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教養には、自分自身に対する節度と距離をわきまえる普遍的な感覚がある

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芸術作品という他者、あるいは過去という異質なものを受け入れる用意ができていないのであれば、伝承をどれほど正確に観察し、徹底して研究しても、十分とはいえない。他者に対し、また、自分とは異なった普遍的な視点に対して開かれていることこそ、ヘーゲルにならって、われわれが教養の普遍的特徴として挙げたところである。教養には、自分自身に対する節度と距離をわきまえる普遍的な感覚がある。それゆえ、自分を越えて普遍性へと高められるのである。自分自身や自分の私的な諸目的を、距離を保って熟視するということは、実のところ、他人の目で見ることを意味する。こうした普遍性は、たしかに、概念あるいは悟性の普遍性といったものとは違う。普遍性から個別が規定されるのでもなく、例外のない整合的論証がなされるのでもない。教養人が開かれた態度でのぞむ普遍的な視点は、妥当性のある固定した尺度のようなものではなく、他人ならばもつかもしれぬ視点として想定されるのである。その限りでは、教養人の意識は、実際のところ、多分に感覚のような性格をもっている。感覚はいずれも普遍的である。例えば視覚は、自分の全世界を包摂していながらも自己をあるひとつの視野へと向けることにより、そこで眼前に開けたものの内部で対象の差異を捉えるのである。だが、教養人の意識が五感を越えているのは、五感はそれぞれ特定の領域に機能を限られているからである。教養意識そのものは、あらゆる方面に働く。それは普遍的感覚(allgemeiner Sinn)なのである。
    --ハンス=ゲオルク・ガダマー(轡田収ほか訳)『真理と方法 I』(法政大学出版局、1986年)。

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やはりこういうのを読んでいるヨーロッパにおける教養のあり方とは、図書館の目録をすべて暗記しているというか、何か、教養必読リストを読破したのだとか……そういうありかたとは違うallgemine Bildungとでもいえばいいのでしょうか……人間を根底から土台から形成させていくもの、すなわち人格形成の要に教養が位置しているのだと思わざるをえません。

今日も市井の仕事は、“例の如く”の以上にきつかったが、休憩時間、和菓子をほおばりつつ、ガダマー(Hans-Georg Gadamer,1900-2002、※百歳越えというのも偉大です!!)を読んでいましたが、その甘さが五臓六腑に染みわたるように、ガダマーのコトバが脳内インスピレーションを刺激する。
ぶっちゃけ、“おとといきやがれぇぇ”と啖呵を切って辞めたい職場ですが、逆の観点からみると、生きている生の実存と対峙されるなかで、学ぶ意味とか学問の本来性を考えさせてくれるきっかけを与えてくれているという意味では、ありがたい職場なのかも。
ちなみにごまだれが一番旨かった。

さて……
特殊な一個的な個別の存在者が普遍へ開かれるためにはいかにすべきか。

「自分自身や自分の私的な諸目的を、距離を保って熟視するということは、実のところ、他人の目で見ることを意味する」。

自分自身を見つめ直すことで、自己のうちにおいて“他人を学ぶ”。その契機になるのが教養であり、教養体験とは“他者のリハーサル”なのだろう。

「教養には、自分自身に対する節度と距離をわきまえる普遍的な感覚がある」。

人間はその当人の五感という有限な通路しか持ち合わせていないが、その通路から世界へ開いていく意識、普遍的感覚は発現可能であるらしい。。

知の細分化、そして先鋭化する専門化とその一方での理論知の遊戯による一種のシラケムード。人が何かを学ぶということはそんなちっぽけなことではいのだろう。子供さんの学習を見ているとつくづくそう思う。たしかに、文字を覚え、文字を書き、数字を覚え、計算する。そしてその教材を閉じ、自分の時間に戻ったとき、子供さんは、自分の学びを始めだす。絵本を音読し、リンゴを数え、空のビール瓶と詰まったビール瓶を区別する。そして、たどたどしい文字ながらも、そのことをなにやら、当人における実存的な意味のコトバを書き留め始める。

作業としての学習はたしかに、きつそうだ。
しかし、その作業を終え、自己の作業(=学習)に没頭したとき、何か至福を感じているようだ。そうした往復関係のなかで、教養を知のレパートリーではなく、人格形成のひとつの契機とできれば、豊かな人間になれるのであろう。その意味でも、学ぶ機会やチャンスを減らしてはならず、楽しい生き生きとした時間にしていかなくてはならない。

さあ、仕事に帰ろ。

……って思ったけど、今日はスーパードライを飲んで寝ます。
これだけ蒸し暑いと、ドライの破壊力がしみこむ、しむこむ。

明日早く起きて仕事しよ。

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