この世界には、あまたの悦びがあるのです
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人間よ、人間的であれ。それがあなたがたの第一の義務だ。あらゆる階級の人にたいして、あらゆる年齢の人にたいして、人間に無縁でないすべてのものにたいして、人間的であれ。人間愛のないところにあなたがたにとってどんな知恵があるのか。子どもを愛するがいい。子どもの遊びを、楽しみを、その好ましい本能を、行為をもって見まもるのだ。口もとにはたえず微笑がただよい、いつもなごやかな心を失わないあの年ごろを、ときに名残り惜しく思いかえさない者があろうか。どうしてあなたがたは、あの純真な幼い者たちがたちまちに過ぎさる短い時を楽しむことをさまたげ、かれらがむだにつかうはずがない貴重な財産をつかうのをさまたげようとするのか。あなたがたにとってはふたたび帰ってこない時代、子どもたちにとっても二度とない時代、すぐに終わってしまうあの最初の時代を、なぜ、にがく苦しいことでいっぱいにしようとするのか。父親たちよ、死があなたがたの子どもを待ちかまえている時を、あなたがたは知っているのか。自然がかれらにあたえている短い時をうばいさって、あとでくやむようなことをしてはならない。子どもが生きる喜びを感じることができるようになったら、できるだけ人生を楽しませるがいい。いつ神に呼ばれても、人生を味わうこともなく死んでいくことにならないようにするがいい。
--ルソー(今野一雄訳))『エミール (上)』(岩波文庫、1962年)。
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昨日は早く寝れば良かったのだが、気になっていたルソー(Jean-Jacques Rousseau,1712-1778)の『エミール』を読み直すと、明け方になっていた。ルソー自体は、苦手な哲学者のひとりで、正直好きではない。『エミール』は近代教育学を、そして『社会契約論』などは国民国家の問題や一般意思の問題を考えるうえでは避けては通れない翠点となっているため、向かい合わざるをえない。
ただ、ルソーの著作を読みながら実感するのは、「読ませる」哲学者だなというところです。本人自身も破天荒な人生を歩んだ人物ですが、常識や通念に囚われない斬新な発想と考え方は、自由な思考の翼を読み手に与えてくれる。朝まで読んでいたお陰で、今日の授業はキツかった。
ただし、今日の「哲学」の講義は、哲学(?)のプロパーというよりも、ゲーテに関する講義(哲学と文学)でしたので、ルソーを読んでいたのがちょうど良かったのかも知れません。『若きウェルテルの悩み』には間違いなくルソーの影響があるし、18世紀の精神といってよい啓蒙思想と、19世紀に迸るロマン主義という相反する二つの潮流が、ふたりのなかでは、対立的にではなく有機的に流れている部分もありますので、両者を読み比べてみるとなかなか面白い。
さて……。
ルソーはエミールのなかで「子どもが生きる喜びを感じることができるようになったら、できるだけ人生を楽しませるがいい」といっているが、この部分で思い出したのが、ゲーテの母親エリーザベト・ゲーテ(Catharina Elisabeth Goethe,1731-1808)の家庭教育のエピソードである。
『ゲーテ伝』には次のようにある。
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この世界には、あまたの悦びがあるのです!
その探し方に通じていさえすればいいので、そうすればきっと悦びが見つかります。
--ハイネマン(大野俊一訳)『ゲーテ伝』(岩波書店、1983年)。
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ゲーテの母親は慈悲深く聡明な女性だったのでしょう。
この世界は、悲しい世界ではない。苦しい世界でもない。喜びにあふれた素晴らしい世界なのだという、おおらかな人間賛歌の励ましのようである。その人間賛歌をうけたゲーテだからこそ、世界へ開かれた普遍への回路と優しさを貯えた作品が生み出されたのでしょう。偉大な人物には偉大な母親ありです。
現実には、悲しい、苦しい、喜びに溢れていない世界である。だからこそ、その世の中に価値や意味を見出し、それを創造していく……そうした喜びを見出す癖が必要かも知れません。自分たちは価値ある存在なのだ……とともどに讃え合える社会は理想であるが、夢想ではない。
「口もとにはたえず微笑がただよい、いつもなごやかな心」を子どもたちは自然にもっている。「にがく苦しいことでいっぱい」にする必要はないのだろう。
そんなことを授業で感じながら、帰宅する。
今日は幼稚園が休みのため、時季はずれですが、子どもさんが七五三の写真を撮りにいっていた(時季はずれだとべらぼうに安いので)。
変わり者(?)なのか、血は争えぬのか(?)、狩衣か直衣を着て撮影したようだ。
ま、実に嬉しそうに写ってはいるのだが……。
「この世界には、あまたの悦びがあるのです!
その探し方に通じていさえすればいいので、そうすればきっと悦びが見つかります」
子どもたちだけではなく、大人たちも世界へ向かって「悦び」を見出すようにしていきましょう。
さ、大学の仕事も市井の仕事も終わったところですので、一杯飲んで寝ます。必ず「悦び」が発見できるので……。
エミール〈上〉 (岩波文庫) 著者:ルソー |
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