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「物事に期待をせず、自分の仕事の質をみがいて行く」

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 私たちが応召解除となったのは、八月の二十一日で、同時に私は二等兵曹に進級した。
 何という愚かな、見えすいたまねをするのだろうかと、あきれ果てたものだ。
 つい数日前までは下の兵たちに君臨し、威張り散らしていた下士官たちが海辺へ引きずり出され、兵たちから袋叩きになったとか、将校が自動車に食料を乗せて逃げ出したとか、いろいろなうわさが耳に入ってきたが、私は、所属している信号長ほか数人と共に、出発を一日遅らせ、これまで世話になった農家(佐々木家)が招いてくれた別れの宴に出た。
 月のよい夜で、私は仲よしの中村一等水兵と共に境港の古道具屋へ行き、中国の古い大きな菓子鉢を求めてきて、お礼のしるしに佐々木家へ贈った。
 翌日。
 私たちは佐々木家の人びとに見送られ、東京へ向かった。
 どの駅にも兵隊があふれていて、米子駅からは乗車できず、出雲大社まで逆行し、そこから大阪行の列車に乗り込んだ。
 日照りつづきの町や村に、防空壕が黒い口を開けているのを、車窓から見るのは悲しかった。
 それでも山陰地方を列車が走っているうちは、人家も見え、町も村も存在していたのだが、一面の焦土と化した大阪へ着いたときの絶望は、形容の仕様がなかった。
 その崩れ落ちた大阪駅頭を歩んでいる大阪の娘たちの顔は、ふしぎなほどに、いずれも生き生きと明るく、
 「女は強いですねえ」
 と、中村一水が、つくづくといった声を、いまも覚えている。
 東京へ着き、地下鉄で稲荷町まで来て、母の勤め先の女学校へ行くと、
 「帰って来た、帰って来た」
 と、母も元気だった。
 いざとなったときの女の強さ、すぶとさは大変なものだ。
 私などは、それから約半年、何もできなかった。こうしたときの男の虚脱状態は、なかなか女にはわかってもらえない。
 一日も早く、はたらかなくてはならぬことはよくわかっていたし、早くも闇商売が横行して金儲けをすることなど、私がやろうとおもえば、わけもなかった。
 だが、それだけでは、男がはたらくということにはならない。
 私は二十三歳だった。
 はたらくなら、生涯の目的を立てて、はたらきたかった。
 ともかくも、私を虚脱させたのは、昨日に変る新聞やラジオの論調だった。
 よくも、わずか十日か半月の間に、
 (これだけ変身できるものだ)
 と、おもった。
 悪質で愚かな軍人や、一部の政治家に騙され、悲惨で愚劣な戦争を、正しいものと信じ込まされていた悔しさはさておき、その片棒を担いでいたジャーナリズムが恥も外聞もなく、旧体制を罵倒し、自由主義に酔いしれているありさまは、実に奇怪だった。
 終戦を境いにした、この昭和二十年の夏に、私の心身へ植えつけられた不信感は、いまもってぬぐいきれない。
 私事はさておき、それからの三十余年、時代が変わるたびに、私は悪い方へ悪い方へと物事を考えるようになってしまっている。
 結局、終戦の翌年、私は劇作家として立とうという目的を定め、それからは迷うことなく歩みつづけ、昭和二十六年の夏には新橋演舞場で、大劇場の作家としてデビューすることができた。
 その後、恩師・長谷川伸のすすめによって小説を書きはじめ、九年後の昭和三十五年夏には、直木賞を得たのである。
 この二つは私にとって幸運だったが、不運、失敗の夏は数えきれない。このように、私の身に何かが起こるのは、きまって夏の季節なのだ。いずれにせよ、私は私なりに努力もし、はたらきつづけてきたわけだが、この間、つとめて心がけたのは、何につけても、
 「物事に期待をせず、自分の仕事の質をみがいて行く」
 と、いうことだった。
 行手への期待も希望もなく、何で努力ができるものかといわれればそれまでだが、それがもう、私の体質になってしまった。作家としての仕事と、自分の身辺をととのえて行く事と、そうした自分の生活が周囲の人びとへ悪い影響をもたらさぬようにと願う事ぐらいしか、私にはできない。
 戦後の十数年は、私のみではなく、世界中の人びとが米ソの原水爆戦争におびやかされた。落ちついて仕事に打ち込めぬ時期があったのだ。
 核戦争が始まったら、仕事も生活もあったものではない。黒沢明監督が、そのテーマを映画にしたのも、そのころだったろう。
 そうした私の苦悩に対して、師の長谷川伸が、
 「戦争が始まりそうだとおもうなら、それを防止する線を君の暮らしの中で不自然ではなく強めて行けばいい。また、戦争がないとおもうなら、その考えを強調する暮らしをすればいいのだ」
 と、はげまして下さった。
 この言葉によって、私は激しい不安を乗り越え、何とか、はたらきつづけて来たわけだが、いまもって、物事を悪いほうに解釈する性質は以前のままだ。
    --池波正太郎「私の夏(下)」、『日曜日の万年筆』(新潮文庫、昭和五十九年)。

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金曜、東京では、バケツをひっくり返したような豪雨が日中続く。
夕方から所用があり外出するのが億劫だったが、どうにか夕方には晴れ間がのぞき始める。

昨日は痛飲してしまったため、寝ている自分の腹のうえで、子供がダンスを踊るものですから起きる前から疲れ果ててしまうが、そうもいかないので、昨日Amazonから届いた文献に眼をとおしながら、通信教育の添削用レポートの一束も送られてきたので、開封し、これにも眼を通す。大学の通信教育はどの大学でも夏のスクーリングがひとつの山場となるので、それを目指してのことか、七月になってから、送られてくるレポートの量が、前月比の1.5倍~2倍となる。時間を有効につかわないと他の仕事にも手が回らなくなってしまいますね。

さて所用をすませ帰宅すると、息子さんと細君が『となりのトトロ』を観ていた。
宇治家参去としては、トトロよりも山芋とろろのほうがいいのだが、土曜日が土用の丑なので、遅い夕食となるが、鰻を頂く。

ふたりは、トトロに熱中するが、その傍らで、池波正太郎を読みながら、鰻を食う。
暑気払いとしての鰻の効用には現実的には疑問も残る部分も多々あるが、季節のものを季節にくうのが一番うまい。風呂上がりで頂きましたので、ビールも少し頂戴する。

さて、読んでいる最中に細君が、また絡んでくる。
宇治家参去が、外出している間、小学校受験の面接トレーニングをふたりでやったそうだが、まったく話にならなかったとのこと。

「どうしてこの学校を選んだのですか」
「ウルトラマンになりたいから」
「将来の夢は何ですか」
「ウルトラマン」
「お父さんのいいところは?」
「ウルトラマンの玩具を買ってくれるところ」
「本学の創立者をご存じですか」
「ウルトラマン」

……をゐ!

全く話にならなかったそうである。

将来の夢に関しては、細君が少し誘導尋問し、「ウルトラマン」から「大学の先生」へとズラさせたようだが、「なんで?」と聞くと、「パパがそれにいまなりたいようなので……」というすこしサブイ解答を提示したようである。

職に貴賤の上下はないというが、何に取り組みにしても「はたらくなら、生涯の目的を立てて」働いて欲しいものである。

そして、ちょうど、池波正太郎を読みながら、トトロの映像が遮りながら、細君が話しかけてきながら、鰻をつついていたわけですが……池波正太郎がいうがごとく、ひととか世界とかを宛てにしない生き方を身につけて欲しいと宇治家参去は思った次第です。

「物事に期待をせず、自分の仕事の質をみがいて行く」

ここにしか、自分の開ける翠点はありませんから。

ついでに付け足せば……

「戦争が始まりそうだとおもうなら、それを防止する線を君の暮らしの中で不自然ではなく強めて行けばいい。また、戦争がないとおもうなら、その考えを強調する暮らしをすればいいのだ」

というライフスタイルを自然と構築できるとよりよい。

思っていることを独白で終わらせず、自分の生活として馴染ませる努力を行う。こうすることにより、地上の理想を実現できるはずだと思われる。

ですけど、本当に暑くてたまりません。
このところ日本酒を定番からハズし、ウィスキーに切り替えましたが、いつもロックだとノウがないので、今日は、一緒についていたレシピをもとに、ハイボール+生オレンジでやってみる。

甘いがなかなか旨かった。
ウィスキーはロックに限る!って思っていましたが、そういう先入見を逸脱させてくれた味わいでした。

世界はさまざまな色をもっています。
特定の色に拘ることも大切ですが、他の色合いにも気をくばると、もっと世界が素敵になるのでは無かろうかと再度確認。

そして、さらに池波正太郎の文章が酔いとともに染みわたる。

でもなんですな……池波氏は、この短い一文(一部)に、敗戦の思い出、女の活力と男の無力、そしてメディアの問題、さらには理想を地にはる生きる流儀の提示まで凝縮させるとは、ほんとうに脱帽です。

だから読み手を唸らせる、観念させてしまう“迫力”をもっているのだと思います。自分自身も生活と考え方を再度再点検しながら、その迫力ある言辞をもちたいものです。

ケド……あちい。

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Book 日曜日の万年筆 (新潮文庫)

著者:池波 正太郎
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ケド……あちい。

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