値転換をいわば不変の原則とする、あらゆる種類の国家に不信の念を抱いた。まさにどのような国家伝統の中にいても落ちつかないし、政治上の理念形成にあっていささかも静止状態に達し得ない。さらに危険なことには、歴史の古い民族のいずれよりも徹底して見捨てられているので、ドイツ人は歴史の中にそれだけしっかりした支えを求める。しかもその支えを歴史の中には見出せないので、歴史をさらにさかのぼった深層を探し求めていくのだ。
 それゆえドイツ人は一昨日の国民であり、明後日の国民であって、今日の国民ではない。ドイツ人が立っているのは、真の現在にたどりつく可能性を持たない不断の運動の場なのである。法の存在がその自由の中で人間に与える、虚構ではあるが理想的な根源である代わりに、ドイツ人は測りがたい太古の闇に包まれた歴史的存在の中に、神話的でありながら現実味のある始まりを求めている。ドイツ人の国家意識も現実味のある始まりを求めつつ歴史の中に根をおろそうとする。しかし根をおろすための地盤として現われるのは、いつも素朴な根源性ばかりである。つまり国家意識が永遠のバーバーリズムを誇りつつ、より古く、より幸福で、より分別のある西側に対して身を守る態勢に入ると、ドイツ史の大いなる反抗のすべて、対ナポレオン戦争、ルターの宗教改革、ヴィドゥキントのカール大帝への反乱などすべては、ヒェルスカ人アルミニウスが始めたローマに対する巨人族の戦争と同じものであるかの観を呈するのである。
    --H.プレスナー(松本道介訳)『ドイツロマン主義とナチズム 遅れてきた国民』(講談社学術文庫、1995年)。

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