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でもそんなこと、案外よけいな事じゃないんじゃないかな

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例の如く、地獄のような市井の仕事に翻弄され、ベトナムのジャングルのなかを行軍する初年兵のような宇治家参去です。
パトロールが終わり兵舎へ戻り、冷たいビールで一息つく彼らの気持ちが我がことのように理解できる。

さて……地獄の職場から帰宅し、昼過ぎに届いていたDVDを鑑賞する。
小津安二郎の『お早よう』(松竹、1959)である。
ビデオテープはもっていたが、自分の部屋で鑑賞できないので、DVDを購入した。
風呂から上がり、一杯やりながら鑑賞する(自分の姿はまるでおっさんのようだ)。

これまで何十回となく小津作品はみているがこの『お早よう』もズバ抜けて痛快であり、思想的に深いものがある。

話の筋はこうだ。
舞台は昭和30年代の東京郊外の新興住宅地。
五軒の建て売り住宅が軒を連ねるのどかな、どこにでもあるような一角で、平凡で日常的なエピソードの断片をつなぎ合わせた作品だ。筋はあるようでない話だが、子供のコミュニケーション理論と大人のコミュニケーション理論が交錯し、小津一流のコメディセンス(完成と崩壊の同居)が通底をなしており、楽しくも考えさせる映画である。

映画の冒頭……。
多摩川の土手をあるく四人のこどもたち。
おでこをおすと、“おなら”で応える(=おならを出す)ゲームに興じている。
ときどき、“おなら”で応えることができず、“実”を出してしまう子供も居て面白い。
この子どもたちの家族がそれぞれの住宅に暮らしているわけだが、そのうちの1軒が林家のお宅。林家は、サラリーマンの主人(笠智衆)、その妻(三宅邦子)、妻の妹(久我美子)、小学生の息子2人の6人家族の構成だ。

映画の核ともいうべき事件がこの林家で勃発する。
林家の子供である実と勇の兄弟がキレて「挨拶を拒否する」のである。
きっかけはテレビ。
テレビが一般家庭にはいまだ普及していない昭和30年代前半のこと、大相撲のファンである子どもたちは、テレビをもつ近所のお宅(丸山家)へテレビを見に行く。ご近所からは素性がイカガワシイと揶揄されるウワサの立つ丸山家だから、そこへ子供があつまることを母親たちはよく思っていない。実と勇も、「英語を習いに行く」という口実で外出しながら、丸山家へテレビ鑑賞に出かけていた。集まった子どもたちは隣家の奥さんに見つかってこっぴどくしかられてしまう。

だが実も勇も、いくら叱れてもみたいものは見たいのだ。
そのあげく「テレビを買ってよ」とうるさくねだる。

笠智衆演じる父親は、ここにいたって雷様となってしまう。

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「だいたい、おまえは口数が多い。おしゃべりだ。やめろと言ったら、やめろ。だいいちお前たちは何だ。一つことをいつまでも。女の腐ったのみたいに。子供のくせによけいなことを言い過ぎる。少し黙ってみろ」
「よけいなことじゃないやい。欲しいから欲しいって言ったんだ」
「それがよけいだって言うんだ」
「だったら、大人だってよけいなことを言っているじゃないか。『こんにちは』『おはよう』『こんばんは』『いい天気ですね』『ああそうですね』『あら、どちらへ』『ちょっと、そこまで』『ああ、そうですか』。そんなことで、どこにゆくかわかるかい!! 『ああ、なるほど、なるほど』。 な~にが『なるほど』だい!」

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テレビが欲しいからダイレクトなメッセージを主張し、ねだりつづけた子どもたちにとっては、大人たちのメッセージのやり取りはどうしても、意味がないものに映ったのだろう。実と勇は、父親のいう「少し黙ってみろ」を文字通り実践し始めるのである。

 実と勇はすべてのコミュニケーションを拒否する。母親の呼びかけにも、隣人からの挨拶も、そして果ては学校の先生の問いかけに対しても。

そして実と勇の叔母である節子(久我美子……これがまた清楚で美しいのですが)とふたりの兄弟の家庭教師である平一郎(佐田啓二)とのやりとり。

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「どうしたんです、いったい?」
「よけいなこと言うなって言われたら、大人だって言うじゃないかって。『おはよう』『こんばんは』『こんにちは』『良いお天気ですね』って」
「ああ、なるほど。そりゃそうだ。だけどそれは、誰だって言うな」
「そうですわ。誰だって言います」
「でもそんなこと、案外よけいな事じゃないんじゃないかな。それを言わなかったら、世の中、味も素っ気もなくなっちゃうんじゃないかな」

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挨拶は「案外よけいな事じゃない」。
コミュニケーションが実用本位の有用価値の交換にだけ終始するとすれば、それ以外のコミュニケーションは、「よけいな事」になってしまう。
しかし現実にはそうではなさそうだ。
「よけいな事」がなくなっちゃえば、「世の中、味も素っ気もなくなっちゃう」のである。

ただし、「よけいな事」を発信しつづけると誰も受信せず交換不可能となってしまう。この部分が現実には難しいのですが。

嬉しいことに、細君がどこからか酒をもらってきていた。
八海山×3,久保田(千壽)×3(それぞれ720ml)。
起きたら「ありがとう」ということにします。
この酒を呑みながら、「お早よう」を見ながら、レヴィナスを読んでいたので、ひとつ最後に紹介します。

人間は他者の顔を見、眼差しを覚知したとき、よけいな事で世の中を味も素っ気もあるものにしているのではなかろうかと思いました。それが他者に対する責任であり、言葉の働きであるのかもしれませんね。
呑みながら書いているので説得力はありませんが、ひとつ。

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 倫理とは他者との、隣人との関係です(隣人の近さが空間的な意味での隣接と混同されることはない)。「隣人」、それはまずこの関係の偶然的な性格を浮き彫りにしています。なぜなら、他者、隣人は最初に到来した任意の者だからです。この関係は近さであり、近さは他者に対する責任です。脅迫的な責任であり、脅迫としての責任です。というのも、他者はまさしく私を包囲しつくすものであり、そのため他者は私の対自を問いただし、私を人質たらしめるほどなのです。人質であるという無条件は、それなしには「どうぞお先に」とさえ決して言えないような条件であります。(ということはつまり、道徳の昨今の危機において生き残ったのは、他者に対する責任のみであるということだ。尺度なき責任であり、それはいつでも完済することのできる借金とは似ても似つかない。なぜなら、他者から解放されることは決してないからだ。)このような責任は自我の分裂、その核-分裂にさえ至るものです。そしてそこにこそ、自我の主体性があるのです。
 意味すること、それはある者が他の者に対して意味することです。ここでは、「ある者」〔一者〕のほうが先行しています。<他者>への直接的曝露、一人称の曝露のほうが先立っているのであり、それは<自我>という概念によって庇護されることさえないのです。なぜなら、合法的な社会のなかで、いわばその概念によって構成され庇護される自我、そのような自我がいうまでもなく存在するからです。ところが、この私は<自我>の外に、概念の外にあるのです。「私」はすでにして<自我>として思考されているのですが、しかし「私」は、ほかの人間から逃げ隠れすることの不可能性ゆえに唯一の者にとどまります。ほかの人間から、要請をつきつける顔としての他の人間から私は逃げ隠れできないのですが、そのような他の人間は極度の曝露、直接的な曝露であり、全面的な裸出であり、それはあたかも、他者がただちに無防備な不遇者であり、そのような者としてただちに私に委ねられるかのようです。
    --エマニュエル・レヴィナス(合田正人訳)『神・死・時間』(法政大学出版局、1994年)。

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蛇足ながらに、最後にひとつ。
実はこの家庭教師・平一郎と実と勇の叔母の節子は恋仲でが、お互いに好意を言い出せない。映画のラストは、駅のホームで空を見上げながら、天気や雲の形の話でおわります。
実にコレは、子どもたちの言う「大人たちの無駄な会話」。
でもこれこそがふたりの「愛の言葉」であったりする。

くどいような持論ですが、人間世界まだまだ棄てたもんではありませんよ。

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