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【覚え書】カミュ「絶望に暮れる男への手紙」

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人間とその人間の住まう世の中は、確かに不条理で不合理な世界である。
そもそも人間という生きもの自体が矛盾した存在であるからそうならざるを得ない。
しかし、その世界から人間は降りることができない。
だとすれば、絶望せずに、どのように向かい合って生きていくべきか……。そこが人間の課題であり、葛藤で悩みとなってくる。

アルジェリアの大地を照射する白い太陽の光のように、不条理の世界を鮮やかに描き出したのがフランスを代表する作家・アルベール・カミュ(Albert Camus,1913-1960)である。一筋縄でいかぬ現実を描き出したが、現実の世界も一筋縄ではいかない。

しかしカミュは全く絶望しなかった。

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君にはなすべきことがある、それを疑ってはいけない。それぞれの人間には、多かれ少なかれ影響を及ぼしうる領分があるものだ。各人はそうした影響力を、長所と同様短所にも負っているのだ。だがそんなことは問題ではない。影響力があれば、それをすぐにも活用することだ。

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第二次世界大戦直後、迫り来るドイツ軍の進撃を前に、絶望に暮れる男への手紙でそうカミュは語っている。

当人にしかできない課題や取組はあるはずなのに、どこか違うところにひとはそれを求めがちであるが、事態は決してそうではなさそうである。

カミュが手紙を書いたとおりに歴史は展開しなかったが、その認識の甘さを追求しても意味はない。それよりも生きる人間へのカミュの眼差しを学ぶほうが賢明であろう。
このところそういうところを考えながら、生活しています。
ともすれば、哲学や思想の無力さを痛感することが多く、そうした発想の持つ暴力性に対してもつねに警戒をといてはいけないが、それだけで廃棄されるものでもなさそうです。

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 絶望に暮れる男への手紙。
 この戦争は私を押し潰してしまう、死ぬことはかまわない、だがこの世界全体をおおう愚劣さや、血ぬられた卑劣さや、人間の問題を血を流すことで解決できるといまだに信じている罪深い愚直さには耐えられない、と君は手紙に書いている。
 ぼくはそれを読み、君の言うことがよくわかる。とりわけ、喜んで死のうという善意と、他人の死を見るには忍びないという相反する気持ちのあいだに立たされて、あれかこれかと思い惑う気持ちがよくわかるのだ。そうした気持こそ人間のしるしと言えよう。それこそその人間を、ともに語りうる仲間の一人とするものだ。実際、どうしたら絶望しないですむのだろうか? 非常にしばしば、われわれが愛する人びとの運命は脅かされてきた。病、死、そして狂気と。けれどもわれわれや、われわれが信じたものは残されている。非常にしばしば、いわばわれわれ自身の人生にほかならなかった価値は、危うく危機にさらされてきた。かかる運命やかかる諸価値は、全体では、また同時には、決して脅かされたことはなかったのだ。われわれは決して全的に絶望の危機にさらされたことはなかったのだ。
 ぼくには君の言うことがよくわかる。しかし、君がこの絶望から人生のある規範をこしらえようとし、すべては空しいと判断して、あるやりきれなさの背後にかくれてしまおうとするとき、ぼくはもはや君に承服できない。なぜなら、絶望は気持ちの問題で、一つの状態とは言えぬからだ。君はそれにとどまっていることはできない。それに気持ちというものは、事態の明確な見通しには席を譲らねばならぬからだ。
 君はこう言っている。<<だがそれ以上に言ったなにをしたらいいだろう? そして私になにができるだろう?>>しかし問題は、はじめはそんなふうには提起されていないのだ。君はまだ個人を信じている。それは確かだ。というのは、君は、君を取りまく人びとや、君自身のなかにある快いものをちゃんと感じているからだ。けれどもこうした個人はなにもできぬし、君は社会に絶望している。しかし気をつけたまえ。君は、破局の訪れる前にすでに社会を見捨ててしまっているのだ。また、君とぼくは、この社会の終局が戦争であることを知っていた。それに君とぼくは、そのことを予告していたし、結局ぼくたちと社会のあいだにはなんのつながりも感じられなかったのだ。こうした社会はこんにちだって同じことだ。それはあたりまえの結末に到達しただけだ。そして事実、事態を冷静に観察するならば、一九二八年当時以上に絶望しなければならぬ理由はないのだ。そうだ。君にはまさにあの頃と同じくらいの絶望しかないのだ。
 それから、よく考えてみると、一九一四年に戦った連中には、いまよりもっと絶望する理由があった。というのは、彼らは事態をあまりよく理解していなかったからだ。すると君は、たとえ一九二八年は一九三九年と同じくらい絶望的だったということを知っても、それは私にはなんの役にも立たぬ、と言うだろう。だがそれは、うわべのことでしかない。なぜなら君は、一九二八年にはまだ全部が全部に絶望していたわけではない。だがいまでは、君にはすべてが空しく見えるからだ。だから、もし事態が変らなかったとしたら、君の判断こそ間違っているのだ。それは、とある真実が論理的に把握されるかわりにいきなり直感されると、そのたびごとに判断を誤ってしまうようなものだ。君は戦争を予見した。そしてそれを妨げようと考えた。それこそ君が全的に絶望するのをとどめるものなのだ。こんにち君は、もはやなにも妨げることはできないと考えている。そこにこそ議論の糸口がある。
 しかしその前に君にききたいのは、この戦争を防ぐに必要なことを、君がちゃんとしたかということだ。もししたのだったら、この戦争はそれこそ君には宿命的なものと思えるのだろうし、もはやなすべきことはなにもないと判断するだろう。しかしぼくは、それに必要なすべてのことを君がしなかった、われわれ以上にしたわけでは決してなかったと確信している。君は防ぎえなかったのだろうか? いやそれは間違っている。この戦争は、君も知っているように宿命的なものではない。ヴェルサイユ条約をそれまでに再検討すればじゅうぶんだったのだ。だが、それはされなかった。それがすべてのいきさつだ。そして君には、それが別な進展をたどることもありうるのだということがわかるだろう。しかしこの条約は、あるいは他のどんな原因でも、いま再検討することだって可能なのだ。ヒットラーのああした言明にしたところで、その正当性を無効にすることだってまだ可能なのだ。これらの不正行為は、つぎつぎに別の不正行為をよびおこしたが、いまでもそれらを拒絶することだってできるし、彼らの返答を無効にするよう要求することだって、可能なのだ。やらねばならぬ効果的なつとめはまだ一つある。君は、君の個人的役割は実際には皆無だと思っているだろう。しかしここで、これまでのぼくの議論を逆にさかのぼってみよう。そしてぼくは、その役割は一九二八年当時より大きくもなければ小さくもないと言うだろう。それにぼくは、君にしたところで、無益だという考えにそうあぐらをかいているわけでもないことを知っているのだ。なぜならぼくは、君が、良心の申し立てる異議にほとんど耳をかさぬとしても、それは勇気を欠いているからでもなければ、感嘆する心を欠いているからでもない。そうではなくて、それにはいかなる効果もないと君が判断しているからだ。だから君は、いまではもう、ある種の効果という考えをいだいたわけだ。とすれば君は、これからするぼくの議論についてこなければならぬはずだ。
 君にはなすべきことがある、それを疑ってはいけない。それぞれの人間には、多かれ少なかれ影響を及ぼしうる領分があるものだ。各人はそうした影響力を、長所と同様短所にも負っているのだ。だがそんなことは問題ではない。影響力があれば、それをすぐにも活用することだ。なんぴとをも反抗におもむかせてはいけない。流血を避けなければいけないし、他人の自由は大切にしなければいけない。けれども君には、「この戦争は宿命的なものではなかったし、現にない。それを防ぐ手段は、いままでは試みられていないがいくらでも試みることはできる。だから、それが可能なときにはそのことを言い、あるいは書き、必要とあらば叫ばなければならない」と、十人、二十人、いや三十人の人間に説得することはできるはずだ。その十人あるいは三十人が今度はほかの十人にそのことを言うだろう。そしてその十人がまたそれをだれかに伝えるのだ。もし面倒くささから彼らがそれをやめてしまったら、またほかの人たちに向かってやりはじめるのだ。そして君が、君の領分や君の地域でやらねばならぬことをやってしまったら、そのときこそ説得をやめ、あとは随意に絶望したまえ。だが、つぎのことをわかってほしい。だれでもごく「一般的な」人生の意味には絶望できる、だが人生の個人的な形にではない。その実存には絶望することができる。なぜなら、ひとはそれにたいしては力が及ばないからだ。だが、個人がすべてをなしうる歴史にではない。こんにちわれわれを死にかりたてているのはある数人の個人だ。だとすれば、なぜある数人の個人が世界に平和を与えられないことがあるだろう? 大きな目標などは考えず、ただはじめさえすればいいのだ。だから人びとが戦争をしているのは、それを望んでいる人びとの熱意によるのと同じぐらい、全身全霊でそれを拒む人の絶望によっているのだということをどうかわかってくれたまえ。
     --カミュ(高畠正明訳)『太陽の賛歌 カミュの手帖1』(新潮文庫、昭和四十九年)。

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