たまには濃いめの味付けで
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生活というものは早晩、落ち着くところへ落ちつくものなのだ。どんな衝撃を受けても、人はその日のうちか、たかだか翌日には--失礼な言い方で恐縮だが--もう飯を食う、そしてそれがまた初の気休めともなるものなのである。
--ツルゲーネフ(中村融訳)『ルーヂン』(岩波文庫、1961年)。
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ツルゲーネフ(Ivan Sergeyevich Turgenev,1818-1883)もうまいことをいうもんだ。
池波正太郎が常々いうように、「(さまざまな矛盾や葛藤に直面し、人生が嫌になったとしても)それでいて人間の躰は、たとえ、一椀の味噌汁を味わっただけで生き甲斐をおぼえるようにできている」
何と、ありがたいことだろう。
それが生命力かもしれません。
その生命そのものに有象無象のさまざまな万象が内在している。それをひとつひとつ自覚しながら、自分自身の課題と向かい合い、一歩一歩前進するしかあるまい。
さて……、
そんなこんなで(?)で、今日は一日中、吉野作造(1878-1933)と格闘する。最新の研究成果にも目を通しながら、吉野の文章を読み直しながら、博論の1章部分の中核を為す、吉野の人間論に手を入れる。
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まず吉野も海老名(引用者註……海老名弾正、本郷教会牧師、吉野の信仰の師)と同様にすべての人間のうちに神性を認め、それゆえに人間に対する信頼があつい。吉野が谷崎潤一郎の小説「或る調書の一節」に寄せた読後感はその消息を物語っている。谷崎の短編小説は、前科八犯でさらに二件の殺人および強姦殺人を重ね法廷に立つ犯罪者を主人公として、平素は主人公に虐待されている妻が主人公から犯罪の事実をうち明けられ、主人公の魂に挑戦し、これを動かしていく過程を描写した作品である。
小説の表面には女房は痛々しく弱々しく描かれている。併し彼女の魂の前には凶暴な主人公も結局頭は上がらなかつた。外面でこそいじめさいなんでは居るが、内部では無限の信頼を寄せ又無限の同情を求めたのであつた。あんな凶悪なる男から頼まれ縋られる魂は、一体神の外にあり得るものだらうか。而も女房は平凡な無知の一匹婦である「神様や仏様なんてものは本当にあるのかしら」などゝふだんは云つてゐる。普通平凡な人間の裡にも相手に依ては斯んな神々しい聖熱が起こるといふ所に人生のおもしろさを観るべきではないか。……私は斯くの如き魂を我々人間の裡に与へ給ふた神に感謝する共に、又谷崎氏にも満腔の敬意を表するものである(吉野作造「魂の共感‐‐谷崎潤一郎氏作の〈或る調書の一節〉読後感」、『文化生活』一九二二年一月、三月)。
吉野はこの読後感を谷崎に送ったが、谷崎は次のような返書を吉野に送っている。
私は決して貴方の尊敬に値するほど爾く徹底した人生観を得ても居なければ、又あの女房の人格を徹して輝くところの神の愛に対して、まだ心から信仰を捧げることが出来ずに居るのです。私はあの作品の主人公Bと同じやうな悪い人間です。……あなたはあの作品の中に人生の明るい方面を認めて下さいました。しかし私は中々明るい気持にはなれません。遠くの方にほんの少しの光明が見えながら、それが決して自分には掴めるものではないのを知るだけに、却つて尚更くらい重苦しい気分になるばかりなのです。これは私の書き方が足りないからでもありませうが、寧ろそれよりあなたと私との態度の相違から来るのだと思ひます。あなたは善人の側に立つて、私は悪人の側に立つて一つ物を看てゐるのぢやないかと思ひます(吉野作造「魂の共感‐‐谷崎潤一郎氏作の〈或る調書の一節〉読後感」、『文化生活』一九二二年一月、三月)。
谷崎の返信は谷崎自身の立場を語ると共に、吉野の立場も語っている。民本主義理論の確立もこうした吉野の人間観、すなわち「人はすべて神の子である。生れ乍らにして神の心を体得して居るものである」(吉野作造「社会主義と基督教」、『新人』一九〇五年九月)という確信が前提となっている。
人格に関しても、「人格中心主義」(吉野作造「人格中心主義」、『基督教世界』一九一三年一二月一一日)では、世界的精神であるキリスト教精神が社会の人間関係においては、「人格」として発現するとして、「人格は一切万事の根本である。中心生命である」と吉野は説く。「人格」とは修養を積み、教養と品格をもち、他者に寛容な態度で接し、正義の心をもった人間性だと定義する。さらに海老名は「予が人格観」(海老名弾正「予が人格観」、『新人』一九〇三年一一月)において、政治活動をする人間は、理性的道徳的に優れたものでなければならないと説いたが、吉野も同様に、政治に関わる人間には「人格相互の信認」(吉野作造「政党進化論」、『新人』一九〇四年四月)が必要であり、政治の指導者は「人格者」であるべきだと主張した。
更に人格は静的状態で留まることなく無限に発展向上する。
--拙論「吉野作造の人間観 --海老名弾正の神子観の受容をめぐって」、『東洋哲学研究所紀要』(第20号、2004年)。
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谷崎は人間の闇の部分に注目し、吉野は人間の光の部分に注目したと即断することは可能だが、それだけではないような気もしなくはない。論点の強弱は両者にあったとしても、その両面が照らし出す相対する部分をみていたがゆえに、強弱したのではなかろうかという部分である。(谷崎に関しては深く読んだことがないので言及しづらいが)吉野の場合には、そうしたところが多分に見受けられる。吉野は常々「人生に逆境はない」と語っているが、それは自分自身が逆境の辛酸をなめ尽くしたからであると思われる。おもえば、吉野は早い結婚をしている。それに輪をかけ、帝大で勉学へ研鑽し始める前後から家業が没落し、家族の面倒も見なければならない。そして弟を大学まで進学させる面倒をひとりで背負ってたつ。そうした辛酸(本人は辛酸と表現しない!)をしっているがゆえに、光の部分に注目するのではないかと思われる。
こうした吉野の人間観・人生観は一般的には「楽天的」な人間観・人生観ないしは、「楽観的な」人生観と結論づけられるところが多いし、たしかに一見するとそうである。しかし、“楽天的”(楽観的という意味合いは世俗社会における「脳天気」という意味合いとは違ういみが実は本来的にあると思われるが、表現された言説としては「楽天的」と同様に扱われるところが本朝の問題点)におさまりきらない何かが存在する。
それがやはり「人はすべて神の子である。生れ乍らにして神の心を体得して居るものである」という信仰の問題では無かろうかと思わざる得ない。信仰による確信によって基礎づけられた雄々しい楽観主義なのである。
そのことをうまく表現できない語彙の貧弱さが、自己自身に対して納得できないある日の宇治家参去です。
拙論は素描というか、学習報告にすぎない部分があるので、これを丹念に丁寧に叙述していく作業をしているわけですが、朝早くからやっていると、細君がダウンする。
例の偏頭痛である。
これになると、(ツルゲーネフの謂いにしたがうと)「失礼な言い方で恐縮だが」となるわけですが、電池の切れた人形のごとく一切の活動が不可能となる。
息子さんは今日、昼から御学友様のお宅で遊んでいるのだが、そのサルベージが必要となる。折角髭も剃らずに自己自身に集中していたわけですが、迎えに行かざるをえない。おまけに冷蔵庫を見ると空っぽ。出来合いでもよいので夜のタツキが必要となる。
その両方の任務を背負って、暑い日射しの夕方……。
息子様をお迎えに参上(するために風呂に入って髭を剃ってネクタイまで締めた!)し、そのあと、和のファーストフードで、どんぶりを買って帰る。
買って帰ると細君もほどほど復活していた。
三人で「すき家」のどんぶりをほおばる。
この手の和のファーストフードは、連日になると辟易となるものだが、たまにくうと濃いめの味付けが妙に旨い。
遊び疲れた子供は満足して寝てしまい、細君も三度寝の闘いへ入ってしまった。
ある意味でアリガタイ。
一章部分の、基礎文献をもう一度読み直すことができたからだ。
明日からまた怒濤の三連勤。
土曜の出勤と金曜の休みを今回はチェンジさせてもらった。土曜日に、息子さんが通う幼稚園の夏祭があるからだ。
いまのうちに仕込みをしておかないと土曜日が無益な家族デーになってしまうので、もうすこし文献に目を通しておこうと思います。
とわいえ、自分の場合、いかなる二日酔いになろうとも基本、放置プレーされてしまうのですが、細君がこうなった場合、放置できない構造であるということは、やはり……“母は強し”ということでしょうか~。
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コメント
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投稿: puzzle game | 2021年5月 3日 (月) 06時59分