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「殿 Tono はいかがなされた。」

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日本における精神風土の特徴として寛容性を評価するむきがある。たしかに日本の文化は、比較的外来のそれの摂取において貪婪であったことは確かである。しかし、思想・宗教に関しては、果たしてそうだったのかと考えてみた場合、寛容であると即断するのは甚だ困難である。
豊臣秀吉および徳川幕府のキリスト教禁制の取り組みはその消息を物語っている。

精神性よりも、「お上」がエライ。
自分で考えるよりも、所与の「権威」に従うべきである。
政治的統合の優先の前には、寛容が顔見せることはない。
統合の優先とは、統合からはずれるものたちの排除の構図である。

和とは、すべてものが金太郎飴のように同じ顔になることではなかろう。

しかし、ここにおいては金太郎飴にならなければならないのである。

何かが違う。

さて……小難しい話はまたそのうちに……。

安土桃山時代に渡来したイエズス会の宣教師がルイス・フロイス(Luis Frois,1532-97)である。かの織田信長とも会見した人物である。フロイスは三十五年もの長きにわたり当時の日本でキリスト教の宣教に努めた人物で、長崎でその生涯を終えた。その間、当時の日本の社会を詳細に観察し、ヨーロッパ世界のそれと比較・対照して記録したのが『ヨーロッパ文化と日本文化』という小著である。
読んでいると実に面白い。

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われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他のものは酔払う。

われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り、「殿 Tono はいかがなされた。」と尋ねると、「酔払ったのだ。」と答える。
    --ルイス・フロイス(岡田章雄訳注)『ヨーロッパ文化と日本文化』(岩波文庫、1991年)。

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ときどき噴き出しそうになるのだが、あり得なさそうだが、ありえる話で実に笑ってしまう。

「殿はいかがなされた」
「酔払ったのだ」

うちでもかく表現されたいものである。
ただ、宇治家参去の場合、人からしつこくすすめられなくても、すすめられたとしても、自分で自分が欲する以上に飲んでしまうのがいけないのであろう。

今日は黒ビールで締めて寝ます。
すこし湿度が低く過ごしやすいです。

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