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「さあ、仕事を続けよう(laboremus)」

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 「ああ、どうしておれは学んでおかなかったのか」。これは怠け者の言い訳である。それなら学ぶがいい。学んだといっても、もう今やめてしまったならば、それは大したことではないと思う。過去を当てにするのは、過去を嘆くのとまったく同じように愚かなことだ。なされてしまったことについては、それに安んじ得ることほどりっぱなものはなにもないし、それを繕えないほどにみにくいものはない。ぼくには、幸運に身を委ねるのは不運に身を委ねるよりむずかしいように思われてならない。もし自分の揺りかごが妖精たちによって飾られたとしたら、気をつけたまえ。ミケランジェロのような男にあってぼくがすばらしいと思うのは、自然の賜物を手に取りなおして、容易な人生を困難な人生に変えて行くあの客気あふれる意志である。自分に満足することを知らないこの男は、彼自身の語るところによれば、学校へ行って何かを学ぼうとした時には髪が真っ白だったという。そのことは優柔不断な人たちに、いつだって、今こそ意志する時であることを教えている。最初の舵の動かし方で一航海のすべてが決まると言ったら、船乗りはきっと笑うだろう。ところが、子どもたちに信じ込ませようとしているのはそれなのだ。さいわいにして、子どもたちはほとんど聞いていない。もし子どもたちがb(ベー)a(アー)は「バ」といった具合に自分の一生を決める形而上学的観念をつくるようにでもなれば困ったことだ。こういう有害な観念は、幼い頃にはほとんど彼らを変えないが、もっとあとになって害となる。なぜなら、弱者の言い訳が弱者をつくるのだから。宿命とはメドゥーサの頭(こうべ)である。
    一九二二年十二月十二日
    --アラン(神谷幹夫訳)「宿命」、『幸福論』(岩波文庫、1998年)。

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昨日はしっかりと寝させて頂き、本日より現実の業務に着手する。夕方から市井の仕事もはじまるので、本日中にある程度、デッドラインの迫っているレポート添削を終えておかねばならない。

今朝より一通一通確認する。

確かに、集中講義を担当する前に、ある程度は「終わらせて」おけばよかったのですが、そのことを嘆いてもはじまらない。それは“怠け者の言い訳”にすぎないし、「過去を当てにするのは、過去を嘆くのとまったく同じように愚かなことだ。なされてしまったことについては、それに安んじ得ることほどりっぱなものはなにもないし、それを繕えないほどにみにくいものはない」からだ。いつも思うのだが、哲学者・アラン(ちなみに“アラン”とはペンネームで、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ(Emile-Auguste Chartier)、1868-1951)はうまいことを言う。

人間とは不思議なもので過去を嘆くようにできているのだが、あまりにもそのことにひっぱられすぎると、前へと歩みをすすめることができなくなるし、運命決定論のように、一本筋の道しか前途に見えなくなるものである。しかし、現実に生きている人間の<現在>には無数の筋道が前途に広がっている。まさに「最初の舵の動かし方で一航海のすべてが決まると言ったら、船乗りはきっと笑う」のである。

過去を忘却せよ……ということではない。
そのことを踏まえた上での現在であり、これからの歩みである。
人間には一本の獣道しか残されているのではない。いな、無限の獣道が横たわっているのである。

今から始めることは決して遅いことではない。
遅くしてしまうのは、遅いと嘆く自分自身である。
遅いと思っても、そして嘆いたとしても、その仕事に着手することはできるのである。
かの大歴史家・トインビー(Arnold Toynbee,1852-1983)は「さあ、仕事を続けよう(laboremus)」をモットーにしたという。

雨の中でも、自然の営みは運行を決してやめない。
寒い雨のなかでも、朝顔は花を開く。

始めるのはいつからでも遅くない……と自分を励ましながら、再び目の前の山を崩していきましょうか。

何しろその山のひとつひとつの地層が人間なのだから、誠意でがんばります。

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